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ノート:クルスクの戦い

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初登場のパンター及びフェルディナントと、そうでないティーガーは扱いを分けた方が良いのでは? 「戦車の一部をフンメルなどの自走砲に置き換えた」は意味不明、フンメルは牽引砲を置き換えるべきものです。「航空軍」って Luftflotte のことじゃないかと思いますが「航空軍」という訳語は一般的? プロホロフカの戦車戦における「敵味方1000台以上による一大戦車戦」は伝説に過ぎなかったのでは? --61.24.28.80 2005年12月2日 (金) 18:16 (UTC)[返信]

プロホロフカ戦車戦の独軍の損害がたった2両というのは始めて目にしました。戦車のキルレシオも1対100ですか?いくらなんでも、これは通説ではないでしょう。ソースを提示願います。以上の署名の無いコメントは、218.114.69.64(会話履歴)さんによるものです。 -- 122.29.74.40 2008年1月18日 (金) 14:31 (UTC)[返信]


90年代半ばのタミヤニュース誌上の連載記事で発表されて以来、模型マニアを中心に知られている「新事実」なのですが、ご存知ないのでしょうか?ちなみにその記事における戦果と損害のデータは、当時のLSSAH師団の戦闘記録が根拠になっています。この手の記録では、戦果に関しては報告の重複により過大になる傾向にあり、また撃破されたT-34も後に回収された物がかなりあると思われますが、損害の方は補充の関係もあり正しく報告されるものですから、信用できると考えます。それにしても、ノートならまだしも百科事典の本文中に掲示板のように議論するような文章を書き込んでご満悦とは、貴方の常識を疑わざるをえませんね。--SSGB 2006年12月16日 (土) 01:28 (UTC)[返信]

とりあえず何はともあれ作戦開始日直してもらえないですかね。以上の署名の無いコメントは、221.245.145.42(会話履歴)さんによるものです。 -- 122.29.74.40 2008年1月18日 (金) 14:31 (UTC)[返信]


>SSGB様

はあ、模型マニヤ中心に知られている「新事実」ですか。それは誇らしい学識をお持ちですね。 ただ、人文科学の学術誌(史学雑誌は当然ですが、軍事史学はアマ研究者も多いのでどうかな?)と違って、学位を取得している研究者の査読をパスして載せられた論文レベルの内容のものではないようですね。さて、初歩的な疑問ですが、プロホロフカにはLSSA師団しか参加していないのでしょうかね?更に言えば、赤軍側が自軍が掘った独戦車に対しての対戦車壕の登攀困難さを自らは知らずに、無策に突っ込んで目標になるがままに終始したのでしょうか?あまりにも不自然ですね。ご高説によればその戦場での6号戦車は少数のようです。だが、主力の3号や4号の損害すらも軽微なのは整合性がありません。その雑誌にはきちんとソ連崩壊後に出た新資料とやらの注釈は模型雑誌にきちんとついていましたか?

それはさておき、これは200万の兵が向かい合い20日以上も続いたクルスク戦の項目です。ほんの一部分でしかないプロホロフカ戦車戦(これに勝ったとしても独軍がクルスクに行ける現実味はありませんしね)の比重はもっと少なくしてよいではありませんか。

また、ソ連崩壊後の新資料云々を言うのなら、90年代よりも今世紀に入って書かれた学術論文の趣のある大著「詳解 独ソ戦全史 デビッド・M. グランツ、ジョナサン・M. ハウス、David M.」の方が詳細な注釈と引用元や出典の明確さで遥に優っているように思われます。誤訳の部分が瑕疵ではありますが。 それと、参考文献として上げられている下記はあまりにも不適当ではないでしょうか?内容が独軍の(超過大な)戦果報告の羅列だけなのです。それも無批判に。この本の記述内容を足し算していくと、赤軍の装甲戦力や航空戦力はクルスク戦開始10日ほどで0に近い状態になってしまいます。それが事実だとすれば、独軍は無人の野をクルスクまで行けたはずです。初歩の算数が分かれば、独軍がソ連軍に対して2対1程度のキルレシオ(1941年以降も)でも実際にまさっていたのなら、クルスク戦は勿論、独ソ戦それ自体にも独軍が勝っていたことが導けます。

