ノート:いただきます
「いただきます」の語源に関して、出典と呼べるようなレベルの出典になってないと思います。あくまで俗説を確立された語源として載せるのはいかがなものでしょうか。きちんとした一次文献の提示をお願いします。
浄土真宗よりも先行していた浄土宗にも「食作法(じきさほう)」と呼ばれるものがあり、真宗発祥か判りません。 浄土宗と浄土真宗のいざこざをご存じであれば真宗から浄土宗に還元したとは考えにくく。
浄土宗の発祥元天台宗でも同じです。 (http://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=20) 天台宗は、真言宗を除く日本の仏教各派誕生にに深く関係している事から、他の宗派でも同じでしょう。(真言宗へは最澄が入門していたことがある)また、(http://www.youtube.com/watch?v=6ZHwkPRsoAc&feature=share&list=PL6mu43UnNThDJOSnMHPYjNtRC4KXLtNnT&index=1)に於いては、神道が発祥だと解説しています。 アジア(特に仏教が深く根付いているタイ・ミャンマー・ブータン等、仏教を直接的に日本に伝えた中国・韓国)に該当する言葉が無いのであれば、仏教というよりは、日本古来のアニミズムに基づく倫理観によるものと考えるのが自然であると思います。 (浄土宗の発祥・・・以下追記:--乙川金魚のはるおさん(会話) 2013年12月16日 (月) 09:23 (UTC))
浄土宗では1990年には既に「食前の言葉」として「本当に生きんがために今この食をいただきます。与えられたる天地の恵みに感謝いたします。同称十念(南無阿弥陀仏×10)」というのをやっていましたよ。
「食材への感謝」説
[編集]この説についてこれから書く方は、マナーの本や道徳の本ではなく、言語、民俗、歴史について扱った信頼のおける本を出典としてあげてください。浄土真宗が発祥だというなら、親鸞その他の思想書や宗教史の本を挙げてください。--Froggieboy(会話) 2016年2月20日 (土) 13:59 (UTC)
- マナー・道徳の本が、「食材への感謝」説が存在することの出典にはなっても、「食材への感謝」が正しいとするにはさらに信頼性のある出典が必要であるというのに同意します。同時に、「食材への感謝」説が俗説である説も出典が必要ですので、要出典タグを付けました。食育との関連も、幼児教育で「食材への感謝」説を教えているという出典は見つかりましたが(NAID 130005256343)、この説を広めるきっかけになったという説明にはさらに出典が必要だと思われます。--MawaruNeko(会話) 2018年4月1日 (日) 13:07 (UTC)
- 俗説とは根拠のない説をいいます。根拠が見つからないその事実そのものが俗説の証となります。--Froggieboy(会話) 2018年5月1日 (火) 12:09 (UTC)
- この場合に根拠のない説を俗説と呼ぶのには同意しますし、自分も調べてみて、食材感謝説が昭和後期くらいに創作された説である可能性は高いと思っています。ただ、これだけ人口に膾炙された説を、「Wikipediaのユーザが」調査して根拠が見つからないことを以って俗説であると断じるのは独自研究に当たらないかというのを心配しています。専門家の書いた文書や論文の中で、特に根拠が見つからないことを述べているものを出典にあげてあれば異存はありません。--MawaruNeko(会話) 2018年5月1日 (火) 15:29 (UTC)
- 私が調べた範囲では、食材への感謝が起源であるとまともな出典付きで述べている本はただの一つも見ませんでした。いずれも「~と言われている」というような書き方で、しかもその出典さえ挙げてないものばかりです。これを俗説と言わず、なんというのでしょうか。信用できる根拠が存在し「ないことの証明」は、消極的事実の証明であり、悪魔の証明です。私自身はナンセンスだと思うのでやりませんが、それに意味があるとお思いなら、まずはご自身で調べてみたらいかがですか。要出典のタグを貼れば、かわりに誰か親切に調べてくれるわけではありません。--Froggieboy(会話) 2018年5月11日 (金) 09:52 (UTC)
- 誤解させてしまったかもしれませんが、こちらの主張は「感謝説は俗説」に反対しているというわけではなく、「感謝説は俗説」を「Wikipediaに記載」するには出典が必要、ということを主張しています。極論をすれば、もし「出典が存在しないならば俗説」が成立するならば、「感謝説は俗説」説も俗説という事になってしまいます。こちらも何十本か論文を検索した上で、感謝説をまともな論理・出典付きで解説しているものがないというのは同意しますし、根拠のない説を俗説と呼ぶのにも、消極的事実の証明は悪魔の証明であることにも同意します。しかし、「Wikipediaのユーザが」調査して見つからないことを書くのは独自研究だと思いますし、そこから俗説であることを導くのは情報の合成だと思います。たとえ悪魔の証明だったとしても、「Wikipediaのユーザ」が証明しただけでは独自研究にしかなりません。Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」などもお読み下さい。逆に言えば、もし記載したいのであれば、記載したい人が査読付き論文などを出すか、専門家であれば大学のHPなどにその旨を記載すれば、(「○○によれば」はつくかもしれませんが)たとえ実はそれが誤りだったとしても記載可能ということです。(もちろん、Wikipedia:空が青いということに出典は要らないがあるように、自明な事実は記載可能と考えている方も多いので、根拠が見つからないことに出典は要るかは井戸端で議論したほうがいいかもしれません。)--MawaruNeko(会話) 2018年5月12日 (土) 10:06 (UTC)--MawaruNeko(会話) 2018年5月12日 (土) 10:09 (UTC)表現を修正
