ノート:この世界の片隅に (映画)/過去ログ1
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2017年2月の話題
「評価」の項で、小林よしのりを特別扱いしたのは、以前からの原作者との関係や、両者の主題の通底性を考慮してのことで、必然性があると思います。あしからず。--Konoseka(会話) 2017年2月3日 (金) 13:17 (UTC)
- 失礼ですが、以前からの原作者の関係や両者の主題の通底性(「両者」が何なのかわかりませんが)とするソースが見当たらない上、仮にあったとしても特別扱いする必要も感じられません。「著名人だから」という理由だけで評価を書き連ねていくときりが無いと思います。Twitterでの著名人の評価は探せばいくらでもありますし。--Mercurius(会話) 2017年2月3日 (金) 23:41 (UTC)
- ウィキペディアに掲載する情報は原則として第三者出典(有り体に言えばマスコミ記事のこと)に依るべきであり、小林よしのり自身のウェブサイトにしか掲載されていない情報はWP:SELFSOURCEに該当しますのでウィキペディアに掲載するに値しません。もっともこの記事は他にもウィキペディアに掲載するに値しない情報で溢れ返っていますが、それらをお掃除するのは私の仕事ではありません。--153.136.28.98 2017年2月6日 (月) 14:05 (UTC)
- さて、その「ウィキペディアに掲載するに値しない情報」について。受賞歴に記載されている「金沢大賞」という賞。この映画のファンとしては、どんな賞でも頂けるものは嬉しいわけですが、ウィキペディアンとしては第三者出典を取れない情報を記載することはできないわけで、私の方でこの賞に関する出典を調べたところWP:SELFSOURCEに該当するものしか見つからなかったので一旦削除したのですが、いつの間にか復活しております。現在出典が4つ付けられていますが、そのうちの3つはWP:SELFSOURCEに該当するものであり、残りの一つは金沢経済新聞の記事でこれはおそらく「eAT 2017 in KANAZAWA」の特筆性を証明するものとして掲載されているものでしょう。しかし言うまでもなく「eAT 2017 in KANAZAWA」に特筆性があるからといって「金沢大賞」に特筆性があることの証明にはなりません。--153.136.28.98 2017年2月6日 (月) 14:26 (UTC)
- 実は同じ問題が「ぴあ映画生活ユーザー大賞2016」の方にもありまして、2つある出典のうち1つはWP:SELFSOURCEに該当するもの、もう一つは一見すると時事通信の記事のように見えますが実はこれはプレスリリースの転載なのでやはりWP:SELFSOURCEに該当するものです。ぴあというと有名な情報誌ですが、ぴあに特筆性をがあるからといって「ぴあ映画生活ユーザー大賞2016」に特筆性があることの証明にはなりません。--153.136.28.98 2017年2月6日 (月) 14:26 (UTC)
- 「映画秘宝ベスト&トホホ10」「映画芸術日本映画ベストテン&ワーストテン」
「おおさかシネマフェスティバル2017」の方は未調査ですが、おそらく同じだろうと思います。--153.136.28.98 2017年2月6日 (月) 14:45 (UTC) - 「おおさかシネマフェスティバル2017」は第三者言及がありましたので出典を差し替えました。--153.136.28.98 2017年2月6日 (月) 15:17 (UTC) - では逆に、ウィキペディアにはどのような情報を載せるべきであるか。例えば「第90回キネマ旬報ベスト・テン」は、キネマ旬報以外の第三者メディアによる報道が多数なされており、その証拠となる出典が記事にも提示されています。「第59回ブルーリボン賞」「第71回毎日映画コンクール」「第31回高崎映画祭」「第38回ヨコハマ映画祭」も同様です。例えばヨコハマ映画祭は手作りの賞状しか出ない市民映画祭なのに権威がある映画祭とみなされていますが、これをウィキペディアン的に見るならば、第三者が価値を認めているから権威があるのだろういうことになるわけです。「広島国際映画祭2016」は出典にもある通り実績の浅い映画祭ですが、ウィキペディアの掲載基準から見るならば十分な特筆性があるということになります。自分としては微妙だなと思うのは「第26回東京スポーツ映画大賞」。東京スポーツ映画大賞自体には特筆性があるのだろうと思いますが、今年の受賞者については東京スポーツ以外の第三者メディアでの報道を見た覚えがありません。--153.136.28.98 2017年2月6日 (月) 14:45 (UTC)
「劇中にに登場する太極旗=朝鮮進駐軍」説について
編集合戦になっているので、ノートページにて状況を説明します。以下は主に私がこの記事に加筆した箇所ですが、
こうした描写を、すずたちが住む呉でも在日コリアンが日本人と共に戦火に巻き込まれながら暮らしていたことを表すものと受け取る解釈がある一方[1]、ネット右翼や保守論客を支持している観客の間では、朝鮮進駐軍の実在を肯定する描写として解釈されるなど[1]、観客の間で解釈を巡る論争があった[1][2]。
- 酒井まど (2016年11月24日). “『この世界の片隅に』に「反戦じゃないからいい」の評価はおかしい! “戦争”をめぐる価値観の転倒が”. LITERA. ロストニュース. p. 2. 2017年3月12日閲覧。
- 伊藤徳裕 (2016年11月26日). “「この世界の片隅に」をめぐる“国旗”論争 政治的意味合いを回避したあるセリフとは”. 産経ニュース (産業経済新聞社): pp. 2-3 2017年3月9日閲覧。
この文章が2017年3月24日 (金) 23:50 (UTC)(差分) における利用者:青鬼よし(会話 / 投稿記録)さんの編集で、以下のように改変されました。
こうした描写を、すずたちが住む呉でも在日コリアンが日本人と共に戦火に巻き込まれながら暮らしていたことを表すものと受け取る解釈がある一方[1]、酒井まどによれば「ネット右翼や保守論客を支持している観客の間で、朝鮮進駐軍の実在を肯定する描写として解釈している」[1]と観客の間で解釈を巡る論争があった[2]。
- 酒井まど (2016年11月24日). “『この世界の片隅に』に「反戦じゃないからいい」の評価はおかしい! “戦争”をめぐる価値観の転倒が”. LITERA. ロストニュース. p. 2. 2017年3月12日閲覧。
- 伊藤徳裕 (2016年11月26日). “「この世界の片隅に」をめぐる“国旗”論争 政治的意味合いを回避したあるセリフとは”. 産経ニュース (産業経済新聞社): pp. 2-3 2017年3月9日閲覧。
おそらく青鬼よしさんは「偏った記述は帰属化・明確化する」ことを意識して、このような文章に変更したのだと考えますが、この編集は幾つかの意味で問題があると考えます。なぜならウィキペディアの公式な方針「Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは」にある、「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」という方針に反しているからです。
- 劇中の太極旗を巡って議論があったことは、産経新聞の記事でも取り上げられており、解釈を巡って論争があったこと自体は特記に値する内容だと考えます。
- 産経新聞の記事で伊藤徳裕氏が指摘している「この旗をめぐってネット上で論争が起きている」という箇所や、リテラの記事で酒井まど氏が引用している観客のツイッターの発言は、Togetterにまとめられているこの議論のことを参照しているものと思われます(Togetterまとめはウィキペディアの出典として不適切な一次資料ですが、検証可能な二次情報源を参照する形であれば利用できると考えます)。
- このTogetterまとめは「この世界の片隅に 太極旗」で検索すると容易にヒットする記事であり(現在上から2番目にヒットしますが、1番目にヒットするのは前述の産経新聞の記事やリテラの記事、Togetterまとめを含むまとめ記事です)、青鬼よしさんの編集のように「酒井まどによれば……」という形で帰属化するような情報ではないと考えます。太極旗を巡って議論が起こっていること自体は、産経新聞を含む複数の出典で確認できる情報であり、他にはBLOGOSで取り上げている記事もあります。ですので「酒井まどによれば……という議論があった」として帰属化することは、「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」という方針に反します。
- そもそも酒井まど氏はネット上の意見をリテラの記事上で(否定的な文脈で)取り上げただけであって、ツイッター上の議論の当事者ではありません。ところが青鬼よしさんの書いた出典の参照方法では、酒井まど氏が当事者となっている議論を、伊藤徳裕氏が産経新聞で取り上げたかのような文章に読めてしまいます。酒井まど氏も、このような形で発言をねじ曲げられることは本意ではないでしょう。不適切な引用に当たると考えます。
- 朝鮮進駐軍自体は、出典として使用したリテラの記事や、ウィキペディアの「朝鮮進駐軍」の記事にもあるように、実在の怪しげな組織・事件であります。これこそ帰属化すべき「偏った記述」であり、どのような論者によって支持されている説であるのか、明確にする必要があると考えます。せめて「劇中にに登場する太極旗=朝鮮進駐軍」説を主張する論者に、著名人や、信頼できる情報源での言及があれば別なのですが、これらの出典はいずれも「朝鮮進駐軍」説に否定的です。片渕須直監督のインタビューを幾つか参照しても、やはりこの「劇中にに登場する太極旗=朝鮮進駐軍」という解釈は、監督の演出を誤解した珍説のように見えます。そもそもTogetterのまとめ自体が「朝鮮進駐軍」説に否定的なまとめです。
- 「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」という中立性の方針からすると、「劇中にに登場する太極旗=朝鮮進駐軍」説を、両論併記によって双璧となる二大解釈の一方であるかのように記述するのは不適切でしょう。あくまで出典に沿って「朝鮮進駐軍の存在を真面目に信じているごく一部のネット右翼や保守論客の間には、そのように解釈する者もいた」といった書き方にすべきだと考えます。
- もっとも、映画を見たいちウィキペディア編集者の個人的な感想として言えば、あの太極旗の場面は確かに「えっ? どういうこと?」と思ってしまう描写でもあり、原作からの改編のせいで意図が分かりにくくなっているようにも感じました。片渕監督の意図を意図通りに読み取れず、観客がそれぞれ自分の知識を元に、思い思いに解釈してしまう人が多いのも仕方ないかな、と思っています。
私からの主張は以上の通りです。現状の版も「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」という観点からは好ましくないので、いったん差し戻しさせて頂きます。なおも異論があるのであれば、このノートページに説明をお願いします。--Kanohara(会話) 2017年3月26日 (日) 12:50 (UTC)
「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」の観点から
こんにちは。ご返答ありがとうございました。編集合戦となっている箇所につきまして、記載された内容を拝見いたしましたが、双方の論点が不一致であると感じております。
まず、『劇中の太極旗を巡って議論があったことは、産経新聞の記事でも取り上げられており、解釈を巡って論争があったこと自体は特記に値する内容だと考えます。』につきましては、私も同意しております。 ただし、産経新聞に記載された内容は以下の通りです。
実はいま、この旗をめぐってネット上で論争が起きている。旗の意味について、ネットでは「現地に住んでいた朝鮮人が、ついに植民地支配から解放されるという意味でかかげたもの」という意見もある。
上記の産経新聞の出典に、ブロガーやインディペンデント系ニュースメディアの記事を追記して、以下の内容にすることは特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成であると思いますが、いかがでしょうか。
こうした描写を、すずたちが住む呉でも在日コリアンが日本人と共に戦火に巻き込まれながら暮らしていたことを表すものと受け取る解釈がある一方[22]、ネット右翼や保守論客を支持している観客の間では、朝鮮進駐軍の実在を肯定する描写として解釈されるなど[22]、観客の間で解釈を巡る論争があった。
また、記載された内容につきまして、以下の3点が不明確です。ご説明をしていただくことはできますでしょうか。
- 「すずたちが住む呉でも在日コリアンが日本人と共に戦火に巻き込まれながら暮らしていたことを表すものと受け取る解釈」をしなかった場合は、ネット右翼や保守論客を支持している観客にならないのか
- 「朝鮮進駐軍の実在を肯定する描写として解釈」をした場合は、ネット右翼や保守論客を支持している観客になるのか
- 「すずたちが住む呉でも在日コリアンが日本人と共に戦火に巻き込まれながら暮らしていたことを表すものと受け取る解釈」も「朝鮮進駐軍の実在を肯定する描写として解釈」も感じなかった観客は、ネット右翼や保守論客を支持している観客にされてしまうのか、ネット右翼や保守論客を支持していない観客にされてしまうのか
結論といたしましては、以下の内容で宜しいかと思います。
アニメ評論家の藤津亮太は、これを原作から削られたすずの台詞をさりげなく補完するものだと指摘しているが[8]、こうした描写を、すずたちが住む呉でも在日コリアンが日本人と共に戦火に巻き込まれながら暮らしていたことを表すものと受け取る解釈がある一方[22]、ネット右翼や保守論客を支持している観客の間では、朝鮮進駐軍の実在を肯定する描写として解釈されるなど[22][24]、観客の間では解釈を巡る論争があった[22][23]。
ウィキペディアは百科事典的な参照資料ですから、独立系ニュースメディアやブロガーの記事を引用して論争の内容を説明をする必要はないと思っております。
なお、朝鮮進駐軍など話につきましては、当方に知見がないため回答を省かせていただきます。この映画を見る際には必要不可欠な情報ということでしたら、勉強をしてきたいと思いますので、ご指南ください。以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年3月26日 (日) 14:38 (UTC)
- 返信 (青鬼よしさん宛) そうでしょうか? ウィキペディアにおける「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」とはつまり「AでありBである、ゆえにCである」、つまり複数の出典AとBを根拠にして、どの出典にも書かれていないCという情報を、ウィキペディア編集者個人の主張として書くな、ということであります。
- 今回、青鬼よしさんが問題にしている文章は、それには当てはまらないと考えています。劇中で太極旗が掲げられる場面があり、ネット上でそれに対するさまざまな反応があり、そうしたさまざまな反応を取り上げた情報ソースが複数あるのですから、「太極旗を掲げる場面に対するさまざまな解釈」を両論併記という形で(勢力関係を明示しつつ)取り上げること自体は、「情報の合成」には当たらないと考えます。
