ノーウホロド=シーヴェルシクィイ
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ノーウホロド=シーヴェルシクィイ(ウクライナ語: Но́вгород-Сі́верський;意訳: 「シヴェーリアの新都」)は、ウクライナのチェルニーヒウ州ノーウホロド=シーヴェルシクィイ地区にある都市。ドニプロ川の支流、デスナー川の河岸に位置する。面積は11.81km(2003年)、人口は15,029人(2003年)。
歴史
[編集]10世紀、東スラヴ人シヴェーリア族の地において、キエフ大公国の都市として創建された。11世紀後半以後、大公国の分国であるシヴェーリア公国の中心地であった。1239年にモンゴル帝国の軍勢によって略奪され、著しく衰退した。その後、ジョチ・ウルスに属していたが、1350年にリトアニア大公国の都市となった。1503年にモスクワ大公国によって征服されたが、1618年にポーランド・リトアニア共和国に奪い返された。1620年に自治権をもらった。1648年、フメリニツキーの乱のきっかけにコサック国家に属するようになった。コサックのノーウホロド=シーヴェルシクィイ百人隊区としてニージン連隊(1649年‐1663年)とスタロドゥーブ連隊(1663年‐1782年)に編成された。18世紀末にロシア帝国の小ロシア県、19世紀初めにチェルニゴフ県の郡庁所在地となった。1920年にウクライナ社会主義ソビエト共和国の都市となり、1932年にチェルニーヒウ州ノーウホロド=シーヴェルシクィイ地区の都市となった。
文化財
[編集]- 城山(12世紀‐13世紀の城跡地)
- 救世主変容修道院(11世紀)
- 救世主変容大聖堂(18世紀)
- 聖ムィコラーイ教会(18世紀)
- 生神女就寝大聖堂(18世紀)
- 凱旋門(18世紀末):ロシア女帝エカチェリーナ2世の訪問を記念するアーチ。
参考文献
[編集]- Історія міст і сіл Української РСР: Чернігівська область. — Київ: УРЕ АН УРСР, 1972.