「J・ピカルキヴィッツ(著)(Janusz Piekalkiewicz)、加登川幸太郎(訳)、『クルスク大戦車戦』、朝日ソノラマ、1989年、ISBN 4-257-17214-2」。以上の署名の無いコメントは、218.114.68.16(会話履歴)さんによるものです。 -- 122.29.74.40 2008年1月18日 (金) 14:31 (UTC)[返信]


"模型マニヤ中心に知られている「新事実」"というのは、本文にもあるJ・ルスタン+N・モレル(著)、山野治夫(訳)の『クルスクの戦い 戦場写真集』シリーズ(の原語版、またはその一次資料)に記載され、それぞれ引用されたものです。後に日本語版が出ましたので、今では手軽にまとめて読むことができますが。(余談ですが、続刊での双方の損害についての再検証が予告されています。)ご存知のとおりWikipediaは個人的な研究(Wikipedia:独自研究は載せない)ではなく、既出の文献からの引用の組み合わせ(Wikipedia:検証可能性)で成り立つものですので、貴方がお持ちの資料からの記録も本文に併記して、記事を充実していただければ幸いです。--SSGB 2008年1月14日 (月) 09:46 (UTC)[返信]

横槍申し訳ありません。学術論文から引用するならともかく、娯楽書籍の記載を鵜呑みにするのは如何なものかと思うのですが……(例えは悪いのですが、「『ムー(オカルト雑誌)』に記述されていたから事実として扱う」と主張しているのと同列にしか聞こえません。上で挙げられている書籍も、模型愛好家の方々にとってはある種のバイブルなのかもしれませんが、史学者からすれば残念ながらそれは論文のうちには含まれません)。もしそれが歴史の新事実だったしても、複数のソースに基づいた史学的論法による解決を図るべきであり、まして「続刊での双方の損害についての再検証が予告されています」と書かれているのであれば、その再検証の結果を待ってからでも遅くはないと思われるのですが如何でしょうか。現時点では「資料によっては独軍の被害は軽微だったとするものもある」という一文で充分事足りるのではないでしょうか。--61.199.41.84 2008年2月19日 (火) 04:00 (UTC)[返信]

というか「ソ連の戦果は間違っていたのだ!」と主張する事自体ウィキペディアは何でないかに反するのではないか?--122.131.134.210 2008年2月19日 (火) 05:17 (UTC)[返信]

どうも勘違いしていらっしゃるようですが、引用元の記事はそもそも模型マニア向けではなく、過去の記録(一次資料)から具体的に戦史の再考証を行った近年(1990年代以降)の資料を、戦車専門誌や模型誌がいち早く引用して記事にしているものばかりなのですが。さらに「ソ連の戦果は間違っていたのだ!」と主張などどこでしているのでしょうか?「間違っていた」のではなく、「ソ連時代に未公表であった、捏造されていないデータがソ連崩壊後にロシア人の手により明らかになり、フランスなどの研究者がドイツ側のデータと合わせ再考証した」ものですが・・・失礼ですが、これらの資料を実際に読みもせずに想像だけで語っていらっしゃるのでしょうか?(全てamazonなどで購入できます。)真にWikipedeiaのルールに従うのであれば、これら再考証された「新説」をさらに否定する新考証の資料からの引用をもって応えるべきで、その両方が記載されるべきです。。--SSGB 2008年2月20日 (水) 23:29 (UTC)[返信]

横から失礼しますが、少し指摘させて貰います。上記で、『詳解 独ソ戦全史、デビッド・M. グランツ、ジョナサン・M. ハウス』が今世紀に書かれたとしていますが、原書は『WHEN TITANS CLASHED - How the Red Army Stopped Hitler』で、1995年に出版された書籍であり、今世紀に書かれたとする主張は誤りです。又、この書籍では、プロホロフカにおける両軍の戦力ははっきりしていないと、注釈されていますので、SSGBさんの提示されている書籍の反論として、引き合いに出来る内容では無いと思いますが...--118.6.174.124 2008年2月23日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

