ノート:ダイダラボッチ
数点要望と記事を読んで理解できない点を書いておきます。詳しい方補足お願いいたします。
- 天叢雲剣を作ったとされていますが、このことについての文献て何かありますか?
- 「踏鞴法師系のダイダラボッチ」と、「常陸の国風土記に登場するダイタボウ」に大別している意図がイマイチわからない。具体的にどこに大きな差があるんでしょう? 山とか湖を作ったのが後者で、鍛冶と暴風を司る神が前者? 両方を兼ね備えてるという解釈はないの? 前者は畏怖されてて、後者は親しまれてる とかそういうことなのかな?
- 「踏鞴法師系のダイダラボッチ」は鍛冶の神様なのに、製鉄を行う人たちに嫌われているのがイマイチピンとこない。鍛冶の神様が2人(ダイダラボッチと金山彦)がいてそれぞれを違う人たちが信仰していて、他方を嫌ってるということ? だとしても「鉄を叩くので金山彦命とは犬猿の仲」というくだりも意味不明だし…。(誰かが鉄を叩いたからと言って、他の誰かに嫌われる と言うシチュエーションが思いつかない。)
- 天目一箇眼命と踏鞴法師の読みがわからない。
- 「シシ神の夜の姿。」の件は伊勢市の伝説としてこう語り継がれているのでしょうか。それとも「もののけ姫」の中だけでの話でしょうか。
- 「天目一箇眼命」と「踏鞴法師」はダイダラボッチの別名でしょうか。それとも、ダイダラボッチとイコールではない? (例えば天目一箇眼命という種族の1人がダイダラボッチであるとか。) もし、イコールであるならリダイレクトを張ってください。
Tan 2004年7月17日 (土) 00:34 (UTC)
- 「踏鞴法師系のダイダラボッチ」と、「常陸の国風土記に登場するダイタボウ」に大別している意図がイマイチわからない。具体的にどこに大きな差があるんでしょう? 山とか湖を作ったのが後者で、鍛冶と暴風を司る神が前者? 両方を兼ね備えてるという解釈はないの? 前者は畏怖されてて、後者は親しまれてる とかそういうことなのかな?
- まず、この2者は全く別物です。「ダイタボウ」を信仰している所と、「ダイダラボッチ」を信仰しているところが有り、何れも大男で有るため、混同されがちになりますが、踏鞴法師系のダイダラボッチは人が変わった物、「常陸の国風土記に登場するダイタボウ」は人から変わった物ではありません。
- 「踏鞴法師系のダイダラボッチ」は鍛冶の神様なのに、製鉄を行う人たちに嫌われているのがイマイチピンとこない。鍛冶の神様が2人(ダイダラボッチと金山彦)がいてそれぞれを違う人たちが信仰していて、他方を嫌ってるということ? だとしても「鉄を叩くので金山彦命とは犬猿の仲」というくだりも意味不明だし…。(誰かが鉄を叩いたからと言って、他の誰かに嫌われる と言うシチュエーションが思いつかない。)
- 金山彦は鉄の神様で、踏鞴法師系のダイダラボッチは鉄を叩く神様です。鉄を真っ赤に焼き上げて、其れを叩くので「金山彦を真っ赤に怒らせている」ということです。実際、踏鞴坊主系のダイダラボッチ伝説のある地域で、追い出してしまった地域の神社には必ず金山彦が祭られています。
- 天目一箇眼命と踏鞴法師の読みがわからない。
- 前者を「アメノマヒトツメノミコト」、後者を「タタラボウシ」と読みます。
- 「シシ神の夜の姿。」の件は伊勢市の伝説としてこう語り継がれているのでしょうか。それとも「もののけ姫」の中だけでの話でしょうか。
- シシ神という名称は「もののけ姫」の中だけでの話です。但し、パンフレットには夜の姿を「だいだらぼっち」と記しています。また、ナゴの守等の名称、原作上の「サン」が親に受けた風習、化け物じみたイノシシ等は志摩半島から伊勢市を経て紀伊半島に至る地域の残る伝承です。
- 「天目一箇眼命」と「踏鞴法師」はダイダラボッチの別名でしょうか。それとも、ダイダラボッチとイコールではない? (例えば天目一箇眼命という種族の1人がダイダラボッチであるとか。) もし、イコールであるならリダイレクトを張ってください。
- ダイダラボッチが民話上の俗称で、天目一箇眼命が記紀神話での名前です。天孫降臨の際に降りてきた神様です。「踏鞴法師」は民話中に登場する名前です。これが鈍り「ダイダラボッチ」、「デイタラボッチ」、「ダンダラボッチ」となっています。その他、「一本踏鞴」という別名もあります。斎部氏(奈良時代の忌部氏)の祖先として平安時代の斎部広成により伝えられています。
- 記紀神話では、天目一箇眼命で終始してしまうため、リダイレクトすると記紀神話上の天目一箇眼命も調べなければなりませんね。一方が民話系の名前、一方が神話系の名前ですの民話を中心に書くか神話を中心にするかちょっと難しい所です。Miketsukunibito 2004年7月28日 (水)(UTC)
>天叢雲剣を作ったとされていますが、このことについての文献て何かありますか?(61.198.141.17 さんの質問)
- 結構色々なところに出ていますよ。 このページが判りやすいのではと思います。日本刀剣保存会
あと、署名を入れることと、他人の文章の中には記載しないで下さい。 -- Miketsukunibito 2004年11月7日 (日) 21:40 (UTC)
メモ&加筆のお願い
[編集]いろいろチェックをしていたのですが、本項目には疑義があります。疑義があるんだけど加筆修正ができるところまで調べるのはおれにはちょっと大変なので、疑義についてメモ書きしておきます。わかる方がいたら加筆修正をご検討ください。なお、必ずしも「おかしい・まちがっている」ということとは限らず、「舌足らず」「情報不足」などの懸念も含まれます。