- さて、青鬼よしさんが提示された文案ですが、その文章だと藤津亮太氏の意見が論争の火種となってネット上の議論が起こり、産経新聞に取り上げられたという「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」になってしまうように思え、あまりよろしくないように感じます。「論争があった」としつつも、具体的な論争の内容に踏み込まないことが誤読を誘いますし、使える出典があるのに論争の具体例がないのは、文章として不自然で片手落ちに思えます。
- 「朝鮮進駐軍の実在を肯定する描写として解釈した観客=総じてネット右翼」のように受け取られる文章になっていることは、確かに宜しくないですね。「えっ?」と思った私もネット右翼になってしまいます。ならば、
こうした描写を、すずたちが住む呉でも在日コリアンが日本人と共に戦火に巻き込まれながら暮らしていたことを表すものと受け取る解釈がある一方[1]、中にはネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍に関連した描写として解釈する者もいるなど[1][3]、観客の間では解釈を巡る論争があった[1][2]。
- 酒井まど (2016年11月24日). “『この世界の片隅に』に「反戦じゃないからいい」の評価はおかしい! “戦争”をめぐる価値観の転倒が”. LITERA. ロストニュース. p. 2. 2017年3月12日閲覧。
- 伊藤徳裕 (2016年11月26日). “「この世界の片隅に」をめぐる“国旗”論争 政治的意味合いを回避したあるセリフとは”. 産経ニュース (産業経済新聞社): pp. 2-3 2017年3月9日閲覧。
- 水口洋介 (2016年12月31日). “映画「この世界の片隅に」-韓国からの批判に思う”. BLOGOS. 2007年3月26日閲覧。
- という文章であれば問題ないかと思います。
- いずれにせよ、現在のコメントアウトによる対処は誤読を誘い、あまり宜しくないと思うので、{{疑問点}}テンプレートで囲う形にしつつ、上記の内容で修正させて頂きます。--Kanohara(会話) 2017年3月28日 (火) 13:53 (UTC)
- 以下の記述は、独自研究になりますので削除してください。
- 『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』の真偽については、このページでは議論する必要はございませんので、ご希望でしたら該当するページで結論を出して下さい。なお、「藤津亮太氏の意見が論争の火種となってネット上の議論が起こり…」とのことでしたので、藤津氏の解説以降をコメントアウトいたしました。この対応により緊急に解決しなければいけない問題が生じているようでしたら、会話での結論を前に差し戻しを行ってください。
- さて、会話を進める前に確認をさせていただきたいのですが、映画「この世界の片隅に」の解説をするにあたりまして、ブロガー・独立系ニュースメディア・Toggeterなどのまとめサイトではなく、映画専門誌や第三種郵便物にあたる新聞媒体に拠る編集はKanoharaさんにとって難しいでしょうか。もし、難しいとのことでしたら、どのように対応するべきかを一緒に考えてみたいので、その旨をお知らせください。
- なお、私の立場は「ウィキペディアは百科事典的な参照資料ですから、独立系ニュースメディアやブロガーの記事を引用して論争の内容を説明をする必要はない」となります。出典が産経新聞だけということでしたら、論争そのものも特筆性があるのかと疑問視しております。--青鬼よし(会話) 2017年3月29日 (水) 20:55 (UTC)
「朝鮮進駐軍って何?」という人もいるかと思うが、これは在特会や『マンガ 嫌韓流』の山野車輪などのネット右翼が広めた完全なデマであり、彼らは当時の在日コリアンたちが終戦後に朝鮮進駐軍なる組織をつくり強姦や殺人などの犯罪を次々に犯したと主張しているが、根拠などまったくないシロモノだ。そうした情報を鵜呑みにしている人たちが、今回、作中で掲げられる太極旗を暴力のはじまりだと勝手に解釈し、それを「たんなる反戦平和じゃない理由」に挙げているのである。 — 酒井まど、“『この世界の片隅に』に「反戦じゃないからいい」の評価はおかしい! “戦争”をめぐる価値観の転倒が”. LITERA. ロストニュース. p. 2 (2016年11月24日). 2017年3月12日閲覧。
- おそらく青鬼よしさんが出典の内容を読み飛ばされたか、ウィキペディアにおける独自研究の意味を勘違いされているものと判断し、青鬼よしさんによるコメントアウトについてはこちらで差し戻しさせて頂きます。なお、朝鮮進駐軍の存在がネット右翼によるデマであるという主張は私個人の独自研究でも、参照した出典の著者である酒井まど氏による独自の主張でもなく、ウィキペディアの「朝鮮進駐軍」の記事にも安田浩一氏の出典つきで示されている内容ですので、そちらの記事もご覧ください。
- > 映画専門誌や第三種郵便物にあたる新聞媒体に拠る編集はKanoharaさんにとって難しいでしょうか。
- いや、既に幾つか入手して読んでいます。
- 『ユリイカ2016年11月号』は、一冊丸ごと本作の原作者・こうの史代氏の作品分析に関連した特集になっていて、反戦マンガの系譜の中の『この世界の片隅に』の位置付けや特色、同じ作者の『夕凪の街 桜の国』との比較といった記事があるほか、前述の酒井まど氏がリテラの記事で取り上げた「反戦じゃないからいいという評価はおかしい」という主題についても、より深く狭く掘り下げられています。ただしユリイカの記事で扱われているのは主に原作漫画についての言及ですし、内容もモチーフの分析など、より深く原作を読み込んでいる者に向けた、非常に専門的かつディープでマニアックなもので、かつ多岐に渡り、「一般によく知られている知識を広く浅くまとめる」という百科事典の方向性にはあまり合致していないように感じました。少なくとも、都市伝説上の存在でしかない朝鮮進駐軍の実在云々という段階のリテラシーで留まっている読者には場違いな内容に見えます。
- 『映画秘宝EX 劇場アニメの新時代』では、映画評論家の町山智浩氏が、太極旗のことや、この場面で原作から改編された台詞に登場する「植民地から搾取された穀類」とその背景について少し言及しています(町山氏は「植民地」という単語を使っていますね)。ただし、「劇中にに登場する太極旗=朝鮮進駐軍」説についての言及はありませんでした。
- 『サイゾー2017年2月号』の特集記事には、いしかわじゅん氏の評を引きつつ『この世界の片隅に』と『はだしのゲン』を比較した記事があります。これは有料記事としてWebでも読めるようですね。太極旗と、それを見たすずの原作における台詞の解釈にも触れられており、「反戦じゃないからいいという評価はおかしい」という趣旨の解説もありますが、「劇中にに登場する太極旗=朝鮮進駐軍」説については触れられていませんし、そもそも原作について語った内容です。
- > なお、私の立場は「ウィキペディアは百科事典的な参照資料ですから、独立系ニュースメディアやブロガーの記事を引用して論争の内容を説明をする必要はない」となります。出典が産経新聞だけということでしたら、論争そのものも特筆性があるのかと疑問視しております。
- それには同意できません。まあ、これが仮に「実写の記録フイルムに朝鮮進駐軍が実在した証拠らしきものが映り込んでいる」という趣旨のものであったのなら、情報源の信頼性に注意し、十分に中立的な内容を記述する必要があり、出典が乏しいのであれば記述を見送る必要もあったでしょうけれど、これはフィクションの内容に関する話ですよ? まあBLOGOSは出典として微妙としても、全国紙で言及され、独立系ニュースメディアにも詳しい説明があることは、ウィキペディアに記述するには十分な出典だと思います。--Kanohara(会話) 2017年3月30日 (木) 14:05 (UTC)
論点の整理
ご回答ありがとうございました。会話さんと青鬼よしの見解の相違につきまして以下にまとめましたので、ご確認ください。
上記の記述に関する出典についての調査結果は以下の通り
- 映画「この世界の片隅に」の解説でネット右翼や朝鮮進駐軍と関連付けて解説した映画評論誌/報道機関は存在しない。
- 映画「この世界の片隅に」の解説でネット右翼や朝鮮進駐軍と関連付けて解説した出典は独立系ニュースサイト「リテラ」の酒井まど記者による記事のみが存在する。この記事に関する査読・追跡記事は存在しない。
この結果に対するKanoharaさんと青鬼よしの見解は以下の通り
- 青鬼よし:該当の箇所は信頼できる資料を出典としていない。そのため、独自研究に該当する。記載されている内容の真偽については、映画とは関係のないため議論の対象とはしない。
- Kanoharaさん: 検証可能な出典が存在するため独自研究に該当しない。記載されている内容の真偽については、Twitter/まとめサイト/ブロガーなどの記事や安田浩一の著書により真実として立証されている。
上記を踏まえたKanoharaさんと青鬼よしの結論は以下の通り
- 青鬼よし:該当の箇所は映画の内容は関係のない独自研究であり、映画評論誌や報道機関の記事でネット右翼や朝鮮進駐軍などの言葉などが用いられていないことから、百科事典に相応しい記載ではない。そのため、この記載は削除するべきである。
- Kanoharaさん: 該当の箇所は映画の理解には不可欠な出典付きの情報であり、ネット右翼や朝鮮進駐軍などの言葉はブロガーやまとめサイトでは利用されている用語であることから、百科事典に相応しい記載である。そのため、この記載は残すべきである。
以上のように論点を要約いたしましたが、不備などがございましたら、お知らせください。--青鬼よし(会話) 2017年4月2日 (日) 11:18 (UTC)
- コメント 仰る意味が分からなくて混乱しているのですが、要するに、青鬼よしさんの言う「独自研究」なるものは、「Wikipedia:独自研究は載せない」のことではなく、「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」のことを言っているのですか? つまり「事実確認について評判がよくない研究者による独自の研究」という意味で「独自研究」と言っているのでしょうか?--Kanohara(会話) 2017年4月2日 (日) 11:36 (UTC)
- こんにちは。ご質問の件につきましてはWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料をご参考ください。Kanoharaさんの意見につきましては、記載された内容に訂正する箇所はないということで宜しいでしょうか。コメント依頼の準備と考えておりますので、ご精査をいただければと思います。--青鬼よし(会話) 2017年4月2日 (日) 11:53 (UTC)
- 返信 (青鬼よしさん宛) つまりリテラが信頼できる情報源であるのか、それとも掲示板やTwitterや個人ブログと同程度の信頼性しかない(=ウィキペディアでは出典として全く認められない情報源である)のかを問題にしているわけですね? それならば、「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」もご覧下さい。
- さて論点についてですが、「ネット右翼や朝鮮進駐軍などの言葉はブロガーやまとめサイトでは利用されている用語である」というのは語弊がありますね。用語自体は、決してブロガーやまとめサイト「だけ」で使われている用語ではないはずです。
- なお、『この世界の片隅に』が右翼的か左翼的かという論争に関しては、富野由悠季氏と片渕須直監督の対談記事でも言及があるので、ご一読頂ければと思います。太極旗の解釈に関する論争ではないため、産経新聞やリテラの記事とはまた少し異なる観点にはなりますが、リテラの記事で酒井まど氏が主題にしている「反戦を主題にしているか否か」についての対談でもあり、太極旗を見た直後に号泣するすずの心境への言及もあるので、あの太極旗の解釈とも不可分な内容とも感じます。--Kanohara(会話) 2017年4月2日 (日) 12:37 (UTC)
- こんにちは。朝鮮進駐軍やネット右翼につきまして「用語自体は、決してブロガーやまとめサイト「だけ」で使われている用語ではないはずです。」と疑義を提示されておりますが、映画「この世界の片隅に」のノートページでネット右翼や朝鮮進駐軍の話を展開するつもりはございませんので、それぞれ該当のページで行っていただきますようにお願いします。なお、私はこれらの用語が「明確な定義がなされている百科事典で用いるに適切な用語であるか」の観点でしか論じておりません。そのため、右翼的であるとか左翼的であるかということにつきましても、コメント依頼の際には論点から外したいと思います。以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年4月2日 (日) 13:39 (UTC)
- こんにちは。ご質問の件につきましてはWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料をご参考ください。Kanoharaさんの意見につきましては、記載された内容に訂正する箇所はないということで宜しいでしょうか。コメント依頼の準備と考えておりますので、ご精査をいただければと思います。--青鬼よし(会話) 2017年4月2日 (日) 11:53 (UTC)
論点につきまして、以下の修正を行いました。
- Kanoharaさん: 朝鮮進駐軍についての説明は、出典がWikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションに該当するため問題はない。朝鮮進駐軍やネット右翼などの用語は決してブロガーやまとめサイト「だけ」で使われている用語ではないはずであるため、百科事典に相応しい記載である。そのため、この記載は存続させるべきである。
- 青鬼よし:朝鮮進駐軍についての説明は、出典がWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料に該当するため問題がある。朝鮮進駐軍やネット右翼などの用語は「この世界の片隅に」に関する映画評論誌や報道機関の記事で用いられていないことや明確な定義もない用語であることから百科事典に相応しい記載ではない。そのため、この記載は削除するべきである。
以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年4月2日 (日) 13:50 (UTC)
- 返信 (青鬼よしさん宛) どうもズレている気がします。私とて「出典なき独自研究は除去しても構わない、除去されても文句は言えない」という方針に異を唱えるつもりはないのですが、今回の記述には出典があり、その状況には当てはまらないと考えています。そもそもの前提として、私と青鬼よしさんの間では「独自研究」という言葉の定義が違っており、そこを曖昧にしたままコメント依頼をしてもズレた議論になってしまうでしょうから、そこははっきりさせましょう。
- 青鬼よしさん:「リテラ」のような独立系ニュースサイトに学術的な査読は期待できず、個人のウェブサイトやブログのような自主公表された情報源と同様、信頼できる情報源ではなく、ウィキペディアでは一切、出典として使用することはできない。
- Kanohara:「リテラ」のようなニュースサイトは、小規模と言えど企業によって運営されるサイトであり、企業として採用したプロの記者に、企業の看板を背負って書かせている記事である。「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」や「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」のように、条件によってはウィキペディアで出典として使用することができる。今回は使用できる状況に該当する。
