S・R・ナザン
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(ナザンから転送)
S・R・ナザン S. R. Nathan | |
セッラパン・ラーマナータン(2006年)
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任期 | 1999年9月1日 – 2011年9月1日 |
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出生 | 1924年7月3日 海峡植民地、シンガポール |
死去 | 2016年8月22日(92歳没) |
配偶者 | ウルミラ・ウミ・ナンディ |
セッラパン・ラーマナータン(英語: Sellapan Ramanathan、タミル語: செல்லப்பன் ராமநாதன்、1924年7月3日 - 2016年8月22日[1])は、シンガポールの政治家、外交官、公務員、企業家。第6代同国大統領[2]。駐米大使を経て1999年から2011年まで12年間大統領を務めた。S・R・ナザン(英語: S. R. Nathan)とも表記される。
概要
[編集]情報機関出身とされる。フリーメイソンのメンバーである。2009年にシンガポールの大統領として初めて国賓訪日し、皇居における歓迎行事、天皇・皇后と会見、宮中晩餐、衆参両議院議長、当時の内閣総理大臣麻生太郎による大統領表敬が行われた[3]。また広島において原爆被害者に面会した初めての外国元首である[4]。
2016年7月に脳梗塞で入院・治療、8月22日死亡。8月25日に安倍晋三首相が安倍昭恵夫人及び岸田文雄外相とともにシンガポール議会を弔問に訪れた。
年譜
[編集]- 日本によるシンガポール占領時代、警察に通訳として勤務[5]し、戦後独学でマラヤ大学(当時シンガポールにあった)に入学
- 1954年 マラヤ大学卒業
- 1955年 医療ソーシャルワーカーとして公務員としてのキャリアを開始
- 1966年 外務省に入省
- 1971年 国防省に異動し、安全保障情報部長
- 1973年 三菱重工シンガポール社長を兼務(1986年まで)
- 1974年 シンガポール事件。人質となっていたロイヤル・ダッチ・シェルの従業員の代わりに人質となり、シンガポールからクウェートへ同行する[6]。
- 1979年 外務省に復帰、1982年の退職まで外務事務次官を務める
- 1982年 ストレーツ・タイムズ社長に就任
- 1988年 シンガポール駐マレーシア高等弁務官
- 1991年 シンガポール駐米大使
- 1996年 シンガポール無任所大使および南洋理工大学防衛戦略研究所長
- 1999年 8月18日に無投票でシンガポール共和国大統領選出、9月1日就任
- 2005年 8月18日に無投票で大統領再選
- 2011年 9月1日に大統領退任
- 2016年 7月31日 脳卒中で入院
- 2016年 8月22日逝去
脚注
[編集]- ^ “ナザン元シンガポール大統領が死去”. 日本経済新聞. 2016年8月22日閲覧。
- ^ シンガポールの大統領は儀礼的な国家元首で、実権は首相にある。
- ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/21/5/1191855_1097.html
- ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sea2/sg/page4_002253.html
- ^ en:Sellapan Ramanathanより Zuraidah Ibrahim and Lydia Lim (22 August 1999). “He ran away from home when he was 16” (reprint at Ministry of Education, Singapore). The Straits Times
- ^ ナザン・シンガポール前大統領の逝去に関する安倍総理大臣による弔意メッセージの発出 外務省、2016年8月24日
公職 | ||
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先代 オン・テンチョン |
シンガポール共和国大統領 第6代:1999年 - 2011年 |
次代 トニー・タン |