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ノート:ジョン・グレッサム・メイチェン

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記述の中立化:「召天」「天に召される」

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「召天」、「天に召される」といった表現派は一部の宗教の教義を前提としたものですので、より中立的な表現に改めました。--さんしろ 2010年11月3日 (水) 07:51 (UTC)[返信]

ウィキのキリスト教プロジェクトで教派ごとの自称尊重の原則があります。よって召天に戻します。また、キリスト教的な表現を非キリスト教的な表現にあえて変更することが、中立性の確保とは必ずしも申せません。キリスト教前提主義弁証論においてはキリスト教とそれ以外の中立領域はないとします。両論併記にできないならば、自称尊重で行くべきです。
WP:NPOV「争いのある主題についての長い記事」Q.「例えば進化論について書く時には、進化説と創造説(人間も他の動物も神が創造したとする説)の論争を全てのページで展開しなければならないわけではないですよね?」A.「もちろんそんな必要はありません。どんな主題について書くのであれ、誰かが反論の余地があると考えるような前提が必ず入ってしまうものです。これは進化生物学に限らず、哲学、歴史、物理学などについてもあてはまることです。」--イザヤ 2010年11月3日 (水) 22:07 (UTC)[返信]
イザヤさんに補足しますが、逝去・死去・永眠といった表現にも宗教性がみられます。特定の宗教・教派で、好まれる表現・好まれない表現というのはそれぞれの語彙について言えるのであり、全ての宗教・無宗教に中立的な表現と言うのは有り得ません。これはキリスト教内の各教派に限らない問題で、たとえば仏教でも、肉体の死亡を包含する意味合いで入滅と記述されているものを、一律に死亡とやってしまったら、やはり問題が発生します。こういう用語の編集には慎重になってなり過ぎる事はありません。--Kinno Angel 2010年11月4日 (木) 02:43 (UTC)[返信]
遅くなりましたが、今回は私の不勉強のために、お手数をおかけしました。--さんしろ 2010年11月13日 (土) 20:44 (UTC)[返信]

中立性に疑問:「正統的な信仰」

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「中立性に疑問」
文中に「プリンストンが次第に変質して受け入れるようになった近代主義的自由主義神学(リベラル)に反対し、正統的な信仰を守るためウェストミンスター神学校を設立した。」とありますが、リベラルに対する保守的な信仰をまるで「正統的」かのような表現をされていて、現代において主流となったリベラルが、非正統的と受け取られかねない表現と思います。どうしてこのような表現をとったのでしょうか? KIRORO--114.188.184.92 2010年12月29日 (水) 05:22 (UTC)[返信]

コメント 私は執筆者ではありませんが、普通に文脈をみれば「(メイチェンにとっての)正統性」という事は明らかであり、過剰な懸念と思えます。ですが、8文字で改善出来るものであればした方が良いであろうと判断し、「福音主義における」を加筆しておきました。これにより「誰にとっての正統性なのか」が明らかになり、中立性は達成したものと思います。--Kinno Angel 2010年12月29日 (水) 08:47 (UTC)[返信]
エキュメニズム日本キリスト教協議会(NCC)編纂の『キリスト教大事典』も「正統主義」の語をプロテスタントの正統主義の意味で用いています。また『牧師の仕事』の著者である日本基督教団鈴木崇巨牧師は、『信徒の友』1978年4月号に福音派が主流になるという予想を載せています。主流(メインライン)の語の使われ方についてはメインライン・プロテスタントの項目をご覧ください。出典がついています。--イザヤ 2010年12月29日 (水) 09:13 (UTC)[返信]