ノート:コジマエンジニアリング

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移動について[編集]

コジマエンジニアリング (F1)にあったページをコジマエンジニアリングに移動させていただきました。

コジマエンジニアリングは、その後日本船舶振興会とかに拾われまして、パワーボートレースで活躍していた時代があります。おれがパワーボートの仕事をしてた頃に幾度か松久さんにお会いしていますし、確かそのときには、コンストラクター・エントラントとしてだけではなくドライバーとしても松久さん参加しており、あまつさえ日本チャンピオンにもなっていたように記憶しています。おれはもうパワーボートの仕事はしていないので現状どうなっているのかは知らないのだが、少なくともなんだ、KEは「F1が代表的なお仕事」ではないので、F1という印をつけておくのはちょっと気持ちが悪かったんです。

おいおいマリンのKEについても、調べがついた範囲で書いていきますんで。--Nekosuki600 2007年3月11日 (日) 16:02 (UTC)[返信]

パワーボートをしていた事は知っていましたが、詳しい情報が分かりませんのでしたので期待しております。当方ではムーンクラフトの由良拓也氏によるデザインで、1992年に「KE CAT」と言う小排気量のレーシングボートが製作された事のみ掴んでおります。--TAK-AZ1 2007年3月13日 (火) 13:16 (UTC)[返信]

いやあ。情報探しているのですけど、なかなかみつかりませんねえ。少なくともWeb上にはほとんど皆無といっていい感じ。

おれがパワーボートの仕事をしていたのは確か1990年前後だったはず。んで、その頃にはすでにKEは陸上から海上に引っ越しており、「KEマリン」というブランドでやっていました。自社ボートは「KE CAT」というものだったのですが、これはいくつかタイプがあって、小排気量のもののほかオフショアオープンクラスにもエントリーできる大型艇も出していました(そのわりに、松久さんご自身はアパッチ38を使っていましたが(笑))。アパッチ38は艇体が長くて荒海でのレースに適した艇で、KEのオフショアオープン艇は艇体が短くて波が低めの海でのレースに適した艇でした。確か、当時のトップコンテンダー(今はどうか知らないが、2003年にはまだリザルトに名が見えます)の芦ノ湖レーシングがその艇を使っていました。

電話をしてみるとか、店を訪問してヒアリングしてみるとか、しないとだめなのかもしらんけどなあ(それじゃ独自の研究か(=^_^;=))。--Nekosuki600 2007年5月7日 (月) 15:34 (UTC)[返信]

KE007の分割提案[編集]

コジマの最初のF1マシンであるKE007については、1戦のみのスポット出場ながらドラマチックな逸話を残した車と思います。開発経緯やディティール、幻のポール、再生プロジェクトなどを取り上げている文献がいくつか入手できましたので、当記事からの分割をベースにレーシングカーの単独記事として情報を充実させたいと思います。--Nickeldime会話2012年8月12日 (日) 18:04 (UTC)[返信]

提案から1週間経過しましたので、分割の下準備を始めたいと思います。あわせて元記事である「コジマエンジニアリング」も分割後に構成を手直ししようと思います(F1だけでなく、FJやFL、F2のマシンもとりあげます)。一応あと1週間様子を見てから作業を実施する予定ですので、それまで編集をお待ちくださるようお願いします。--Nickeldime会話2012年8月20日 (月) 16:16 (UTC)[返信]
コジマ・KE007を分割しました。--Nickeldime会話2012年9月7日 (金) 18:11 (UTC)[返信]

KE009の一部転記提案[編集]

本文のコジマのレーシングカー節に書かれているKE009に関する内容をコジマ・KE009へ一部転記することにより、後者の独立記事としての内容補完を図りたいと思います。とくに西ドイツへ移送したあと長く所在不明だった高原車については、現在日本でレストアされイベント展示もされていますので(画像)、追加資料をもとに加筆したいと思います。--Nickeldime会話2024年4月12日 (金) 08:00 (UTC)[返信]

一部転記を行いました。--Nickeldime会話2024年4月26日 (金) 18:23 (UTC)[返信]