ノート:アイザック・ニュートン
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項目によって、西暦が「ユリウス暦」だったり「グレゴリオ暦」だったりすると百科事典として基準がとれず、混乱の元になるので、グレゴリオ暦で統一しました。その国でのグレゴリオ暦の導入以前はダメというなら、明治5年以前の日本には西暦が使えないことになりますよ。るがこむ 18:26 2003年4月9日 (UTC)
参考サイト:http://www-gap.dcs.st-and.ac.uk/~history/Mathematicians/Newton.html るがこむ 20:55 2003年4月9日 (UTC)
ダメというのではなく、並記が望ましいと思います。一般的な書物では当時使われた暦そのままで表記するものですし、その暦の導入以前の日付は暦の上で正しいものではありません。(紀元前何世紀もグレゴリオ暦というのはナンセンスでしょう)ユリウス暦からグレゴリオ暦導入までの間のことについて、英語版では旧暦、新暦として並記している記事もあるのですが、日本語では旧暦というと別の暦になってしまうのでユリウス暦としました。何年何月何日から、とはっきり解っているので基準は十分にとれると思います。もともとあったのを消したのは単に日付がなかったからです。
あちこち無理をしてまで統一するよりも、複数の見解を双方もちこむ、というのが百科事典的かと思うのですがいかがでしょうか?suisui 15:18 2003年4月10日 (UTC)
この項目だけの話でなく、この事典全体で「ユリウス暦」と「グレゴリオ暦」の扱いをどうするかを、早急に決めたほうがいいでしょうね。るがこむ 13:59 2003年4月14日 (UTC)
- ついでに言うならば、「太陰暦」と「太陽暦」の扱いについても決めたほうがよいです。私は、一方的に統一よりは併記、また「どの暦でかかれた日付か」がわかっている場合は暦も書く方が望ましいのではないでしょうか?G 02:40 2003年4月15日 (UTC)
太陰暦はおそらくきちんと使われていたことはないのでよく分かりませんが、現在から1582年10月15日まではグレゴリオ暦、10月4日以前はユリウス暦を基本とするでいいかとおもいます。普通の文献ではこの規則になっているはずなので、現在あるものでもたいていはこうなっているはずです。国によって導入の時期にずれがある間は並記、というよりも、私としては当時を生きた当事者達が、誕生日やお祝い事の日としていた暦を並記することに意味はあると考えています。
同様に、和暦の場合は明治5年12月2日以降はグレゴリオ暦基本、天正10年9月19日までが和暦&グレゴリオ暦、それ以前はユリウス暦で、推古元年(593年1月1日)までは和暦と並記、で良いのではないかと思います。こうすれば、少なくとも英語版やすでに多くの記事がある他の言語版との日付もあいます。
どうしても時間が正確に必要であるならばユリウス通日を並記するのもいいかもしれません。より大きな問題なのは、日本語の文献の多くが和暦からグレゴリオ暦に無理矢理変換していたり、間違って掲載していることがおおい事ではないでしょうか。suisui 16:54 2003年4月15日 (UTC)
ユリウス暦の1727年3月20日は、グレゴリオ暦の1728年3月31日じゃないんですか。当時の新年の始まりは3月25日でしたから -- 129.78.64.102 2007年10月13日 (土) 16:46 (UTC)
アリウス派・ユニテリアン云々を削除
[編集]この削除編集につき説明します。出典が付与されてはいましたが、「だったのだろう、とする指摘もあるという」という曖昧な表現になっている上に、植物学の専門家による記述ですので、専門家からみれば初歩的な誤りをされたものと思われます。
- 「アタナシオス派(ニカイア派)の信仰内容(三位一体)を否定する≠アリウス派
- アリウス派≠ユニテリアン
- 従って、「三位一体を否定する⇒アリウス派⇒ユニテリアン」は成立しません。
以上、削除理由です。--Kinno Angel(会話) 2014年5月15日 (木) 23:33 (UTC)
この編集も同様の理由です。
- 三位一体の否定≠アリウス派
- 三位一体の否定=(主流派からみたら)異端
