ちまき
ちまき(粽。中国語「粽・糭 ツォン 拼音: 」、「粽子・糭子 、ツォンズ 拼音: 」)は、もち米やうるち米、米粉などでつくった餅、もしくはもち米を、三角形(または円錐形)に作り、ササなどの葉で巻き、イグサなどで縛った食品。葉ごと蒸したりゆでて加熱し、葉をむいて食べる。もともと中国で作られた料理で、日本へは平安時代ごろに伝わった。日本では米粒の原型を留めないものが多く、中国では米粒の原型が残り、かつ米以外の具を加えているものが多い。その他、沖縄や東南アジアにも類似の食品がある。
名称
後漢(2世紀)の『説文解字』は,「粽」の本字「糉」の字義を「蘆葉裹米也」(アシの葉で米を包む也)と記している。この字の旁には「集める」という意味があり、米を寄せ集めたものがちまきという事になる。「粽」は旁を同音の簡単な部品に置き換えた略字である。
日本ではもともとササではなくチガヤの葉で巻いて作られたためちまきと呼ばれる。
中国のちまき
中国においてちまきは、水分を吸わせたもち米を直接竹の葉で包み、ゆでる、もしくは蒸す方法で加熱して、作る方法が主流である。米といっしょに、味付けした肉、塩漬け卵、棗(なつめ)、栗などの具や、小豆餡などを加えることが多い。特別なものでは、アワビやチャーシューを包んだものもある。形は正四面体が多いが、長方形、円筒形のものもある。
歴史
中国の伝説では、楚の愛国者だった政治家で詩人の屈原が、汨羅江(べきらこう)で入水自殺した後、民衆が弔いのため、また、魚が屈原のなきがらを食らって傷つけないように魚に米の飯を食べさせるため、端午の節句の日(端午節)にササの葉で包んだ米の飯を川に投げ入れたのが起源とされる。このため、日本でも中国などでも端午の節句に食べる習慣がある。
実際の考証でも、2000年余り前の戦国時代には出現していたと考えられる。西晋(3世紀)の周処は『周処風土記』に「仲夏端午,烹鶩角黍。」(夏の端午の節句に鶩角黍を調理する)と記しており、粽のことと考えられる。
1989年の旧暦端午の節句に、台湾彰化県では重さ350キログラムもの巨大ちまきが作られたことがある。
種類
- 肉粽(にくちまき)
- もち米と一緒に豚肉やタケノコ、シイタケなどに甘辛く味付けしたものを竹の皮で正四面体状に巻いて、イグサで縛り、蒸しあげた料理は「肉粽」(ロウツォン、ròuzòng)と現地で呼ばれるが、日本では「中華ちまき」とも呼ばれる。
- 豆沙粽(小豆餡のちまき)
- こし餡をもち米で包み、竹の葉で包んで、蒸すか煮て作る。甘い。
- 糯米鶏(ノーマイカイ(広東語)、ヌオミージー nuòmǐjī(北京語))
- 広東料理の点心のひとつ。もち米と鶏肉、シイタケなどをハスの葉で長方形に包んで蒸した料理。
- チワン族のちまき
- 日本の「あくまき」に似た円筒形のものを作るが、サイズは最大40センチ程度の巨大なものまであり、「枕」や「ラクダのこぶ」を連想させる。米に食紅で着色をすることも多い。
- ヤオ族のちまき
- チワン族と同様で、円筒形の枕状のものが普通。他に、赤砂糖や落花生の餡を包んだ甘いものもある。
- ショー族のちまき
- 肉やナツメを笹で包み、四角いちまきを作る。加熱は灰を加えた湯で煮て行う。
- トン族のちまき
- 灰を用いて作り、日本のあくまきに近い
- タイ族のちまき
- ちまき祭りともいわれる歌垣の場で、若い男性から女性に贈るものとして用意する。
- 真空パックのちまき
- 包装形態の違いでしかないが、肉粽や豆沙粽などを真空パックに入れ、電子レンジなどで再加熱して食べる商品が売られている。
有名店
日本のちまき
歴史
承平年間(931~938)に編纂された『倭名類聚鈔』には「和名知萬木」という名で項目があり、もち米を植物の葉で包み、これを灰汁で煮込むという製法が記載されている。元々は灰汁の持つ殺菌力や防腐性を用いた保存食であった。その後、各地で改良や簡略化が行われ、特に京では餅の中に餡を包み込んだり、餅を葛餅に替えるなど和菓子化していった。
種類
日本では、包むのに使う葉はチガヤ、ササ、タケの皮、ワラなど様様である。
江戸時代、1697年に刊行された本草書『本朝食鑑』には4種類のちまきが紹介されている。
- 蒸らした米をつき、餅にしてマコモの葉で包んでイグサで縛り、湯で煮たもの。クチナシの汁で餅を染める場合もある。
- うるち米の団子を笹の葉で包んだもの。御所粽(ごしょちまき)、内裏粽(だいりちまき)とも呼ぶ。
- もち米の餅をワラで包んだ飴粽(あんちまき)。
- サザンカの根を焼いて作った灰汁でもち米を湿らせ、これを原料に餅を作りワラで包んだ物。朝比奈粽(あさひなちまき)と呼ばれ、駿河国朝比奈の名物という。
このうち、2は現在の和菓子屋で作られる和菓子のちまきの原型であり、現在の餅の原料は葛に代わっている。笹の葉を用いたのは川端道喜という京の菓子職人であり道喜粽とも言われる。現在でも川端家はちまきを製造しており、代表的な京菓子の一つである。京都をはじめ、各地の和菓子屋で製造されるちまきは大半がこのカテゴリーに入るものと思われる。端午の節句に作る店が多い。また、ようかんや麩饅頭をササで包んだものも、時としてちまきと呼ばれ、このカテゴリーから発展した物と考えられる。
3の飴粽は、餅が飴色になっているため、この名があるという。詳細は未詳。
4は最も原型に近いちまきであり、灰汁(あく)による保存と品質維持を期待した保存食といえる。鹿児島県で作られる「あくまき」、「つのまき」、長崎県で作られる「唐灰汁ちまき」、新潟県の「灰汁笹巻き」に似通った製法である。また、台湾においてもほぼ同じ製法のちまきが作られているという。ただし、この朝比奈粽そのものは現在は作られていない。江戸時代にはこの原型に近い製法が日本各地で用いられていた可能性はある。このカテゴリーは、灰汁のにおいや風味によって好き嫌いがはっきりすることがある。きな粉や砂糖を混ぜた醤油で食べる。
1は4から簡略化された形のちまきで、新潟県の「三角ちまき」など現在でもよく作られるちまきである。うるち米の粉で餅を作った後、これをササの葉やマコモの葉で包む。これを茹でるか蒸籠で蒸らして作る。そのままか、もしくは4に準じた食べ方をする。
東南アジアのちまき
シンガポールのちまき
基本的に中国系の国民が作るので、広東風を中心に、中国各地のものがあるが、シンガポール風に改良されたものとして、豚肉、干し海老などに唐辛子を加えた辛い味のものがある。
カンボジアのちまき
もち米、小豆、棗などの甘い味付けの材料を、布の袋に入れて蒸すちまきに似た食品がある。
ベトナムのちまき
もち米、豚肉、緑豆を葉などに包んで作るちまきに似た料理で、バインチュン(bánh chưng)と言われる。ベトナム旧正月(テト)にはかかせないもので、歯ごたえは餅に近く粘り気がある。四角いものもある。