- 青鬼よしさん:出典らしきものが示されている記述でも、その出典が独立系ニュースサイトや自費出版物であるなど、学術的な査読を受けた情報源ではないと思った場合、それはウィキペディアでは独自研究と定義され、議論の余地なく記事から自由に除去して構わない。
- Kanohara:「独自研究」と「信頼性の乏しい情報源を出典にした記述」は異なる。例えばオンラインで公表された情報源だからと言って一律に除去すべきではなく、「Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価」のように、信頼性の評価を下した上で判断が必用である。
- 以上です。--Kanohara(会話) 2017年4月8日 (土) 09:29 (UTC)
(インデント戻します) こんにちは。ご返答ありがとうございます。議論の前提条件である「ネット右翼~」抜けていましたので、追記をした上でKanoharaさんの記載した内容を修正いたしました。ご確認ください。
青鬼よし
- 『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』は『一流の報道機関で取り上げられていない最近の出来事に関する、驚くべきまたは重要な報告』であるため、Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料に該当する。そのため、編集者は寄せられた主張を念入りかつ懐疑的に調べる必要がある。
- 報道機関や映画評論誌の「この世界の片隅に」に関する記事に『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』の記載はない。この記載はインターネット上の独立系ニュースサイトのリテラの酒井まど氏の記事のみが取り上げている。
- 「リテラ」のようなニュースサイトは、小規模と言えど企業によって運営されるサイトであり、事象に対して複数の情報源により個別に確認されているならば、事象の説明を補完する情報源として利用できる。ただし、事象に対する複数の情報源ではない場合は、その記事が「企業として採用したプロの記者に、企業の看板を背負って書かせている記事」か「フリーライターにサイトへのアクセスが増加するように依頼して書かせた記事」であるかの判断はできないため、記載された内容が査読されているかなどを重視して、利用の可否を判断する。今回は以下の3点は出典に裏付けとなる証拠はなく、事実であることが立証できていないため、使用できない状態に該当する。
- 出典らしきものが示されている記述でもWikipedia:独自研究は載せないの疑いがある場合は、読者の誤読を懸念して、該当する記載をコメントアウトした(編集合戦を避けるために、双方の主張のどちらも反映させないことが望ましい)後にノートページで会話による問題解決を進める。記事への反映は合意形成後に行う。
Kanoharaさん
- 『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』は『一流の報道機関で取り上げられていない最近の出来事に関する、驚くべきまたは重要な報告』ではないため、Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料に該当しない。そのため、編集者は寄せられた主張を念入りかつ懐疑的に調べる必要はない。
- 報道機関や映画評論誌の「この世界の片隅に」に関する記事に『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』の記載はない。この記載はインターネット上の独立系ニュースサイトのリテラの酒井まど氏の記事のみが取り上げている。
- 「リテラ」のようなニュースサイトは、小規模と言えど企業によって運営されるサイトであり、企業として採用したプロの記者に、企業の看板を背負って書かせている記事である。「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」や「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」のように、条件によってはウィキペディアで出典として使用することができる。記事に書かれていることは事実であることから、以下の3点についても事実であることが立証されるため、今回は使用できる状況に該当する。
- 出典らしきものが示されている記述でも「独自研究」と「信頼性の乏しい情報源を出典にした記述」は異なる。例えばオンラインで公表された情報源だからと言って一律に除去すべきではなく、「Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価」のように、信頼性の評価を下した上で判断が必用である。また、自身の主張のみを記事に反映させることは、要出典タグを貼り付けておけば、ノートでの合意形成を待つ必要はない。
以上となります。--青鬼よし(会話) 2017年4月8日 (土) 12:45 (UTC)
- 返信 (青鬼よしさん宛) いや、私が言ってもいないし出典にもないことを捏造しないで下さい。「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍というものが存在する」という前提から「朝鮮進駐軍の実在を信じているものはネット右翼や保守論客である」「朝鮮進駐軍の実在を信じていないものはネット右翼や保守論客ではない」という結論を導き出すのは、「早まった一般化」「後件肯定」「誤った二分法」などの誤謬に当たり、詭弁の論法です。仮に私がそのようなことを主張しているのであれば、コメント依頼で批判されて然るべきですが、そのようなことを主張しているのは青鬼よしさんの側であって、主張していないことで非難されるいわれはありません。
- 義務教育卒業相当の読解力や一般常識としての論理学の知識があれば、「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍」という記述から「朝鮮進駐軍の実在を信じているものは全てネット右翼や保守論客であり、信じていないものはネット右翼や保守論客の定義に当てはまらない」という結論に飛躍することは、通常ないと考えられ、そのようなことは争点にならないと考えます。初期の記述がそのような誤解を招く表現になっていたことは否めませんが、その後のノートの議論を踏まえて修正がされているため、現在の記述は、青鬼よしさんが主張するような「読者の誤読を懸念」する状態にはなっていないと考えますし、「自身の主張のみを記事に反映」にもなっていないと考えます。--Kanohara(会話) 2017年4月9日 (日) 11:56 (UTC)
- こんばんは。私もKanoharaさんが『私が言ってもいないし出典にもないこと』を書かれていたため、草稿を作成をして確認依頼をさせていただきました。Kanoharaさんが書かれている個人的な意見については色々と思うところはございますが、議論とは関係のない個人的な会話となってしまう可能性もあるため、返信を省かせていただきます。(コメント依頼を提出するのは、「思う」「考えられる」が妥当であるかの意見をもらうためでもありますよね。)
- 青鬼よし
- 出典らしきものが示されている記述でも、一般的に広く認められていない情報源から「一般的に広く認められていない観点」を記述するのはWikipedia:独自研究は載せないに該当するため、その記述を削除する。情報源の信頼性を理由に出典を削除する場合は「Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価」に準拠し、信頼性の評価を下した上で判断が必用である。
- 出典については、「リテラ」のような独立系ニュースサイトは、小規模と言えど企業によって運営されるサイトであり、事象に対して複数の情報源により個別に確認されているならば、事象の説明を補完する情報源として利用できる。ただし、事象に対する複数の情報源ではない場合は、その記事が「企業として採用したプロの記者に、企業の看板を背負って書かせている記事」か「フリーライターにサイトへのアクセスが増加するように依頼して書かせた記事」であるかの判断はできないため、記載された内容が査読されているかなどを重視して、利用の可否を判断する。
- 信頼性の評価については、『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』の一文は、 ネット右翼は定義が曖昧なインターネットスラングであり、朝鮮進駐軍も素性の分からない単語である。「信じている」は酒井まど記者による思い込みであり、裏付けとなる根拠は何も提示されていない。そのため、百科事典に記載する内容として適切な記述ではない。
- 青鬼よし
- Kanoharaさん
- 出典らしきものが示されている記述でも「独自研究」と「信頼性の乏しい情報源を出典にした記述」は異なる。例えばオンラインで公表された情報源だからと言って一律に除去すべきではなく、「Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価」のように、信頼性の評価を下した上で判断が必用である。
- 出典については、「リテラ」のような独立系ニュースサイトは、小規模と言えど企業によって運営されるサイトであり、企業として採用したプロの記者に、企業の看板を背負って書かせている記事である。「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」や「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」のように、条件によってはウィキペディアで出典として使用することができる。
- 信頼性の評価については、『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』の一文は、義務教育卒業相当の読解力や一般常識としての論理学の知識があれば、XXXXX と解釈される。そのため、百科事典に記載する内容として適切な記述である。
- Kanoharaさん
- コメント依頼に向けて、議論も煮詰まってきていると思います。本件は時間をかける内容ではないと思いますので、寄り道することなく進めることに、ご協力をお願いいたします。(「…と思う」「…と考える」ではなく「…である」と記載をすることを薦めます。)
- 【追記】会話の内容とは関係ない箇所が要出典範囲に含まれていましたので、訂正をいたしました。以上、よろしくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年4月9日 (日) 17:28 (UTC)
- コメント 私生活が多忙のため、なかなか返信できずに申し訳ありません。
- さて、うーん、青鬼よしさんの中で私は「出典があるからと言って何でも無差別に記事に取り込もうとしている困った人」の扱いになっていて、まとめにもそうした印象が反映されてしまっているような気がしています。私なりに自分の主張をまとめます。
- 出典が示されている記述は「独自研究」ではなく、「独自研究」と「信頼性の乏しい情報源を出典にした記述」は異なる。例えばオンラインで公表された情報源だからと言って一律に除去すべきではなく、「Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価」のように、信頼性の評価を下した上で判断が必用である。
- 出典については、「リテラ」のような独立系ニュースサイトは、小規模と言えど企業によって運営されるサイトであり、企業として採用したプロの記者に、企業の看板を背負って書かせている記事である。「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」や「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」のように、条件によってはウィキペディアで出典として使用することができる。
- まず前提として、該当する記述はウィキペディアの公式な方針「Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは」にある、「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」という方針を守るために必用である。
- この記事の主題となる映画『この世界の片隅に』が左翼的な反戦映画なのか、右翼的な愛国映画なのかという論争は、雑誌『ユリイカ』など複数の二次情報源において俎上に上るところであり、この映画を「左翼的ではないから良い」と受け取った観客が、いかにこの映画を享受したかを示す上で、該当する記述は重要である。
- 「リテラ」が最良の情報源ではないことは確かだが、「ウィキペディアの三大方針のひとつである中立性の保持」という目的上、許容される範囲に収まるため、信頼性に乏しい情報源であっても使用できとされる「その情報が重要で残す値打ちがあるもの」に該当する。
- 『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』という一文の信頼性の評価については、「ネット右翼」は既に書籍や新聞で使われている語であり、「日本が素晴らしくないのは周辺国のせいだ、という主張をネットの口コミサイトで振りまく人々」というニュアンスが伝われば十分である。人によっては不愉快な話題だとしても、百科事典に記載する内容として問題のない記述である。
- 「リテラ」に掲載された酒井まど記者の記事は「ネット右翼」「朝鮮進駐軍」に関する一次情報ではなく、それらを取り上げた二次情報に言及した三次情報であり、「思い込み」という指摘は的外れである。
- 青鬼よしさんの指摘する「朝鮮進駐軍の実在を信じているものがネット右翼や保守論客であり、朝鮮進駐軍の実在を信じていないものはネット右翼や保守論客ではない」と誤解される懸念については、そのように誤解されることを懸念するのは杞憂である。なぜなら、義務教育卒業相当の読解力や一般常識としての論理学の知識があれば、後件肯定が論理的に誤りであることは常識であるから、大半の読者は正しく読み取ることが可能である。
- なお青鬼よしさんの指摘する「…と思う」「…と考える」という表現ですが、私は「私はこのように信じているが、あなたは違うのか?」というニュアンスを込めて敢えて多用しています。--Kanohara(会話) 2017年4月17日 (月) 20:09 (UTC)
- こんにちは。私こそ返信が遅れて申し訳ございません。本件は緊急性の高い事案ではございませんので、お互いに時間の余裕があるときに会話できればと思います。(過去には、会話に半年以上がかかったことも珍しくありません。) さて、コメント依頼の件につきましてですが、以下の内容で進めたいと思いますが、ご確認ください。--青鬼よし(会話) 2017年4月29日 (土) 04:11 (UTC)
草案:コメント依頼
合意形成のためのコメント依頼
ノート:この世界の片隅に (映画) - 「この世界の片隅に (映画)」の説明にある「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍に関連した描写…」の説明につきまして、中立性、独自研究、信頼できる情報源、避けたい言葉などの観点から疑義が提示され、存続か削除かで議論が続いているため、多くの方の御意見を御待ちしています。
問題が指摘されている箇所
問題が指摘されている箇所は「原作との相違点」章に記述された下記の箇所(太字部分)になります。
