ノート:アンネ・フランク
ここは記事「アンネ・フランク」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
この「アンネ・フランク」は、下記のような選考・審査を経て秀逸な記事に選出されています。もし改善が可能であれば、より素晴らしい記事にするために編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2011年9月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
2. | 2011年9月13日 | 秀逸な記事の選考 | 通過 |
アンネは何系ユダヤ人?
[編集]アンネの日記では作者のアンネ・フランクをポーランド系ユダヤ人としていますがこちらのページはアンネはドイツ系ユダヤ人となっています。どうでもいい問題かもしれませんが一応どちらかに統一した方がいいのではないでしょうか?--Parachutes 2007年11月26日 (月) 14:51 (UTC)
アンネ・フランクは、ドイツ系ユダヤ人ですので、「アンネの日記」を訂正しておきました。--Pekochan99 2008年1月23日 (水) 03:38 (UTC)
「~出身の人物」のカテゴリ
[編集]Category:アムステルダム出身の人物を貼ったら削除されたのでもう一度貼りました。理由として、「出身地=出生地」とは必ずしも限らないからです。出生地は生まれた場所で、曖昧さはありません。しかし「出身地」は人によって「出生地」だったり、「子供の時に長く住んだ場所」であったりします(Yahoo辞書、個人ブログ、教えてgoo、お悩み掲示板、知恵袋等も参照)。
アンネは1934年2月に4歳8ヶ月でアムステルダムに移住し、1944年8月8日までの10年以上アムステルダムで過ごしました。子供時代に一番長く住んだアムステルダムはアンネの出身地と呼べると思います。またアンネの英語版記事ではPeople from Amsterdamというカテゴリテンプレートが貼られています。上の個人ブログで国土交通省の出身地の定義は「15歳くらいまでで最も長く住んでいた場所」とされていますが、これは至極まともな定義だと思います。「出身地=出生地」とすると、「出生地と違う場所に住んで、そこで名を残した人達」と「彼らが生活・活躍した場所」の関係が薄れ、事実関係の誤認にもつながると思います。--Aratoda 2010年4月6日 (火) 12:46 (UTC)修正--Aratoda 2010年4月6日 (火) 14:15 (UTC)
なるほど。それで「アンネ・フランク」の項目に「アムステルダム出身の人物」を張られたのですね。ノートで合意を得ずに削除したのは早計でした。申し訳ありません。しかし国土交通省の調査の便宜上の定義だけではあやふやな気がします。とりあえず手持ちの辞書をあたってみました。広辞苑(第五版)の「出身」の項目には「生まれた土地、卒業した学校、属していた身分などが、そこであること。『長野県-』『-校』『技術畑-』」とあります。三省堂の新明解国語辞典(第三版)の「出身」の項目によると「その土地で生まれ(その学校を卒業し)たなどという経歴があること。『東大-、軍人-の大臣、-地は岩手』」とあります。したがってアンネが「アムステルダムにあるモンテッソーリスクールとユダヤ人学校の出身」であると日本語で表現することについては問題はないと思います。しかし「アムステルダム出身」とまで表現できるのかはやや疑問が残ります。Yahoo辞書が貼られていますが、これは「hometown」という英単語についての説明ではないでしょうか。私の手元にありますジーニアス英和辞典ではhometownは「故郷」と訳されており、「生まれた所とは限らず、子供時代を過ごしたところ、現在住んでいるところを指す。」とあります。日本語の「出身」と英語の「hometown」は完全に同義ではなく、英語の「hometown」の方がかなり広い意味ではないかと感じられます。「People from」のニュアンスは自分にはよく分かりません。すみません。いずれにしても広範の人物伝の項目に及ぶ可能性があるのでウィキプロジェクト人物伝のノートで合意を得た方がいい議論かもしれません。短い人生のほとんどをアムステルダムで過ごしているアンネ・フランクのように分かりやすい人物はまだしも、微妙な人物も結構いるでしょうし。--Omaemona1982 2010年4月7日 (水) 01:08 (UTC)
- >Yahoo辞書が貼られていますが、これは「hometown」という英単語についての説明ではないでしょうか。和英辞典の「出身」の英語訳でした。"People from"のニュアンスは面白いことに「出身」と同じです。国語辞典の「出身」の項目は「~など」となっており、曖昧ですね。出生地から学校、「技術畑」までを包括する「ゆるい」言葉の様ですが、辞書が挙げた例に則って「アムステルダムにあるモンテッソーリスクールとユダヤ人学校の出身~」なんて厳密に言うのはちょっと真に受けすぎかなと思います。
- 私が上に挙げたサイトからもわかるのは、「出身地は辞書には出生地とあるが、自分の感覚では幼少時代に長く時間を過ごし愛着のある土地である」という意見もけっこう見られるということです。私は生まれてから12年同じ所で暮らしましたのでそこを出身地と呼びますが、上の意見にもすんなり同意できます。
- 短い人生のほとんどをアムステルダムで過ごしているアンネ・フランクのように分かりやすい人物と仰られるのに、「アムステルダム出身」とまで表現できるのかはやや疑問が残りますか・・アンネに「あなたの出身地はどこ?」と聞いたら、私の勝手な想像ですが、「アムステルダム」と答えると思います。友達も学校も家族もみんなそこに居たんですから。他の人の項目は取りあえず今は置いといて、「アムステルダムがアンネの出身地と言えるか」について合意形成したいです。--Aratoda 2010年4月7日 (水) 07:41 (UTC)再追記--Aratoda 2010年4月7日 (水) 22:57 (UTC)
この議論に対する私の直感的な答えは「アンネをアムステルダム出身とするのには違和感がある」です。 やはり「ドイツ フランクフルト・アム・マイン出身」がしっくりきます。 正確な定義・用法は分かりかねますが、戦争中に満州で生まれてすぐ日本に引き揚げてきた人も「満州出身」となることが多いですよね。そんな感じです。 アンネは日記の中でオランダ市民になることを熱望していますが、フランク一家の交流関係や暮らしぶりを見てもオランダ市民に同化していたとは思えません。 アンネ自身はドイツ語・オランダ語の完璧なバイリンガルでしたが、アムステルダムではあくまでも「仮暮らしの外国人」だったという印象です。 仮の話はむなしいですけれど、アンネがオランダに生還していたとしても、辛い思い出があり、親戚もいないオランダにとどまっていたとは 思えません。ヨーロッパでホロコーストを生きのびたユダヤ人達の多くが結局アメリカやイスラエルに移住しましたよね。 お父さんもスイス、幼なじみのリースさん姉妹もイスラエルに移住しました。 アンネも第三国に出てそこで青春時代を送り、結婚したとして、そのとき「あなたの出身地は?」と聞かれたとしましょう。 やはり、「ドイツ。少女時代はオランダに住んでいたけれど。」と答える気がします。 これは、ホロコーストを経て世界中に散らばったユダヤ人全員に聞いてみたい、興味深い話題です。--以上の署名のないコメントは、Pekochan1999(会話・投稿記録)さんが 2011年7月13日 (水) 20:00 (UTC) に投稿したものです(Kitimi(会話)による付記)。