--Nekosuki600 2005年8月23日 (火) 04:38 (UTC)
並列する各地の伝説の並び
[編集]近畿地方のダイダラボッチ伝説に冠する部分に伊勢に関する記述。バランスに問題があるように思われる。また、伝説のヴァリエーションが各地にあるというのは普通のことではあるが、そういう理解のもとに異なる伝説をむりやり一本化したような気配も感じる。
--Nekosuki600 2005年8月23日 (火) 04:38 (UTC)
- 個人的に気になったので少し調べてみたのですが、同じく伊勢方面のダイダラボッチについての記述に不確実なところがあるように思います。一目連を「ヒトツメノムラジ」と読ませるのは学説のうちの一つに過ぎないし(たぶん。江戸期の随筆によると読みはイチモクレン)、隻眼の巨人ダンダラボウシは日文研の妖怪データベースに記事があったので紹介しておきますが(ダンダラボウシ)、これを風神たる一目連や一緒に祀られている鍛冶神の天目一箇神が民俗レベルで同一視されている事例を確認することもできませんでした。もし存在するのでしたらその点を明確に記述していただきたいと思います。また学説レベルでの主張ならば、せめて一仮説に過ぎないということを明記するか、出典を明記してください。--toroia 2006年5月23日 (火) 20:17 (UTC)
- 北欧神話に登場する神々の項目なども各地方の伝説の寄せ集めを表示しているものですので、日本のだけ扱いをかえる必要はないと思います。昔の伝承などの口伝はもともと尾ひれ足ひれがついてるものですので、別な表現の伝説でも実際には同じものをさしていることもよくあります。検証抜きでの情報の安易な削除をしなければいいだけに思えます。--Settenp 2011年1月28日 (金) 13:42 (UTC)
常陸国風土記に巨人の名前は記されているのでしょうか。また、節の題は東日本のダイダラボッチとしてはどうでしょうか。--弥 2006年10月2日 (月) 10:15 (UTC)
近畿地方のダイダラボッチに関して
[編集]「熊野山中から熊野灘沿岸を通り、志摩半島を経て桑名郡を終着点」とありますが、根拠はあるのでしょうか?熊野地方の伝承を調べたら、猟師が鉄砲で脅して追い払ったとあったので江戸時代の話に思えるのですが。普通に考えればどこかの伝承を移入した地域がいくつかあるということで、経路なんてないと思われるんですが。N yotarou 2006年10月25日 (水) 15:09 (UTC)
三重県志摩市鳥羽市
[編集]しばらく動きがなかったのですが、最近の編集で「三重県志摩市鳥羽市」として「何れも志摩市の大王崎の先にある大王島に住むとされ、(中略)片眼片足の大男とされ、人を浚うなど悪さをする」が加筆され、典拠として『大王町史』と『阿児町史』が示されました。
『大王町史』1126ページに「大王島にダンダラボウシという一ツ目片足の身の丈一〇メートルもある巨人がいた」とありますが、片目と「一つ目」は若干違いますので不正確な記述です。
『阿児町史』は昭和52年発行および平成12年発行のものがあるのですがともにほぼ同一の文章で、昭和52年発行の661ページ・平成12年発行の614ページに「ダンダラボッチ」とあるものの伝説の本文(昭和52年663ページ、平成12年613ページ)では「ダンダラボウシ」でした。波切の伝説に触れるものの大王島に住むという記述はなく、「波切からひとまたぎで国府と安乗境の字上野(かみの)まで来たといい」でした(メモに上野の「の」を書き忘れたので別の字だったかも知れません)。足あとを残したという伝承と、「ドンドラ爺」が大石を積み上げて家を作り村人を火の雨から救った伝説が記されていますが、目の数にも足の数にも言及していません。1本足あるいは片足でひとまたぎするというのはあり得ませんし、『阿児町史』には村人を救ったとあっても悪さをしたという記述はありませんので、『阿児町史』をソースに一つ目などとするのは虚偽のソースの提示に思われます。
また、問題部分の編集はノート:ダンダラボッチの議論を無視した編集にも思われるのですが、いかがでしょうか。--N yotarou 2009年4月26日 (日) 09:52 (UTC)
三重真珠養殖漁業協同組合の「志摩の民話」というページにダンダラ法師がありましたので報告させていただきます。厳密に比較したわけではありませんが、「ダンダラボウシ (波切)」は『大王町史』1126ページ、「ダンダラボウシの足跡(和具)」は『志摩町史』(昭和53年と平成16年に発行されたものがありますが、該当箇所はそれぞれ588ページ、1030ページでほぼ同文に思われました)の全文です。波切の方は冒頭が『大王町史』では「むかし」とひらがななのが三重真珠養殖漁業協同組合では「昔」と異なるものの内容はほぼ同じです。
いずれも典拠とされた『阿児町史』ではありませんが、「運んできた土が和具大島」と言及されている和具の伝承に関しては「大王崎の先にある大王島に住む」とも「片眼片足の大男とされ、人を浚うなど悪さをする」とはされていないことのソースとさせていただきます。--N yotarou 2009年4月26日 (日) 15:03 (UTC)
- 参考になるホームページがありましたので修正いたしました。比叡山の信仰としていますので一つ目入道の習合でしょう。--るーぽん 2009年4月26日 (日) 22:29 (UTC)
画像
[編集]「近いと」「考えられるもの」を代表的な画像として掲載するのは常識的に考えてどうなん?--106.180.47.54 2023年1月5日 (木) 13:44 (UTC)