そもそもニュートンがアリウス派の主張内容を検証して支持する事が出来る時代だったでしょうか(反語)。現代とは違うのです。もちろんニュートンが「三位一体に疑義を持って居たのは事実です。しかし「三位一体に疑義をもっていたからアリウス派」というのは誤りなのです。三位一体を否定する派・思想潮流というのは、別にアリウス派に限りません。三位一体を否定する派や人を全てアリウス派と呼ぶわけではありません。--Kinno Angel(会話) 2014年5月15日 (木) 23:41 (UTC)
ニュートンの宗派関連については記述がグダグダになっていたので、以前から編集による改良を望んでいたところです。ありがとうございます。今後は科学史系の方々によるさらなる改良を望みたいところですね。なお、2011年に「Wikipedia:言葉を濁さない」のテンプレートが貼られていますが、あの頃に比べるとだいぶよくなり、ユニテリアン云々の記述も削除されてすっきりしたように思いますので、テンプレートもとってしまって良いのではないかと思いますが、いかがでしょうか? さえぼー(会話) 2014年5月17日 (土) 02:50 (UTC)
大変申し訳ありません、科学史への知見は私にはほぼ皆無ですので、ページ全体への「言葉を濁さない」タグが今も必要であるかどうかについての論評は差し控えさせて頂きます。三位一体・アリウス派・ユニテリアンといったキリスト教用語については、今後も議論が生じれば参りますが…。悪しからず御了承下さい。--Kinno Angel(会話) 2014年5月17日 (土) 13:58 (UTC)
最初の項目名や人名にサーをつけてはいけません
[編集]日本語の百科事典では絶対につけてはいけません。
『日本大百科事典』でも、『世界大百科事典』でも、執筆者は当然、ニュートンが生前に「サー」に叙せられたことは百も承知でしたが、項目名はあくまで「アイザック・ニュートン」としています。絶対に「サー・アイザック・ニュートン」とはしません。
「サー」は当人の名前ではありません。あくまでイギリスの政府から政治的に冠せられた称号にすぎません。
政治的に勲章をさずけられたからといって、百科事典の最初の人名表記でその勲章名を冠してはいけません。百科事典の最初の人名表記を、中村一郎紫綬褒章、などという人名表記にしてはいけない。
わかり易く説明すると、たとえば日本人は日常的に人を呼ぶときに当然「さん」をつけたり他の呼び方、たとえば「先生」(教師、医師、弁護士など)、あるいは役職名(社長、事業部長、部長、課長、係長など)をつける。だがたとえその人が生涯のほとんどを「先生」と呼ばれていたとしても、百科事典の項目名や最初の人名表記を、中村一郎先生としてはいけない、というのと同じ原理。たとえ日本中の人々が、その人のことを普段から「中村一郎先生」としか思っていなくても、百科事典では「中村一郎」と表記しなければならない。絶対に中村一郎先生という人名表記で記事を書き始めてはいけない。。
たとえば、日本中の人々が長嶋茂雄のことを想起する時に「ミスター」と思っていても(思っていた時代があったとしても)、百科事典の項目を立てたり、最初に人名を表記するところでは長島茂雄と書き始めるべきなのである。絶対に「ミスター・長島茂雄」などという人名表記にしてはいけない。たとえば佐々木主浩のことを、ほとんどの人が「大魔神・佐々木主浩」と呼んで表記していても、百科事典ではあくまで「佐々木主浩」と表記しなければならない。
それらと同じで、イギリス人が同郷人でイギリス王やイギリス女王から「サー」に叙勲された人を日常的に「サー」をつけて呼んでいたとしても、日本語の百科事典では絶対に「サー」をつけてはいけない。
そもそもウィキペディアではルールになっている。記事の文章中で、たとえ実際に大学教授であっても 中村一郎教授といった表記をしては絶対にいけないというルールになっている。