- 私が調べた範囲では、食材への感謝が起源であるとまともな出典付きで述べている本はただの一つも見ませんでした。いずれも「~と言われている」というような書き方で、しかもその出典さえ挙げてないものばかりです。これを俗説と言わず、なんというのでしょうか。信用できる根拠が存在し「ないことの証明」は、消極的事実の証明であり、悪魔の証明です。私自身はナンセンスだと思うのでやりませんが、それに意味があるとお思いなら、まずはご自身で調べてみたらいかがですか。要出典のタグを貼れば、かわりに誰か親切に調べてくれるわけではありません。--Froggieboy(会話) 2018年5月11日 (金) 09:52 (UTC)
- この場合に根拠のない説を俗説と呼ぶのには同意しますし、自分も調べてみて、食材感謝説が昭和後期くらいに創作された説である可能性は高いと思っています。ただ、これだけ人口に膾炙された説を、「Wikipediaのユーザが」調査して根拠が見つからないことを以って俗説であると断じるのは独自研究に当たらないかというのを心配しています。専門家の書いた文書や論文の中で、特に根拠が見つからないことを述べているものを出典にあげてあれば異存はありません。--MawaruNeko(会話) 2018年5月1日 (火) 15:29 (UTC)
- 俗説とは根拠のない説をいいます。根拠が見つからないその事実そのものが俗説の証となります。--Froggieboy(会話) 2018年5月1日 (火) 12:09 (UTC)
- さて、調査の際に何十本か文献を軽く眺めましたが、「いただきます」の「語源」が食材の命をいただくこととする文献もいくつかありますが、どちらかと言うと「いただきます」が謙譲語であることを理由に、この挨拶の「背景」として食材の命をいただくことへの感謝がある、と「語源」としては書いていない文献が多い気がします。これらの文献を元に、「語源」ではなく、挨拶の背景として節を立てて感謝説を記載するのが良いのではないかと思います。(独自研究についてさんざん力説した割には、独自研究・不適切な合成をしない自身はありませんが)読んだ文献をまとめて編集してみたいと思います。--MawaruNeko(会話) 2018年5月12日 (土) 10:18 (UTC)
- Ciniiで見つかる論文を中心に歴史以外を加筆しました。古い説明は一旦コメントアウトしましたが、上段については、より古い文献を示しているため、出典を差し替えても良いと考えていますがいかがでしょうか?--MawaruNeko(会話) 2018年6月6日 (水) 15:32 (UTC)
- 近年(おそらく昭和後期~平成以降)、道徳やマナー教育などにおいて、食材となった動植物の命への感謝であると説明されることがある。これによれば、食材の命を「いただい」て、自分の命を養わせてもらう、その感謝を意味しているという[1][2][3]。この説は特に食育と結びついて2000年代から広く流布することとなった。しかし、そのような語史を文献から辿ることはできない。この説は語史的には俗説に過ぎず、その道徳的価値はともかくとして、歴史的観点から言葉の由来を説明するものではない。 — いただきます#食材となった命への感謝説 oldid=68393708
- ^ 「肉や魚はもちろんのこと、野菜や果物にも命があると考え、「○○の命を私の命にさせていただきます」とそれぞれの食材に感謝しており (後略)」 All About Japan. そうだったのか!「いただきます」本当の意味
- ^ 「「いただきます」には、すべての食材には生命があり、その命をいただいて、「生かさせていただいています」という意味があるといわれています」 小倉朋子 (2008年8月10日). “「いただきます」を忘れた日本人” (日本語). アスキー・メディアワークス ISBN 978-4-04-867287-0. p. 69
- ^ 「本来「いただきます」の前には「いのちを」という言葉が隠されているのです。(中略)「いただきます」と口にして思うべきことは、「申しわけない」という他のいのちへの懺悔)なのです」「いただきます」の日本語に隠された深い真意
- また、下段については、1994年から2000年代前半の文献がかなり見つかっていることから、2009年の食前の言葉の改定を淵源とするのは独自研究ではないかと思いますので、削除しても良いのではないでしょうか?--MawaruNeko(会話) 2018年6月6日 (水) 15:32 (UTC)
- 「食材への感謝」説の淵源のひとつは、浄土真宗の近年の活動にあるとみられる[1][2]。それは、2009年以降の食前の言葉「多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます」、そして食後の言葉「尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。おかげで、ごちそうさまでした」にもはっきりと表れている。しかし、この改定以前の言葉は「み仏と、みなさまのおかげにより(後略)」「尊いおめぐみによりおいしくいただきました」であった。食材の命を「いただく」といった考えを強調するのは最近の傾向とみられる。 — いただきます#食材となった命への感謝説 oldid=68393708