ノート:スピリチュアリティ/過去ログ1
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「魂の位が低い」という言葉の使われ方について
「魂の位が低い」という言葉の使われ方について、現在の本文中に注釈を付したい箇所が在りますのでノートさせていただきたいと思います。
--引用 「また、スピリチュアリティを支持する人間の一部には精神性が向上した事により己の「魂の位があがった」とし、スピリチュアルを否定する人間を「魂の位が低い人間」として非難する者もいるが そういった「魂の位が低い」という低俗な罵りを他者に向ける人間が、本当に「魂の位」が高いかどうかという事については正直、疑問を感じずにはいられない。」 引用終了--
スピリチュアルを否定する人に名指しでそのように非難を浴びせる人がいたとすれば、それはたしかにその人自身の魂の位が高いかどうか疑問です。ただ本来の意味の使われ方は「まだ幼いから」という意味合いに似ており、これから成長して理解できるようになる可能性に期待して見守ってあげたいという意味が主です。スピリチュアリティは常に精神性(霊性)の成長を重視奨励しています。永遠に「愚か」なのだとか、素質として「劣っている」からとか、生来的に「幼稚だ」といって突き放したり貶したり罵倒したりする意味合いで使われる言葉ではありません。スピリチュアリティには、その人がその人の成長に応じた物事にのみ関心を持ち、程度としては多すぎることも少なすぎることもないなかで、その関心を持った物事のなかで成長して次の段階に進むのだという発想があります。極端な例を挙げますと、幼児が政治経済や酒やタバコに積極的に関心を示すことがないように、また成熟した大人がおしゃぶりやガラガラに興味を示すことがないように、その人自身が自分の精神の発達の段階に応じた物を無意識的に選択していく(神・霊に与えられる)のだという思想が根底にあるようです。今はスピリチュアリティを否定したとしても、いずれ部分的に肯定するようになるかもしれず、そういった変化を表現した言葉に過ぎません。それゆえ誰かが「魂の位が低い」という言葉を使ったとしても、表現や話のあやであって罵りではない可能性があります。誰かに名指しでそう言ったとすれば、確かに言った人に問題があるように思います。61.202.92.128 2007年5月14日 (月) 17:21 (UTC)
学者名の明記
節、「学術的研究」のところで、「スピリチュアル・コンベンション(すぴこん)などの大衆的なスピリチュアリティの現われについても、評価する学者がでてきており・・・」とありますが、学者の具体的な名前の記載があると、信憑性が増します。識者の加筆を期待しています。--Mait 2007年5月19日 (土) 11:35 (UTC)
複数の問題
全体的にひどい出来です。Wikipedia:中立的な観点, Wikipedia:独自研究は載せない, Wikipedia:検証可能性, Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかといった公式方針全てを満たしていないほか、ガイドラインに抵触する場面を挙げていけばキリがない状況。複数の問題タグを貼り付けました。--中華食堂 2010年12月23日 (木) 17:04 (UTC)
諸問題点を列挙します。
- 観点の問題
- 「スピリチュアリティと宗教の違い」を(排外的概念としては扱ってはいないものの)強調する記事構成になっているのに、なぜかスーフィズム、チベット仏教、カバラ、グノーシス主義、非カトリックのキリスト教系神秘主義など、果ては大本に至るまでスピリチュアリティの系譜として扱っているが、その根拠は不明。スピリチュアリティというものがそもそも直接的な系譜を確固として持っていない以上、何を系譜に挙げるのかについては視点を明確にしなければならない(全体的にWP:AWWの問題)。
- カトリック教会についてはヒルデガルト・フォン・ビンゲンのような神秘家が居るにも関わらず、概ね抑圧者として描いているが、カトリックのみ抑圧者として描き、他宗教については抑圧者としての面を指摘しないその観点の妥当性の根拠は不明(イスラムにおいてスーフィズムが広く抑圧された・されることなどは一切記述されておらず)。
- チベット仏教がヨーロッパに広まっている(?)ことについては(かなり過大とすら思えるほどに)書かれているのに対し、キリスト教がアジア(西アジアは発祥の地であり、南アジアにはインドにおける非カルケドン派が無視できず、東南アジアではフィリピンがキリスト教国であり、東アジアでは韓国に浸透、アフリカではエチオピアがキリスト教国)でも存在感を(ヨーロッパにおけるチベット仏教よりも遥かに)発揮している事については、まったく言及していない。
- 「ある個人が超越的な存在を直に認識することにより、価値観と人格の変容を得ること」の共通点のみ持ち出してスピリチュアリティの共通基盤として諸宗教を列挙しているが(しかし前述のようにカトリック教会に対してのみは否定的)、諸宗教の違いを比較検討する宗教学の成果が一切考慮されていない。
- 正確性の問題
- 十字軍がヨーロッパにもたらしたもの・ルネサンスを準備したものとして東ローマ帝国との接触は通説であるのに(ブールダッハのように否定的見解もあるが、ブールダッハはイスラムの影響に対しても否定的)、なぜかイスラム科学しか挙げられていない(基礎的知識が欠如)。これについては修正済み--中華食堂 2010年12月24日 (金) 02:15 (UTC)
- スウェーデンボルグは、聖書と教会によらず、人間が自由意志による善意と善行のみで救済される世界観を示したのである。とあるが、行為義認説は様々な人によって唱えられたものであり、その中には聖書・キリスト教と関係なくとも救われるとする説を唱えた人々もいた。西欧においてもスウェーデンボルグの専売特許でもなければ彼が嚆矢でもない(基礎的知識が欠如)。
- 不明瞭な評価主体・評価基準の問題
- 特にWikipedia:言葉を濁さないについては全体的に問題。「広く需要」「多数の支持者」「重要である」「~とする意見もある。」「~といわれる」「~という」「知られている」といった、【誰が】そう評価しているのかがボヤけた表現が無数に存在。--中華食堂 2010年12月24日 (金) 02:11 (UTC)
スピリチュアリティのテンプレート作ってみました
私の利用者ページの中でスピリチュアリティの簡単なテンプレートを作ってみました。みたい方は私のページをみて下さい。ここに貼ってもよろしいでしょうか?--ムネイシ(会話) 2012年11月24日 (土) 23:33 (UTC)