(なぜアイザック・ニュートンだけを特別扱いする? 世界にはさまざまな叙勲制度があるが、イギリスの叙勲制度だけ さも特別であるかのように、ウィキペディアで特別扱いして人名表記の前につけたら、結局、人間を国籍によって差別していることになってしまう。もしもウィキペディアのルールを破ってまでアイザック・ニュートンに、「サー」をつけるなら、そもそも人々は、かしこまった場では、相手をMr.やMrsやMsを冠して呼んでいるのだから、この百科事典の全ての英語人名の前にMr.やMrsやMsをつけるべきだという理屈になってしまう。「なぜアイザック・ニュートンにだけ「サー」をつけて特別扱いして、他の人にMrやMsすらつけないで呼び捨てにする?」 という理屈になってしまうことが分からないか? ともかくウィキペディアでは人名に勲章名類をつけてはいけない。サーをつけてはいけない。--おとつぎほんたん(会話) 2021年8月21日 (土) 21:07 (UTC)
同一文献の三重の引用について
[編集]現時点の版の#ウィリアム・ステュークリには、ステュークリによる原文(画像)、英語文字起こし、日本語訳と合計3つの同一内容が記載されていますが、いくら何でも過剰(引用の域を逸脱)ではないでしょうか。--Nekorine(会話) 2023年9月17日 (日) 02:57 (UTC)
- 画像は読めない人がいますし、翻訳と原文は基本的に同一視できません。必要最低限は原文を機械可読な形式で提供することで、訳文の提供はオプションと考えるべきです。--Glayhours(会話) 2023年9月17日 (日) 05:55 (UTC)
- 原文(画像)の掲載の是非は一旦保留します(むしろ原文画像はどちらかというと掲載に賛成です)。原文を文字起こししたもの(英文)の百科事典としての意義は何ですか?--Nekorine(会話) 2023年9月17日 (日) 07:52 (UTC)
- とりあえず状況を整理。英文テキストはSpecial:diff/532406とSpecial:diff/87113419で別々の方に加筆され、さらに後にSpecial:diff/87701844で和訳され、以後この訳に疑義はないようです。この状況をみるかぎり、ウィキペディア日本語版で他言語原典の文字起こしを残すことは百科事典としてWP:NOTLINKから外れていませんか。--Nekorine(会話) 2023年9月17日 (日) 12:44 (UTC)
- 原文(画像)の掲載の是非は一旦保留します(むしろ原文画像はどちらかというと掲載に賛成です)。原文を文字起こししたもの(英文)の百科事典としての意義は何ですか?--Nekorine(会話) 2023年9月17日 (日) 07:52 (UTC)
「引用の域を逸脱」なのでしょうか? 引用されているのは著作権が切れた画像です。英語テキストは画像からの正確な翻刻(en:Isaac Newtonのものとは異なっている。)ですし、著作権はないと思います。
ウィリアム・ステュークリの文章の画像は比較的最近(ここ数十年前?)に公開されたものと記憶していますし、一般の人達にも興味を持たれているはずです。ですから、画像の英語文字起こしを日本語版に記述することは百科事典として適切と考えます。日本語訳も日本語版には必要でしょう。
「他言語原典の文字起こし」の意味が分かりません。またWP:NOTLINKは、「本のまるごと収録」や「原典全体の複製」は良くないということであって、趣旨が違うと思います。--Awaniko(会話) 2023年9月17日 (日) 14:59 (UTC)
- 著作権の侵害は問題にしていません。原典画像の掲載是非も問題にしていません。「他言語原典の文字起こし」について、百科事典上どのような意味があるのかお尋ねしています。これを用いて百科事典の読者に何を伝えたいのですか?--Nekorine(会話) 2023年9月17日 (日) 22:19 (UTC)
1)「引用の域を逸脱」とおっしゃっています。「引用」と言う以上、著作権法で認められた「引用」の域を逸脱しているので記述すべきでない、との意味ですよね。それなのに、「著作権の侵害は問題にしていません。」というのはどういうことですか?
2)あなたの文章を改めて長く引用します。「ウィキペディア日本語版で他言語原典の文字起こしを残すことは百科事典としてWP:NOTLINKから外れていませんか。」とおっしゃっています。
2ー1)「他言語原典の文字起こしを残す」ってどういうことなのですか? 意味が全く理解できません。解説をお願いします。
2ー2)「・・・百科事典としてWP:NOTLINKから外れていませんか。」とおっしゃっています。あなたは、元の記述がWP:NOTLINKから外れてはいないことを認めるのですね?
