ニユーバラツケー
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(ニューバラッケーから転送)
ニユーバラツケー | |
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欧字表記 | New Barraques |
品種 | アングロアラブ(アラブ血量34.37%) |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1947年5月11日 |
死没 | 不明 |
父 | バラツケー |
母 | 若影 |
母の父 | ワカマサ |
生国 | 日本(北海道三石町) |
生産者 | 米田亀右衛門 |
馬主 | 中村勇一 |
調教師 | 鈴木勝太郎(東京) |
競走成績 | |
生涯成績 | 36戦27勝 |
獲得賞金 | 357万0820円 |
ニユーバラツケーとは、日本のアングロアラブの競走馬、種牡馬。1950年秋・1951年春のアラブ東西対抗の勝ち馬である。
経歴
[編集]フランスからの輸入種牡馬バラツケーと、アングロアラブの若影の間に1947年に生まれる。1949年にデビュー。デビュー2戦は2着、3着とあと一歩及ばなかったが、3戦目で1着に入り、以後7連勝を含む9連続連対を果たす。1950年のアラブ東西対抗(春)で4着となり、いったん連勝・連対記録は途切れたが、その後は9連勝を含む11連対を記録。1950年秋と1951年春のアラブ東西対抗を連覇するなど、同じくバラツケー産駒のタマツバキの強力なライバルとして活躍した。通算36戦27勝[1]。
引退後
[編集]現役を引退後、1952年から種牡馬となる[2]。産駒からゴールドバンカー(アラブ大賞典3連覇など)、カツラバラツケー(第1回アラブ大賞典勝ち馬)、バラテスタ(1957年のアラブダービー勝ち馬)など、地方中央を問わず多くの活躍馬を送り出した。
血統表
[編集]ニユーバラツケーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | Eclipse系 |
[§ 2] | ||
父 アア *バラツケー Barraques 1927 黒鹿毛 |
父の父 Comtat1912 栗毛 |
Vinicius | Masque | |
Wandora | ||||
Contree | Border Minstrel | |||
Region | ||||
父の母 アア Titine1919 |
アラ Kerro | アラ Farhan | ||
アラ Jahel | ||||
アア Bougiere | アア Marat | |||
Boudeuse | ||||
母 アア 若影 1940 黒鹿毛 |
ワカマサ 1929 栗毛 |
*トウルヌソル | Gainsborough | |
Soliste | ||||
*種正 | Junior | |||
Enthusiast's Last | ||||
母の母 アア 影紀1924 栗毛 |
アラ *ワギー | 不詳 | ||
不詳 | ||||
アア 影鶯 | アラ *オーバーヤン五ノ六 | |||
第一エラ | ||||
母系(F-No.) | エラ系(FN:11-g) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | 5代内アウトブリード | [§ 4] | ||
出典 |
5代母・エラはサラブレッド。同牝系のアングロアラブにはワクセイ(1987年セイユウ記念)、サラブレッドにはスリーヨーク(1974年朝日チャレンジカップ、1976年金杯(西)、中日新聞杯)などがいる。
脚注
[編集]- ^ 最上(1980) p.90
- ^ 『中央競馬年鑑 昭和38年』p.215
- ^ a b c d “ニユーバラツケーの血統表|競走馬データ”. netkeiba.com. 2024年6月25日閲覧。
- ^ “凪的電脳賽馬−ニユーバラツケー”. 凪的電脳賽馬. 2024年6月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 『中央競馬年鑑 昭和38年』日本中央競馬会、1964年。
- 最上利澄「アラブの王者 タマツバキ」『日本の名馬・名勝負物語』2版、中央競馬ピーアール・センター、1980年。