ノート:キミ子方式
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指摘された部分について
[編集]- 勝手ながら、セクション名を付けさせていただきました。--Assemblykinematics(会話) 2020年5月5日 (火) 06:52 (UTC)
- 指摘された部分については、対処しました。山本海行(会話) 2020年4月27日 (月) 23:01 (UTC)
- 一次資料の指摘ですが、この記事はキミ子氏の追試者による第三者の論文を出典とするように収集しました。実験科学において追試の結果を用いて理論の結果を解説するのは普通の事です。この記事では複数の追試結果に基づいて記述しており、客観性に問題は無いと考えています。追試者はキミ子氏の関係者ではなく、教育研究者として追試したものであることも信頼性を十分担保していると考えます。キミ子方式は提唱以来50年近い検証に耐えてきたという証拠です。山本海行(会話) 2020年4月27日 (月) 23:01 (UTC)
- 人物紹介については存命中であることも配慮し独立記事にはしませんでした。どんな理論でも、その提唱者、発展させた者を簡単に紹介するのは当然と考えるので、いきなりまるごと削除した行為には賛同しません。山本海行(会話) 2020年4月27日 (月) 23:01 (UTC)
- 「人物」の削除理由を明らかにされなかったので、元に戻しました。2020年4月28日 (火) 10:14 (UTC)
- なお,誤解のないように申し上げておけば、キミ子方式誕生時は私は高校生~大学であり,まったく関与しておらず、現在に至るまでキミ子方式の実践者でもありません。私の興味から調査した結果を公開された文献を元に解説しただけだけです。山本海行(会話) 2020年4月28日 (火) 10:21 (UTC)
- 指摘された部分の対処は終わりましたので、まだ修正すべき点や,反論等があればよろしくお願いします。1週間程度経過しても特にこの記事に新たな異論がなければ,問題なしと判断してラベルは剥がしたいと思います。ぜひご意見をお願いしたいと思います。山本海行(会話) 2020年4月28日 (火) 20:07 (UTC)
- 条件付き賛成 最低限、以下の文献をもとに加筆して下さるのであれば、ラベル(Template:一次資料)を撤去してもよいと考えます。
- 上中良子「美術教育における必要な指導課題についての考察 ― 美術における「学力」の内実の検討を通して ―」『美術教育』第289号、2006年、128-129頁。
- 確かに松本キミ子先生やキミ子方式の実践者の方が書いた論文であっても、必ずしも一次資料とは限らず、他の人の実践事例に対する言及であれば二次資料になりますが、キミ子方式の実践者(信奉者)の方も「記事主題に関係の深い人物」という解釈ができてしまいます。
- また、現時点の記述には偏りがあるように思います。手法として優れているのは分かるのですが、教育理論ではなく実践する際の現実的な問題・制約はなかったのか、キミ子方式を取り入れない人はどういった事情があって取り入れないのか、上に挙げた2006年の文献には「かつて一斉を風靡し、今も実践現場に少なからぬ影響を与えている」と書かれてますが、どのように衰退してしまったのか、といった観点についても言及が欲しいところです。--Assemblykinematics(会話) 2020年5月5日 (火) 06:52 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。初期の記事を立ち上げる役目は果たしましたので、あとはこの記事を育てて頂ければと思います。教育学の記事の充実にこれからも努力して参ります。山本海行(会話) 2020年5月5日 (火) 07:23 (UTC)
- 授業の法則性を実証するのは「その通りに授業すること」です。ニュートン力学をテストしたからといって「ニュートンの信奉者」等という色眼鏡で見られることはないですよね。教育の実験科学でなぜそういう色眼鏡的な論がすぐ出てくるのかは理解できません。キミ子方式を最初にテストした人たちは「本当に私でも出来るのか」と懐疑的でした。そして実験結果に納得したのです。ふつうに科学的に実証されていく過程と何ら違いは無いです。ラベルを再度貼った方も、こちらは充分待ったのですから、貼る前に意見を書いてもらいたかったですね。山本海行(会話) 2020年5月6日 (水) 00:24 (UTC)