反対意見がないので、12月3日ぐらいに貼ります。反対する方は早めにコメントをお願いします。--ムネイシ(会話) 2012年11月30日 (金) 09:37 (UTC)
- 賛成 いたします。心霊研究家が3人では少しさびしいが、追い追い追加できたらと思います。中岡俊哉、新倉イワオ、等々。--Doimon(会話) 2012年11月30日 (金) 15:43 (UTC)
- ちょっとまって下さい。中岡さんや新倉さんって誰でしょうか? 心霊研究家と名乗るだけでテンプレートに追加するのは、テンプレートの全体の質を下げる結果になるのでやめておいたほうが無難だと思います。それだけで言うならば、怪しげな新興宗教の開祖のほとんどがこの条件にあてはまってしまいますし・・・・。人物欄に載せる人物や通信霊は、1.この業界で誰もが知っている人物 2.怪しげな宗教に入っていない 3.オカルトではなく、普通のスピリチュアリティを研究している等々・・・の条件にあてはまる人物でなければせっかくのテンプレートが台無しになってしまいます。--ムネイシ(会話) 2012年12月1日 (土) 02:45 (UTC)
- テンプレートの内容が、スピリチュアリティと合っていません。このテンプレートの名前に何が適当かわかりませんが、これは心霊主義かオカルトのテンプレートなのではないでしょうか。英語版のテンプレートはよくできていますので、参考にしてください。--やまさきなつこ(会話) 2015年3月28日 (土) 08:06 (UTC)
大幅に改訂が必要
中華食堂さんが指摘して三年以上が経過していますが、まったく改訂がなされていないようです。とにかく、出典がまったく明記されていないのは、よろしくないです。まずは「定義」の節に出典を加え、広義・狭義という表現がとても奇妙なものでしたので、小節名も変えました。定義の最後の文章、本稿では、主にこの「新しいスピリチュアリティ」とその系譜について解説している。は一応残しましたが、どうなのでしょうか? 「歴史的背景」につなげるために必要な文章なのでしょうが、いわゆる「スピリチュアリズム教」的(宗教組織ではないが、霊訓なるものを信じる人々の集団心理的)な偏向した説明になっているように感じます。まずは「歴史的背景」以下の文章を、ごっそりスピリチュアリズムに移動してしまってはいかがでしょうか? 定義にも述べているように、スピリチュアリティは宗教現象、文化現象としてだけではなく、医療や教育の分野でも研究されているものです。最初の指摘から三年も経っていますので、一週間ほど待って異論がなければ、上記のような大幅な改定を行いたいと思います。--BLsky-Ockham(会話) 2013年4月24日 (水) 08:22 (UTC)
賛成です。記事がぐちゃぐちゃで、読む人にはとてもわかりずらいです。--ムネイシ(会話) 2013年4月26日 (金) 05:17 (UTC)
- ありがとうございます。「歴史的背景」以下の文章はスピリチュアリズムという現象(運動)の説明であって、スピリチュアリティの説明には不適切だと感じましたので提案しました。私としては、「歴史的背景」以下の文章がスピリチュアリズムの説明にふさわしいとも思えないのですが(ご指摘のように、ぐちゃぐちゃしているので)、当面このスピリチュアリティのページを整理するために移動を提案しました。他にご意見などがありましたら、お願いします。--BLsky-Ockham(会話) 2013年4月26日 (金) 07:18 (UTC)
- 一週間以上が経過しましたが、異論はないようですので、「歴史的背景」をスピリチュアリズムに移動しました。それに伴い、文頭の「この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。」のタグもスピリチュアリズムに移動しています(スピリチュアリティにも残しています)。参考文献も移動し、こちらスピリチュアリティの方の参考文献は削除しました。スピリチュアリティ、スピリチュアリズム、共にまだまだ整理が必要だと思いますので、よろしくお願いします。--BLsky-Ockham(会話) 2013年5月6日 (月) 07:38 (UTC)
- ありがとうございます。「歴史的背景」以下の文章はスピリチュアリズムという現象(運動)の説明であって、スピリチュアリティの説明には不適切だと感じましたので提案しました。私としては、「歴史的背景」以下の文章がスピリチュアリズムの説明にふさわしいとも思えないのですが(ご指摘のように、ぐちゃぐちゃしているので)、当面このスピリチュアリティのページを整理するために移動を提案しました。他にご意見などがありましたら、お願いします。--BLsky-Ockham(会話) 2013年4月26日 (金) 07:18 (UTC)
冒頭の説明部分を修正しています。定義がものすごく狭い意味で書かれていたので、広い意味を持つ言葉であり、日本語で決まった訳語がないことなどを書きました。もう少し手を入れれば問題タグも外せるかと思いますが、また時間のある時に加筆できればします。--やまさきなつこ(会話) 2015年3月28日 (土) 08:06 (UTC)
- キリスト教世界における感覚的な用語なので、わかりにくい感じになってしまいましたが、最低限のことだけは書きました。明らかに独自研究部分は非表示に、微妙な部分は一応残しています。でも削除した方がいいかもしれません。テンプレートはまた別途修正します。スピリチュアリティはいわゆる「スピリチュアル系」とは違う用語ですので、「スピリチュアル系」について書く場合は、別に立項した方がいいかもしれません。そちらは希望される方にお願いします。--やまさきなつこ(会話) 2015年3月31日 (火) 14:14 (UTC)
こちらの記事を「スピリチュアル」に引越ししたい
世間では霊的なことをスピリチュアリティよりもスピリチュアルと認識している人が圧倒的に多いです。そこでこちらの記事をスピリチュアルに引越しして、元の記事は「スピリチュアル(霊歌)」に改めるべきだと思います。
また、引越し後は、記事の整理と出典の追加もおこないたい(あまりにバラバラすぎるので)です。
みなさんのご意見をお待ちしています。--ムネイシ(会話) 2014年12月16日 (火) 08:44 (UTC)
- スピリチュアル (霊歌)への改名は多くの反対がありましたが、スピリチュアリティ⇒スピリチュアルへの改名は反対意見がありませんので、このまま改名を続けたいと思います。既存のスピリチュアルのページにスピリチュアリティを引越しするか、曖昧さ回避のページとして作成するかを決めたいと思います。みなさんの意見をお待ちしています。--ムネイシ(会話) 2014年12月30日 (火) 02:22 (UTC)
