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ノート:イスラム教/過去ログ1

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キリスト教の新約聖書との関係が逆に記されていましたので訂正しました

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クルアーンの記事が新約聖書に影響を与えたかのように読める記述がありました。成立年代を考えれば明らかな誤りで逆であることは明らかです。新訳聖書27書は少なくとも1世紀末までにはすべて書かれており、正典として公式に成立したのは398年。クルアーンの成立は650年。このため、この一文を訂正いたしました。 Frederic2000 2012年3月23日 (金) 13:22 (UTC)

文書公正性

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この文書には諸問題の記述が多いすぎで、イスラーム反対面の立場から記述することと思われる。

ちなみに、同じ系統のキリスト教には現実問題内容が全く記載されていない --以上の署名のないコメントは、61.215.192.65会話/Whois)さんが 2011年8月9日 (火) 07:57 (UTC) に投稿したものです(Tugi会話)による付記)。

誤字・表現訂正等

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クルアーンに継ぐ指針 > クルアーンに次ぐ指針
Ypacaraí 2004年9月2日 (木) 09:27 (UTC)

>スンナ派(「ムハンマド以来の慣習(スンナ)に従う者」の意)
スンナとはムハンマドの言行、つまり言葉と行いに基づく規範なので、上記の説明は適当ではないとおもいます。
Ypacaraí 2004年9月4日 (土) 15:32 (UTC)

>アル=クルアーン >イスラム教の教典(聖典)としてすべてのムスリムが認め、従うのは、アラビア語で「朗唱されるもの」という意味をもつクルアーン(コーラン)唯ひとつである。 クルアーン(コーラン)はムハンマドが最後の予言者として語った内容が、ムハンマドおよび後継者の代によって編集され、書物となったものである。

この行のみ、誤字が確認されます。 <誤>予言者 → <正>預言者 --1430MKANAI会話2012年5月18日 (金) 15:37 (UTC)

記事内で同じ人々のことをあるところでは「アラビア人」別のところでは「アラブ人」と呼んでいます。後者はここ数十年間、たしか石油ショックの頃からジャーナリストが「アラビアの人」「アラビアの馬」を指す英語の"arab"に「人」をくっつけて作った滑稽な誤用なので、本項のみならず本事典では「アラビア人」で統一するのが適当と思います。
ちなみに「ハーレム」も'70年頃までは「ハレム」と表記するのが普通でした。どこかの誰かが元々オランダ語の地名であるニューヨーク郊外の「ハーレム」と混同して使い出したのが走りだと思います。

あと小村不二男さんは、私の知っている人なら新疆あたりにイスラム系独立国を建てるべく日本軍の協力のもとで男女住民の訓練に携わっていて晩年は再建前の東京モスクかトルコ学校に住み、本を書いていたと聞いていますが、決して有名な人ではないと思います。本が出たとも聞いていません。-- Ypacaraí会話2014年9月13日 (土) 16:19 (UTC)

統計

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「信者が多い」とありますが、総数および主な派の信者人口のデータのようなものがあるとよいのではないかと思いました。--Aphaia 2005年8月8日 (月) 21:42 (UTC)

見出し語について

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異論がなければ、本項の記述の大部分を「イスラーム」の方に移した上で、この項目は「イスラームの日本でのこれまでの伝統的な呼び名」について解説する場にしたいのですがいかがでしょう。その場合、イスラームの項目では「宗教としてのイスラーム」についての解説にとどまるだけでなく、「宗教としてのイスラーム」に立脚した文明・文化・制度全体というか、そういったものにまで発展していけるような記事を作りたいと思っています。