2ー3)「・・・百科事典としてWP:NOTLINKから外れていませんか。」の意味は、「百科事典上どのような意味があるのかお尋ねしています。」の意味とは全く異なります。後者のことは2023年9月17日 (日) 12:44 (UTC)の時点で尋ねてはいらっしゃいませんよね?
3)以上のように、あなたがおっしゃることや論点はコロコロと変わっています。これでは議論することは困難と考えます。
4)「これ(=「他言語原典の文字起こし」)を用いて百科事典の読者に何を伝えたいのですか?」については、「他言語原典の文字起こし」の意味が不明なので、今は回答を留保します。 --Awaniko(会話) 2023年9月18日 (月) 14:39 (UTC)
- 落ち着いて話をきいてください。
- 1)引用量に対して記事の説明が少なすぎる事のみを指摘しています。
- 2ー1)「他言語原典の文字起こし」をその翻訳後も記事に存置することです。
- 2ー2)以前の版の是非は問題にしていません。
- 2ー3)WP:NOTLINKはWP:NOTの一部です。原典の単なる保管行為でないとの主張に、百科事典的価値は何かと問うのは当然です。
- 3)回答の通り、提起内容はシンプルです。問題を難しく考えすぎではないですか。
- 4)「他言語原典の文字起こし」とは貴方のいう『画像からの正確な翻刻』です。
- 以上を踏まえて具体的に提案しますが、「他言語原典の文字起こし」は除去しませんか?原典(画像)とその和訳があり、「他言語原典の文字起こし」にjawpでの百科事典的役割はないでしょう。--Nekorine(会話) 2023年9月19日 (火) 05:33 (UTC)
>1)引用量に対して記事の説明が少なすぎる事のみを指摘しています。→ 引用量に比べて本項の記事(1.生涯~7.年譜までの全体が記事です。)は十二分に長いので問題ありません。
>2ー2)以前の版の是非は問題にしていません。→それなら、2023-08-23T11:52:23時点の版(これは、当該論点については、現時点 2023-09-23T14:42:29と同じ)で問題ないということですね。
>2ー3)WP:NOTLINKはWP:NOTの一部です。原典の単なる保管行為でないとの主張に、百科事典的価値は何かと問うのは当然です。→ 現時点の版は、1ページのみの画像とその部分の翻訳です。「原典全体の複製」にはなっていません(原典のMemoirs of Sir Isaac Newton's lifeは100ページ以上あります。)ので、WP:NOTLINKには反していません。
4)「他言語原典の文字起こし」とは貴方のいう『画像からの正確な翻刻』です。→ この点については、やっと、あなたの意味するところが分かりました。
>2ー1)「他言語原典の文字起こし」をその翻訳後も記事に存置することです。→ 4)のあなたの回答からは、「『画像からの正確な翻刻』を本項の記事中に存置すること」ということ、と理解しました。
本論です。「百科事典上どのような意味があるのかお尋ねしています。これを用いて百科事典の読者に何を伝えたいのですか?」 → このような問いに答える義務は、どの執筆者にも無いと存じます。本項の記事に限らないのですが、ただ一人が書いたのではなく数多くの執筆者の記述の蓄積(執筆、削除、追加、再削除、再追加・・・のすべて)の総体が本項の記事です。ですから記事そのものから意図を読み取っていただくしかありません。
結論として、現時点の記述で、問題がないと考えます。記事が過剰とも思いません。Glayhoursさんのご意見と同様に「英語文字起こし」の削除には反対します。 --Awaniko(会話) 2023年9月23日 (土) 15:37 (UTC)
- Glayhoursさんの見解はまさにWP:NOTLINKが良しとしない事由(Wikipediaを画像・原文のただの提供場所とすること)に基づいています。Awanikoさん独自の主張には次の通り回答します。
- >1)当該引用はW.ステュークリの述懐の出典でしかありません。記事全体を「当該引用を用いた説明対象」とするのは無理があるでしょう。
- >2ー2)以前の版の是非は本件の是非を判断するうえで問題にしない、という意味です。都合の良い曲解はやめてください。
