ノート:エル・グレコ
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受胎告知の箇所
[編集]受胎告知に関する部分の出典は大原美術館公式サイト「OHARA MUSEUM of ART」での紹介文からと思われます。[1]
- タイトルを付記しました。--遡雨祈胡(会話) 2016年10月15日 (土) 09:05 (UTC)
グレコはスペイン宮廷画家だったか
[編集]36歳でスペインのトレドに渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍した。 というところですが、エル・グレコが当時の国王フェリペ2世のために描いた絵は"Martirio de san Mauricio"と"Alegoría de la Liga Santa"だけで、それがフェリペ2世の期待にそわなかったため以後一切宮廷からの仕事は来なかったようです。なので宮廷画家として働いていないと思うのですが・・・。harumi
- 可読性のため、節分けさせていただきました。Harumi mori さんの書かれているとおりですね。グレコは宮廷画家だったことはなかったはずです。出典付きの英語版や、サルヴァスタイル美術館[2]にもはっきりと書かれています。当該箇所の加筆はこの版によるものですが、執筆された方が半年以上活動されていないので問い合わせても返事をいただけるかどうか。記事本文に質問のテンプレートを添付しておきます。とりあえず数週間待ってみて、異論がなければ当該記述は除去しても問題ないでしょう。--光舟 2009年6月8日 (月) 12:39 (UTC)
- 「宮廷画家」の記述を削除しました。--光舟 2009年11月7日 (土) 04:40 (UTC)
エル・グレコ作の『受胎告知』は同名の作品が何作かあり、実際日本で、外国の「...美術館」展(どこの国の美術館であったか、忘れてしまったが)という企画展で『受胎告知』を見た記憶がある。ここに挙げられているものは大原美術館所蔵のものではないようなので、削除したほうがいいと思う。 また、以前大原美術館のものはエル・グレコの筆によるものではない?(弟子のもの?)というのを、何かで読んだ記憶がある、このことについて詳しい方に教えていただきたい。--Xapones 2010年7月21日 (水) 15:23 (UTC)
- 図録『エル・グレコ展』(1986-87年)によると、大原のものと誓い作品が、ブダペスト西洋美術館とオハイオ州のトリード美術館にあるそうです。図録には3点を並べて掲載しており、見比べるとこの『受胎告知は』ブダペストのものなので、修正しておきます。また、弟子作ではないという話ですが、同図録の解説によると、1962年に出版されたグレコの総カタログやブダペスト美術館の研究員?の方は、大原のものを弟子やグレコの息子の作に帰しています。ただ、総カタログの作者は、後にこの見解を撤回している(ただし大原のものを実見していない)そうです。ただ、自分も最近の研究状況は知らないので、どなたか補足してくださると助かります。--Foldingfan 2010年7月21日 (水) 15:56 (UTC)
cleanupタグについて
[編集]すみません、ヴェネツィア派との交流の項目でプラド美術館鑑賞案内とNHKスペシャルの内容がかみ合っていなくてちょっと内容が怪しいので詳しく調べなおしておきます。--遡雨祈胡 2011年2月18日 (金) 02:57 (UTC)
- 前述の内容ですが、それぞれ「1567年かそれ以前」と「1567年頃」とあったが書籍のタイプと著者の関係で前者を選択しました。遅くなりました。--遡雨祈胡 2011年3月21日 (月) 10:11 (UTC)
「ギリシア正教会からキリスト教に改宗」?
[編集]一体どんな出典に拠られたのか分かりませんが…。
- グレコは若いころギリシア正教会に所属しており、後にキリスト教に改宗したと考えられている
- グレコはギリシア人であるがキリスト教への信心がある[37]と考えられ
以上二点の誤りについて。
- 正教会の別名としてのギリシャ正教を意味しているのでしたら、正教会もキリスト教です(「ギリシア正教会」に内部リンクを張っているのに、執筆者はチェックしなかったのでしょうか?)。
- というか新約聖書はギリシア語で書かれ、パウロ書簡の多くはギリシアの諸都市に宛てられ…なのになんで「ギリシア人であるがキリスト教への信心があると考えられた」ってもうどこからどう突っ込めば良いのか
- 正教に無知な欧米人(いるんです)が「ギリシア人は古代神話を信じているのだろう」と考え、ヘンな文章を書いた出典があるのかもしれませんが、日本人がそんな無知+西欧中心主義に乗る事は無いでしょう。
- そもそも論として、本記事の前半の方で、エル・グレコが若年期から(キリスト教の)宗教画を描き、生涯の作品の85%が宗教画である、と明記されています。後半と前半が(書いた人は別々なのかもしれませんが)完全に矛盾しています。
- 最後に細かい話ですが、独立正教会たる組織として狭義の「ギリシャ正教会」が成立したのは19世紀です。事典としてはあまり良い水準の語彙使用とは思えません。
出来ればこの前後は全て削除を志向しています。あまりに酷過ぎる初歩的な誤りを基に作られた妙な文章なので。--Kinno Angel(会話) 2015年2月22日 (日) 13:18 (UTC)
この時の編集によるものですね。--Kinno Angel(会話) 2015年2月22日 (日) 13:23 (UTC)
すみません、返答がだいぶ遅くなってました。まず、当方ギリシア正教会とギリシア正教の違いを認識しておりませんでした。申し訳ございません。一方で、ギリシア正教に関する信仰はあった、と考えられているのはニコス・ハジニコラウによる論文「クレタからイタリア、スペインへ―ある異邦人画家の軌跡」に記載されております。この論文に関しましては2012年に開催されたグレコ展の画集に記載されておりますので、ご興味があればご覧いただければ幸いです。それから、キリスト教に関しても、「カトリック」と混在して記載しておりました。今後もこのようなミスがございましたら、ご指摘いただけると幸いです。以上、よろしくお願い致します。--遡雨祈胡(会話) 2016年5月9日 (月) 11:35 (UTC)
- 御調査と加筆修正、ならびに御返信を頂きありがとうございます。記事の加筆修正を拝読しました。大変すっきりしました。深く感謝申し上げます。--Kinno Angel(会話) 2016年5月10日 (火) 03:28 (UTC)
- すみません、論文の著者がマリーアスでした。また、その旨の出典を記載させて頂きましたことを報告致します。--遡雨祈胡(会話) 2016年5月26日 (木) 06:26 (UTC)
「出生前のクレタ島の状況」節について
[編集]大変文章が読み難いものとなっています。何かの翻訳でしょうか?--Kinno Angel(会話) 2015年2月22日 (日) 13:32 (UTC)
- 返答が遅くなり申し訳ございません。Panagiotakes, Nikolaos M. El Greco – The Cretan Years, London: The Center for Hellenic Studies, Kings College London, Publication 13, 2009 の訳となっております。--遡雨祈胡(会話) 2015年10月19日 (月) 14:32 (UTC)
技法の著述について
[編集]このページではグレコの作風、表現技法、色彩感覚、構図などについての著述がほとんど見られないのですが、これでは総括的な作品の理解に繋がりません。画家の人物に関する項目だからこそ、それぞれの図示とともに、一括した基本的な説明を加えていただきたいのです。--光岡魁一郎(会話) 2021年2月28日 (日) 11:30 (UTC)