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ノート:オイ車

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記事名について

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記事名の出典はどこでしょうか? 自分の手持ちの書籍には「オイ」あるいは「オイ車」しかなく、「試製120t超重戦車」と記述しているのは見たことがないのですが。--蒲生直義 2010年2月15日 (月) 11:09 (UTC)[返信]

一ヶ月以上出典がでないので、改名提案を出させていただきます。--蒲生直義 2010年3月22日 (月) 12:06 (UTC)[返信]

改名提案

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記事名を現在の「試製120t超重戦車」から「オイ車」に改名したいと思います。理由は現在の名称の出典が不明なこと、および別途正式名があるからです。

自分の手元にある書籍では、この戦車の名称はこう記されてます。

  • オイ車(大きいイ号車)ミト車(帝国陸軍陸戦兵器ガイド、新紀元社、1997年)
  • 大イ(オイ)車ミト車(太平洋戦争秘録 日本・秘密兵器大全、宝島社、2008年)

これらの出典によれば「オイ車」あるいは「大イ車」のどちらかが正式名です。そしてこの戦車のキャタピラが現存する若獅子神社公式ホームページでは、試製超重戦車(オイ車)と記されているので[1]、「オイ車」への改名がいいと考えました。--蒲生直義 2010年3月22日 (月) 12:26 (UTC)[返信]

異論が出ませんでしたので、改名を実施しました。--蒲生直義 2010年3月29日 (月) 15:34 (UTC)[返信]

あどもー

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当時オイ車をこさえていた三菱側の新資料などにより、今まで判明しなかった事実などがいろいろ明確になりました。ですので旧来の判然としなかった点の多い資料による記事を更新したいと思いますがどうでしょうか。代替記事は私の下書き[2]の所に置いてあります。1週間ぐらいして異論が出ないようならば差し替えたいと思いますーハイ。ではー--林さん会話2016年4月21日 (木) 02:06 (UTC)[返信]

拝見いたしましたが、一両しか試作されなかった車両のわりに量が多く、過度に詳細に記述されている部分があるように感じました。参考文献がほぼ一冊のみの状態では、詳細すぎる記述は著作権上の問題を指摘される可能性もあります。もう少し要点のみに絞って、簡潔な記述としたほうが良いのではないでしょうか。また、在来説や、登場作品に関する記述もある程度は残したほうが良いと思います。--Ootsuka02会話2016年4月23日 (土) 05:01 (UTC)[返信]

あどもー林です。1週間ほど経ちましたがまあ反対の意見のみということで記事の更新はナシとしたいと思います。はい。ではー--林さん会話2016年4月28日 (木) 01:11 (UTC)[返信]

はいどうも林です。一年以上様子を見ていましたが記事に根本的な改善がみられませんので改稿しようと思います。Ootsuka02氏の意見には以下回答します。まず第一に1車輌の割りに量が多いというのは、この記事の性質がせんしゃというより軍艦の個艦記事、信濃とかそういうものに近いと思っていただければと思いますね。日本軍にしては物凄く特異な車輌ですから分量も詳細になります。第二に情報源ですが結局この車輌の情報の原典というものは、当時の三菱重工で書かれた製造経緯記録『ミト車日誌』ぐらいしか残っていないわけですね。なのでそれに依存せざるを得ません。オイ車は極秘開発されたため、日本戦車の父と呼ばれる原少将も直接設計にタッチすることはできませんでした。あとは設計者の体験記や、工員の目撃録など、わずかな情報が伝わったに留まります。だからこそ間違った伝説がずっと残ったわけです。(今に残る旧軍戦車に関する情報は、原元少将が個人的に残した資料に多くを負っていますので。)第三にウィキペディアは事典ですので在来説などの間違った伝説に基づく内容を残しておくことに価値はありません。改稿を望む最大の理由です。--林さん会話2017年8月17日 (木) 07:26 (UTC)[返信]