うーん。ご趣旨には同意しますが、今のところ積極的に賛成はできません。イスラム教という語は日本でまだまだ定着しているし、学術的にも完全にイスラームに切り替わるには至っていないように思います。人名を除いては、メジャーすぎる用語について、マスコミで使われない言葉を項目名(見出し語)にするのには抵抗感を持たれる方も多いようですし。他の方の意見も伺いたいです。Safkan 2006年9月17日 (日) 07:50 (UTC)
私も注目すべきご提案と思い、少々考えてお返事が遅くなりました。で、結論としては現状のまま記事を充実させていくのが当面はよろしいのではないかと。六信五行、あるいはイスラーム法学関連の記事もまだ充実しておりませんが、そのような状況で現在のイスラームイスラム教の切り分けは一応両記事が別に存在することで、その概念の違い、あるいは文明としてのイスラームと宗教としてのイスラームの違いが短いながらWikipedia-JAとしてうまく表現できているのではないかと思うのです。将来的に関連諸項目が充実したときにイスラームをrootとして、イスラームの教義宗教としてのイスラームなどが派生できるとよいように思います。全体としてご提案の趣旨というか、その背景となる概念的把握は私も賛同する者ですので、それをいかに事典・記事の成長にあわせて整理してゆくか、そのあたりが戦略となるでしょう。現状の短い状態ですと、たしかに微妙な加筆が立て続けに行われやすい、という問題点もありますので、徐々に発展させてゆきたいと思います。--Kotoito 2006年9月17日 (日) 16:10 (UTC)
お二方のご意見、ありがとうございます。えーと、当面は現状維持という方針には大いに賛同します。たしかに、現在の記事には発展の余地が多分にあると思いますし、日本では「イスラム教」が圧倒的優位を占めていますね…。関連項目の拡充が先かもしれません。
ただ、イスラームについての理解はほとんどなされなにもかかわらず”イスラム教”全盛の日本においてこそ、その根本的な概念というものをこの場で紹介していくことが重要なのではないか、と思うわけです。今日、イスラーム世界は世界の中で急速にその比重を大きくしていて、日本人もこれまでのように無関心ではいられなくなるでしょう。そして、現代日本でイスラーム、乃至はイスラム教に興味を持った若者はまず最初に、書店で解説書を手に取るのではなく、Wikipediaを見ることでしょう。(「でしょう」てか、そうなんです。うん。)そういったときに、本項は”百科辞典内の一記事”をはるかに超える重要性を持つのだと思います。そういう意味では、本項の現状に軽い不満を持つものです。
なんか、本題から逸れてわかりきったことをだらだら書いてしまった気もしますが…。163.139.80.192 2006年9月18日 (月) 15:03 (UTC)

「イスラム教」か「イスラーム教」か(第三の選択肢も…)

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見出し語は「イスラム教」となっていますが、記事中では「イスラーム教」という表記もかなり目立ちますね。
特に冒頭など、見出し語が「イスラム教」であるにもかかわらず定義部分は「イスラーム教は…」となっているので、何がなんだか、という感じです。
混乱を避けるためにも表記をどちらかに統一する必要があると思います。
私個人としては、コンセンサスがとれていない日本国内の現状を如実に表しているようで、現状の記事も好きですが。
で、合意が得られないようでしたら、いっそのこと「イスラーム」にしちゃいましょうよ(笑) 。Floreal 2006年11月4日 (土) 11:58 (UTC)

Wikipedia内で全文検索を試みたところ、
イスラム教 189件 
イスラーム  89件
イスラーム教  7件
という結果でした。
Wikipedia内部においては、「イスラム教」が圧倒的優位を占めているとはいえないものの、やはり「イスラム教」が優位な状況にあるようです。どちらかに統一するとしたら、「イスラム教」か「イスラーム」でしょうが、現状を考えて「イスラム教」にすることを提案します。Floreal 2006年11月5日 (日) 10:50 (UTC)
「イスラーム」という言葉自体に「教(-ism)」の意味が含まれているとされているところであり、個人的に「イスラーム教」はいさぎ悪いと思います。そういった意味でも、日本の日常語として定着した感のある「イスラム教」か、研究者が好んで使う「イスラーム」、このいずれかに絞るべきでしょう。で、とりあえずやっぱり当面は「イスラム教」でいいかな、と思うんですけど、どうでしょ。Safkan 2006年11月7日 (火) 10:50 (UTC)
イスラームかイスラム教かという議論に関しては、現地の発音に基づくのであれば、イスラームが正しいかと思います。「イスラーム世界の人たちのところに行くと、「イスラーム」と言わないと、例えば「ブッキョウ(仏教)」を「ブキョウ」といわれると分かりにくさがあるように、「イスラム」ではけげんな顔をされる[1]」そうです。したがって、本当は、"イスラーム"にいずれ一本化していかなければいけないかと思います。
ただ、イタリア語(例:ヴェネツィア)もそうですが、アラビア語ペルシャ語を忠実に日本語の発音表記をしようとすると困難が生じるのも事実です。なお、このことは、Wikipedia:ウィキプロジェクト イスラーム(準備中)のノートにも、問題視している部分でもあります。(私も、イスラームへの統一を望んでいるのですが、現実、私も新規記事を書くときは、学術的に正しい発音であるイスラームに一本化している方針を持っています)--Tantal 2006年11月8日 (水) 12:32 (UTC)(Pjイスラーム発起人)

