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ノート:ダンダラボッチ

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ダイダラボッチへのリダイレクトが最適では?

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編集合戦気味になっていますが、当事者さんからノートページへの誘導がないので提案します。--N yotarou 2009年4月17日 (金) 11:18 (UTC)[返信]

  • とある方が書いた論文をもとに、大王町教育委員会がまとめた資料や大王町史が出版された。異なることを示す資料はない。
でいいですよね。そしてこの方が書いた論文が間違っている根拠は、資料ではなく
  • (どのような編集方針だったのか存じ上げないですし、国会図書館にもないので検証しようがないですが)『波切のわらじ資料集』に掲載の資料では、この方しか主張していないから
でいいでしょうか。わたしには挙げられている資料の検証ができませんし、もちろんこのとある方のご主張を修正する必要がないから特に誰も何もされないという可能性があると考えるため、真っ向から否定されようとするグムグムさんのご意見には頷くことができません。ということで、賛成との意見表明は変更いたしませんが、よろしくご理解くださいませ。
もう一つ、全国どこでも入手や参照に困らない『日本の神々 神社と聖地6』(ISBN4-560-02506-1)で岩田貞雄さんが、「…この巨人は、関東では「大太法師」と呼ばれており…」と書かれていることを示させていただきます。
なお、グムグムさんはWikipediaの基本方針とガイドラインはお読みでしょうか。わたしの理解で正しければ、グムグムさんはWikipediaで演説されるのではなく、論文等にご主張をまとめて論文誌等に投稿されるのがよいかと思います。蛇足ながら。--Excavator 2009年4月19日 (日) 09:20 (UTC)[返信]
  • (コメント)やっとまともな回答が出てきたかなと思います。N yotarou氏が記した資料では読み返してみると同一と断定する物ではなく、Excavator氏の回答の方が断定しているため検証性に優れていると思います。私が、記事を起こした理由は、同一と断定できる検証性が無いためでありTaketa氏の意見も合わせ、ダイダラボッチの項目に東日本の項目同様派生系として追記するならリダイレクトでも問題無いと思います。--グムグム 2009年4月19日 (日) 10:26 (UTC)-追記、「わたしの理解で正しければ」は間違っています。私の編集方針は検証できない物を削除、1個人のみの主張の物を削除して、写真で検証できるか複数の同一主張がある物を記載しているにすぎません。--グムグム 2009年4月19日 (日) 10:33 (UTC)[返信]

(コメント・賛成より)(インデント戻します)同一かそうでないかよりは、記事ダイダラボッチが広い内容を含む記事である点が重要だと思います。ダイダラボッチの冒頭に、「ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人。山や湖沼を作ったという内容が多い…(略)」とあることから、少なくともその点でダイダラボッチとダンダラボッチに共通点が有ると思います。でダイダラボッチは「日本の各地で」と有るので、「志摩市、鳥羽市の民話に伝わる」ダンダラボッチよりは広い概念だと思います。であれば、一旦記事ダイダラボッチの中の適切な節へ、ローカルなバリエーションとして、現記事ダンダラボッチの内容を持っていって充実を計り、その節の内容が一つの記事として成立するようになるまでは、ダンダラボッチはダイダラボッチへのリダイレクトにしておく方が良いように思います。--Taketa 2009年4月18日 (土) 13:48 (UTC)[返信]