日本の敗戦を伝える玉音放送を聞いたすずが激昂して家を飛び出した後、掲げられた太極旗を見て泣き崩れる場面の台詞が大きく変更されている。(中略)中にはネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍に関連した描写として解釈する者もいるなど、観客の間では解釈を巡る論争があった。
この記述は産経新聞の記事と独立系ニュースメディアのリテラの記事を出典として作成されております。出典の内容は以下の通りです。
産経新聞 2016.11.26 14:00 -「この世界の片隅に」をめぐる“国旗”論争 政治的意味合いを回避したあるセリフとは (WEB編集チーム 伊藤徳裕)
町なかに韓国国旗の太極旗のような旗が掲げられるカットがあるのが気になった。原作を読んでみると、同じような旗が立っている一コマがある。実はいま、この旗をめぐってネット上で論争が起きている。旗の意味について、ネットでは「現地に住んでいた朝鮮人が、ついに植民地支配から解放されるという意味でかかげたもの」という意見もある。
リテラ 2016.11.24 -『この世界の片隅に』に「反戦じゃないからいい」の評価はおかしい! “戦争”をめぐる価値観の転倒が (酒井まど)
それは、玉音放送を聴いて家の外に飛び出したすずが見下ろす町の風景のなかに、一瞬、大韓民国の国旗、すなわち太極旗が掲げられるワンシーンについてだ。
「朝鮮進駐軍って何?」という人もいるかと思うが、これは在特会や『マンガ 嫌韓流』の山野車輪などのネット右翼が広めた完全なデマであり、彼らは当時の在日コリアンたちが終戦後に朝鮮進駐軍なる組織をつくり強姦や殺人などの犯罪を次々に犯したと主張しているが、根拠などまったくないシロモノだ。そうした情報を鵜呑みにしている人たちが、今回、作中で掲げられる太極旗を暴力のはじまりだと勝手に解釈し、それを「たんなる反戦平和じゃない理由」に挙げているのである。
〈太極旗が出てきてる一コマで朝鮮進駐軍の暴挙を表してるし、単純な反戦平和主義漫画ではない〉
〈玉音直後に太極旗が上がってたのはそういう愚連隊の乱暴行為が始まる合図かなと思った〉
なお、出典の著者である酒井まど氏による映画に関する記事は以下になります。
- 「ドラマ化!百田尚樹『永遠の0』はやっぱりネトウヨ丸出しの戦争賛美ファンタジーだ!」[1]
- 「日本アカデミー賞受賞!『永遠の0』は平和ボケの戦争賛美ファンタジーにすぎない」[2]
- 「園子温が『シン・ゴジラ』『君の名は。』を罵倒!「金儲け映画ごときで3.11を安易に暗喩にしたてるな」[3]
相違点の要約
Kanoharaの主張
- 太極旗に関するネット上で論争についての説明は、産経新聞の記載のみで不充分である。この記事の主題となる映画『この世界の片隅に』が左翼的な反戦映画なのか、右翼的な愛国映画なのかという論争は、雑誌『ユリイカ』など複数の二次情報源において俎上に上るところであり、この映画を「左翼的ではないから良い」と受け取った観客が、いかにこの映画を享受したかを示す上で「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍…」の記述は重要である。
青鬼よしの主張
- 太極旗ネット上で論争についての説明は、産経新聞の記載のみで充分である。該当する記述が重要であるならば、雑誌『ユリイカ』など複数の二次情報源において「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍…」という話題が俎上に上るところであるが、そのようなことはないため、重要な記述であるとは言い難い。(Kanoharaさんの調査でも、該当の記述をしているのは、独立系ニュースサイトのリテラ、Blog、Twitterのまとめサイトのみであった。[4]。)
問題が指摘されている内容
「中立的な観点」の観点
Kanoharaの主張
- 該当する記述はウィキペディアの公式な方針「Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは」にある、「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」という方針を守るために必用である。
- 情報源についても、『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』の記述は「ウィキペディアの三大方針のひとつである中立性の保持」という目的上、許容される範囲に収まるため、信頼性に乏しい情報源であっても使用できとされる「その情報が重要で残す値打ちがあるもの」に該当する。
青鬼よしの主張
- 該当する記述はウィキペディアの公式な方針「Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは」にある「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」の「信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にウィキペディアの意見として記述されるべきです。」と照らし合わせた場合、酒井まど氏による記事が「信頼できる出典」であるかに疑問がある。
- Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とはの「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」に関しても「「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍…」は酒井まど氏が自身の主張を正当化するために対立する観点を創作しているものであり、該当するとは言い難い。
- 酒井まど氏の情報源は「その情報が重要で残す値打ちがあるもの」に該当しない。(「信頼できる情報源」の観点を参照)
「信頼できる情報源」の観点
Kanoharaさんの主張
- 「リテラ」のような独立系ニュースサイトは、小規模と言えど企業によって運営されるサイトであり、企業として採用したプロの記者に、企業の看板を背負って書かせている記事であると断言できる。そのため、「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」や「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」のように、条件によってはウィキペディアで出典として使用することができる。
- 酒井まど氏による映画に関する記事は「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」や「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」の条件を満たしているため、ウィキペディアの日本映画に関する出典として使用することは適切である。
- 「リテラ」に掲載された酒井まど記者の記事は「ネット右翼」「朝鮮進駐軍」に関する一次情報ではなく、それらを取り上げた二次情報に言及した三次情報であり、「思い込み」という指摘は的外れである。
青鬼よしの主張
- 出典については、「リテラ」のような独立系ニュースサイトは、小規模と言えど企業によって運営されるサイトであり、事象に対して複数の情報源により個別に確認されているならば、事象の説明を補完する情報源として利用できる。ただし、事象に対する複数の情報源ではない場合は、その記事が「企業として採用したプロの記者に、企業の看板を背負って書かせている記事」か「フリーライターに依頼して書かせた記事」であるかの判断はできない。そのため、記載された内容を慎重に確認して、利用の可否を判断する。
- 酒井まど氏による映画に関する記事は「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」の「他のすべての記事と同様に、大衆文化やフィクションに関する記事も、信頼できる情報源による裏付が必要です。」という条件と照らし合わせても、ウィキペディアの日本映画に関する出典として使用することは適切であるとは言い難い。
- 「リテラ」に掲載された酒井まど記者の記事に書かれた「ネット右翼」「朝鮮進駐軍」の説明は、「これは在特会や『マンガ 嫌韓流』の山野車輪などのネット右翼が広めた完全なデマであり…」と酒井まど氏の個人的な思い込みに拠るものである。出典からの引用の体も成していない記述に対して、一次情報・二次情報・三次情報といった分類はできない。
「避けたい言葉」の観点
Kanoharaさんの主張
- 『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』という一文の信頼性の評価については、「ネット右翼」は既に書籍や新聞で使われている語であり、その定義は曖昧であるが「日本が素晴らしくないのは周辺国のせいだ、という主張をネットの口コミサイトで振りまく人々」というニュアンスが伝われば十分である。人によっては不愉快な話題だとしても、百科事典に記載する内容として問題のない記述である。
青鬼よしの主張
- 『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』という一文の信頼性の評価については、「ネット右翼」はWikipedia:避けたい言葉#分類区分を表す言葉であり、その定義は曖昧である。「日本が素晴らしくないのは周辺国のせいだ、という主張をネットの口コミサイトで振りまく人々」というニュアンスが伝われば十分であるという態度は、言葉に対する慎重さが不足しており、適切な編集ではない。
- コメント コメントくださいとのことですが書く場所はここでいいですか?よろしくなければ適当に移動して下さい。
さて「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍に関連した描写…」という文章ですが、この文章は言外に「朝鮮進駐軍など実在しない」という執筆者の主張が記入されています。WP:NPOVからして今すぐ除去するべき記述ですが、このような神学論争に関わるのがめんどくさいから放置していただけです。朝鮮進駐軍が実在するかどうかは朝鮮進駐軍の記事で思う存分やってくれればよい話であって、この記事を巻き込まないで頂きたい。
なお、リテラというのは中立性に極めて問題があるメディアであって、これを出典とすることは、例えば「赤旗」を出典にするのと大差がないと個人的には考えております。ウィキペディアの出典としては使えなくはないが、単なる事実の記述でない場合はそれが偏った立場からの意見であることが読者に明確にわかるように記述する必要があるということです。--113.33.160.188 2017年5月14日 (日) 12:37 (UTC)
- 返信 (青鬼よしさん宛) 返信が遅くなりました。そろそろコメント依頼に出してもよい頃合いかと思いますが、青鬼よしさんが後出しで追加した幾つかの主張に対しては異論があり、その点については指摘しておきます。
- 「酒井まど氏が自身の主張を正当化するために対立する観点を創作している」という指摘についてですが、ウィキペディアの「朝鮮進駐軍」の記事に出典つきで詳しくまとめられているように、「朝鮮進駐軍」なる語はリテラの記者・酒井まど氏の創作ではありません。また、そのような存在がどのような層に支持されていて、どのように反論されているのかという点についても、決して酒井まど氏の個人的な見解を創作してるのではなく、「朝鮮進駐軍」なる存在に対する一般論を述べた、三次情報に過ぎないと考えます。
- 「「ネット右翼」はWikipedia:避けたい言葉#分類区分を表す言葉に該当する」という青鬼よしさんの主張ですが、私は「ネット右翼」はそのようなカテゴリには入らないと考えますし、入るとしても十分に配慮されていると考えています。「朝鮮進駐軍」なる存在の実在を信じている層はごく限定されており、その限定された層は「ネット右翼」としか言いようがなく、少なくとも出典に即して記述する限り、言い換え可能な単語は他にないと考えます。--Kanohara(会話) 2017年5月16日 (火) 13:33 (UTC)
- 返信 (113.33.160.188さん宛) ウィキペディアの「朝鮮進駐軍」の記事にあるように、朝鮮進駐軍なるものについてはその実在が疑わしく、実在した証拠とされている写真についても無関係な写真に偽のキャンプションをつけたものであることが喝破されており、権威ある歴史研究家によって真面目に研究されているものとは言い難いものなのですから、そのような存在であることを明示する必要があります。「Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは」に、地球平面説と地球球体説を公平に扱ってはいけないという例示があるように、対立する観点との相対的な勢力差は正確に示さなければなりません。113.33.160.188さん自身が仰るように「それが偏った立場からの意見であることが読者に明確にわかるように記述する必要がある」わけです。もちろん「朝鮮進駐軍など実在しない」と明記してしまえばウィキペディアの中立性に反してしまいますが、「ある特定の人々には真実だと信じられている」という体裁で書くことは、ウィキペディアの中立性に反しないと私は考えますが、どうでしょうか? なお出典の中立性についてですが、「Wikipedia:検証可能性#他の原則との兼ね合い」によれば、「 出典とする情報源自体はかならずしも中立性を満たしている必要はありません。多くの信頼できる情報源は中立的ではないことが多いです」とされており、問題ないはずです。リテラの内容を出典とした記述も、むしろネット右翼側の主張を説明するために使われており、ネット右翼の主張それ自体を批判するような論調にはなっていません。--Kanohara(会話) 2017年5月16日 (火) 13:33 (UTC)
ネット右翼が信じる朝鮮進駐軍について
「この世界の片隅に (映画)」の説明にある「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍に関連した描写…」の説明につきまして、中立性、独自研究、信頼できる情報源、避けたい言葉などの観点などで意見がかみ合わずに会話が長引いております。青鬼よしとKanoharaは論点をまとめた上で、多くの方の御意見をいただくためにコメント依頼を出させていただきました。意見が相違している箇所は複数になりますので、項番ごとに気づいた点を頂戴いただければと思います。(全ての項番に回答をしていただかなくてもかまいません。)
問題となっている箇所
日本の敗戦を伝える玉音放送を聞いたすずが激昂して家を飛び出した後、掲げられた太極旗を見て泣き崩れる場面の台詞が大きく変更されている。(中略)中にはネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍に関連した描写として解釈する者もいるなど、観客の間では解釈を巡る論争があった。
この記述は産経新聞の記事と独立系ニュースメディアのリテラの記事を出典として作成されております。出典の内容は以下の通りです。
産経新聞 2016.11.26 14:00 -「この世界の片隅に」をめぐる“国旗”論争 政治的意味合いを回避したあるセリフとは (産経新聞WEB編集チーム 伊藤徳裕)
町なかに韓国国旗の太極旗のような旗が掲げられるカットがあるのが気になった。原作を読んでみると、同じような旗が立っている一コマがある。実はいま、この旗をめぐってネット上で論争が起きている。旗の意味について、ネットでは「現地に住んでいた朝鮮人が、ついに植民地支配から解放されるという意味でかかげたもの」という意見もある。