- コメント 議論はノート:スピリチュアルで一括してお願いします。--モンゴルの白い虎(会話) 2014年12月30日 (火) 06:13 (UTC)
記事の再構成について
121.107.209.16さんが記事を再構成されていますが、節の名前と内容にずれが見られるので、一度元の状態に戻しています。一人の学者による四つの分類で節分けしている現状が最高でないことは確かですが、ここまで根本的に再構成されるなら、出典になっている各論文すべてがどのような文脈になっているか熟読の上、ノートでご提案いただけないでしょうか。宗教学、スピリチュアルケア、といった節分けでくくるのは、元の論文の内容を見る限り、あまり適当ではないのではないかと思います。--やまさきなつこ(会話) 2016年2月15日 (月) 11:16 (UTC)
- この記事は霊性のリダイレクトにもなっており、古代から続く霊性の歴史をまずは書き、そして現代での意味、ついで現代日本でのスピリチュアリティの説明という順番にすべきです。Wikipedia:日本中心にならないように。私の編集も順番は厳密ではないのは確かですが、大きくは四部になっています。
- 1.欧米:「古代ヨーロッパとキリスト教における霊性」「ニューエイジ 」
- 2.医療:「 医療における変遷」「WHOの健康定義」
- 3.学術:「哲学」:西平直による4つの位相、エルキンスの定義、「心理学」「スピリチュアルケア」「宗教学」
- 4.日本:「日本における霊性」「現代日本」「スピリチュアル・ビジネス」
前の版で特におかしいのは冒頭部です。定義からはじめるべきで、「多様な意味を持つ」「分野やテーマによっても相当に異なる」ということは本文で説明すべきことです。そして「英語のspiritualityに当てはまる日本語はない」「日本人にはなじみのない概念であり、日本語で明確に説明できないこともあり、日本では一般における認知度はあまり高くない」というのは小籔グループ論文を出典にして書くことではありません。小籔グループ論文を出典にするなら、霊性と日本的霊性は分割すべきです。これは後述分割または移動提案します。
前の版で次におかしいのは「4つの位相」です。これは西平直説を紹介したものですが、そのなかに詰め込みすぎていますし、一学説、一分類にすぎないことが明記されていません。--121.107.209.16 2016年2月16日 (火) 01:48 (UTC)
- 欧米、医療、学術、日本、という分類は、なぜそうなっているのかよくわかりません。時系列、国、学問、実践が混ざった状態で節分けされており、何によって分けられているのかというのがわかりませんし、相互の影響関係がわからなくなっているように見えました。まず、欧米・日本の宗教的な意味での古代からの歴史を語り、それがどう現代につながっているか、というのが必要に見えます。改稿されたものは、元の文脈と切り離されていて、それぞれの話が切れていて、よくわからないという印象でした。「4つの位相」以外の節分けにするというのはもちろん良いのですが、それに代わるそれぞれの節のつなぎというか、全体のアウトラインが最初にないと難しいように思います。「4つの位相」が一学説、一分類にすぎないことは、加筆いただければよいかと思います。--やまさきなつこ(会話) 2016年2月16日 (火) 13:50 (UTC)
分割、移動提案
冒頭の「英語のspiritualityに当てはまる日本語はない」「日本人にはなじみのない概念であり、日本語で明確に説明できないこともあり、日本では一般における認知度はあまり高くない」というのは小籔グループの論文を出典にして書くことではない。小籔グループ論文では「宗教学研究者である安藤は,スピリチュアリティという語が,宗教や宗教性という語とはかなり区別された現在のような形で用いられるようになるのは,英語圏においてもそう古いことではなく,おおむね1980年代以降のことであり,1990年前後に日本に入り,「宗教性」「精神性」「霊性」などと訳され1990年代後半になると,あえて日本語には訳さず,「スピリチュアリティ」「スピリチュアル」というカタカナ語が用いられる例が多くなっている,と述べている.その理由として「スピリチュアリティ」が「宗教」に関連しているが同じものではないということ ,また日本語で「霊性」は霊魂・幽霊などの意味が含まれることから誤解を招くおそれがあること、スピリチュアルという言葉が持っている深さと広がりを的確に表す日本語は存在しないことなどがいわれている.」となっている。これを出典とするならば、
- 「スピリチュアリティが宗教性とは区別された現在のような形で用いられるようになるのは,英語圏においても1980年代以降」
- 「1990年前後に日本に入り,「宗教性」「精神性」「霊性」などと訳され1990年代後半になると,あえて日本語には訳さず,「スピリチュアリティ」「スピリチュアル」というカタカナ語が用いられる例が多くなっている」
- 「日本語で霊性は霊魂・幽霊などの意味が含まれることから誤解を招くおそれがあること、スピリチュアルという言葉が持っている深さと広がりを的確に表す日本語は存在しないこと」
ということを書くべきです。
そして、「スピリチュアルという言葉が持っている深さと広がりを的確に表す日本語は存在しないこと」であれば、鈴木大拙などは別の記事に移動すべきです。
百科事典記事としては不要な混乱をまねくので、スピリチュアリティ記事は現代日本の意味に限定された記事にすべきで、古代思想の霊性は分割提案。日本的霊性については鈴木大拙へ移動提案。その場合、要約はこちらに残さず、関連項目へのリンクにとどめる。--121.107.209.16 2016年2月16日 (火) 01:48 (UTC)
また、独立させた方が適切なのでスピリチュアル・ビジネスも分割提案。--121.107.209.16 2016年2月16日 (火) 01:53 (UTC)
- 明確な定義から始めるのが理想であることは重々承知ですが、本記事のように人によって言っていることが全然違い、恐ろしく意味が広い場合、それは困難でした。どの定義を採用しても、全然違う言われます。よって、もっともあいまいで広い定義を取り、意味が多様であることを示すしかありませんでした。