  • (コメント)それも一つの方法かも知れませんがかなり異なる記事になるかも知れません。また、ダイダラボッチの記事は、風土記を元に書かれています。地域の記事を書いた場合、ダイダラボッチであるという事を資料で提示するだけの資料は和尚さんの論文以外に存在しないと思います。派生系、類似系と書いた場合は根拠が必要で自己研究の域に入ってしまうと思います。今、賛成票を投じた3人に求めているのはその根拠となり得る資料の提示を求めています。納得のいく資料さえあれば根拠としてTaketaさんの意見に賛同します。--グムグム 2009年4月18日 (土) 15:36 (UTC)[返信]
  • (賛成)理由1:ダイダラボッチの記述にて、語源として『ダイダラ坊の足跡』より「大太郎法師」が示されています。ダンダラボッチもこれとほぼ同一の音であり、ダイダラボッチと同じと考えてよいのではないでしょうか。もし、ダンダラボッチの語源として「大太郎法師」以外のものが出典と共に示されるのであれば再考します。理由2:同じくダイダラボッチの記述にて、熊野大社との関わり、資料としては出雲国風土記、島根県松江市八雲町に伝わる民話が記されています。わらじ祭り (志摩市)を見ると左記資料との関連が見受けられるので、ダンダラボッチの話が内包されていると考えます。以上2点から、ダンダラボッチをあえて別記事としなくてもよいとの認識です。--~超~ 2009年4月18日 (土) 19:41 (UTC)[返信]
    • コメント穏便に済ませようと普通の議論を装っておりましたが、この件を理解するためには過去のいきさつを知る必要がありますので示します。ダイダラボッチに関しては2009年3月23日 (月) 21:58の版もご参照下さい。それ以後の版は微妙に編集されてグムグムさんの主張に都合がよいようになっているように感じます(ノート:ダイダラボッチもご覧下さい)。わらじ祭り (志摩市)も参照しないでわらじ曳き2008年9月28日 (日) 11:19版をご参照下さい。過去の版を示すのは、これもこのような編集があったからです。併せてノート:わらじ曳きおよびノート:波切神社 (志摩市)その過去ログ利用者‐会話:Miketsukunibitoもご参照下さい。なお波切神社 (志摩市)もグムグムさんによりこのような編集がされております。下書きで恐縮ですが、これまでに確認された同じようなアカウントに関してMiketsukunibito以外もまとめてありますのでご参照頂ければ幸いです。--N yotarou 2009年4月18日 (土) 23:00 (UTC)[返信]
      • ダンダラボッチのリダイレクト化についてはN yotarouさんのご提案に賛成で、どうして私の意見の後にこのコメントが付くのか分かりません。こういう意見の提示の仕方をされると、議論がややこしくなりませんか?付いたコメントについては、何となくおっしゃりたい事が分かるような気もするのですが、誤解してしまうと問題ですので、別件としてコメント依頼にまとめて、改めてご提示していただければと思います。--~超~ 2009年4月19日 (日) 01:42 (UTC)[返信]
      • (コメント)N yotarou氏の被害妄想も甚だしいですね。私がN yotarou氏の書いた記述を修正したのは参考文献は複数ですが、全て1個人が書いた論文を元に記載している為です。しかも中身は間違いだらけ。韋と葦の誤字まで丁寧に載せています。反面、私の書いている物はその部分を除去し、参考部分は写真になっている部分のみです。また、祭りの名前も志摩市役所の物に合わせています。つまり1個人の研究成果のみが掲載された物を除去、複数の方面で検証できる物を追記という形を取っています。言いがかりもほどほどにして頂きたい。--グムグム 2009年4月19日 (日) 05:01 (UTC)  インデントを下げました。どのコメントに掛かった意見なのか分かるよう、適切な箇所にコメントをお願いします。 --~超~ 2009年4月19日 (日) 06:49 (UTC)[返信]

議論終了の提案

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『大王町史』は松阪市松阪図書館三重県立図書館・津市津図書館・四日市市立図書館・伊勢市立伊勢図書館・鳥羽市立図書館・多気町立多気図書館・明和町立図書館・志摩市立志摩図書館・志摩市立阿児図書館・志摩市立磯部図書館三重大学附属図書館 ・国立国会図書館・東京都立中央図書館・神奈川県立図書館・兵庫県立図書館(こちらから検索をお願いします)・春日井市立図書館(こちらから検索をお願いします)・豊田市中央図書館(こちらから検索をお願いします)の合計18の図書館に蔵書があり、『波切の神祭り』は鳥羽市立図書館・志摩市立阿児図書館・磯部図書館明和町立図書館津市久居ふるさと文学館・国立国会図書館の合計6の図書館に蔵書があるようなのですが、『波切のわらじ祭り資料集』は同様の検索を行なっても 志摩市立磯部図書館でしか検索結果に表示されませんでした。

