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ノート:アタリショック

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ここ最近の「アタリショックなどなかった」という説は、私の知る限り、ある一人の人間が急に提唱しだしたものですが、私は、それこそ、その個人がただ目立ちたい根性と論客気取りをするために屁理屈で言い出した珍説ではないかと思う。言った本人も想像以上に広がり過ぎて困惑してるんじゃないかと思うぐらいの浸透っぷりだ。

>一方で、アタリショックの話の出所は常に任天堂もしくは、任天堂アメリカを情報源とし、他の情報源は噂の域を出ない。

 …とのことだけど、皆さんは「新・電子立国」での、”米ABCニュースのクリスマスに「ゲームが売れなくなった」と伝えるニュース映像”や、それを素直に肯定するアタリのダン・バン・エルダレン社長の発言(「誰もが思いましたね。ゲーム業界は死んだと。」)はどう捉えてるんでしょう? ダン・バン氏はアタリの創業時からの叩き上げであり,「アタリショック」が任天堂の恣意的なプロパガンダだとすれば、彼の口からそれを支援するような発言が出るはずがありません。  新しい説が出ると、それに乗っかって、古い説に対して「あれは違うんだよ。実はね…」としたり顔で言いたくなる心理は理解できますが、それだけでこの「アタリショックはなかった説」が広がりすぎてると思う。  このwikiの項目は、一人の人間が言い出した「アタリショックはなかった説」を支持しすぎている。せめて50:50の可能性を残すぐらいの書き方にしたほうがいいと思う。--以上の署名のないコメントは、118.1.107.83会話/Whois)さんが 2008年1月21日 (月) 04:54 (UTC) に投稿したものです。[返信]


http://www.yuko2ch.net/psp/index3.htm

上記のリンクの情報などを元に修正を加えましたが、偏りがあるなら、修正お願いします。--以上の署名のないコメントは、219.112.36.189会話/Whois)さんが 2005年2月18日 (金) 17:22 (UTC) に投稿したものです。[返信]


http://www.wdic.org/w/MOE/%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF

こちらの方の考察の方が、さらに現状のWikipediaより全体的に質の高いものになっていると思います。

・同時期に起きたコモドール社(C64)などを含めた、ホビーコンピュータゲーム市場の拡大

・この表現が、アタリ社とのロックアウトチップ裁判に端を発し、この際に任天堂側が行った主張に強い影響を受けたものであること

・それをまともに被った?『新・電子立国』の記載内容が与えた影響

特にこの辺の項目が、今のところ各個に修正されたような感じで流れが追いにくいので、 日本特有の事情として、どなたか追跡調査お願いできませんでしょうか。--以上の署名のないコメントは、219.171.32.44会話/Whois)さんが 2007年7月1日 (日) 04:47 (UTC) に投稿したものです。[返信]


アタリショックの記事なのに、アタリショックそのものの話は1/3ぐらいしかなく、残りはえんえんと日本の業界のこまごました話というのは、バランスを失しているように思います。独自の論考っぽい感じなのも気になります。 後半はもっとコンパクトにまとめたほうがよいと思います。--以上の署名のないコメントは、219.113.144.253会話/Whois)さんが 2005年12月31日 (土) 20:47 (UTC) に投稿したものです。[返信]

後半は明らかにアタリショックとは無関係ですね。分割した方がよいのでは。220.208.202.8 2006年5月11日 (木) 19:41 (UTC)[返信]

あの現象はかなり特異な現象だったために、アタリショックという表現をされてまでゲーム史に名を残したものです。それを現在起きている現象を類似させて話をするのは、やり過ぎではないかなと思います。--以上の署名のないコメントは、219.97.180.238会話/Whois)さんが 2006年6月3日 (土) 15:11 (UTC) に投稿したものです。[返信]

明らかにアタリショックと無関係な記述について

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明らかにアタリショックと無関係な記述を削除することを提案します。--経済準学士 2006年6月10日 (土) 11:16 (UTC)[返信]

  • (賛成)「“ニンテンドー”の隆盛」から「日本の家庭用ゲームの現状(日本版アタリショックの可能性の点)」の節は不要でしょう。--SINOBU 2006年6月10日 (土) 11:21 (UTC)[返信]

VCSの略語説明をどっかに入れないと。 --Ypacaraí 2006年6月22日 (木) 22:31 (UTC)[返信]


アメリカNYにあるSUNY MorrisvilleにてMacroeconomics 101という授業をとった者ですが、先生がこの話をしていました。そのときに「ATARI Shock」という用語を使っていました。それが上で議論されている不確かなソースから引用されたのかどうかはわかりません。 この先生です。 http://people.morrisville.edu/~levinsam/ --208.120.30.31 2008年6月14日 (土) 19:53 (UTC)[返信]

「アタリショック」と「アタリショック」に関する議論の分離について。

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私も、当記事に関しては、事象のみ記した上で議論は分割してしまう方が良いと考えます。

なぜならアタリショックの評価等に関する議論は、まだ噂レベルの域を出ていないと思うからです。

例えば、追加分析にてVCSからゲームウォッチなどのLSI携帯ゲーム機への市場移行説を、2006年は「第2のアタリショック」の年だったという記事を元に紹介されています。しかし、この記事には当時の米国市場のLSIゲーム機市場が本当にVCS市場に取って代わるほどのものだったかなど考慮する点が多々あります。

この記事については、当時、米国にそんな大規模なLSIゲーム機市場は存在しなかったという反論がブログ記事で出ていますが、こちらのほうがデヴィッド・シェフ著『ゲーム・オーバー』の具体的な考察を参考にするなど説得力があると思います。

記事)【珍説】 アタリVCSはゲーム&ウォッチに負けた?

http://loderun.blog.so-net.ne.jp/2007-04-27

  その他にも、アタリショックの再評価を巡る記述が当記事にもネット上にも氾濫していますがいずれも80年代という現代の事象の分析にも関わらず、具体的な数字に基づかない噂レベルの議論が多く、引用してもすぐに反証され荒れる可能性も大きいと思います。

アタリショックの評価に関する議論は、それ自体が、ゲーム業界はどうあるべきか、ゲームは自由に作らせるべきか統制すべきかという議論とも密接に絡んでいるためそれ自体、独立して記事にする価値があると思います。

  --YsXAT 2008年6月26日 (金) 19:07 (UTC)[返信]

携帯機でも、ゲームギアの後継機なしとか、ゲームボーイアドバンスの対抗機種不在の時期とか ありましたけど、ショックとか言うほどのものでもなかったと思うんですけど。--以上の署名のないコメントは、210.199.102.92会話/Whois)さんが 2009年6月10日 (水) 20:44 (UTC) に投稿したものです。[返信]

出典一覧

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アタリショックに関する記述が含まれる二次資料。

反論節の除去について

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反論節で明らかに独自研究らしき無出典の記述の多くは除去しましたが、残っている部分も販売台数の記述は概要の「1983年から1985年にかけての北米家庭用ゲーム市場の崩壊」に対する反論にはなっていないと思います。生産期間に関してはよく判りません。任天堂関連の但書は概要でも説明されています。また「誤った分析」は元の説の記事がリンク切れであり類似の言説も見当たらないため、態々反論する必要性は乏しいと思います。よってこの節全体を除去してもいいと思いますがいかがでしょうか。--防御極振り会話2021年2月23日 (火) 03:45 (UTC)[返信]

報告除去しました。--防御極振り会話2021年3月12日 (金) 05:12 (UTC)[返信]