「イスラム教」に統一しました。もれていたものがありましたら修正よろしくお願いします。あと、リンクとかも乱してしまったかもしれません。見かけたら直していただけるとありがたいです。
本来「イスラーム」の方が妥当な表記だということは異論の無いところだと思うので、「イスラーム」に切り替えるのは単なるタイミングの問題ですよね。かなり難しい“タイミング”だと思いますが。
そこで私案なんですが、イスラームへの一本化の前段階として、「イスラム教」という単語は残し、その他のイスラム/イスラームが使われる単語(イスラーム法・イスラーム共同体など)のついては「イスラーム」を採用する、という手法が取れるかもしれません。一見ごちゃごちゃで、私が上の方で言ってることと矛盾してるかもしれませんが、けっこう有効だと思うんですよね(あくまでイスラームまでのつなぎですが)。今回はそのような方針で編集してみました。ベストな手法だと思っているわけでもありませんので、いろいろご教授ください。Floreal 2006年11月8日 (水) 14:22 (UTC)
でもやっぱり、「イスラム教」ってなんか落ち着きませんね(笑)。Floreal 2006年11月8日 (水) 14:31 (UTC)

Tantalさんがご指摘のとおり、外来語の表記は大変難しい問題です。アル=イスラームという表記が原音通りで絶対的に正しいというような議論にまで踏み込んでしまいますと、アラビア語以外の言語を考慮していない(エスラーム、とか)点、そもそも日本語ではLは正しく発音できない点から言って、まったくナンセンスと僕は考えております。
はっきり言って、学術的に「イスラーム」が正しいというのはまだまだ言い過ぎではないでしょうか。アラビア語から研究に入った人はともかく、それ以外ではイスラーム関係の研究者でも「イスラム」と書く人だって少なからずいるように感じます。あくまで、「より原音に忠実に表記している点で、より好ましいと考えられる」だけではないでしょうか。
さりながら、やはり「イスラーム」表記への移行が趨勢であることは疑いなく、Frorealさんのご提案の方向性がさしあたりよいと思いました。あとで一斉に修正するより、徐々に修正していったほうがよいとも思います(ちなみに僕は「イスラム教」でも別に落ち着くんですよね…上述の考え方を持っていることもあるでしょうが、やはりアラビア語プロパーではないからでしょうか…。)Safkan 2006年11月10日 (金) 14:34 (UTC)

essentialist as hell

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I just used Google translate to translate segments of this article to get a perspective on what Japanese people think about Islam, because I read an article that claimed that Japanese people have very negative feelings about Islam, and now I know why. the article seems to suggest that we should reduce our understanding to Muslim societies by only resorting to religious text and religious knowledge, , so all social ills and problems in countries with majority of Muslims should be understood with reference to "Islam" ignoring by this the influence of the wide range of cultures, histories and political systems and history that emerged within the context of the “Muslim world “ If this article is a reflection to the approach followed in Japan to deal with news coming from the “Muslim world” then it is not really that surprising that Japanese people would develop very negative feelings about Muslims and Islam.

For example , honour killings are to a certain extent presented as a “Muslim” issue in this article yet , honour killings are absent among Chinese/Malaysian / Indonesian /central Asian and Balkan Muslims that’s hundreds of millions of Muslims who do not even know what an honour crime is . Not to mention that members of different religions in regions like the middle east and India (such as sheikhs and Christians) also have honour crimes within their communities.The fact that these crimes are almost non-heard of within many regions in the Islamic world coupled with the fact that they appear to be committed by non-Muslims in places were these type of crimes exist (such as the middle east) , indicates that the problem is beyond the “religious “ and is caused by a combination of “regional” social ,cultural and political factors.

My objection here is, do we use this sort of thinking when dealing with societies with a majority of Christians, or Buddhist, or even atheists?

For example, south Africa has one of the highest rate of incidents of rape in the world? since south Africa is a nation with a majority of Christians , should we understand this fact by resorting to religious knowledge/text and say “oh this is probably the case because their priests said this , or because the bible says this and that “ chances are you wouldn’t , you would probably list a billion social/political/economic / reasons for way rape is rampant in south Africa before you go on and talk about the role of Christianity in producing this social ill.