- 色眼鏡論とかそういう話ではなく、美術ではぐくむべき教育的観点や教育効果、デメリットに対する批判があり、それらが客観的な二次資料を出典として書き込まれていないというだけです。授業科学という視点だけではなく、教育現場で用いられている手法という観点も忘れないでいただきたい次第です……。
- また、特に関連人物の節については、関係者の自著や自サイトが出典になっており、査読を経ていたり機関の公式サイトということで信頼性は担保されているとは思いますが、一次資料や関係者による出典に頼り過ぎであることは否定できない状況です。
- なお、昨日の意見は、山本先生がテンプレート(ラベル)をはがす前に書き込み始めた文章です。文章執筆途中に何度か記事やノートの履歴を確認しましたが、その時点ではテンプレートは剥がされていませんでした。本記事やノートの履歴をご覧いただけると分かると思いますが、わずか5分程のタイムラグです。こちらで報告しなかったのはお詫びいたしますが、充分待ったというには13時間ほど早かったと思います。
- なお、提案から一週間の期限に間に合うように、貴重な時間を割いて調査をし、文章も推敲して書き込ませていただきました。時節柄、オンラインでの課題添削指導や授業準備に追われており、記事の流れに配慮して本記事の文章を書き直すだけの余裕もありません(他の記事の年度更新も滞っている状況です)。
- 恐れ入りますが、山本先生には記事「仮説実験授業研究会」の評価の節も思い出していただきつつ、本記事の改善にご協力いただきたい次第です……。--Assemblykinematics(会話) 2020年5月6日 (水) 04:43 (UTC)
- Assemblykinematicsさま、出典検索をつけていただきありがとうございました。おかげさまでいろいろな論文にふれることができました(私は『絵のかけない子は私の教師』『教室のさびしい貴族たち』『絵をかくっていうことは』しか持ってなかったので)。
- さて、ご質問のうち<教育理論ではなく実践する際の現実的な問題・制約はなかったのか、キミ子方式を取り入れない人はどういった事情があって取り入れないのか、上に挙げた2006年の文献には「かつて一斉を風靡し、今も実践現場に少なからぬ影響を与えている」と書かれてますが、どのように衰退してしまったのか、といった観点についても言及が欲しいところです>について、「取り入れなかった人」の一人である私なりの考え(ですので表には書けません)を書いてみます。
- ①モデルを準備することの大変さ キミ子方式では「植物・動物・人工物」のローテーションが大事ですが、「動物」は大変です。かつてはどこの学校でも飼っていたウサギやニワトリも、諸事情で飼えなくなっています。どこかで読みましたがローテーションを守らずに植物ばかり描かせて失敗した方もいるそうです。
- ②「投げ込み(=教科書にない)教材」のとりくみにくさ 図工の年間授業時数減に加え、教委・管理職からの締め付けもだんだん厳しくなっています(これは仮説実験授業も同じです)。キミ子先生自身も(臨時教員ゆえなおさら)同僚にすら受け入れてもらえなかったと述べています。
- ③「酒井式」批判の巻き添え 「酒井式絵画指導法」はキミ子方式と同時期に発表されたTOSS流の指導法で、絵のテーマ・描く手順(ここまでならキミ子方式と同じですが)に加え、構図まで厳重に束縛して「お手本と同じ絵」を描かせるものです。どっちかというと「一世を風靡した」のは酒井式の方で、コンクールで「同じ構図の絵」が大量に出品され、「自由画」の流れを引く人々から大批判を浴びました。ちなみに「キミ子方式 批判」で検索すると出て来るのは、たいてい酒井式批判のサイトです。
- なお、Assemblykinematicsさんが挙げられた論文に出て来る『教室のさびしい貴族たち』は、キミ子先生が赴任先で出会ったいわゆる「問題児」(文中の表現から発達障害と思われる、教師にも同級生たちにも疎外されてきた子ども)たちがキミ子方式で絵を描くことによって自己を解放したり周囲に認められたりしていき、キミ子先生自身もキミ子方式の有用性を確かめていく過程を描いた本です。機会があったらご一読ください。--Yama-no-junin(会話) 2020年5月7日 (木) 10:07 (UTC)