- 霊性とスピリチュアリティを分割してしまわれたんですね。「霊性」は古代思想ではありません。概念としては現役で、「古代」「現代」と分けることができるものではありません。もし「百科事典記事としては不要な混乱をまねくので、スピリチュアリティ記事は現代日本の意味に限定された記事にすべき」という提案が合意がとれたなら、そのことを「スピリチュアリティ」「霊性」両記事の読者にも、あとの加筆者にもわかるように、記事内できちんと説明しなければいけません。おなじ意味としても扱われることが多いので、どういったものを「霊性」の記事に書き、どういったものを「スピリチュアリティ」に書くか明確な定義を両記事で行ったうえで、相互に分かりやすい案内をつける必要があるでしょう。私は過分ながら、明確な使い分けの基準は存じ上げません。現状では、宗教面での霊性を「スピリチュアリティ」の言葉で検索した人は、「霊性」の記事にたどり着けませんし、今後加筆する人が、どちらの記事に書けばいいか困ると思います。また「霊性」という言葉は日本語ですし、仏教や神道の霊性もありますので、現状の霊性の記事の定義では意味が狭いです(この点については「霊性」の方で議論したほうがいいでしょう)霊性の記事を西洋の霊性に絞るなら、それ以外の宗教の霊性についてはどこに書けばいいのか、という問題もあります。まず、両記事に記載するものを分ける基準を明確にする必要がありますので、ご提案をお願いします。
- 小藪グループの論文では、看護師を対象とした調査で、職業柄スピリチュアリティを学んでいるにもかかわらず、調査によると理解度が低いという記述がありますよね。「スピリチュアリティ」「心霊主義」「スピリチュアル」のページはかなり長い間揉めていて、「スピリチュアリティ」と「心霊主義」の記事内容はずっと混同されてしまっており、また「スピリチュアリティ」と聞いて多くの日本人が思い浮かべるのが、いわゆる「スピリチュアル」です。冒頭でくどいくらい「心霊主義ではない」「超自然ではない」と説明しているのも、これまでの経緯があるのです。スピリチュアリティの意味は誤解が多いので、自分が思っている「スピリチュアリティ」に対して一度見直す気持ちを持ってもらい、スピリチュアル系の人の安易な加筆を避けるという意味でも、冒頭に「英語のspiritualityに当てはまる日本語はない」「日本人にはなじみのない概念であり、日本語で明確に説明できないこともあり、日本では一般における認知度はあまり高くない」と書いています。冒頭にあるのは良くないということなら、中の節に移動してもいいですが。出典に該当する内容がありますが、不適当というのはどういう意味でしょうか?この出典ならこう書くべきで、これは書くべきではない、というのは、ちょっとよくわからないのですが。
- 鈴木大拙の霊性の言及を記事「鈴木大拙」に移動することは反対です。日本の霊性についての言及ですので、移動するなら記事「霊性」が適当でしょう。
- スピリチュアル・ビジネスを独立させた方が適切である理由をご説明ください。スピリチュアル・ビジネスは「スピリチュアル・ブーム」と切り離せませんし、スピリチュアル・ブームの中身がすべてビジネスであるわけではありません。よって、私は現状維持でよいと思います。
- また、現在の4つの節分けをやめる場合、他の節分けが必要になり、その理解の助けになるようなアウトラインが必要ですので、その辺りを変える場合スピリチュアリティ理解のアウトラインを提示いただけるとより良いと思います。ひどい状態が長く続いていたので、私が詳しくないながら加筆修正しましたが、調べながらもつかみどころがなく、理解に苦労しました。
- 一つお願いがあるのですが、本記事の前半にキリスト教の霊性について節を設け、簡単に加筆していただけないでしょうか。その節から「詳細は「霊性」で」という風に案内すれば、迷子になる人もいなくなると思います。
- --やまさきなつこ(会話) 2016年2月16日 (火) 12:58 (UTC)
- 霊性とスピリチュアリティを分割したわけではありません。私が政教分離の歴史から移動したものを、移動先が不適切であると判断し、本来の移動先であった霊性へと移動したのです。私の誤解、間違いの修正にすぎません。私はスピリチュアリティ記事で霊性の説明もできると考えこちらに移植したのですが、差し戻しを受けて再検討すると、現状の記事内容および記事名、冒頭の定義からして不適切と判断しました。私自身の考えとしては、霊性とスピリチュアリティは重なるもので、同じといってもいいのですが、論者によっては、「スピリチュアルという言葉が持っている深さと広がりを的確に表す日本語は存在しない」という意見もあるとなれば、そのような議論に悩まされないような記事として霊性がこことは別に存在した方がいいでしょう。ですので、私はこちらに簡単な紹介を書くことはできません。必要があれば霊性から転記されるといいのではないでしょうか。
- 鈴木大拙については、大拙が「スピリチュアリティ」という語を使用していないし、1980年代以降の議論と無関係である以上、スピリチュアリティ記事にあるのは不適切です。鈴木大拙もしくは日本的霊性の記事で書かれる方がよいです。
- スピリチュアル・ビジネスについては、分量としてまとまりもあるし、内容としても特殊であるため、分割した方がいいです。スピリチュアル・ブームと切り離せないのならば、スピリチュアル・ブームという記事でもいいですが、スピリチュアリティという記事で書くには特に説明する必要性がありません。
- 節分けのアウトラインは霊性への移動以前のものは上に書いておりますが、今後のこちらの記事については、いまのところいい案は思いつきません。ただし、医療におけるスピリチュアリティまたはスピリチュアリティ(医療)やスピリチュアル・ブーム、スピリチュアル・ビジネスなど、各分野ごとに分割した方が読みやすくなるでしょう。異なる分野、違う意味を一度に説明しようとすると、政教分離の歴史のように混乱するばかりです。例えば、霊魂、霊界、スピリット、精神など関連記事もあります。これらを統一させることも不可能ではないですが、やるべきではないでしょう。細かい小記事の方が専門的に調べたいときにも役に立ちます。またアトピー性皮膚炎とアトピービジネスのように別途にしてあることも参考にしてください。
- スピリチュアル・ビジネスは有元裕美子の造語ではないでしょうか?--121.107.209.16 2016年2月16日 (火) 16:29 (UTC)
- あいまいさ回避だった「霊性」の記事を独立した記事に成長させていますよね?霊性とスピリチュアリティは完全に同じ言葉として扱われることもあり、今まで「霊性」から「スピリチュアリティ」に転送されていましたが、それを独立させたなら、混乱を防ぐために、両者がどう違うか、明確に説明する必要があります。その説明をお願いしているのですが、意味が分かりにくかったでしょうか?