リテラ 2016.11.24 -『この世界の片隅に』に「反戦じゃないからいい」の評価はおかしい! “戦争”をめぐる価値観の転倒が (リテラ 酒井まど)
それは、玉音放送を聴いて家の外に飛び出したすずが見下ろす町の風景のなかに、一瞬、大韓民国の国旗、すなわち太極旗が掲げられるワンシーンについてだ。
「朝鮮進駐軍って何?」という人もいるかと思うが、これは在特会や『マンガ 嫌韓流』の山野車輪などのネット右翼が広めた完全なデマであり、彼らは当時の在日コリアンたちが終戦後に朝鮮進駐軍なる組織をつくり強姦や殺人などの犯罪を次々に犯したと主張しているが、根拠などまったくないシロモノだ。そうした情報を鵜呑みにしている人たちが、今回、作中で掲げられる太極旗を暴力のはじまりだと勝手に解釈し、それを「たんなる反戦平和じゃない理由」に挙げているのである。
〈太極旗が出てきてる一コマで朝鮮進駐軍の暴挙を表してるし、単純な反戦平和主義漫画ではない〉
〈玉音直後に太極旗が上がってたのはそういう愚連隊の乱暴行為が始まる合図かなと思った〉
相違点の要約
Kanoharaの主張
- 産経新聞にある「ネット上で論争が起きている」については産経新聞の説明のみでは不充分である。この記事の主題となる映画『この世界の片隅に』が左翼的な反戦映画なのか、右翼的な愛国映画なのかという論争は、雑誌『ユリイカ』など複数の二次情報源において俎上に上るところであり、この映画を「左翼的ではないから良い」と受け取った観客が、いかにこの映画を享受したかを示す上で「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍…」の記述は重要である。
青鬼よしの主張
- 産経新聞にある「ネット上で論争が起きている」については産経新聞の説明のみで充分である。該当する記述が重要であるならば、雑誌『ユリイカ』など複数の二次情報源において「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍…」という話題が俎上に上るところであるが、該当する解説文は存在しないため、重要な記述であるとは言い難い。(Kanoharaさんの調査でも、該当の記述をしているのは、独立系ニュースサイトのリテラ、Blog、Twitterのまとめサイトのみであった。[5]。)
問題が指摘されている内容
①「中立的な観点」の観点
Kanoharaの主張
- 該当する記述はウィキペディアの公式な方針「Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは」にある、「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」という方針を守るために必用である。
- 情報源についても、『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』の記述は「ウィキペディアの三大方針のひとつである中立性の保持」という目的上、許容される範囲に収まるため、信頼性に乏しい情報源であっても使用できとされる「その情報が重要で残す値打ちがあるもの」に該当する。
青鬼よしの主張
- 該当する記述はウィキペディアの公式な方針「Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは」にある「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」の「信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にウィキペディアの意見として記述されるべきです。」と照らし合わせた場合、酒井まど氏による記事が「信頼できる出典」であるかに疑問がある。
- Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とはの「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」に関しても「「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍…」は酒井まど氏が自身の主張を正当化するために対立する観点を創作しているものであり、該当するとは言い難い。
- 酒井まど氏の情報源は「その情報が重要で残す値打ちがあるもの」に該当しない。(「信頼できる情報源」の観点を参照)
②「独自研究」の観点
Kanoharaさんの主張
- 該当する記述にある『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』は、Wikipediaの朝鮮進駐軍の記事に記載があり、広く一般的に周知された事実である。酒井まど氏による個人的な主張ではない。そのため、この記述は独自研究に該当しないため、その内容をを念入りかつ懐疑的に調べる必要はない。
青鬼よしの主張
- 該当する記述にある『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』は、一般的な学術書・新聞などに記載されている事実ではなく、酒井まど氏による個人的な仮説であり、その裏付けとなる根拠は全く提示されていない。そのため、この記述は独自研究に該当するため、この記述を念入りかつ懐疑的に調べる必要がある。
③「信頼できる情報源」の観点
Kanoharaの主張
- 「リテラ」のような独立系ニュースサイトは、小規模と言えど企業によって運営されるサイトであり、企業として採用したプロの記者に、企業の看板を背負って書かせている記事であると断言できる。そのため、「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」や「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」のように、条件によってはウィキペディアで出典として使用することができる。
- 酒井まど氏による映画に関する記事は「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」や「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」の条件を満たしているため、ウィキペディアの日本映画に関する出典として使用することは適切である。
- 「リテラ」に掲載された酒井まど記者の記事は「ネット右翼」「朝鮮進駐軍」に関する一次情報ではなく、それらを取り上げた二次情報に言及した三次情報であり、「思い込み」という指摘は的外れである。
青鬼よしの主張
- 出典については、「リテラ」のような独立系ニュースサイトは、小規模と言えど企業によって運営されるサイトであり、事象に対して複数の情報源により個別に確認されているならば、事象の説明を補完する情報源として利用できる。ただし、事象に対する複数の情報源ではない場合は、その記事が「企業として採用したプロの記者に、企業の看板を背負って書かせている記事」か「フリーライターに依頼して書かせた記事」であるかの判断はできない。そのため、記載された内容を慎重に確認して、利用の可否を判断する。
- 酒井まど氏による映画に関する記事は「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」の「他のすべての記事と同様に、大衆文化やフィクションに関する記事も、信頼できる情報源による裏付が必要です。」という条件と照らし合わせても、ウィキペディアの日本映画に関する出典として使用することは適切であるとは言い難い。
- 「リテラ」に掲載された酒井まど記者の記事に書かれた「ネット右翼」「朝鮮進駐軍」の説明は、「これは在特会や『マンガ 嫌韓流』の山野車輪などのネット右翼が広めた完全なデマであり…」と酒井まど氏の個人的な思い込みに拠るものである。出典からの引用の体も成していない記述に対して、一次情報・二次情報・三次情報といった分類はできない。
④「避けたい言葉」の観点
Kanoharaの主張
- 「ネット右翼」はWikipedia:避けたい言葉#分類区分を表す言葉ではない。既に書籍や新聞で使われている語であり、その定義は曖昧であるが「日本が素晴らしくないのは周辺国のせいだ、という主張をネットの口コミサイトで振りまく人々」というニュアンスが伝われば十分である。人によっては不愉快な話題だとしても、百科事典に記載する内容として問題のない記述である。『ネット右翼』は出典であるリテラの記事に即しているため、産経新聞の出典に書かれているような『ネットでは…』という単語では言い換えができないと考えます。
青鬼よしの主張
- 「ネット右翼」はWikipedia:避けたい言葉#分類区分を表す言葉であり、その定義は曖昧である。「日本が素晴らしくないのは周辺国のせいだ、という主張をネットの口コミサイトで振りまく人々」というニュアンスが伝われば十分であるという態度は、言葉に対する慎重さが不足しており、適切な編集ではない。産経新聞の出典では『ネットでは…』と記載されているものを、情報源としての信頼性が低いリテラの記事に即して『ネット右翼』と言い換えるのは適切ではないと考える。
コメント欄
- コメント (ネット右翼という用語が適切かどうかは別として)「ネット右翼や保守論客の一部が実在を主張している朝鮮進駐軍」とでも書けば単なる事実の羅列であり論争の起こりようがないのに、わざわざ厭味ったらしく「ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍」と書いているのは何故であるか?「そんなものを信じているのは頭のおかしい連中である」という執筆者の主張が行間に書かれているためであろう。ウィキペディアは演説をする場ではありません。--113.33.160.188 2017年5月23日 (火) 15:51 (UTC)
- 返信 (113.33.160.188さん宛) 私は「実在が信じられている」という文にそんな否定的なニュアンスはないと思いますが(まあ、「お前、Kanoharaは『そんなものを信じているのは頭のおかしい連中である』と思っているから、文章の端々にもそれが滲み出ているのだろう?」と問われても別に否定はしませんが、ウィキペディアは編集者個人の内心の自由にまで中立性を求めているわけではないはずです)、「実在を主張している」でもニュアンスは変わらず、それでも別に構わないと思います。その方がより中立的であろうということであれば、修正するのがよいと思います。私はどちらでも良いです。--Kanohara(会話) 2017年5月24日 (水) 11:37 (UTC)
項番ごとではなく、大雑把なコメントをさせていただきます。ご容赦ください。 私が当該箇所を編集するなら、「台詞が大きく変更されている。」を「台詞が変更されている。」とし、 後段の「終戦の際に太極旗を掲げた家は、(中略)観客の間では解釈を巡る論争があった。」を削除します。 本記事では、この作品は何なのかということを中心的に効率的に記載して読ませるべきで、私なら削除するだろう箇所は、 表現や出典の適切さにかかわらず、作品自体から離れていて優先度が低いものと思います。 この作品は、描かれている要素をいちいち説明しないことが一つの特徴とも言え、 監督曰く、各観客が観て完成する作品であり、例えば、メタ構造として映画全体が誰かの夢かもしれないという観客の解釈について 監督はそれを聞いて嬉しくなったと話しています。 太極旗の話を含めてそのような多くの解釈を具体的に書いてもキリがないし、本作の「説明しない」特徴に倣い本記事においてもいちいち解釈について「説明しない」のが本作らしくもあり、記事の読者にオープンエンドな作品として提示するのが粋だと思うところもあります。 もしそのような本作の特徴を本作中心に記述するなら、「本作は片隅の世界をそのまま重層的に描き、いちいち説明しないのであるが、それが様々な解釈・議論を呼ぶこともあるが、観客個々人が本作のいろいろな要素に自然に自発的に共鳴できるよう、敢えてそのような描き方がなされている」という旨の内容を私なら監督の発言等を引きつつ記述するかと思います。 Nameofisland(会話) 2017年6月1日 (木) 14:40 (UTC)
- 賛成 Wikipediaは出典があるからといって何を書いてもよいというわけではない。この映画のように淡々と事実を提示していく姿勢こそが記事の質を高めるものと思います。--113.33.160.188 2017年6月1日 (木) 15:34 (UTC)
- 反対 「描かれている要素をいちいち説明しないことが一つの特徴」だからといって、ウィキペディアの記事もそうでなければならない、という主張には賛同しかねます。仮に「ニコニコ大百科」のようにファンサイト的な色合いが強いウィキサイトであれば、Nameofislandさんの言うような考え方もありかも知れませんが、ウィキペディアではそのようなサイトではないはずです。
また作品自体のもつ劇的効果を、説明において再現する必要はありません。あらすじはあくまで「解説」の一種なのであり、「作品の縮小版」ではないからです。たとえばシリアスな作品であるからといって、悲壮感をあらすじににじませようとすべきではありませんし、コメディタッチの作品だからといって、ことさらおどけた書き方をすべきではありません。 — Wikipedia:あらすじの書き方
- もちろん、原作が「描かれている要素をいちいち説明しないことが一つの特徴」であることについては出典もあり、そうした作風について記事内で言及することに対しては何ら文句はありません。ですが、それについては出典を添えた上で「このような作風の作品である」という説明を示せば十分であり、記事全体をそのように構成することで作風を再現する必然性はなく、また仮に必然性があったとしてもウィキペディアですべきことではない、と私は考えますが、どうでしょうか?--Kanohara(会話) 2017年6月2日 (金) 12:29 (UTC)
- (コメント)コメント依頼から来ました。「終戦の際に太極旗を掲げた家は…」以降の記述はそもそも文が長くて単純に表現がわかりづらいという難点があると思います。もし解釈の違いについて書くのならばもうちょっと簡潔な文章で記述したほうがいいと思います。
- また、産経の出典には「朝鮮進駐軍」という言葉への直接の言及が無いのですが、今の書き方だと産経がそれに言及していると誤解する可能性があるかと思います(全体的にこちらの産経の記事は、監督のインタビューは面白いですが論争のまとめなどはあまり明快でなく、わかりづらい内容になっていると思いますが)。
- さらに、リテラもBlogosもこの映画の描写が「朝鮮進駐軍」についての表現だということについては完全に否定しているのに、「論争があった」ということの証拠として引かれているということがあります。私もリテラやBlogosはあまり良い出典ではないと思いますが、映画などの記事ではうまく使えば引用してはいけないわけではないと思うものの、この映画について「朝鮮進駐軍」に関する解釈を肯定的に提示したレビュー自体はいくぶんでも信頼できそうな情報源と思われるものの中に見つかっておりません。そこまで綿密な取材に基づいているとも思われない出典で、しかも完全に否定されている内容が「論争」として記述できるくらい重要か…という疑問は持ちました。--さえぼー(会話) 2017年7月13日 (木) 01:41 (UTC)