ドイツ側の発表とソ連側の発表はどの戦いにおいても差があり、これは太平洋戦争においても同様でこの記事でのみウィキペディアンによるソ連批判の演説がなされているのは不自然かつ方針違反と思われます。--122.134.143.218 2008年2月24日 (日) 06:45 (UTC)[返信]

「ソ連批判」というのが意味不明です。少なくとも当方が記述した部分にはそんな意図は含まれておりませんが?旧来のデーターを完全に消して新しいデーターに塗り替えるならまだしも、双方の主張する数字が記載されているではありませんか。Wikipediaにおいて大事なのは「真実であるかどうかではなく、再検証可能かどうか」であり、さらに「どちらが勝った」ではなく、「双方が主張する記録はどうであったか」でしょう。そして、過去の記録は見事にソ連側の公式戦記からのデータ一辺倒であったわけで、双方の記録(しかもソ連側もより正確な数字)があって、初めて記録として公正なのではありませんか?太平洋戦争での空戦での撃墜戦果などは、日米双方が実際の三~四倍を主張。近年、双方の損害報告を照らし合わせて現実の数字が明らかとなっていますよね。そもそも「従来語られていた戦果には、誇張や誤認があった」というのは批判でも何でもありません。実際そうだった、というただそれだけのことではありませんか。--SSGB 2008年2月24日 (日) 07:57 (UTC)[返信]

それなら英語版のように損害部分にソ連発表とドイツ発表の双方を載せればよいだけで、ソ連兵のエピソードを長々と否定して「自軍の失態・敗北を隠す姿勢が明らかである」だとか批判する必要はありません。確定的な真実でもないのに捏造と決め付けてる点もおかしいです。--125.194.230.227 2008年2月24日 (日) 18:11 (UTC)[返信]

参考資料どころか履歴も確認なさってないようですね。その最後の部分は当方による記述では有りません。--SSGB 2008年2月24日 (日) 18:53 (UTC)[返信]

その点について議論しているのに何なのか・・・。結局あなたはどうしたいのですか?--125.196.161.152 2008年2月25日 (月) 16:45 (UTC)[返信]

前述のとおり、「少なくとも当方が記述した部分にはそんな意図は含まれておりません」ということです。当方が記述したのは、記事から引用した「新事実」の部分のみで、最後の主観の入った言い回しは無関係です。不思議なのですが、文献からの引用ではない、執筆者の主観や偏向の強い記述に対して反論しているあなたが、誰でも更新可能なWikipedeiaにおいて、何故その部分を放置し自ら修正もせず、そこを書いたわけでもない当方に対し語りかけているのですか?ルールに従って修正することに、どんな論議が必要だというのですか?まさか、そこを再修正するのが当方の義務だとでも?いったい誰と「戦って」おられるのですか?「結局あなたはどうしたいのですか?」とはこちらの台詞です。あとアカウントをとっていただかないと、IPだけでは同一の方と対話してるのかどうかもわかりません。また、あなたの記述がその上にある当方の記述に対してのものなのか、他者を含めた新たな論議の提案なのかも言葉足らずすぎて不明確です。--SSGB 2008年2月25日 (月) 21:50 (UTC)[返信]

語りかけるってあなたが延々と反対してくるからに決まっているでしょう。その部分の記述がどうでもよいなら削除しますが。--125.196.161.152 2008年2月26日 (火) 06:31 (UTC)[返信]

どうも会話が成り立ってないと思ったら、何故か更新することにいちいち議論やお伺いをたてていらっしゃるのですか?ページの統合や分割、改名について討議するのはわかりますが、Wikipedeiaではルールに従っている限り、ノートで意見を募る必要などありませんが?それにご指摘の編集したどなたかの主観で締められた部分(当方が記述していない部分)=Wikipedeiaのルールに準拠していないと思われる部分の再編集に対し、私が「反対」した記述などどこにもありませんよ。引用した資料の内容を明らかに確認もせず、ドイツ軍偏向のように書かれたことに反論しているだけですが・・・もう一度、上記の記述を読み直していただけませんか?--SSGB 2008年2月26日 (火) 08:31 (UTC)[返信]