ほぼ1週間経過しましたが、グムグムさん以外にダンダラボッチとダイダラボッチが別だとおっしゃる方は現れないどころかグムグムさんが外部リンクとした「わらじ祭り実行委員会」とやらのサイト内をGoogleで「ダンダラボッチ ダイダラボッチ site:warajimatsuri.jp」と検索しますと「志摩国に当てはめると、ダイダラボッチが住んでいた天狗山がダンダラボッチが住んでいた大王島(韋夜が島・いやがしま)」と同一視しているような記述が出ますし、グムグムさんが典拠とする『わらじ祭り資料集』は三重県の図書館の検索では磯部町にしかなく、国会図書館にも蔵書がなく、発行部数が200部(中日新聞のアーカイブ)とのことですから、Wikipedia:検証可能性を満たさず典拠として不適切に思われることからダンダラボッチはダイダラボッチへのリダイレクトに戻すことに関しては合意成立と見なしてよいと思います。補足しておきますが、この合意は『わらじ祭り資料集』の内容に関しては、グムグムさん以外は確認していないのですから質や信憑性を問題にしたものではなく、発行部数が少ないなどの理由で他の方の確認が極めて困難であるという一点のみであることは強調しておきます。

さてグムグムさんがお書きになった内容をどうするかですが、一時期「志摩市中心にならないように」と指摘されたこともありますし、Wikipediaでは不適切な典拠によるものですから単純に廃棄、でよいと思います。また、波切のダンダラ法師の伝承に関してはわらじ祭り (志摩市)ではなく、わらじ曳きを差し戻したのちに適切な典拠に基づく編集であれば歓迎するということでいかがでしょうか。わらじ祭り (志摩市)に関してですが、これも同様にわらじ曳きへのリダイレクトにするのが妥当だと思われます。『波切の神祭り』(大王町宇教育委員会発行、昭和五十三年六月一日初版・平成三年三月一日再版)を典拠とし、同書14ページから「住民は旧は草履引きと呼んだが、近時観光宣伝はわらじ祭りと表示して草履をクローズアップしている」を引用しておきます。--N yotarou 2009年4月24日 (金) 15:20 (UTC)[返信]

(コメント)だいたい、ダンダラボッチはダイダラボッチとは異なる物だと主張している人が、ダイダラボッチがダンダラボッチより広い概念ではないかとの見解に基づく提案に対して、「それも一つの方法かも知れませんがかなり異なる記事になるかも知れません。」と言うこと自体おかしな話なのです。本当に異なる物だと考えているのであれば、それほど議論が進んでいない段階でそのような提案に歩み寄りをするはずがありません。異なる物を一つの項目にまとめる編集なんてありえないし、そんなことをしたらまともな項目になるわけがない。

結局のところ、グムグム氏は、ダイダラボッチとダンダラボッチは同じ物であり、一方が他方のバリエーションに過ぎないことを認識しつつも、誤った郷土愛に基づく志摩の宣伝目的のためにむりやり別項目を立てようと試みたと考えるのが一番素直です。

早急に議論を打ち切り、リダイレクト化すべきでしょう。--ナウなヤングにバカウケ 2009年4月24日 (金) 16:06 (UTC)[返信]

