ニコル・バイディソバ
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ニコル・バイディソバ | ||||
基本情報 | ||||
国籍 | チェコ | |||
出身地 | ドイツ・ニュルンベルク | |||
生年月日 | 1989年4月23日(35歳) | |||
身長 | 183cm | |||
体重 | 63kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 2003年 | |||
引退年 |
2010年 (2014年-2016年復帰) | |||
ツアー通算 | 6勝 | |||
シングルス | 6勝 | |||
ダブルス | 0勝 | |||
生涯通算成績 | 338勝147敗 | |||
シングルス | 225勝116敗 | |||
ダブルス | 13勝31敗 | |||
生涯獲得賞金 | $2,778,619 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | ベスト4(2007) | |||
全仏 | ベスト4(2006) | |||
全英 | ベスト8(2007・08) | |||
全米 | 4回戦(2005) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 3回戦(2008) | |||
全仏 | 1回戦(2006) | |||
全英 | 2回戦(2006・07) | |||
全米 | 1回戦(2005) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 7位(2007年5月14日) | |||
ダブルス | 128位(2006年10月2日) | |||
ニコル・バイディソバ(Nicole Vaidišová、1989年4月23日 - )は、チェコの女子プロテニス選手。両親の仕事の関係で、ドイツ・ニュルンベルクに生まれる。WTAツアーでシングルス6勝を挙げている(ダブルス優勝はない)。身長183cm、体重63kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。長身とルックスを兼ね備え、プレースタイルもよく似ていることから“シャラポワ2世”と呼ばれることがある。
来歴
[編集]バイディソバは母親の手ほどきで6歳からテニスを始め、2004年に15歳で女子テニス国別対抗戦・フェドカップのチェコ代表選手となった。同年の全米オープンで4大大会にデビューした時、予選3試合を勝ち上がって本戦に進出したが、本戦1回戦で第1シードのジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れた。2005年度の4大大会成績は、全豪オープンが3回戦、全仏オープンが2回戦、ウィンブルドンが3回戦、2度目の全米オープンが4回戦進出となる。2005年のフェドカップ「ワールドグループ第2部」(最上位の「ワールドグループ」8ヶ国の下位に位置する、次の8ヶ国のグループ) では、4月23日・24日の1回戦でチェコと日本が対戦し、チェコが「3勝2敗」で日本を破った。4月23日に16歳の誕生日を迎えたばかりのバイディソバは、フェド杯デビューでいきなりシングルスに起用された中村藍子を 6-3, 6-1 で破ったが、エースの森上亜希子には 3-6, 2-6 で敗れている。10月には「韓国オープン」と日本の「ジャパン・オープン」で2週連続優勝を遂げた。このジャパン・オープンの決勝では、対戦相手のタチアナ・ゴロビン(フランス)が第2セットの途中で棄権してしまった。
2006年度の4大大会で、ニコル・バイディソバは全豪オープンと全仏オープンの2大会連続でアメリ・モレスモと4回戦で当たった。全豪オープンでは 1-6, 1-6 で完敗したが、全仏オープンでは地元フランスの大会で初の第1シードとなったモレスモを 6-7, 6-1, 6-2 で破り、地元声援の壁を打ち破った。続く準々決勝でもビーナス・ウィリアムズに勝ったが、初めての準決勝では2004年全米オープン優勝者のスベトラーナ・クズネツォワに 7-5, 6-7, 2-6 で逆転負けした。全仏オープン後の4大大会成績は、ウィンブルドンでは4回戦で李娜(中国)に 6-4, 1-6, 3-6 の逆転で敗れ、全米オープンは3回戦でエレナ・ヤンコビッチ(セルビア)に敗れた。
2007年の全豪オープンで、バイディソバは第10シードから自身2度目の4大大会準決勝に勝ち進んだが、過去にこの大会で2003年・2005年と2度の優勝経験を持つセリーナ・ウィリアムズに 6-7, 4-6 で敗れた。この年はウィンブルドンで初のベスト8進出がある。バイディソバは4回戦で大会前年優勝者のアメリ・モレスモを破ったが、続く準々決勝でアナ・イバノビッチ(セルビア)に 6-4, 2-6, 5-7 で逆転負けした。2008年はウィンブルドンで2年連続のベスト8に入ったが、準々決勝で鄭潔(中国)に 2-6, 7-5, 1-6 で敗れ、(2年前の4回戦と同じように)中国人選手に道を阻まれた。
2010年3月、ランキングが100位以下に落ちて低迷していたバイディソバは、ラデク・ステパネクとの結婚と現役引退を発表した。2010年7月に挙式した。
2013年に離婚。2014年9月に現役へ復帰したが、好成績を残すことは出来ず2016年に再び現役を引退した。2018年にラデク・ステパネクと復縁し再婚。6月第一子女児を出産した。
WTAツアー決勝進出結果
[編集]シングルス: 7回 (6勝1敗)
[編集]大会グレード |
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グランドスラム (0–0) |
ティア I (0–0) |
ティア II (0–0) |
ティア III (3–1) |
ティア IV & V (3–0) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 2004年8月15日 | バンクーバー | ハード | ローラ・グランビル | 2–6, 6–4, 6–2 |
優勝 | 2. | 2004年10月17日 | タシケント | ハード | ビルジニ・ラザノ | 5–7, 6–3, 6–2 |
準優勝 | 1. | 2005年5月23日 | イスタンブール | クレー | ビーナス・ウィリアムズ | 3–6, 2–6 |
優勝 | 3. | 2005年10月2日 | ソウル | ハード | エレナ・ヤンコビッチ | 7–5, 6–3 |
優勝 | 4. | 2005年10月9日 | 東京 | ハード | タチアナ・ゴロビン | 7–6(4), 3–2 途中棄権 |
優勝 | 5. | 2005年10月16日 | バンコク | ハード | ナディア・ペトロワ | 6–1, 6–7(5), 7–5 |
優勝 | 6. | 2006年8月27日 | ストラスブール | クレー | 彭帥 | 7–6(7), 6–3 |
4大大会シングルス成績
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | 3R | 4R | SF | 4R | 1R | 13–5 |
全仏オープン | LQ | 2R | SF | QF | 1R | 1R | 10–5 |
ウィンブルドン | LQ | 3R | 4R | QF | QF | 1R | 13–5 |
全米オープン | 1R | 4R | 3R | 3R | 2R | LQ | 8–5 |
スポンサーシップ
[編集]脚注
[編集]- ^ テニス界の新星ニコル・バイティソバ リーボックブランドパートナーへ , リーボック、2005年1月27日のリリース
外部リンク
[編集]- ニコル・バイディソバ - WTAツアーのプロフィール
- ニコル・バイディソバ - ビリー・ジーン・キング・カップのプロフィール
- ニコル・バイディソバ - 国際テニス連盟