- 坂井式はキミ子方式とは似て非なるものなので、ここでは坂井式への批判は関係ないので別記事にすればよいでしょう。坂井式はむしろ,「キミ子方式の悪しきパクリ」であり、教育界でよくある「盗用を隠して創造性をきどる」悪しき(しかも教育界ではよくある)事例の一つです。「一世を風靡」に関しては、一世を風靡しようとしまいとキミ子方式の理論の有効性の検証とは無関係です。指導要領や教科書にないことをやる主体的教員はもともと少数です。流行などしないのが当たりまえです。むしろキミコ方式は45年の検証に耐えて反証されずに生き残った理論といった方が良いでしょう。
キミ子方式に対する「自由」と「束縛」からの批判も、ブログ等で見ましたが、戦前の山本鼎の自由画の顛末を見れば明らかです(そのために教育史の中できちんと書く必要を感じたのでかなり戦前の論争を深く調査しています)。「自由に描かせる方が良い」「子どもの発想を縛っている」というキミ子方式への批判(いくつかのブログ)も拝見しましたが、その中身は予想通り戦前から言い古されたものでした。それらは個人的な印象つまりたんなる予想に過ぎない意見で、実験的に検証されたものではなかったです。何よりそれらの批判者が言う「子どもの自由な発想による絵」なるものは、いかなる授業手段で実現できるのかがまったく書かれていません(つまり100年前から変わらず、そんな理論は存在しない)。「再現可能な授業方法が無い想いだけでは失敗する」というのは山本鼎が自ら証明したことです。
キミ子方式は仮説実験授業の授業書と同じで「モヤシを書くならこう書くのが一番楽しい」という理論です。「力を教えるなら〈ばねと力〉で教えるとうまくいく」のと同じレベルで再現性のある法則です。最も重要なのは「描いた人がとても喜ぶ」ということも再現性があることです。それらが実験的に検証されていることを述べれば科学法則の解説としては必要充分です。そしてキミ子方式は「絵の入門教育」であるという点も忘れてはいけません。「キミ子方式」の適用範囲と「入門したあとのさらに専門的な絵の描き方」をごちゃ混ぜにしてはいけません。キミ子方式は「全員絵を描くことを強制される学校の授業での絵画入門教育」で有効性が確かめられてきました。それが一般社会人講座にも有効だというのは、理論の適用範囲の確実さを示しています。そしてこのような実験科学的に検証された授業の理論は、自然科学の発見と同様にきわめて少数であることも忘れてはいけません。キミ子方式はそうした数少ない教育理論の一つです。
何よりも記事で添付した学校も学年もバラバラな作例の数々がそれを証明しています。これらの作例は小学校1年から大人,障害児までカバーしています。
とりあえず反対意見は今のところ少数なので、このまま「ラベルを貼らねばならない」と主張し、証明が必要と思う部分があるなら、具体的に加筆していただいて、その結果で再評価したいと思います。私の立場は「まず始める」ことが大事で,「育てる」作業は皆さんでというスタンスです。もともと不毛だった分野に、最初の一歩を踏み出すことが私の役目と考えています。山本海行(会話) 2020年5月8日 (金) 10:11 (UTC)
- 返信 (山本先生宛) コメントの書き方がまずくて誤解させてしまったようですが、このラベル(テンプレート){{一次資料}}は一次資料が多いこと、記事主題に関係の深い研究者(板倉先生もこれに入ると考えました)や授業実践者による出典が多いことを問題視しています。
- 例に挙げた文献は、批判が書かれているからと言うよりも、客観的な二次資料であるから紹介したものです(主として上中先生が、竹井氏の見解を紹介している形)。仮説実験授業研究会の評価節を参考にして下さいと書きましたが、これには特段批判はありませんよね?
- 今現在の内容と基本的に変わらなくても、出典が改善されるだけでテンプレートは剥がされるべきだとは、こちらも考えています。最初のコメントに「最低限」と書きましたが、少なくとも一件は第三者言及の二次資料が欲しいという意図であり、適切な別の出典の追加によるものでも大丈夫です(記述や出典の内容によって個数は変わりますが……)。--Assemblykinematics(会話) 2020年5月8日 (金) 11:58 (UTC)