まず、発行部数が少ないから検証の可能性はできないは回答にはなりません。公的なところに1カ所でもおいてあり、第三者が自由に閲覧できること自体、検証の可能性は残されています。自分ができなくとも他人ができる状況下にある物を否定すること自体問題です。さらに、わらじ祭りの題名すら昭和40年代から有りますので、既に40年以上も使われてきた物を何故、否定する必要が有るのでしょうか?『「住民は旧は草履引きと呼んだが、近時観光宣伝はわらじ祭りと表示して草履をクローズアップしている」』これ自体も、地元の人が書いたのか疑いたくなる記述で、その昔は「じじんざい」、「じじんざいを踏む」と呼ばれていたそうです。「わらじ祭り」という名前を否定する理由は何処にあるのでしょうか?神社の前の祭りの紹介看板も「わらじ祭り」N yotaro氏が「葦夜神」の記述を見たと書いた看板には「わらじまつり」と表記されています。もっとも、この看板を見ていないことは、私に看破されてしまいましたが。N yotarou氏の通りにすれば、福島のわらじ祭りも記事名が誤記になります。最もその手法で書けばかなりの記事が問題になり、この手の記事は一般的な名前にすることが慣例になっていたと思いますが?しかも40年以上も公的機関などが使った名前がダメとはおかしな意見です。
最初、リダイレクト化するためには書物などの証拠が乏しいため、不適切と考えまず記事を立てています。何も100%リダイレクトに反対する言う立場は取っていません。書物の提示があれば賛成の立場ですが、N yotarou氏の提示した書物は書く前に閲覧し、それらの記載がない事というか、仏教の鬼の方向に進んでいるため、同一視することはできず記事を立てたまでです。--グムグム 2009年4月25日 (土) 01:04 (UTC)[返信]
コメント - 誤解を招かないようにコメントしておきます。グムグムさんのいうところの「案内板(ステンレス製)」の右下に「夜権現祭」とあったのは確かですし、「ダンダラボッチ公園」の案内板の本文中にも「夜権現」とありました(本文中では「ダンダラ法師」)。拝殿内部よりもこれら2か所の方が多くの人の目に触れると思うのですが、本当に誤記であって問題であるならば、それらをすぐに修正すべきであって、Wikipediaで誤記だと騒ぎ立てても仕方ないと思うんですよ。国会図書館にはないようですが、『海の神信仰の研究〈上〉』(堀田吉雄著、1978年)の53ページで波切の郷土史研究家(観光協会に関係していらっしゃったような曖昧な記憶があります)の岡賢さん作成のパンフレットを引用した部分、上段中ほどに「ダンダラボウシ(大太郎法師)」・「産土神夜権現」、下段2行目に「夜神」とあります。1978年は『波切の神祭り』が発行された昭和53年で半年ほど『波切の神祭り』の方が発行が早いようですが、『海の神信仰の研究〈上〉』の該当部分は国際日本文化研究センターの『怪異・妖怪伝承データベース』の「ダンダラボウシ」のソースにある、昭和50年発行の『フォクロア』に掲載された『志摩の白蛇信仰について』が初出で、『波切の神祭り』の誤記の引き写しではないと思うんですよね。以上、一応弁明しておきました。
そうそう、波切神社に関する誤記と言えば、2001年12月に「地元の神社(三重県志摩郡・波切神社)のHPを作る予定」だった方は「葦夜」を「地元ではアシヤと読んでいます」と書いたあとで「禰宜さんに確認したところ、「イヤ」が正しいそうです」と修正していたようですね。謙虚でいい姿勢だったと思います。--N yotarou 2009年5月19日 (火) 16:41 (UTC)[返信]
その直後にやはり禰宜さんに確認した話として「但し、漢字の書き方は、スサノオノミコトのように時代によって違うかも知れない」とのコメントがありますね。--Excavator 2009年5月20日 (水) 11:08 (UTC)[返信]

グムグムさんはMiketsukunibitoさんですか?

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ご回答をお願いします。--N yotarou 2009年4月21日 (火) 12:55 (UTC)[返信]

横から失礼致します。ここは、あくまで記事ダンダラボッチのノートであり、その話をするには適切ではないと思います。ここで継続して本件を議論したいのであれば、これが判明したとして、この記事にどのように影響するのか、その後のストーリーをお示しいただけますか。
できれば、この件はコメント依頼、あるいはグムグムさんの会話ページなどでお願いしたいです。
それから、元々のリダイレクト化の件はどうなるのでしょうか?--~超~ 2009年4月21日 (火) 15:18 (UTC)[返信]
  • (コメント)別人です。所で、貴方は何者ですか?志摩市の祭り事をさも知っているような記事を書いていますが、何も調べず自分の脳内で書いていませんか?。間違いが多く、先日からの作業はその修正です。一つの市でインターネットの人口、何千人いるとお思いですか?私の回りだけでも、ウィキペディアに書いている人は少なくとも10人はいます。今書かれている内容、この前他で修正した内容、どこか間違えていますか?過去に何かあったか知りませんが、メチャクチャな言いがかりを志摩関係でまともに書く人全てに言い続けるつもりでしょうか?。それと、私が求めた資料の回答はどうなったでしょうか?回答せず終いでしょうか?--グムグム 2009年4月22日 (水) 06:56 (UTC)[返信]
  • (コメント)私が引用している部分は写真部分のみで、大王町史が発行された以後、他のお寺で発見された古文書です。引用書籍の記載者には町史の掲載者も含まれています。--グムグム 2009年4月22日 (水) 07:16 (UTC)[返信]
  • (コメント)大王町史、教育委員会がまとめた資料を理解していない節がありますね。何れも同一人物の執筆で、先に教育委員会がまとめた資料を、そのまま転記したのが大王町史。しかも著者はお寺のお坊さんで、祢冝さんは著者には含まれず。また、ダンダラボッチを悪鬼という出発点から研究している資料だからダイダラボッチとは全く方向違いの資料。同じ資料を持っている私からすれば何処に同一という決め手が書かれているのか不思議でなりません。何ページの何行目に記されていますか?--グムグム 2009年4月22日 (水) 08:46 (UTC)[返信]
  • (コメント)「葦夜神」と町史を盾にしていますが、大王町史p889、第3章神社の項目確認のこと。「韋夜神」と書かれていますよ。P1072とP1073は両方。p1073から誤記の始まり。--グムグム 2009年4月22日 (水) 10:03 (UTC)[返信]

