ノート:ちまき
日本におけるちまき (1) について
[編集]民間でよく作られてきた物と思われ、個人的な経験として筆者の祖母が現在も作っている。
についてですが,この記述は中立性の面から妥当でないと思います.「○○地方では現在でも作られている」というような記述であれば普遍的で中立的であると思いますので,変更していただければと思います.Yaizawa 2006年1月30日 (月) 05:32 (UTC)
「コモの葉」とは何か…?
[編集]種類
[編集]…での終わり近くの記述に 『…これをササやコモの葉で包む。…』と有るが「コモ」は「マコモ」の間違えではないか…?--59.157.32.40 2009年1月18日 (日) 16:00 (UTC)
- 調べてみると古い日本語で、マコモをコモと呼ぶこともあるようです。マコモで粽を作るのは日本には昔の風習であったようで[1]、中国では現在でもあるそうなので[2]すね。「コモ」では判りにくいので修正をしておきます。--Takora D 2009年1月18日 (日) 19:40 (UTC)
新潟のちまき
[編集]新潟のちまきは餅じゃないんです。少なくとも下越地方で餅のちまきは見たことが無いです。もち米のみを三角形にした笹に詰めてただ蒸すだけです。中華ちまきの具の入らない、味も付けないイメージです。
- ウェブで探したところ、ちまきは新潟県の地域により、さまざまあるようですね。記述はやはり新潟県出身の方に教えていただくのがベストと思います。外部リンクを探しましたので、ご参考になるでしょうか。
- 中越、下越の三角ちまきの解説はこちら。「三角ちまき」(『新潟食の図鑑』「新潟食品名産図鑑」より)
http://nigata.japanfoods.net/specialty/sankakuchimaki/
- 新潟県の郷土食としてのちまきについて、1970年代の研究論文がありました。『県立新潟女子短期大学研究紀要第16集』よりp.16, pp.153-162「新潟県の郷土食に関する研究(第6報)ちまき,その他のだんご,餅について」渋谷歌子,本間伸夫,佐藤恵美子,石原和夫(1979年1月16日受理)、県立新潟女子短期大学発行、1979年。概要は学術機関リポジトリJAIROにあります。
http://jairo.nii.ac.jp/0167/00000740
ISSN:0288-3686
| NII書誌ID(NCID):AN00079890)。
- 概要 「節句を中心に作られるちまきも,笹だんごと同じように手作り離れが見られるが,笹だんごより分布が広い。全国的にも有名なこれら越後ちまき,その他のだんご,もち類は晴食の食べものとして減ったとはいえ,根強く定着していることを知った。1 ちまき類は上越において盛んに作られ,笹だんごとは対照的である。2 ちまきに対する意識は下越においては低く,上越に於いて高い。3 佐渡には独特の「マキ」が,今後も島民の手によって作り継がれる貴重な郷土食である。4 ちまき,笹だんご以外のもち類,だんご類も優れたものが多く,その土地によって独特のものが作り伝えられている。5 文献には数多くのもち類,だんご類があり,行事とのかかわり合いの深さを知ることが出来る。」
- 原文のPDF版はこちら。 p153~
http://nirr.lib.niigata-u.ac.jp/bitstream/10623/16694/1/09_16_0013.pdf
- 原文のPDF版はこちら。 p153~
- 新潟県の「あく笹巻き」は村上市山北(さんぽく)地域の特産とされるようで、解説はこちら。
http://nigata.japanfoods.net/?s=ちまき
--Omotecho(会話) 2015年4月27日 (月) 19:15 (UTC)
笹巻
[編集]某ケンミンショーに山形名産みたいな感じで出ていてビックリしました。新潟の粽と同じものですね、まあ地続きの隣なんであり得るでしょう。むしろ検索なんかでは新潟の粽は全国の粽に紛れて、笹巻ほど目立たないですね、クヤシー--219.40.151.3 2016年6月29日 (水) 04:32 (UTC)
関連項目
[編集]記事の作成されてない関連項目って意味がないように思いますが?作成者が作る予定が有ると言うなら別ですが、他人任せと言うのは…。--61.245.122.141 2009年11月22日 (日) 13:35 (UTC)
- まったく61.245.122.141さんの言うとおりですね。赤リンクを載せても無駄なので削除が妥当でしょう。--116.0.245.200 2009年11月22日 (日) 18:25 (UTC)
説文解字
[編集]"後漢(2世紀)の『説文解字』は、「粽」の本字「糉」の字義を「蘆葉裹米也」(蘆(あし)の葉で米を包む也)と記している。" (Hhaithaitさんがこの版で追加)につきまして、実際の典拠は"説文新附"となっているようですが、いかがでしょうか[3]?
すなわち『説文解字』の原書ではなく、徐鉉(10世紀)の加筆した部分の記載ということです[4]。张希峰という教授の書籍ではうまく確認が取れませんでしたが[5]、たとえば香港の『明報』誌の記事には、"東漢的《說文解字》"とネットで出回っているが、実際は"北宋時整理的《說文解字新附》"であると学者の考証を述べてます[6]。--Kiyoweap(会話) 2020年7月28日 (火) 08:23 (UTC)