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ノート:あゝ野麦峠

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年代と朝鮮出身者の統計について

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あゝ野麦峠の原作は読んだことがありませんが、インターネットで調べるに明治42年(1909年)11月20日午後2時が物語の主人公「政井みね」が息を引き取った時間となっているようです。 関連項目にある朝鮮出身者なんですが、1919年とありますが、こちらは物語から10年のちのことで大正8年のことになります。引用されている「長野県統計白書」に関しては、国立図書館の近代デジタルライブラリーにて確認することが可能ですが、白書ではなく「長野県統計書」という名称です。「大正8年(第37回)第3編」(大正10年刊)の53ページ「器械製糸工女出身地方別」によると、朝鮮出身者は31名となっています。ちなみにざっと調べた感じでは、昭和5年がもっとも多く200名(長野県統計昭和9年第4編61ページより)となっていますが、ほかの県も同様にその年によって募集する上限が変わるようで県外出身者の総数は昭和5年にはで20688名ですが、昭和9年には7759名と右肩下がりで減っています。 長野県内出身者に関しては、昭和5年には総数74314名ですが、昭和9年には61185名であり、県外出身者の募集と異なり極端には減少していません。 なお、明治42年の統計には出身者別という項目がないようなので、実際に朝鮮出身者がどれだけいたのかは不明です。また統計によれば長野県の製糸業の工女としてもっとも多いのが長野県内出身者であり、ついで県外出身者では新潟がもっとも多く、ついで山梨、岐阜となっています。(昭和9年の長野県統計書より) まあ、あゝ野麦峠の項目に明治における日本の製糸業全般のことを語るのは疑問に思っているのとちゃんとした記事にするのが面倒なので調べたことだけノートの方にメモしておきます。 --111.169.117.177 2015年11月8日 (日) 06:27 (UTC)[返信]

  • コメント たしかに、この記事で、明治日本の製糸業全般にかかわる内容が、しかも著しくバランスを欠く態様で記載されているのは違和感があります。ご指摘の朝鮮籍工女に関する記載は、2014年8月12日 (火) 03:16 に長野県のIP 220.212.136.178 の方が追記したものです。さすがにこの文学作品との関連が薄すぎるため、除去してよい記載だと思われます。(さらに言えば、財閥が進出したことと朝鮮籍工女がいたこととの関係も不明です。財閥が進出したのならそこで工場を建てて現地の労働力を雇うのでは?)ただ、さらに履歴を調べると、名古屋工業大学のIPから記事の大幅除去などが行われるなどしており、潜在的に右翼と左翼のバトルフィールドとなり得る記事かもしれないので、気楽に編集に参加できない雰囲気があります。有名な作品だけに、作品そのものに関する記載が充実することを期待しています。--QuirkyQuidnuncY会話2015年11月9日 (月) 10:20 (UTC)[返信]