- 日本の霊性は、キリスト教の霊性の下位概念ではありません。鈴木大拙の記述を「日本的霊性」に書くべきというのなら、現在の「霊性」は「キリスト教の霊性」に改名すべきですね。「霊性」の方でそのように提案します。
- 「スピリチュアリティという記事で書くには特に説明する必要性がありません。」の理由をご精ください。お聞きしたいのはご自身の意見の繰り返しではなく、そう思われる「理由」です。
- 分野で意味が明確に切り離すことができないから、アウトラインが必要だと申し上げています。スピリチュアリティの現在の内容では、そういったことを想定して描かれていないので、無理やり分野ごとできるのは難しいです。もしそういった節分けをご希望なら、現状を無理に切るのではなく、各分野についてご自身で文献を調べて、ある程度分野ごとの違いや流れがわかるようにお書きください。
- 「スピリチュアル・ビジネス」は、私は普通に聞いたことはありますが、造語かどうかは存じ上げません。--やまさきなつこ(会話) 2016年2月17日 (水) 10:30 (UTC)
霊性記事はリダイレクト記事であり、曖昧さ回避ページではありません。Wikipedia:リダイレクトとWikipedia:曖昧さ回避の違いはご存知でしょうか。独立した記事に成長させましたが、分割ではありません。
霊性とスピリチュアリティの違いについてはすでに説明しています。スピリチュアリティは現代用語であり、霊性記事は伝統的な用語としての記事です。改名はWikipedia:ページの改名を守ってください。過去の議論も読みましたが、他の方のコメントの二年後に一方的にコメントされているだけですね。他の編集者との合意形成に努めてください。--121.107.209.16 2016年2月17日 (水) 17:40 (UTC)
取り下げ ノート:霊性において、霊性とスピリチュアリティのページの関係について、前者を歴史や一般概念、後者を現代用語として区分けすることが提案されています。議論場所を集中させたいので、分割提案は一度取り下げます。ページの関係についての議論終了後、あらためて移動提案を別にします。--121.107.209.16 2016年2月21日 (日) 10:09 (UTC)
訂正分割提案
訂正します。私が政教分離の歴史から移動した霊性の記述は、もともと霊性記事を移動先としたもので、スピリチュアリティではありませんでした。しかし、霊性のリダイレクト先がスピリチュアリティになっていたので、ここに転記しました。しかし、小籔グループ論文をはじめ、やまさきなつこさんからの指摘を受けてから検討すると、霊性とスピリチュアリティは別記事にする方が適切なので、もともとの私の政教分離の歴史からの霊性の移動は霊性記事をリダイレクトから記事に起こすことにします。したがって、こちらへの転記は削除して訂正します。したがって、分割提案は鈴木大拙とスピリチュアル・ビジネスのみです。--121.107.209.16 2016年2月16日 (火) 02:26 (UTC)
取り下げ 同上。--121.107.209.16 2016年2月21日 (日) 10:10 (UTC)
超自然(スーパーナチュラル)について出典に言及ない
「自然界の法則を超えた神秘的・超常的なものごとである「超自然」(スーパーナチュラル)もスピリチュアルと形容されることがあるが、スピリチュアリティは個人の内面あるいは個人を通して見出されるものであり、スピリチュアリティと超自然は異なる概念である。」について、出典である島薗論文「スピリチュアリティの興隆をどう捉えるか? 」に超自然(スーパーナチュラル)への言及がなく、虚偽の記載です。--121.107.209.16 2016年2月16日 (火) 16:40 (UTC)
- 島薗論文の出典部分は、「スピリチュアリティは個人の内面あるいは個人を通して見出されるものであり」です。いきなり「虚偽」と指摘するのではなく、これまでの経緯をさかのぼっていただけないでしょうか?もともとスピリチュアル、スピリチュアル、心霊主義での内容の混同や混乱が長い間あり、英語のスピリチュアルという形容詞は「超自然」という意味があるため、超自然現象・超常現象関係はスピリチュアリティかということも明確にする必要がありました。ご自分の意見で「虚偽」と断定、即除去というのは早計ではないでしょうか。スピリチュアル系の記事に関しては、本当に変な風に炎上しやすいので、それを防ぐため、記事同士の混乱を防ぐための予防線というのもある程度必要になってます。他の記事でもノートページでの定期なしにかなり分量を削ったりされていますが、早急で断定的な対応ではあとあと問題も起こりやすいですし、もう少し態度や行動を軟化していただくことはできないでしょうか。たくさんの執筆者がかかわって記事が作成されていくのだということを、どうかご理解ください。--やまさきなつこ(会話) 2016年2月17日 (水) 10:30 (UTC)
Wikipedia:出典を明記すること。--121.107.209.16 2016年2月17日 (水) 16:13 (UTC)
Wikipedia:独自研究は載せないに従って、出典のないものは独自研究とみなせます。除去に反対される場合は、Wikipedia:信頼できる情報源によって加筆してください。超自然との違いについては記事上部に明記されています。--121.107.209.16 2016年2月21日 (日) 10:39 (UTC)
- WP:UNSOURCED:出典を示す責任は掲載を希望する側に。ジャム・パンナさんの編集は、独自研究という疑いを払拭しておりません。合意もなにも、独自研究ではないですか?--121.107.209.16 2016年2月21日 (日) 15:02 (UTC)