コメント依頼を立てた者です。記事の方針がまとまらないまま編集を行えば、リバート合戦になるのは目に見えています。そのような不毛な保護を避ける為にも、ノートでの議論が必要と考え呼びかけを行いました。 SSBG様、まずは落ち着いてください。そして何故貴方の主張が複数のユーザから「中立的でない」と指摘されているのか、今一度よくお考え下さい。見えない敵と戦っておられるのは、傍目に見ても貴方自身ではないでしょうか。--220.104.153.74 2008年2月26日 (火) 13:12 (UTC)[返信]

了解しました。当方が最も無駄にログを消費しているのもご迷惑ですので、切り上げさせていただきます。--SSGB 2008年2月26日 (火) 22:03 (UTC)[返信]

IPユーザーのコメントは、しょせん、それ以上でもそれ以下でもありません。~ あまり気になさらずに、SSGBさんが正しいと思う更新なさると良いと思います。~ 私は現時点では中立的立場だと見受けます。

横やりですがまずクルスクの攻防戦は大規模な戦いであり、それをウキペディアで一枚のページで上手くまとめるのは至難の業というもの。次にプロホロフカ戦車戦で議論になっているようですが、当初はクルスク攻防戦とプロホロフカの大戦車戦を混合して記事になっている為、現在プロホロフカ戦車戦の詳細が除かれた状態では大きな穴が開いた記事になっていると思います。なので別項目として記述しておき、これでもしプロホロフカ戦車戦で編集作業が頻繁にあったとしても記事全体のバランスを損なう事を最小に押さえられる方法です。一応戦術歴史家の書いた書籍を参考文献として全体を書いて置きますので後の修正はSSBG氏などクルスクに詳しい方にお任せします。--ラフレシア 2008年3月3日 (月) 09:19 (UTC)[返信]

上記の可変IPユーザーが主張される「ソ連批判」というのが、当方にも何なのか解りませんが、旧ソ連の公刊戦史については、多くの研究者による実証的研究で殆ど否定されています。例えば、先のコメントでは敢えて指摘しませんでしたが、プロホロフカにおける戦いについては、デビッド・M. グランツ、ハロルド・S. オレスティン共著の『The Battle for Kursk 1943: The Soviet General Staff Study. Frank Cass.』ISBN 0714649333や、デビッド・M. グランツ、ジョナサン・M. ハウス共著の『The Battle of Kursk. University Press of Kansas. 』ISBN 0700613358.が特に有名だと思います。又、旧ソ連時代の主要な戦争、事件でのソ連軍の損害(死傷者数)については、G. F. Krivosheev(編)『Soviet Casualties and Combat Losses in the Twentieth Century 』ISBN 1853672807で、ソ連軍が支払った膨大な損害を明らかにしています。ちなみにこの書籍では、日本軍の一方的な敗北とされたノモンハン事件における死傷者も掲載されており、これによれば死傷者数は、日本側を上回っています。さて、少し脱線しましたが、結論としては、旧ソ連の公刊戦史は、政治的意図に基づく事実の湾曲や曲解があるため、今では独ソ戦の研究において殆ど参考にされていないのが普通です。--118.6.174.124 2008年3月9日 (日) 08:23 (UTC)[返信]
本文を改めて見ると、上記可変IPユーザーは、出典のある記述をコメントアウトしていましたので、その部分については差し戻しました。あとは、上記に挙げた書籍や出典のある書籍を一読の上、Wikipedia:検証可能性に基づいた編集を行ってください。--118.6.174.124 2008年3月12日 (水) 13:59 (UTC)[返信]

解決したようなのでテンプレートは外しました。--紅美鈴 2008年3月19日 (水) 12:34 (UTC)[返信]