コメント依頼へ移行する提案

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グムグムさんの日本語がさっぱり理解できないのですが、そもそもWikipediaに葦夜と書いたのは私ではなくMiketsukunibitoさんですし、『大王町史』にも『波切の神祭り』にも「葦夜」の表記がありましたし、波切神社の本殿前にあるわらじ祭りの案内にも「葦夜」とありましたし、波切住民による組織票が大量に投入されたとしか思えない「伊勢志摩きらり千選」でも「葦夜」ですし、2005年春には志摩市観光協会大王案内所も「葦夜」で、グムグムさんがあちこちに外部リンクとした「わらじ祭り実行委員会も2005年末には葦夜だったのですから、誤字の責任があたかも私にあるかのように叫ぶのは筋違いでしかないと思うんですよ。別人だというなら、私ではなくMiketsukunibitoさんとか志摩市観光協会大王案内所などの責任を追及しないのは明確におかしいです。私への攻撃的態度からMiketsukunibitoさんと同一人物としか私には考えられません。

話を戻します。

しかしながら、ここで少人数が同一人物だと認定してもあまり意味がありませんし事実誤認のおそれもありますので、ダンダラボッチその他の記事での編集などグムグムさんに関するコメント依頼を提出し、議論はそちらで継続することを提案させていただきます。

蛇足になりますが、グムグムさんが繰り返し「著者はお寺のお坊さん」とおっしゃっているのは故人の秀森典嶺さんで、前出中日新聞アーカイブで個人名が出ている秀森一陽さん(Google検索結果)は典嶺さんのご子息で現住職さん(中日新聞記事)ですから、「著者はお寺のお坊さん」という理由で典拠不適切であるとするならば、グムグムさんの示した典拠も同様に不適切(それ以前に残念ながら発行部数が少ない問題で不適切ですが)になるはずです。また、「Miketsukunibitoさんですか?」との質問に対して「私が引用している部分は写真部分のみで、大王町史が発行された以後、他のお寺で発見された古文書です」と対話にならないことをおっしゃっていらっしゃいますが、『他のお寺で発見された古文書』は『仙遊寺文書』(前出中日新聞のアーカイブでは「昭和五十年代になって発見された「宝永集」「福州和尚年譜行状」」となっており発見された時期が異なりますが、いずれにせよ『大王町史』発行以前です)だと思うんですよね。それであれば1994年に大王町史発行される以前の1985年に発見されたと『大王町史』に記されていますし、『波切の神祭り』の再版でもその内容が反映され検証されていますので、グムグムさんは事実誤認か虚偽の主張をしているように思えてなりません。

そして中日新聞の記事中では「ダンダラボウシ」とあり、『大王町史』でも『波切の神祭り』でも主に「ダンダラ法師」や「ダンダラボーシ」などと表記されているにもかかわらず『ダンダラボッチ』の表記を採択した点が気になります。これは典拠の捏造あるいは改竄にあたるように思われるのですが、いかがでしょう?--N yotarou 2009年4月24日 (金) 15:20 (UTC)[返信]