- コメント 「原作との相違点」のセクションに記述する内容としては脱線気味、という点については私も感じています。私自身はリテラの記事で主題として取り上げられている「反戦じゃないからいいという評価」については、『ユリイカ』2016年11月号の記事やその他の評価、検証記事、インタビュー、対談などを出典として、もっと包括的な内容を記事に書き加えるべきで、それが本作の日本の戦争映画史における位置づけを説明する内容にもなるだろう……と思い始めていて、朝鮮進駐軍云々の話は「調べ物のとっかかり」として象徴的な内容になると考えているのですが、私自身がそう考えているだけで他人に伝わっていない以上、私自身が率先して加筆しなければならぬと思っています。いずれにせよ関連する記述が充実していけば、リテラの記事が「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」における「重要で残す値打ちがある」情報としての要件を満たすことにもなるはずです。
- さて、なにやら青鬼よしさんから私の会話ページ宛てに「3名の方から意見が寄せられており、全てがKanoharaさんの主張に賛意を示されておりません」などと、勝利宣言めいたコメントを頂いているのですが、実のところ青鬼よしさんの言うような「リテラとかいう独立系ニュースサイトの信頼性は掲示板やブログの書き込みと同程度の信頼性で、それを情報源とすることは、自分が自作自演で掲示板に書き込んだ内容を出典と称するような行為と等しく、独自研究である」という趣旨の主張に賛同する意見も寄せられてはおらず、別に青鬼よしさんの主張も賛意を集めているわけではないようだ、と把握しています。青鬼よしさんがコメント依頼の結果を根拠として「この記事では独立系ニュースサイトを出典として使用すべきでないという合意が形成された」などという結論を導かれぬよう、一応釘を刺しておきます。--Kanohara(会話) 2017年7月20日 (木) 15:16 (UTC)
113.33.160.188 さん。Nameofislandさん。さえぼーさん。議論への参加ありがとうございます。
Kanoharaさん。ここはこの世界の片隅に (映画)のノートページです。Kanoharaさんの青鬼よしに対する発言につきましてはKanoharaさんのノートページに返信をさせせていただきます。--青鬼よし(会話) 2017年7月21日 (金) 05:17 (UTC)
ユリイカ 2016年11月号
Kanoharaさんは「『ユリイカ』2016年11月号の記事やその他の評価、検証記事、インタビュー、対談などを出典として、もっと包括的な内容を記事に書き加えるべきで、それが本作の日本の戦争映画史における位置づけを説明する内容にもなるだろう……と思い始めていて」と2017年7月20日に書かれました[6]が、2017年3月30日にも「『ユリイカ2016年11月号』は、一冊丸ごと本作の原作者・こうの史代氏の作品分析に関連した特集になっていて、反戦マンガの系譜の中の『この世界の片隅に』の位置付けや特色、同じ作者の『夕凪の街 桜の国』との比較といった記事があるほか…」[7]と書かれています。『ユリイカ2016年11月号』云々の発言から5か月近くになりますので『ユリイカ2016年11月号』と『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍に関連した描写として解釈する者もいる』の関連につきまして、どこまで調べたのかを報告してください。期日につきましては8月の1週目ごろを目途にお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年7月24日 (月) 11:52 (UTC)
- コメント 「どこまで調べた」ですか? 以前示した富野由悠季氏との対談記事における「「反戦」という言葉が作品のなかにあらわれていないために、この映画が国粋主義者に利用されるかも知れないという恐ろしい想像もします。」というコメントなど、リテラの記事でなされている主張を裏付ける出典は既に示しているつもりです。青鬼よしさんは、朝鮮進駐軍に関するリテラの説明は、著名でないライターが勝手に言っていることであって真実でない(=朝鮮進駐軍がデマだなんて、とんでもない!)という主張を展開して、その点を主な議題にしようとしているようですが、「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」に「この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。」とありますように、ウィキペディア編集者の領分を超える行為です。コメント依頼でも、青鬼よしさんの、そのような主張に賛同する意見はなかったはずですし、それに対する私の反論に疑問を呈する意見もなかったはずです。
- さて、記事の方ではNameofislandさんによる2017年7月26日 (水) 14:22 (UTC) の編集で「「ネット右翼が信じる朝鮮進駐軍について」の議論を踏まえて暫定的に編集してみましたがいかがでしょうか。」として編集が行われましたが、個人的には編集の内容に賛同しかねます。リテラの記事で言及されているTwitterの意見は、「Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源」にあるように、あくまで匿名の個人による、信頼性を評価するための公表に至る履歴がない報告であるため、リテラの記事を出典とすることで検証可能性を満たしたとしても(=評判を得たことが明らかになっても)、「1つのPOVとして」記すことしかできないものであると考えます。朝鮮進駐軍云々の解釈は、あくまで太極旗を巡っての多様な解釈の中での極論という位置づけで示されるべきで、この意見のみを単独のトピックとして扱うのは不適切でしょう。
- Nameofislandさんに、私の主張する記事の形がこのようなものであると誤解されているのだとしたら、どうやら私がこのノートで主張しようとしていることは、他人に伝わっていないようです(もし最初からこのような形で朝鮮進駐軍云々の記述を記事に割り込ませようとしている執筆者がいたら、私とて色々難癖を付けて記述を阻止しようとしたかも知れません)。ノートでのコメント依頼に決着がつくまではと、提案内容を具体的な記事として示すことは自粛していたのですが、当の青鬼よしさんからは逆に議論から逃げているように思われているようなので、近日中に腹案を何らかの形にしてみます。--Kanohara(会話) 2017年8月2日 (水) 03:47 (UTC)
- Kanoharaさんが2017年3月30日[8]と7月20日[9]に「『ユリイカ』2016年11月号」を調べていると発言されたため『ユリイカ』2016年11月号を「どこまで調べたのか」と質問しているのですが、理解できませんでしょうか。
- なお、富野由悠季氏との対談記事における「「反戦」という言葉が作品のなかにあらわれていないために、この映画が国粋主義者に利用されるかも知れないという恐ろしい想像もします。」は「反戦思想」を論じている中の発言であり、「ネット右翼や保守論客を支持している観客の間では、朝鮮進駐軍の実在を肯定する描写として解釈される」を裏付ける発言ではありません。むしろ、富野由悠季氏は「ネット上の書き込みでも「反戦を主張しないから良い映画だ」という褒め方をしているものがありますが、僕にしてみれば強力な反戦映画に見えたのです。」と発言されていますが、引用元の内容を理解した上で発言をされているのでしょうか。
- また、青鬼よしは「朝鮮進駐軍に関するリテラの説明は、著名でないライターが勝手に言っていることであって真実でない」という発言はしておりません。Kanoharaさんの「「リテラ」のようなニュースサイトは、小規模と言えど企業によって運営されるサイトであり、企業として採用したプロの記者に、企業の看板を背負って書かせている記事である。」という主張に賛同できないと申し上げております。また、朝鮮進駐軍が真実かどうかについては青鬼よしの関心外です。朝鮮進駐軍がデマでも真実でもどちらでも構いませんから、Kanoharaさんにはこの世界の片隅に (映画)ではなく朝鮮進駐軍の記事を編集していただければと願っております。「検証可能性」云々については、ニューヨークタイムズとリテラを同列にされるKanoharaさんの主張に青鬼よしからは申し上げることは何もございません。ただただ、嘆息するのみです。
- 最後にKanoharaさんへのお願いです。青鬼よしは「勝利宣言をしている」「議論から逃げている」などの言葉をKanoharaさんから受けておりますが、青鬼よしはこのような考え方は理解できないため「そうです」とも「違います」とも返事ができません。繰り返しのお願いとなり恐縮ではございますが、この世界の片隅に (映画)とは関係のない青鬼よしに関する話題は、青鬼よしのノートページに記載していただけませんでしょうか。(「××××という発言はインターネットの会話で勝利宣言になりますよ」など噛み砕いて説明していただければ有り難いです。)以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年8月2日 (水) 16:20 (UTC)
- 返信 (青鬼よしさん宛) 取り急ぎ返信します。
- > 『ユリイカ』2016年11月号を「どこまで調べたのか」と質問しているのですが、理解できませんでしょうか。
- なぜ、そんなことを教えなければならないのでしょうか……とりあえず、ユリイカの紙屋高雪氏や中田健太郎氏の評、サイゾーの記事、映画秘宝EXの片渕監督インタビュー、ダ・ヴィンチニュースの富野由悠季氏との対談辺りを出典にして、
- 「この作品を左翼的な反戦映画ではないから良いと主張する勢力がネット上に見られるけれど、冷静な反論も数多くあるよ」
- 「ちなみにネット上の主張が自説の根拠にしているものの一つが、朝鮮進駐軍云々という解釈だよ」
- 「ちなみに片渕監督は太極旗の場面ですずさんが米の話題に触れるのは、実は日本の植民地支配のことを言っているのだけれど、そのことに踏み込んでくれたのは町山智浩氏くらいだったと嘆いていたよ」
- といった内容にまとめることを考えています。ただ、集まった出典が左派論客の反論に偏っていて、右派や国粋主義者からの「反戦映画ではない」という主張を裏付けているのが朝鮮進駐軍云々の言及しかないため、中立性の問題が悩ましいところです。
- > 引用元の内容を理解した上で発言をされているのでしょうか。
- もちろんです。と言うか、その箇所はまさに、青鬼よしさんが信用ならないと主張しているリテラの記事に書かれている「それを象徴するかのように、ネット上では同作を絶賛するコメントが多々まとめられているが、そんななかでとくに目につくのは、「反戦・平和のようなメッセージ性がないところがいい」という評価だ。(中略)だが、この作品を「反戦・平和のようなメッセージ性がないところがいい」と評価するのは、とんだ勘違いだ」という、リテラの記事の本題を裏付けるものでしょう。青鬼よしさんこそ、その点は理解されているのでしょうか?
- > 朝鮮進駐軍がデマでも真実でもどちらでも構いませんから、Kanoharaさんにはこの世界の片隅に (映画)ではなく朝鮮進駐軍の記事を編集していただければと願っております。
- なぜ、私が青鬼よしさんにそんなことを指図されなければならないのでしょうか? そもそも「朝鮮進駐軍の存在を信じているのはネット右翼だけというのは、酒井まどなるリテラ記者の個人的な仮説である」という主張にこだわって、独自研究という言いがかりをつけているのは、青鬼よしさんの側のはずです。私は出典に書かれていることを、そのままウィキペディアの記事に載せるだけです。青鬼よしさんがそれほど朝鮮進駐軍の真偽にこだわるのなら、どうか青鬼よしさんが出典を探して朝鮮進駐軍の記事に加筆してください。出典を示すのは、その記述を載せたい側にあります。もし「朝鮮進駐軍の存在を信じているのはネット右翼だけというのは、酒井まどなるリテラ記者の個人的な仮説である」という自説の出典が存在するのなら、ウィキペディアの「朝鮮進駐軍」の記事に加筆して頂ければと思います。--Kanohara(会話) 2017年8月2日 (水) 18:18 (UTC)
(インデント戻します)
Kanoharaさんが3月から7月にかけて発言されていた「『ユリイカ』2016年11月号を調べている」につきまして、発言から半年近くが経過したため、調べた内容を断片的でも良いから教えてほしいと進捗の確認も兼ねて問い合わせをさせていただきましたが、Kanoharaさんからの回答は「なぜ、そんなことを教えなければならないのでしょうか」というものでした。これ以上の進展は望めませんので、この節に関する会話は終了とさせていただきます。
ダ・ヴィンチニュースからの引用につきましては、恣意的な引用を避けるため、以下に該当箇所の前後も含めて引用をさせていただきます。
はじめはこんなに曖昧なものでいいのかな、と思っていたんだけれども、物語の持っている力で、一気に最後まで観てしまいました。時代性というのはどういうことか。戦争やその時代を描くというのは、従来の描き方では「反戦」になるんですね。でも、その反戦という主張を持っていたとしても、こうも穏やかに描けるのかと。そういう時代が遂に来たということに衝撃を受けたんです。それは我々の世代には全くできなかったことなので、片渕監督、そして原作者のこうの史代さんの世代になって、はじめてこういう作品を作ることができた、という驚きがあったのです。 これは僕の世代だから、衝撃・驚きという言葉を使うのであって、今の若い人たちは僕がどのように衝撃を受けたか、ということはきっと分からないと思います。ネット上の書き込みでも「反戦を主張しないから良い映画だ」という褒め方をしているものがありますが、僕にしてみれば強力な反戦映画に見えたのです。 こういうテーマ・素材を我々は迂闊な反戦映画にしてしまうものを、そうしない。片渕監督がどういう目線でこの作品を作ったのか、それが気になっています。ただ、その質問に答えてもらう前に、まず監督への悪口を言ってしまいます。「イデオロギーを持っていないからこういう描き方ができるんだよね?」と。同じことは原作者のこうのさんにも言えます。しかし、我々の時代が抱えるイデオロギーを持つ人間は、この映画のような言葉遣いができなかったんです。
(安保闘争など70年代ごろの反戦運動などについての発言)
「反戦思想」という言葉を生み出したインテリゲンチア(知識階級)がいるわけです。僕はそれはかなりヤバイと思います。例えば、僕の世代はイデオロギーを理解しなければならないと一所懸命に思いつつも、僕は「資本論」を読む気にはならないんです。数ページ読んだら投げ出すような大変難しい本ですから。僕がずっと疑問だったのは共産主義を唱える人たちが、なぜ彼らが敵視する資本主義の解説書である資本論をマニュアルにしているのか、分からないんです。この疑問について説明してくれた人とは出会いませんでしたし(笑)。 資本論に優れた思想が書いてあるんだろうか? 何よりも統治論が書いてあるのだろうか? ということが気になります。でも、資本主義側でも、トランプ大統領だって国際政治まで仕切れるんじゃないか、ということになってくると、統治という根本的なところから考え直さなければいけないところに来たんじゃないかなと思ったりもします。ただね、「反戦」という言葉が作品のなかにあらわれていないために、この映画が国粋主義者に利用されるかも知れないという恐ろしい想像もします。(発言終了)
Kanoharaさんは赤字の部分を「ネット右翼や保守論客の一部が実在を主張している朝鮮進駐軍に関連した描写として解釈する者もいる」の発言を裏付けていると主張をされていますが、青鬼よしは青字の部分がKanoharaさんの主張とは正反対のことを述べていると感じました。このような齟齬が生じるのは、Kanoharaさんと青鬼よしの日本語に対する感受性に大きな隔たりがあるためであり、会話を通して埋め合わせることは困難な問題です。そのため、こちらについても会話の継続は不要とさせていただきます。