- これまでのノートの内容や履歴を見たらわかる事ですけど、もともとこの記事はずーっと長い間オカルト系の内容になっていて、心霊主義とまぜこぜになっていました。見た人はそれを信じるし、ウィキペディアを信頼している人は多いので、ネット上にかなり拡散されました。同じトラブルをくりかえさないという意味でも、間違った情報が広がっていることを考えても、一言冒頭にある事は必要じゃないかとおもうのですが、これまでの事をふまえた一文を、なぜそんなに削除しようとするのか疑問です。冒頭の定義での、「~とは異なる」という出典のない文章はとってもたくさんの記事にありますけど、それも全部削除して回りますか?出典があれば理想的なのは確かですけど、今までの問題を無視したり、読者の分かりやすさや混乱を減らすのも問題あると思います。英語のスピリチュアルという形容詞に「超自然的な」という意味があるけど、名詞のスピリチュアルにはそういう意味はない、スピリチュアルとも日本では呼ばれるスピリチュアリティにはそういう意味はない、というのは、くわしい人には当たり前かもしれないけど、普通そんなこと知りません。これまでずーっと混乱し続けてぐちゃぐちゃだったのに、それでも色んな問題を防ぐように書いてある一文を消さなきゃいけないんでしょうか。あと、ふつうもめているような変更は、ノートで合意をとったあとにするもので、変更してからノートでこういうふうにあとづけで議論するのはおかしいです。なんのための議論?なんのためのノートって感じです。同意させることが前提の議論、結論を先に出して、これが正しいというのって、議論なんでしょうか。何で全然待てないんでしょうか?121.107.209.16さんが今後ずーっとこの記事に常駐して、心霊主義と混同したり、超能力とかオカルト系の事と勘違いした人がいたらそのたびにリバートして、その人を「こうこうこうで、だからその加筆は間違ってる」と説得する予定なのかもしれませんけど、たぶんめちゃくちゃ手間がかかると思います。--ジャム・パンナ(会話) 2016年2月26日 (金) 02:44 (UTC)
- いろいろ発言なさる前に、出典をつけてください。出典のないものは独自研究とみなされます。他の編集者から問題を指摘された以上は出典をつけることは最低限の義務です。私がいつスピリチュアリズムとまぜこぜにしたいといいましたか?スピリチュアリズム記事は別記事としてあります。冒頭で誘導されている以外は不要でしょう。「しかし、日本では心霊主義同様、スピリチュアリティもスピリチュアルと呼ばれることがある[5]。」という文献もあるので、この出典をもとにスピリチュアリズムについてこの記事でも書かれるべきだという編集者もいるかもしれません。しかしそのときは、スピリチュアリズム記事があるのになぜこちらに書くべきか説明を求められるでしょう。Wikipedia:五本の柱ではこうあります。ウィキペディアの「項目は誰でも変更可能で、どの個人も特定の項目を支配できない、ということを受け入れて下さい。したがって、あなたが投稿したどんな文章も予告なく編集される可能性がありますし、コミュニティによる再配布をとがめることもできません。」--121.107.209.16 2016年2月26日 (金) 06:16 (UTC)
パワースポットとスピリチュアリティとの関連が不明
パワースポットとスピリチュアリティとの関連が不明です。出典が明記されないなら削除します。--121.107.209.16 2016年2月17日 (水) 17:46 (UTC)
冒頭の導入部
冒頭の導入部が「人間に特有な心理的あるいは精神的活動の総体または任意の部分を指す用語」などといきなり専門的な定義で説明されていますが、「最も重要な点を簡潔に述べる」というルールに違反しています。このように2015年に編集者した同一人物は、霊性でも色んな人の定義をだらだらと冒頭で書いていましたが、そういう編集はご遠慮ください。
Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)では、冒頭の導入部について
- 「理解しやすい概要を提供する」:「導入節は記事全体の前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。その記事が取り扱う最も重要な点を簡潔に述べる必要があります。主題が注目に値する理由を明確にしたり、少なくとも導入部にてそのことが紹介されている必要があります。(しかし「評価された」とか「受賞歴のある」のような大言壮語とならないように)記事の他の部分よりも、理解しやすい文章であることがいっそう重要です。続く詳細項目への興味を持てるように心がけます。ただし驚くべき事実について、それを説明することなくほのめかすのはいけません。非常に長い段落や、過剰に細かな説明は避けるようにします。より詳しい説明は、記事本文で行います。」
- 「多くの場合、役立つ略語は紹介しますが、専門用語や記号といった理解の難しいものは避けます。」「一般的でない用語が必須であれば、文脈中に登場させて結びつけ、手短に定義します。主題は一般の読者にも親しみやすい文脈の中に置かれているべきです。例えば町の位置を説明するには、緯度経度を使うよりは地域名や、さらに広域の地名を持ち出す方がよいということです。読者を最初の単語からいきなり主題の中心へと放り込むのではなく、そっとその中へと進ませる必要があります。」
ウィキペディアを利用するのは研究者だけではありません。論文をもとに続く詳細項目で紹介するのはいいですが、導入部でそれをやるのは絶対にやめてください。特定の観点を推奨する行為になります。
簡潔には、「宗教的な感情および信念のひとつで、霊性、精神性とも訳される(PDQ®がん用語辞書 )」程度にとどめるべきです。研究者の定義を並べるのだけは非常に読みにくくなるし、プロパガンダにもなりかねませんので、やめてください。WP:NOTOPINION
--121.107.209.16 2016年2月18日 (木) 08:13 (UTC)
出典にないことを書いて自分の主張へ誘導しないでください
やまさきなつこさんが 2015年3月から加筆された個所について現在、出典とされた論文と記事内容を比べていますが、出典に書かれていないことが書かれていることが多々有ります。このような出典の歪曲は今後絶対におやめください。