- >2ー3)WP:NOTLINKでは、全体の複製について『まるごと収録したり』と一例として扱っています。全体を対象とすることは十分条件であって、全体でさえなければ複製を(百科事典上意味なく)保管してよいという意味ではありません。この方針ではさらに『変更されていない原文通りの表記で提供されなければ意味の無いような性格の素材を集めたりする場ではありません』や『ウィキペディアでは記事で使われないファイルは集めていません』といった規定も続くのですが、これらを見落としていませんか。
- >2ー1)正しいご理解です。
- 『本論』: Awanikoさんは「他言語原典の文字起こし」の掲載を希望してますから、説明する必要があります。ただの記述の蓄積から意図を読み取れと読者に要求するのは乱暴過ぎませんか(Wikipedia:SURPLUS)。そもそも、Awanikoさんは「他言語原典の文字起こし」の投稿者でもありますから(Special:diff/87113419)、百科事典上どのような意味があるか説明できるはずです。
- なんにせよ、本提起部分の「他言語原典の文字起こし」に百科事典上の建設的な理由の説明がなかったのは残念です。--Nekorine(会話) 2023年9月24日 (日) 04:02 (UTC)--Nekorine(会話) 2023年9月24日 (日) 05:47 (UTC)
- > Glayhoursさんの見解はまさにWP:NOTLINKが良しとしない事由(Wikipediaを画像・原文のただの提供場所とすること)に基づいています。
- そんなつもりはなかったので困惑しています。上の発言の趣旨は、和訳それ自体は出典になり得ないので和訳のみ掲載することは(おそらく)できない、ということと、加えて画像だけで alt 属性などなにも指定されていないならアクセシビリティ違反になるので Web コンテンツとして適切でない、ということです。alt 属性に書き起こした文章を記入することはやはり WP:NOTLINK に抵触すると思われるので、そもそも実質的に画像ファイルだけを出典としている状態が良くないのだと思います。--Glayhours(会話) 2023年9月26日 (火) 12:42 (UTC)
- 回答、説明を頂き、ありがとうございます。その説明の通りなら、「W. Stukeley, "MEMOIRS OF Sr. ISAAC NEWTONS life" 」の書誌情報のみを記載すれば済む問題でしょう。画像もその英文の文字起こしも、内容は書誌情報によって検証可能になるのですから、双方(画像および英テキスト)ともわざわざ本文に掲載する意味がないです。また、画像から書き起こしたテキストをalt 属性に記入する事がWP:NOTLINK違反になるならば、alt 属性に限らず 画像に紐づいた記事の他の場所に同テキストを(百科事典上意味なく)記載しても当然WP:NOTLINK違反でしょう。--Nekorine(会話) 2023年9月26日 (火) 13:12 (UTC)
- >「画像だけで alt 属性などなにも指定されていないなら・・・適切でない」とのことですが、「画像だけで alt 属性などなにも指定されていないなら」は真なのでしょうか。ウィキ英語版に同じ画像が載っているのですが、そちらは問題ないようですが。 --Awaniko(会話) 2023年10月1日 (日) 12:11 (UTC)
- ここは英語版ではありませんし、もちろんここの誰も英語版のあり方に問題提起をしていません。これ以上無関係な話題で本題からの脱線を繰り返すだけでしたら、対話の意志がないものと見做します。--Nekorine(会話) 2023年10月1日 (日) 12:18 (UTC)
- 私には、「alt 属性」の意味が分からないのですが、Glayhoursさんは「画像だけで alt 属性などなにも指定されていないなら・・・適切でない」と指摘しておられます。ですから「画像だけで alt 属性などなにも指定されていれば」は真なのかと問うたのです。もしその条件が満たされていなければ、すなわち「alt 属性などが指定されていれば」問題がないということのはずです。指定されたていないのか、指定されているのかをはっきりされないといけないはずです。これは「alt 属性」の意味を理解しているかどうかとは別の論理上の疑問です。
- >ウィキ英語版に同じ画像が載っているのですが、そちらは問題ないようですが。
- 上記の私の記述がなぜ問題なのか分かりません。著作権などの問題を英語版でクリアしているのであれば、日本語版でも問題がないのではないですか。 --Awaniko(会話) 2023年10月1日 (日) 13:09 (UTC)