また、青鬼よしは「朝鮮進駐軍の存在を信じているのはネット右翼だけというのは、酒井まどなるリテラ記者の個人的な仮説である」という主張をしておりません。「朝鮮進駐軍の存在を信じているのはネット右翼だけ」云々が広く知られた百科事典に掲載するに値する特筆すべき情報であるならば、映画専門誌や第三種郵便物となる新聞に同様の記述があるのではと申し上げております。その流れでユリイカ 2016年11月号に関しても質問をさせていただきました。(そして、Kanoharaさんは「なぜ、そんなことを教えなければならないのでしょうか」と応じております。) また、青鬼よしは会話を始めた時から申し上げておりますが朝鮮進駐軍に関する知識も興味もございません。そのため「お前が私の間違いを指摘するなら、お前が私の間違いを修正しろ」というKanoharaさんの編集者としての矜持につきましては、青鬼よしは応える実力を持ち合わせていないために叶えることができません。朝鮮進駐軍の真偽はKanoharaさんが決めてくださって結構ですので「この世界の片隅に」の記事ではなく、該当の記事に書いてくださると有り難いです。(Kanoharaさんが朝鮮進駐軍の記事に何を書かれても青鬼よしが異議を申し立てることはいたしません。)
最後になりますが、評判の良い映画や漫画に踏み台にして特異な主張を広める活動を「私は出典に書かれていることを、そのままウィキペディアの記事に載せるだけです。」と嘯く編集者はKanoharaさんに限ったことではございません。これはWikipediaの仕組みを考えれば許容しなければいけない事象であると改めて感じております。会話を始めてから半年になりますが、Kanoharaさんの「勝利宣言」「議論から逃げる」などの発言は青鬼よしが考えている合意形成の概念とは大きく異なります。そのため、これ以上の会話で合意という結論は得られることは見込めませんので、会話は終了とさせてください。(Kanoharaさんが編集した箇所は、合意形成がされるまで青鬼よしが編集はしないと申し上げましたが、会話の終了後もKanoharaさんが編集した箇所に青鬼よしは関わりません。)
会話は終了とさせていただきますが、青鬼よしに対して申し付けたいことなどがございましたら、青鬼よしのノートページに記載してください。以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年8月5日 (土) 02:39 (UTC)
- > 青鬼よしは「朝鮮進駐軍の存在を信じているのはネット右翼だけというのは、酒井まどなるリテラ記者の個人的な仮説である」という主張をしておりません。
- そうでしたか? 青鬼よしさんがご自身でご自分の発言をまとめた内容には、このように書かれていますが……。
青鬼よしの主張
該当する記述にある『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』は、一般的な学術書・新聞などに記載されている事実ではなく、酒井まど氏による個人的な仮説であり、その裏付けとなる根拠は全く提示されていない。そのため、この記述は独自研究に該当するため、この記述を念入りかつ懐疑的に調べる必要がある。 — 2017年5月22日 (月) 13:26時点における青鬼よし氏の発言
- 上記の内容が私の読み間違いでなければ、間違いなく青鬼よしさんは、「朝鮮進駐軍の存在を信じているのはネット右翼だけというのは、酒井まどなるリテラ記者の個人的な仮説である」と主張しましたよね? あまりいい加減なことを言われると私も困ります。
- > 「朝鮮進駐軍の存在を信じているのはネット右翼だけ」云々が広く知られた百科事典に掲載するに値する特筆すべき情報であるならば、映画専門誌や第三種郵便物となる新聞に同様の記述があるのではと申し上げております。
- 「朝鮮進駐軍の存在を信じているのはネット右翼だけ」云々については、既にウィキペディアの「朝鮮進駐軍」の記事に、安田浩一 『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』 講談社、2012年。ISBN 978-4062171120。の216ページ、という出典が示されています。まああちらの記事の出典に合わせるなら「ネット右翼」は「在特会」と書き換えた方が良いかも知れませんが(リテラの記事にもそう書かれていますし)、どちらでも大きな違いではないと思います。
- > 朝鮮進駐軍の真偽はKanoharaさんが決めてくださって結構ですので「この世界の片隅に」の記事ではなく、該当の記事に書いてくださると有り難いです。
- 上記の通り、このノートで争点となっている箇所には既に出典が示されていて、敢えて私が出て行って加筆を加える必要性を感じません。あの記事は私から見て既に完璧な記事です。青鬼よしさんこそ、安田浩一なる人物はリテラ記者酒井まどの個人的な仮説の上に登場する想像の産物であり実在しない人物、またはソックパペットだ、などという陰謀論を繰り広げたいのであれば余所でやってください。
- > 青鬼よしは青字の部分がKanoharaさんの主張とは正反対のことを述べていると感じました。
- どう感じたのかよく分かりません。「反戦を主張しないから良い映画だ」という部分に関しては、私の主張と正反対かも知れませんが、富野由悠季氏の本題はそこではないでしょう。その前後の「ネット上の書き込みでも(中略)という褒め方をしているものがあり」という部分と、その後の「……ますが、僕にしてみれば強力な反戦映画に見えたのです。」に関しては、青鬼よしさんが「酒井まどなるリテラ記者の個人的な仮説」と主張する、今回の議題になっている記事の内容と一致しているように見えます。争点となっているリテラの記事を引用します。
しかも閉口してしまうのは、「反戦・平和じゃないところがいい」という意見どころではない、もっととんでもない解釈まで飛び出していることだ。それは、玉音放送を聴いて家の外に飛び出したすずが見下ろす町の風景のなかに、一瞬、大韓民国の国旗、すなわち太極旗が掲げられるワンシーンについてだ。〈太極旗が出てきてる一コマで朝鮮進駐軍の暴挙を表してるし、単純な反戦平和主義漫画ではない〉
〈玉音直後に太極旗が上がってたのはそういう愚連隊の乱暴行為が始まる合図かなと思った〉
「朝鮮進駐軍って何?」という人もいるかと思うが、これは在特会や『マンガ 嫌韓流』の山野車輪などのネット右翼が広めた完全なデマであり、彼らは当時の在日コリアンたちが終戦後に朝鮮進駐軍なる組織をつくり強姦や殺人などの犯罪を次々に犯したと主張しているが、根拠などまったくないシロモノだ。そうした情報を鵜呑みにしている人たちが、今回、作中で掲げられる太極旗を暴力のはじまりだと勝手に解釈し、それを「たんなる反戦平和じゃない理由」に挙げているのである。 — 酒井まど「『この世界の片隅に』に「反戦じゃないからいい」の評価はおかしい! “戦争”をめぐる価値観の転倒が」 リテラ 2016年11月24日
- どの辺りを、富野由悠季氏の発言と正反対であると感じたのか、理解に苦しみます。
- > 評判の良い映画や漫画に踏み台にして特異な主張を広める活動
- 複数の出典で言及された作品に関する議論は、特異な主張でも何でもないと思います。それが特異で偏っているように見えるのであれば、ご自身の観点が偏っているのではないかと疑ってみてください。
- > これはWikipediaの仕組みを考えれば許容しなければいけない事象であると改めて感じております。
- 何やら法で裁けない悪党のような言われようですが、その辺りについてはウィキペディアの基本方針である「Wikipedia:中立的な観点」と「Wikipedia:中立的な観点/FAQ」をよくご覧ください。
- > Kanoharaさんの「勝利宣言」「議論から逃げる」などの発言は青鬼よしが考えている合意形成の概念とは大きく異なります。
- 私の考えている合意形成の概念とも大きく異なりますが、コメント依頼のための争点まとめで、妥協点のない「全か無か」、すなわちリテラの記事を出典にした記述を全て残すか全て除去するかという議論に持ち込んだのは、青鬼よしさんの側だと私は認識しています。
- > 会話は終了とさせていただきますが、青鬼よしに対して申し付けたいことなどがございましたら、青鬼よしのノートページに記載してください。
- 青鬼よしさん個人に対して言いたいことは、別にありません。でも議論は総括がなければ困るでしょう?--Kanohara(会話) 2017年8月5日 (土) 18:18 (UTC)
- Kanoharaさんへ。『朝鮮進駐軍の存在を信じているのはネット右翼だけ」云々が広く知られた百科事典に掲載するに値する特筆すべき情報であるならば、映画専門誌や第三種郵便物となる新聞に同様の記述があるのではと申し上げております』は以下のように会話の発端となった発言です。Kanoharaさんは読み間違いをしているわけではございません。会話を読んでいないだけです。
さて、会話を進める前に確認をさせていただきたいのですが、映画「この世界の片隅に」の解説をするにあたりまして、ブロガー・独立系ニュースメディア・Toggeterなどのまとめサイトではなく、映画専門誌や第三種郵便物にあたる新聞媒体に拠る編集はKanoharaさんにとって難しいでしょうか。もし、難しいとのことでしたら、どのように対応するべきかを一緒に考えてみたいので、その旨をお知らせください。 なお、私の立場は「ウィキペディアは百科事典的な参照資料ですから、独立系ニュースメディアやブロガーの記事を引用して論争の内容を説明をする必要はない」となります。出典が産経新聞だけということでしたら、論争そのものも特筆性があるのかと疑問視しております。--青鬼よし(会話) 2017年3月29日 (水) 20:55 (UTC)}〉
ウィキペディアは百科事典的な参照資料ですから、独立系ニュースメディアやブロガーの記事を引用して論争の内容を説明をする必要はないと思っております。 なお、朝鮮進駐軍など話につきましては、当方に知見がないため回答を省かせていただきます。この映画を見る際には必要不可欠な情報ということでしたら、勉強をしてきたいと思いますので、ご指南ください。以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年3月26日 (日) 14:38 (UTC)
- また、「安田浩一なる人物はリテラ記者酒井まどの個人的な仮説の上に登場する想像の産物であり実在しない人物、またはソックパペットだ、などという陰謀論」と書かれても「そうなんですね」としか返事ができません。Kanoharaさんは「特異で偏っているように見えるのであれば」という状況ではございませんので、これ以上の会話を続けることを心配しております。いずれにしても、映画「この世界の片隅に」のノートページのリソースを安田浩一、在特会などに関する会話で埋めることは他の利用者の迷惑になりますので、青鬼よしのノートページに記載してください。以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年8月6日 (日) 00:32 (UTC)
- 返信 (青鬼よしさん宛) 「独立系ニュースメディアやブロガーの記事を引用して論争の内容を説明をする」必要性については何度も説明したつもりです。それに対して「『ネット右翼や保守論客の間で実在が信じられている朝鮮進駐軍』は、酒井まど氏による個人的な仮説」という主張を展開したのは、他ならぬ青鬼よしさんご自身でしょう。別に私は、『この世界の片隅に (映画)』の記事上で、朝鮮進駐軍が実在するのかデマであるのかという論争に終止符を打つための主張を展開したいわけではありません。朝鮮進駐軍云々の真偽という観点で論争を続けていたのは、青鬼よしさんの側のはずです。青鬼よしさんが自分自身で発言したことに対して、「そのような主張はしていない」と言い張るのなら、私は青鬼よしさんが自身の主張を取り下げたと判断し、このノートでの議論は私の主張が受け入れられた形で解決したと判断しますが、それで宜しいのでしょうか?
- 本作が「反戦映画(漫画)か否か」という論争の渦中にあること自体は、『ユリイカ』2016年11月号をはじめとする、幾つかの信頼できる情報源の中で言及があることです。その核心であるクライマックスの場面について「日本の戦争責任に言及した画期的な場面だ」と解釈する人もいれば、「いや、単なるとってつけた言い訳だ、被害者コスプレだ」と批判する人もいる中で、日本の戦争責任の批判どころか「朝鮮人の暴動」という嫌韓のニュアンスで受け取った観客もいるなど、解釈に大きな揺れがあることは、「その情報が重要で残す値打ちがあるもの」に該当すると考えます。それに、従軍慰安婦問題をはじめとする戦後問題で、少しでも韓国を擁護するような記事がYahoo!ニュースに載ると、あっという間に記者の非国民認定でコメント欄が埋まるような今の世の中にあって、そうした政治的なメッセージを含んだこの映画が「朝鮮進駐軍の実在を信じているような、ネット右翼的な人々」の支持も集めていることは、映画の客層の広さや解釈の幅の広さを示す興味深い情報だと思うのですがね。
- 余談ですが、朝鮮進駐軍云々のツイートに関しては、 『日本会議の研究』や森友学園問題などで知られる菅野完氏もTwitterで言及しているようです。菅野氏の『この世界の片隅に』評と併記する形で、Twitterの発言を「自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリスト」による自己公表された情報源として使えないものかと検討もしてみたのですが、個人的には、映画の製作と無関係な個人のTwitterを、ウィキペディアの出典として扱うのは無理があると考えています。記事内で朝鮮進駐軍の実在性云々について詳しく踏み込むのならともかく、その必要性にこだわっていた(ように見えた)青鬼よしさんが主張を取り下げるとあらば、私もその必要性を感じません。--Kanohara(会話) 2017年8月12日 (土) 15:05 (UTC)
- 結審については、青鬼よしは既に説明している理由でKanoharaさんとの合意形成を諦めております。(Kanoharaさんの事実誤認に対する指摘も、これ以上は行いません。)
- そのため、「このノートでの議論は私の主張が受け入れられた形で解決したと判断しますが、それで宜しいのでしょうか?」は、コメント依頼に意見を頂いた3名の方が「Kanoharaさんの主張のほうが受け入れられます」ということでしたら、解決したと判断してくださって宜しいのではないでしょうか。また、議題と関係のない話題の提供につきましてはリソースの無駄ですから会話から省かせていただきます。(手が空いたときにKanoharaさんのノートページに書くことはできますので、意見を聞かせてほしいということでしたら申し付けてください。)以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年8月13日 (日) 09:07 (UTC)
- 返信 (青鬼よしさん宛) ウィキペディアにおける合意形成とは、多数決ではありません。それに、今回のコメント依頼において、私と青鬼よしさんの間の争点となっていたのは、主にウィキペディアのルール解釈(ウィキペディアにおける独自研究とは何か)の相違や、ニュースサイト『リテラ』が信頼できる情報源か否かという点であると把握していますが、コメント依頼において青鬼よしさん流の「独自研究」のルール解釈を支持する意見もなかったと把握しています。正直、青鬼よしさんは自分が発言したことを「言っていない」と言ったり、私から見ると難癖にしか見えないようなルール解釈を持ち出したりと、最初から合意形成を図ろうとする態度には見えません。--Kanohara(会話) 2017年8月14日 (月) 13:23 (UTC)