But if south Africa was a nation with a majority of Muslims, then chances are you would automatically explain why rape is widespread there by resorting to religious texts and the role of Islam. --以上の署名のないコメントは、70.30.54.121会話/Whois)さんが 2011年12月22日 (木) 14:08 (UTC) に投稿したものです(Tugi会話)による付記)。

women’s dress

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From what I understood from Google translator , there is whole section about “how women dress” in Islam and there is a sort of mix between the way Muslim women are ought to dress in Islam , and how they really dress in the Muslim world ? The assumption is that most women “cover up” and recently they have started to take off their scarves , while in reality it is the complete opposite (at least in many places in the muslim world). Here is a documentary that would shed light on the transition from women not wearing the scarf “covering their hair “ to the wearing of scarf by women in Egypt http://www.youtube.com/watch?v=IlkaX4csHyM --以上の署名のないコメントは、70.30.54.121会話/Whois)さんが 2011年12月22日 (木) 14:08 (UTC) に投稿したものです(Tugi会話)による付記)。

掲載すべきは専門的学術情報です

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クルアーンや教義などの一次資料および宗教団体のウェブサイトや出版物が出典として使用されていますが、ウィキペディアの出典は学術的な二次資料、三次資料が前提です。

掲載すべきは専門家たちの共通見解です

参考:「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか

ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性 (Verifiability) と呼んでいます。
出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
一般的に良い情報源とされるのは、事実・法的解釈・証拠・主張などの点が専門家によって検証・分析されているものです。

参考:「Wikipedia:検証可能性

情報源
一次資料
ある事柄の状態について直接の証拠となる記録物です。言いかえれば、書こうとしている対象の状況に非常に近い情報源です。この語は多くの場合、出来事の参加者やその出来事の目撃者によって作られたドキュメントを指します。公式な報告書、手紙の原本、実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事、あるいは自伝などになるでしょう。権威ある機関によってまとめられた統計も一次資料と考えられます。一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。

二次資料
ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。

三次資料
通常は二次資料を要約したものです。例えば、百科事典は三次資料です。
ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされます。
ウィキペディア自身の記事を出典として引用することは、自己参照となるため、できません。

信頼性の評価
政府の公表物は信頼できることも多くあります。しかし、政府の信頼性のレベルには大きな幅があり、しばしば、あからさまに情報の隠蔽を許容したり、全くのごまかしを発表したりする様な事を行って、自らの権益を保持することがあります。

反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイト
政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります。
とりわけ、よく知られた過激派さらにはテロリスト集団などは、それらが政治的、宗教的、人種的あるいはほかの特徴を持つもののどれであっても、けっしてウィキペディアの情報源として使われてはなりません。
一次資料、つまりそうした組織の意見を論ずる記事に含まれるというのは例外です。ただしそのような場合でも、非常に注意して使うべきであり、他の情報源で裏付けすべきです。

参考:「Wikipedia:信頼できる情報源

--223.134.76.251 2017年8月23日 (水) 13:04 (UTC)

実質的に「イスラーム」記事は「イスラム教」の日本語での表記をどうするかという部分、と、その用語(語源)に関する井筒説が書かれているだけのように見えます。であれば、イスラム教記事の1ないしは2セクションとして統合すべきではないでしょうか。言語間リンクもなく付けるべき先も見当たらず、異様な状態だと思います。「イスラム教」記事を「イスラーム」に改名するという考え方は検討に値するかもしれませんが、それは(後日)WIkipedia:改名提案で論じられるべきであり、二つの記事を並立させる意味はないでしょう。 --163.49.211.246 2018年2月20日 (火) 08:38 (UTC)

賛成 改名も賛成。--ねをなふみそね会話2018年3月10日 (土) 01:06 (UTC)
改名については 保留だが、統合自体には 賛成 。--Missing340会話2018年3月18日 (日) 22:11 (UTC)
コメント では意見が出た3名の全員一致の見解で統合という結論にします。提案者さんはいなくなったようなので私がやっておきます。改名についてはまた別途ご相談ということで。--ねをなふみそね会話2018年3月21日 (水) 10:49 (UTC)
  1. ^ 片倉もとこ「日本社会とイスラームをめぐって」(片倉・梅村・清水編『イスラーム世界』(岩波書店、2004)