- Wikipedia:中立的な観点:「ある意見について組み入ることなく、公平無私な言い回しをしてください。」「偏った記述は帰属化・明確化する」。
- またWikipedia:独自研究は載せないでの「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」にもあたります。
具体的には、宗教とかけ離れたなどと安藤論文にないこと、島薗論文になり超自然との関係、小籔論文の引用も間違っており、いずれも、やまさきなつこさんの考える「理想のスピリチュアリティ」つまり、宗教性のなくなった理想を正しいとするような観点へと誘導されています。宗教学者の意見がすべてではありません、宗教家の見解も中立的観点から書くべきです。見解に論争があるのだから、研究者の意見を勝手に自分好みの主張として合成したり、誘導したりすることは、悪質極まる行為です。--121.107.209.16 2016年2月18日 (木) 09:34 (UTC)
個人ブログを出典としないでください
スピリチュアルペイン3 中二階は個人ブログのコピーなので、出典として使えません。内容はいいのですが、Wikipedia:信頼できる情報源に違反します。すべて削除します。--121.107.209.16 2016年2月18日 (木) 09:58 (UTC)
- 服部順治 (2002年5月6日). “霊的世界観の哲学的根拠(長岡造形大学教授 菅原浩)”. 2012年3月13日閲覧。これも個人サイトです。Wikipedia:信頼できる情報源に違反します。作者が大学教授でも公刊されたものではない。すべて削除します。--121.107.209.16 2016年2月18日 (木) 10:29 (UTC)
存在しない出典
スピリチュアルペイン ターミナルケアと家族の愛は、存在しません。リンク切れだとしても、公刊されたものではないですので、Wikipedia:信頼できる情報源に違反します。削除します。--121.107.209.16 2016年2月18日 (木) 10:01 (UTC)
スピリチュアル110番
http://spiritual110.org/ スピリチュアル110番 (カルト発生警報)のサイトの紹介ですが、このサイトを見ても、メールのみで、代表者の名前さえ書いてありません。実際に被害に悩む人は警察に行くでしょうし、このサイトを紹介する信頼できる情報源もないので削除します。WP:NOTADVERTISING。--121.107.209.16 2016年2月18日 (木) 10:36 (UTC)
121.107.209.16さんのこの記事での編集態度について
121.107.209.16さんは、上から目線でただ責めるばっかりで、ぜんぜん対話する感じじゃありません。めちゃくちゃだった記事をよくしてくれたやまさきなつこさんは、この記事にとっても貢献してくれてるのに、それに対して態度がひどすぎて、話し合いというより言うこと聞けって感じです。今の記事に問題があるとしても、もっとふつうに指摘できないの?宗教性をもっと多く扱いたいなら、自分が加筆すりゃいいじゃないですか。でも、この記事に宗教性をもっと入れるなら、そもそも「霊性」の記事必要ないようにも見えますけど。そもそも、「スピリチュアリティ」と「霊性」をどう分けるかはっきりさせないと、今後もずーっと無意味にもめ続けるんじゃないでしょうか。同じ意味としても使われる言葉なんだから、そこをちゃんとしないとはじまりません。はたから見てて、自分の考えにこだわりまくりなのは121.107.209.16さんに見えます。記事をよくしたいなら、ルールを守ってふつうに改善すればいいんじゃないですか?協力し合いが基本の場所で、なんでそんなにけんか腰なんですか?正直121.107.209.16さんのやり方も口調も怖いし、他の執筆者もビビっていなくなりそうな感じです。自分のことを正しいと思うなら、ほかの人にも分かるように、同意してもらえるようにしてください。「自分が思う正しいスピリチュアリティ」「自分が思う正しい霊性」を基準にして、それが当たり前と思って話しをすすめられても、他の人には「?」です。ほんとうに記事をよくしたいなら、態度を改善して、他の人も理解できるように、聞く気になるようにふつうに説明してください。他の執筆者にも、見せかけでもいいので敬意を持ってください。今のままのやり方じゃ、あなたに同意する人はいないと思います。--ジャム・パンナ(会話) 2016年2月19日 (金) 07:46 (UTC)
- やまさきなつこさんは、霊性記事で内田和彦論文を出典とした私の記述を一方的に削除しています。私にとってそうした編集は対話をする態度ではありません。この件についてその後お返事を頂いておりません。Wikipedia:信頼できる情報源およびWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)はルールです。ルールを守ったものでないと貢献とはみなせません。やまさきなつこさんの編集はルール違反です。ルール違反の編集を擁護されるジャム・パンナさんの主張には、私は同意できませんし、どうしてお二方ともそこまで他の編集者に対して攻撃的なのだろうと思います。この記事はお二人のものではありません。見せかけではなく、誠意をもって、またウィキペディアのルールを守って発言なさることをお願いします。
- ノート:霊性において、霊性とスピリチュアリティについて、前者を歴史や一般概念、後者を現代用語として区分けすることが提案されています。--121.107.209.16 2016年2月21日 (日) 10:00 (UTC)