- Glayhoursさんのalt属性への言及はアクセシビリティの見地からのコメントです。先ほど、Awanikoさんの議論の脱線行為に警告した通りです。対話の意志があるなら、理解不足の話題で横槍を入れずに、「他言語原典の文字起こし」の百科事典上の建設的な掲載理由の説明をお願いします。--Nekorine(会話) 2023年10月1日 (日) 13:32 (UTC)
- 「対話の意志がないものと見做し」とか「議論の脱線行為に警告」、「横槍を入れずに」などは、紳士的な記述とは言えないでしょう。ガイドラインのどこかに「議論は敬意をもって」というようなことが書いてあったと思います。クールダウンされることをおすすめします。 --Awaniko(会話) 2023年10月2日 (月) 06:47 (UTC)
- Glayhoursさんのalt属性への言及はアクセシビリティの見地からのコメントです。先ほど、Awanikoさんの議論の脱線行為に警告した通りです。対話の意志があるなら、理解不足の話題で横槍を入れずに、「他言語原典の文字起こし」の百科事典上の建設的な掲載理由の説明をお願いします。--Nekorine(会話) 2023年10月1日 (日) 13:32 (UTC)
- ここは英語版ではありませんし、もちろんここの誰も英語版のあり方に問題提起をしていません。これ以上無関係な話題で本題からの脱線を繰り返すだけでしたら、対話の意志がないものと見做します。--Nekorine(会話) 2023年10月1日 (日) 12:18 (UTC)
- >「画像だけで alt 属性などなにも指定されていないなら・・・適切でない」とのことですが、「画像だけで alt 属性などなにも指定されていないなら」は真なのでしょうか。ウィキ英語版に同じ画像が載っているのですが、そちらは問題ないようですが。 --Awaniko(会話) 2023年10月1日 (日) 12:11 (UTC)
- 回答、説明を頂き、ありがとうございます。その説明の通りなら、「W. Stukeley, "MEMOIRS OF Sr. ISAAC NEWTONS life" 」の書誌情報のみを記載すれば済む問題でしょう。画像もその英文の文字起こしも、内容は書誌情報によって検証可能になるのですから、双方(画像および英テキスト)ともわざわざ本文に掲載する意味がないです。また、画像から書き起こしたテキストをalt 属性に記入する事がWP:NOTLINK違反になるならば、alt 属性に限らず 画像に紐づいた記事の他の場所に同テキストを(百科事典上意味なく)記載しても当然WP:NOTLINK違反でしょう。--Nekorine(会話) 2023年9月26日 (火) 13:12 (UTC)
- 横から失礼 日本語版ウィキペディアに英文の書き起こしを記載するには、現在の記載内容は確かに少々長いように感じます。該当の記述は英語版ウィキソースに原文が収録されているようですので、下記のような案内に置き換えることで対応可能ではないでしょうか。
- 提案 記事中に原文へのリンクを案内し、英語の書き起こし部分(英語文字起こし)は除去する。
- 英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:Memoirs of Sir Isaac Newton's life/Life of Newton
- 併記された画像の説明欄で「after dinner, the weather being warm, ~」で始まることは記載されていますし、原文が気になる方が記述内容を確認することもできると思います。--Amayus(会話) 2023年10月1日 (日) 23:19 (UTC)
- 良いアイディアかと思います。ただし、 英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:Memoirs of Sir Isaac Newton's life/Life of Newtonとしただけでは、全部で19ページあり、どのページが該当箇所なのか捜すのが大変です。実際には第15ページが該当ページですので、それが一発で出てくる引用方法はないものでしょうか。 --Awaniko(会話) 2023年10月2日 (月) 06:42 (UTC)
- 返信 では、校正用のページですが、下記ではいかがでしょう。画像もありますので、比較もしやすいと思います。