- 青鬼よしは何度も申し上げている通りKanoharaさんとの合意形成を諦めております。そのため、「このノートでの議論は私の主張が受け入れられた形で解決したと判断しますが、それで宜しいのでしょうか?」との問い合わせについては、青鬼よし以外の人に判断を仰いでくださいと回答をいたしました。「多数決」云々ということでしたら、さえぼーさんのコメント[10]が青鬼よしの意見に最も近いので、Kanoharaさんがさえぼーさん1名から合意をいただいたときに、青鬼よしも含めていただいて結構です。その他、映画と関係のない諸々の話題は、Kanoharaさんのノートに記載します。以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年8月18日 (金) 01:06 (UTC)
- 返信 (青鬼よしさん宛) おや? 今までの主張や編集傾向から青鬼よしさんは、「朝鮮進駐軍はネット右翼のデマ」という主張を記事に書かれるのは困る、あれはあくまでリテラの記者個人の意見であり、デマというのは広く支持された主張ではないことにしたい、という立場から「朝鮮進駐軍」について書かれることに反対しているのだと思っていました。さえぼーさんのコメントについては「リテラもBlogosもこの映画の描写が「朝鮮進駐軍」についての表現だということについては完全に否定しているのに、「論争があった」ということの証拠として引かれている」「映画などの記事ではうまく使えば引用してはいけないわけではないと思う」という点に関しては異論ありません。私は、青鬼よしさんとの合意を形成するには、「朝鮮進駐軍」云々に関する記述を簡潔にまとめ、青鬼よしさんが反発するリテラの記事はあくまで「敵のために書く」という形で使用すべきだと考えていたのですが、青鬼よしさんが、その点にこだわる考えがなく、私がそうした忖度する必要がないのなら、その辺は窮屈に考える必要がないということでしょうか。それなら、その点については合意が得られたものと受け取ります。--Kanohara(会話) 2017年8月21日 (月) 00:58 (UTC)
- 青鬼よしは何度も申し上げている通りKanoharaさんとの合意形成を諦めております。そのため、「このノートでの議論は私の主張が受け入れられた形で解決したと判断しますが、それで宜しいのでしょうか?」との問い合わせについては、青鬼よし以外の人に判断を仰いでくださいと回答をいたしました。「多数決」云々ということでしたら、さえぼーさんのコメント[10]が青鬼よしの意見に最も近いので、Kanoharaさんがさえぼーさん1名から合意をいただいたときに、青鬼よしも含めていただいて結構です。その他、映画と関係のない諸々の話題は、Kanoharaさんのノートに記載します。以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年8月18日 (金) 01:06 (UTC)
- 返信 (青鬼よしさん宛) ウィキペディアにおける合意形成とは、多数決ではありません。それに、今回のコメント依頼において、私と青鬼よしさんの間の争点となっていたのは、主にウィキペディアのルール解釈(ウィキペディアにおける独自研究とは何か)の相違や、ニュースサイト『リテラ』が信頼できる情報源か否かという点であると把握していますが、コメント依頼において青鬼よしさん流の「独自研究」のルール解釈を支持する意見もなかったと把握しています。正直、青鬼よしさんは自分が発言したことを「言っていない」と言ったり、私から見ると難癖にしか見えないようなルール解釈を持ち出したりと、最初から合意形成を図ろうとする態度には見えません。--Kanohara(会話) 2017年8月14日 (月) 13:23 (UTC)
- また、「安田浩一なる人物はリテラ記者酒井まどの個人的な仮説の上に登場する想像の産物であり実在しない人物、またはソックパペットだ、などという陰謀論」と書かれても「そうなんですね」としか返事ができません。Kanoharaさんは「特異で偏っているように見えるのであれば」という状況ではございませんので、これ以上の会話を続けることを心配しております。いずれにしても、映画「この世界の片隅に」のノートページのリソースを安田浩一、在特会などに関する会話で埋めることは他の利用者の迷惑になりますので、青鬼よしのノートページに記載してください。以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2017年8月6日 (日) 00:32 (UTC)
再度コメントさせていただきます。該当部分がガイドライン等に抵触しているか否かを議論したいわけではありません。どのような内容をどの程度記述するのがよいか単なる個人的な要望を述べさせていただきます。ですのでご回答は不要ですが、汲み取っていただけると幸いです。(1)「映画の客層の広さ」について、所謂右派左派両方から幅広く支持されている旨をごく簡潔に記述するのは構わないと思います。(2)「解釈の幅の広さ」について、挙げていただいた事例等は、我田引水的に持論を補強するものとして本作のシーンを利用しているだけで「解釈」とは言い難いと思います。すずが旗を見て何らかの思い、例えば他者を抑圧等していた側にいたことに気付く、というのが解釈だと思います。旗のその後、闇市のその後、原爆のその後、等々といった話は、この作品を観たひとが触発されて研究するというのは結構なことですが、以前にも申し上げたように、本記事では遠くて優先順位が低い事項だと思うので、「反戦映画(漫画)か否か」「日本の戦争責任に言及した画期的な場面だ」「いや、単なるとってつけた言い訳だ、被害者コスプレだ」「朝鮮人の暴動」「朝鮮進駐軍の実在を信じているような、ネット右翼的な人々」などといった議論を持ち込むことは控えていただきたく思います。(3)なお、海外評をいろいろ読むのですが、戦争下の民間人を描いているというだけで、(2)のような政治的議論をしている批評はほとんどありません。国内外の掲示板等でいろいろ書く人はいるでしょうが。(4)ちなみに「そうした政治的なメッセージを含んだこの映画」という見方には同意できません。「政治的」という定義・基準がよく分かりませんし、本作は、製作側の想いは個々人色々あると思いますが、ひとまず片隅の世界をなるべくそのまま切り取って提示することに意味・意義があるとして作ってると思います。受け取り手が各々自由にメッセージを受け取ればいいと思いますが、本作に込められている・含まれていると勝手に決めつけるのは違うと思います。 Nameofisland(会話) 2017年8月14日 (月) 12:27 (UTC)
- 返信 (Nameofislandさん宛) (1)朝鮮進駐軍云々の記事を出典に「所謂右派左派両方から幅広く支持されている」という結論を記事に書いてしまうと、それこそ「独自研究」や「発表済みの情報の合成」になってしまい、問題があります。(2)事例が我田引水とは思いませんし、他の幾つかの意見を併記することで、「解釈の幅の広さ」を提示する形にできればと思っています。優先順位が高いか低いかという点は、あくまでNameofislandさん個人の感想であって、実際に起こっている(検証可能な形の)論争を無視する理由にはならないと考えます。(3)そうでしょうか? 国内では『はだしのゲン』のような「左翼的な反戦映画」と比べて優れているか劣っているかという議論や、そういった議論に対する考察は幾つか見かけます(例えば古谷経衡氏の評[11]やサイゾーの記事[12])など。(4)こうの史代作品の「政治性」については、『ユリイカ』2016年11月号にて、中村健太郎氏が言及しています。「プロジェクト:映画/映画作品スタイルガイド#論争」にもあるように、論争があったことを無視すべきではないと考えます。Nameofislandさんの言うような、作品の内容を「なるべくそのまま切り取って提示すること」は、ややもすると単なる一次情報の提示、あるいは二次情報の箇条書きになってしまい、データベースならぬ百科事典であるウィキペディアには相応しくないと考えます。朝鮮進駐軍云々に関する事柄にのみ限定すれば、これ自体は少数派の意見かも知れませんが、「反戦映画としての評価」という文脈の中にあっては、状況を説明する上で言及をためらうべきではないひとつのPOV、と考えています。--Kanohara(会話) 2017年8月14日 (月) 13:23 (UTC)
「反戦映画としての評価」節について
Nameofislandさんから「先の編集に伴い、朝鮮進駐軍云々の記述は、少なくとも「もっと包括的な内容を記事に書き加えるべきで」「近日中に腹案を何らかの形にしてみます」まで暫定的に除去の形に」として記述が除去され、編集を催促されているように感じたので、以前から腹案として考えていた内容をまとめて「反戦映画としての評価」のセクションとして独立させました。自分としてはノートなどに寄せられた意見をなるべく反映させたつもりなのですが、長い間揉めた内容だけに、納得のいかないという方もおられるかも知れません。コメント依頼は継続中という形になっていますし、意見があれば宜しくお願いします。--Kanohara(会話) 2017年8月21日 (月) 00:58 (UTC)
当該節の要否はさておき、またネット以外の出典の参照の仕方の適否はいま確認できないのでこれもさておき、内容自体はそれなりの気配りが感じられる、なかなかの労作だと思います。さて、もともとこのノートで問題にしていた部分に対応する「「在日特権を許さない市民の会」などが主張しネット右翼の間で実在するとされている朝鮮進駐軍(=朝鮮人の暴動)」ですが、この部分の要否もまたさておき、とりあえず「「在日特権を許さない市民の会」などがその存在を主張する朝鮮進駐軍(=朝鮮人の暴動)」で充分ではないですか?印象としてはほとんど差異が感じられない一方で、「ネット右翼」とは何か、「ネット右翼」全員が依拠しているのか、逆に依拠している人間が「ネット右翼」なのか、「ネット右翼」が将来も考え方を変えないのか、などの不必要な議論の余地を排除できます。また、そのような小競り合いにも感じられるような文言の取捨は、当該節全体や記事全体の品位や信憑性の感じられ方にも影響します。あまり意地にならずに少なくとも「ネット右翼」は削除してください。 Nameofisland(会話) 2017年8月21日 (月) 11:27 (UTC)
当該部分を「「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などが主張し、在特会を支持するネット右翼が歴史的事実としている朝鮮進駐軍(=朝鮮人による武装蜂起)」としました。「在特会を支持するネット右翼」という表現は工夫されたと思いますが、ほとんどトートロジーになっており冗長で、「ネット右翼」と言いたいだけじゃないかという印象が残るだけです。記事の格調を維持するためにも、「ネット右翼」は削除しましょう。不必要に刺激的な表現を残しても仕方ありません。 Nameofisland(会話) 2017年8月21日 (月) 17:49 (UTC)
- コメント 以前はそれでも構わないかな、と思っていたのですが、ウィキペディアの記事「朝鮮進駐軍」で否定説の出典として用いられている安田浩一氏の著書を購入して確認したり、在特会が公式サイトで配布しているチラシのPDF文書を確認してみたり、その後いろいろ文案をこねくり回したりしているうちに、次第にそれではまずいのではないかと思うようになりました。安田氏の検証や推測を信用するなら、「朝鮮進駐軍の噂」は、在特会のようにそれがデマであることを知りつつ偽のチラシを作成した層と、ネット右翼のようにデマを真に受けて義憤を感じている層に分かれているようですので、両者は「実在を主張している」「実在すると信じている」に区別すべきだと考えました。確かに「信じている」は、使い方によっては「Wikipedia:言葉を濁さない」に引っかかるのですが、他に適切な表現を思いつきません。「情報を鵜呑みにした人」という表現は棘があるのですが、リテラの記事で使われている表現ですし、少なくとも「在特会が配布しているチラシに使われた写真が毎日フォトバンクからの引用で、写真に映っているのは在日朝鮮人ではなく日本人」という安田氏の検証結果それ自体は、ネットが使える人なら誰でも簡単に検証できるので、「鵜呑み」くらいは使って良いのではないかと考えました。
- 「ネット右翼」の定義については、私自身は別に品位を落とすようなものとは思えず、個人の感性や感情を根拠にした訴えには同意できません。記事で論評に触れた古谷経衡氏の定義によれば、「ネット右翼=保守系言論人や文化人の理論に寄生する烏合の人々」ということなので「在特会の支持者」と言い換えても良いのかも知れませんが、出典としているリテラの記事では「ネット右翼」としていますし、そもそもそれほど定義が曖昧なものなら逆に言い換えるべきではないのでは、とも思います。--Kanohara(会話) 2017年8月22日 (火) 01:30 (UTC)
Kanoharaさん、お疲れ様です。私の意見を含めていろいろ検討、編集していただき、有難うございます。当該部分は、中立性・客観性など随分改善されて記述の仕方について私から言うことはもう今見当たりません。あとは、当該節を維持するという前提に立つと、さえぼーさんが挙げられた論点「この映画について「朝鮮進駐軍」に関する解釈を肯定的に提示したレビュー自体はいくぶんでも信頼できそうな情報源と思われるものの中に見つかっておりません。そこまで綿密な取材に基づいているとも思われない出典で、しかも完全に否定されている内容が「論争」として記述できるくらい重要か…という疑問は持ちました。」がどうかというところです。現状ではいろいろな見解が網羅的に記述され、ある意味、「朝鮮進駐軍」に関する記述の存在感が薄まっていると思いますが、他の方の意見を伺いたいところです。ちなみに、私が「ネット右翼」の記述について問題に感じたのは、文言そのものよりも、113.33.160.188さんが指摘されたような、私も別に指摘したような、編集者の想いがやや逸脱しているような印象を与えるような表現と思われたからです。デリケートな話題だけに、抑制的な表現が望ましいと思います。 Nameofisland(会話) 2017年8月22日 (火) 11:23 (UTC)
追記ですが、朝鮮進駐軍についての注釈の内容・分量については、上記コメントの中では判断してません。いま見て、どうかなと疑問を感じたものですから。 Nameofisland(会話) 2017年8月22日 (火) 11:46 (UTC)
- 返信 (Nameofislandさん宛) 映画自体が論争を呼びやすい題材を扱っていますし、よりにもよって「1945年8月15日という日に太極旗が立ち昇る」という描写をやってのける映画だけに、本作がネット右翼的な言説とは無縁でいることはできないと思っています。表面的に「ネット右翼」という単語だけ取り除いたとしても、対策になるとは思えません。
- 朝鮮進駐軍云々の注釈については、私としてもどこまで書くか迷いはあり、意見がぶれていますが、ヘイトスピーチに絡む微妙な問題でもあり、せっかく注釈という形があるし少し詳しく書く形にしてみました。趣味で「出典を探してきてウィキペディアに記事を投稿する」作業を嗜む身としては、虚偽の出典が示されたネットのチラシと、論拠となる出典を検証可能な形で明示している書籍を両論併記するとなると、どうしても出典が手厚い方に肩入れしてしまうのですが、ウィキペディアにおける中立性とは決して「論争で劣勢な側に加勢してバランスを取れ」という意味ではないし、「少数意見を黙殺しろ」でもないので、難しいところです。--Kanohara(会話) 2017年8月23日 (水) 01:13 (UTC)