- 差分を観ましたけど、移動はあっても消されているものはないように見えますけど、どこを消されたといっているんですか?具体的にいってもらえませんか?「キリスト教への憎悪を表出されるよりも、ウィキペディアではウィキペディアのルールを守ってください。」とおっしゃってますけど、やまさきなつこさんの編集から、そんなもの読み取れないです。もし121.107.209.16さんが礼儀正しくしているつもりなら、人にもわかるようにそれをあらわして欲しいです。心で思うだけじゃなく、人に伝わるようにしないと意味がないです。それに、宗教関係で推測でこんなことを言うのは、ウィキペディアがどうかとか以前に、人としても普通しないと思います。「Wikipedia:善意にとる」っていうルールもあるんですよ?やまさきなつこさんの編集は、善意に見ても「キリスト教への憎悪」があるんでしょうか。「憎悪」って、とってもつよい言葉ですね。--ジャム・パンナ(会話) 2016年2月21日 (日) 12:51 (UTC)
- ノート:霊性において反論を書きました。「Wikipedia:善意にとる」をやまさきななつこさんに求めたいということです。--121.107.209.16 2016年2月21日 (日) 15:05 (UTC)
- 差分を観ましたけど、移動はあっても消されているものはないように見えますけど、どこを消されたといっているんですか?具体的にいってもらえませんか?「キリスト教への憎悪を表出されるよりも、ウィキペディアではウィキペディアのルールを守ってください。」とおっしゃってますけど、やまさきなつこさんの編集から、そんなもの読み取れないです。もし121.107.209.16さんが礼儀正しくしているつもりなら、人にもわかるようにそれをあらわして欲しいです。心で思うだけじゃなく、人に伝わるようにしないと意味がないです。それに、宗教関係で推測でこんなことを言うのは、ウィキペディアがどうかとか以前に、人としても普通しないと思います。「Wikipedia:善意にとる」っていうルールもあるんですよ?やまさきなつこさんの編集は、善意に見ても「キリスト教への憎悪」があるんでしょうか。「憎悪」って、とってもつよい言葉ですね。--ジャム・パンナ(会話) 2016年2月21日 (日) 12:51 (UTC)
報告 ノート:霊性において、霊性とスピリチュアリティのページの関係について、前者を歴史や一般概念、後者を現代用語として区分けすることが提案されています。議論場所を集中させたいので、議論はノート:霊性にて。--121.107.209.16 2016年2月21日 (日) 10:12 (UTC)
長山正義・森宏一定義は代表的な定義か、導入部
大阪市立大学医学部看護学科教授の長山正義は、森宏一編『哲学事典』(青木書店)での定義を紹介し、森宏一の同事典は「人間に特有な心理的あるいは精神的活動の総体または任意の部分を指す用語」と定義していると主唱者を明記した。この定義を冒頭で書くのは中立性に違反していませんか。また、同事典で「スピリチュアリティ」の項目はあるのか?何ページに書かれているのか?なぜこの定義が冒頭で、代表的な定義であるかのように書かれるのか。導入部について不適切である。長山、森定義は特殊なので「その他の定義」に移動します。--121.107.209.16 2016年3月13日 (日) 04:58 (UTC)
西平直の分類
「それぞれの側面」とのタイトルで、西平直の分類がだらだらと説明されているが、内容と節のタイトルが矛盾しているので修正。「それぞれの側面」では何の説明かさっぱりわからない。--121.107.209.16 2016年3月13日 (日) 04:10 (UTC)
安藤論文
「英語のspiritualityに当てはまる日本語はないため、文脈によって霊性、霊的、精神世界、精神性、精神主義、宗教的など様々に訳されるが、意味の限定や誤解を避けるために、カタカナ書きまたは英語で表記されることも多い」と安藤論文を出典にかかれていたが、そのような文章は原文に存在しない。論文冒頭では霊性と併記されている。--121.107.209.16 2016年3月13日 (日) 04:17 (UTC)
WHOの健康定義は独立した節にすべき
WHOの健康定義は独立した節にすべきである。なぜ、やまさきなつこさんはWHO問題を西平の説のなかで説明しようとするのですか。WHOは組織であり、西平は個人ですよ??WHOの健康定義は独立した節にすべきです。他の学者の論評も加筆したいので。--121.107.209.16 2016年3月13日 (日) 04:47 (UTC)
宗教学事典を独自研究とすることこそ独自研究
[1]で復帰させましたが、「1990年代以降に台頭してきた新しい宗教現象について、既存の組織的な宗教と対置させる意味で、「スピリチュアリティ」という語を用いて研究する試みが多くなった。イギリスの宗教社会学者ジェームズ・アーサー・ベックフォード(James A. Beckford)は、宗教組織にとどまらず医療や教育などの分野にも浸透し発展しているこの現象を「新しいスピリチュアリティ」として考察した星野英紀,池上良,氣多雅子,島薗進,鶴岡賀雄『宗教学事典』丸善、2010年、21頁。ISBN 4621082558。<。日本でも、1970年代後半から90年代前半になされた新宗教研究、90年代の半ばになされた精神世界・ニューエイジの研究に続き、現代宗教研究の第三波として「スピリチュアリティ」が位置しており、島薗進などがその分析にあたっている」という文章が独自研究としてコメントアウトされていた。出典が宗教学事典(丸善)として明記されているのに「独自研究」というのは何ですか?宗教学事典を独自研究とすることこそ独自研究です。消したいひとは、宗教学事典が信頼出来ない情報源であるということを証明してください。--121.107.209.16 2016年3月13日 (日) 04:52 (UTC)
鈴木大拙
鈴木大拙についてはバラバラに書かずに、別の単独節にまとめるべきです。また、現代の学者と鈴木大拙は時代も異なりますし、「日本的霊性」は古典であり一次資料でもあるから、扱いは別にすべきです。--121.107.209.16 2016年3月13日 (日) 05:36 (UTC)