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ノート:アフマド・キャスラヴィー

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翻訳元記事名

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翻訳元となっている英語版記事名は移動時に要約欄に書かれたen:Afmad kasraviではなくen:Ahmad Kasraviとなっています。--K-iczn会話2015年5月28日 (木) 10:06 (UTC)[返信]

プロジェクト記事

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本記事は、東大駒場で2015年夏学期第一タームに行われた英日翻訳ウィキペディアン養成セミナーのプロジェクトにより作られた記事です。さえぼー会話2015年5月28日 (木) 10:32 (UTC)[返信]

どう対応するべきかさえぼーさん他皆さんにお聞きしたいのでノートで書きました。--K-iczn会話2015年5月28日 (木) 10:34 (UTC)[返信]
K-icznさん、どうもありがとうございます。上のプロジェクト記事についての言及は見出しを変えて書くべきかと思いましたので、見出しを変更しました。記事履歴については私が補っておきました。今までこうした事例では、初版の履歴に誤字・脱字がある場合は後から履歴を補えばOKということだったかと思うのですが、そのような対応でよろしいのでしょうか?さえぼー会話2015年5月28日 (木) 10:38 (UTC)[返信]
こちらこそ指摘してすいません。とりあえずWikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入忘れ・誤記入というのがありました。--K-iczn会話2015年5月28日 (木) 10:55 (UTC)[返信]

ほぼ隠居状態ですがイラン周りの記事を編集しておりましたKotoitoと申します。

さえぼーさん、授業でのこのような取組に敬意を。さてこちらの記事ですが、私がいちおう専門としている時代と領域にかなりかぶってくる記事でして、非常にありがたく思います。そのうえでいくつか編集を加えたいと考えていますが、教育的配慮としてなにか意識すべきこと、あるいはタームが終わってからの編集のほうが望ましいなどありましたら、お知らせいただければと存じます。ペルシア語の音訳だけはたぶん英語的な話ではないので示してしまおうかと思っているのですが。

Y-knightさん、当記事の主題人物(イラン近代史では「アフマド・キャスラヴィー」という表記を用いるのが大勢かと思います)について、知識をお持ちでない場合は、イラン百科事典当該項目をご覧になるとWikipedia英語版より詳細かつ理解しやすい情報を得ることができますので、そのうえで英語版の翻訳に取り組まれるとよりやりやすいかもしれません。(さえぼーさん、授業の過程に対して蛇足情報でしたら申し訳ありません。)--Kotoito会話2015年5月28日 (木) 11:57 (UTC)[返信]

  • Kotoitoさん、どうもありがとうございます。授業は本日で終了し、この初版が提出物となっておりますので、これ以降は大きく修正をして頂いても全くかまいませんし、むしろ大変ありがたく思っております。本人物については執筆依頼が出ている表記のままで立項しましたが、私も学生もイランの言語文化については詳しくないこと、また英語の元記事の質が他の記事に比べてあまりよくなかったこともあり、かなり立項に苦労しました。おそらく間違いがあるのではないかと私も思っておりましたので、もしお気づきの点があればどんどん改善をお願い申し上げます。 さえぼー会話2015年5月28日 (木) 12:04 (UTC)[返信]
さえぼーさん、さっそくのお返事ありがとうございます。授業は終了したとのことで、お疲れ様でした。記事のほうはおいおい編集を加えていこうかと思います。英語もあまりできないので、もし後々ごらんになっておかしいところあったら、直して下さるとありがたいです。(とはいえ、これ、私にとって正直かなり読みにくい英語です)。--Kotoito会話2015年5月28日 (木) 12:26 (UTC)[返信]

英語版記事、著作権侵害のおそれ

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Kotoitoです。ペルシア語やイスラームにかかわる簡単な音訳を直そうと読み直してみたのですが、バーザルガーン、モタッハリー、タバータバーイー、サイーディー、シャリーアテ・サングラジーと列挙されるところで、タバータバーイーやサイーディーがファーストネームなしに出てくるのにあからさまな怪しさを感じて調べてみたところ、2010年01月23日 08:49:19(UTC)の編集が、Rahnema, Ali (2000) [1998]. An Islamic Utopian: A Political Biography of Ali Shariati. I. B. Tauris. ISBN 978-1860645525 , pp. 7-10(An Islamic Utopian, p. 7, - Google ブックス)の単なるコピペのように見受けられます。正直かなり遠ざかっていたので手続的なところを忘れてしまっています(あるいは古びてしまっています)が、英語版と日本語版で削除依頼をかけることになるのかなぁと思っています。ご助言いただける方いらっしゃったら、よろしくお願いいたします。--Kotoito会話2015年5月30日 (土) 08:03 (UTC)[返信]

  • ありがとうございます、これは問題ですね。とりあえず、日本語版の該当箇所を削除しておくことにいたします。英語版の削除手続きはどうすべきなのか、私もよくわかりませんが…さえぼー会話2015年5月30日 (土) 13:15 (UTC)[返信]

改名提案

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2015年5月28日の Kotoito さんの指摘通り、イラン近代史では「アフマド・キャスラヴィー」という表記を用いるのが大勢ですので、「アフマド・カスラヴィ」から「アフマド・キャスラヴィー」への改名を提案します。J-Stage を検索すると、たとえば、以下の文献1, 2, 3が「キャスラヴィー」表記です。なお、キャスラヴィーの蔵書を東洋文庫に招来した加賀谷先生は、文献4, 5 のように「カスラヴィー」表記も使っています。

  1. 「バスト考 イラン近代史における宗教的慣習の一考察」嶋本 隆光『オリエント』1985年28巻2号 pp35-49 https://doi.org/10.5356/jorient.28.2_35
  2. 「理想的人間像と動的イスラーム アリー・シャリーアティーの視点から」村山 木乃実『オリエント』2019年61巻2号 pp151-162 https://doi.org/10.5356/jorient.61.2_151
  3. 「パフラヴィー王政の「脆弱性」なるものの構造分析 : イラン革命の原因論に寄せて」吉村 慎太郎『日本中東学会年報』1987年2巻 pp342-362 https://doi.org/10.24498/ajames.2.0_342
  4. 「革命状況と説教者 -イラン立憲革命の場合-」加賀谷寛『オリエント』1990年33巻2号 p. 53-64 https://doi.org/10.5356/jorient.33.2_53
  5. 「後期イスラムの二重構造-正統的イスラムと後期スーフィズムの関係をめぐって-」加賀谷寛『オリエント』1966年9巻2-3号 p. 147-162,231 https://doi.org/10.5356/jorient.9.2-3_147

「カスラヴィ」表記が完全な誤りかと言うとそうでもないので、リダイレクトは残しましょう。--ねをなふみそね会話2022年6月28日 (火) 05:36 (UTC)[返信]

コメント 特に異論等が出ませんでしたので、改名しました。--ねをなふみそね会話2022年7月15日 (金) 07:34 (UTC)[返信]