  • (コメント)「ダンダラボッチ」の名前は「ダンダラボッチ公園」、まんが日本昔話の題名に見ることができます。市役所などの公式系がダンダラボッチ、民話などの研究の方はダンダラボッチとその他という具合で表記は一定していません。そこで一般的な市役所の表記に合わせています。捏造とは心外ですね。韋夜神は大王町史、神社の神様の一覧、引用したと言った写真は昭和五十年代になって発見された「宝永集」「福州和尚年譜行状」その物の写真。韋夜神の件は言っても無駄と思い証拠写真を波切神社のページに掲載しました。私の引用した物は市政移行で大王町教育委員会が無くなり、その後、同一編集者によって作成された物で、「波切の神祭り」の改版に当たります。但し、何れの物も同じ引用のたらい回しですから誤字と判っていても修正するわけがありません。誤字を修正したら捏造を疑われますからね。『波切神社の本殿前にあるわらじ祭りの案内にも「葦夜」とありましたし』何処にあるのでしょうか?今、その案内板(ステンレス製)の写真を見ながら書いていますが、神社の前の案内板には神様は登場しませんが?嘘をつかないで頂きたい。攻撃も何も、貴方のページに「韋夜」と書きながら他のページでは「葦夜」と書いていることに疑問を感じたからです。先に過去のノートを見て「葦夜」に固執していると思います。それと観光協会の方は大王町史を引用したため同じ誤字になったと聞いています。志摩市観光協会大王案内所を非難しないのはこれを聞いているためです。わらじ祭り実行委員会の方は志摩市観光協会に右へ習いしたためですね。きらり千選も同じ。事実誤認を認めない態度自体コメント依頼される対象が違うのではないでしょうか?--グムグム 2009年4月24日 (金) 20:09 (UTC)--追記・観光連盟もダンダラボッチになっています。三重県観光連盟・三重の昔話 --グムグム 2009年4月24日 (金) 20:34 (UTC)[返信]

反対 利用者に対するコメント依頼には反対します。理由:記事内容についてはその範囲で結論づけるべし。--Safari 2009年4月24日 (金) 21:41 (UTC)[返信]

賛成 グムグムさんによってダンダラボッチがダイダラボッチへとリダイレクト化されましたが、転記といいつつダイダラボッチ(三重県志摩市・鳥羽市分だけ参照ください)での追記内容が対応していません。誰も何も言っていない編集を強行する行動に問題があると考えます。--Excavator 2009年4月26日 (日) 12:51 (UTC) 賛成に変更--Excavator 2009年4月30日 (木) 14:39 (UTC)[返信]

あなたたちは一体何が目的ですか?

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リダイレクトしろといいながら、リダイレクトしたら猛抗議。さらに、反対されている方3人とも、よく似た時間帯にしか書き込んでいなく、同一人物としか思えません。コピーレフトなサイトなら、間違いを書いて正したら如何ですか? 書かずに文句を言う姿勢こそコメント依頼に値すると思います。--グムグム 2009年5月1日 (金) 03:34 (UTC)[返信]

(追記)私自身、間違いの指摘を受けたらその都度修正していますが、この修正に何か問題有りますか?修正を反対しましたか?問題ありきは、速修正を行っていますが。あなた方の姿勢は、それとは別に志摩市の文化的な記事を削除しようとする方向にしか働いていないように見えます。自己研究でもなく、既に刊行されているものなどの記事をまとめただけで何が問題ですか?資料の提示もその都度行ってきました。これで、コメント依頼などメチャクチャじゃありませんか?--グムグム 2009年5月1日 (金) 03:48 (UTC)[返信]
リダイレクト化自体に反対しているわけではないことはわかっていただけるかと考えたのですが。同一人物というのはN yotarouさん・ナウなヤングにバカウケさんとExcavatorのことを指していますか? N yotarouさん・ナウなヤングにバカウケさんにはExcavatorと同一人物と思われるとご迷惑でしょう。ただ、必要ならCU依頼やコメント依頼は出していただければと。--Excavator 2009年5月2日 (土) 01:19 (UTC) あまりに突拍子もない同一人物指摘でしたので落としてしまいました ^^;;; ナウなヤングにバカウケさんを追加させていただきました。--Excavator 2009年5月4日 (月) 01:33 (UTC)[返信]

コメント依頼提出

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グムグムさんだけでも天白信仰わらじ曳きなどの件もございますので、過去のMiketukunibitoさんからまとめてWikipedia:コメント依頼/大王町観光中心の一連の利用者を提出しましたので報告させていただきます。--N yotarou 2009年5月3日 (日) 13:50 (UTC)[返信]