- 英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:ウィリアム・ステュークリの手稿 (15ページ)
- --Amayus(会話) 2023年10月2日 (月) 08:30 (UTC)
- 賛成 2日 (月) 08:30 (UTC)の修正部分を含め、Amayusさんの提案に賛同します。英語文字起こしの除去で過剰な記載内容も改善されますし、ウィキソースへの案内も簡素で読者を迷わせることもないでしょう。--Nekorine(会話) 2023年10月2日 (月) 09:28 (UTC)
- 異論や異議はないようですので、提案内容を本文に反映させました。--Nekorine(会話) 2023年10月9日 (月) 09:39 (UTC)
- 賛成 2日 (月) 08:30 (UTC)の修正部分を含め、Amayusさんの提案に賛同します。英語文字起こしの除去で過剰な記載内容も改善されますし、ウィキソースへの案内も簡素で読者を迷わせることもないでしょう。--Nekorine(会話) 2023年10月2日 (月) 09:28 (UTC)
- 返信 では、校正用のページですが、下記ではいかがでしょう。画像もありますので、比較もしやすいと思います。
- 良いアイディアかと思います。ただし、 英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:Memoirs of Sir Isaac Newton's life/Life of Newtonとしただけでは、全部で19ページあり、どのページが該当箇所なのか捜すのが大変です。実際には第15ページが該当ページですので、それが一発で出てくる引用方法はないものでしょうか。 --Awaniko(会話) 2023年10月2日 (月) 06:42 (UTC)
節構成の変更
[編集]除去された情報もなく特に報告する程でないとも思いましたが、2023年10月10日10:10頃の節構成の変更についてノートに説明を残しておきます。業績は神学を含めて一つの節「業績」に集約しました(自然科学とそれ以外を分けること自体、本文にある中近世の歴史書観を反映してしまっています)。「力学 (天文学)」は、ニュートンの業績が天文学に限定されると解釈可能なので、「力学・天文学」としました。「ニュートンによる科学革命」は、基本的に力学に関する内容なので、「力学・天文学」節の直下へ移しました。「自然科学以外の側面」は、上記と同じ主旨からニュートラルな「その他」にタイトルを変更しました。人物像についてまとまった記述があったので、これを「人物」の節に独立させました。この際に、人物像と関連する「論争・先取権争い・感情的確執」をこの節の直下に移動しました。ニュートンの記事なので、「ニュートンの評価」は単に「評価・論評」としました(論評も含まれるので、論評の一語も付けました)。「リンゴの逸話について」は、少なくとも生涯、業績よりは後ろに記載するべきと考え、「評価・論評」の直下に移動しました。以上、報告です。--Nekorine(会話) 2023年10月10日 (火) 10:20 (UTC)
うつの時期について
[編集]『オックスフォード英国人名事典』(ODNB)によれば、ニュートンがスランプに陥った時期は長く見積もっても1693年からロンドンに移る1696年4月までであり、母の死去(1697年6月)とベルヌーイの問題(1697年1月にニュートンのもとに到着)は明らかにスランプから回復した後です。母の死去については出典もついていましたが、このように明らかに矛盾しているため、ODNBの記載を採用して母の死去に関する記述を除去し、ベルヌーイの問題も「スランプ状態にあっても」から「ロンドンに移った後も」に変更しました。--ネイ(会話) 2024年11月7日 (木) 04:06 (UTC)
キャットフラップについて
[編集]ニュートンがキャットフラップを発明したとする記述についてですが、出典にページ番号が記載されていないうえ、en:Pet doorなどで「近世の都市伝説」とされています。たとえば、20世紀の数学者セリグ・ブロデツキーによる『ニュートン伝』(1927年)p.100ではこの都市伝説を取り上げ、「彼は部屋に犬も猫も飼わなかった」と明確に否定しています。
したがって、「生涯で一度だけ笑った」といった眉唾物の逸話も併せて除去しました。--ネイ(会話) 2024年11月7日 (木) 04:20 (UTC)