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ノート:ダイワスカーレット

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敗れるという表現について

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レースは1着以外の結果は敗れるということは誰もが承知のことです。それをわざわざ表示する必要があるのでしょうか?問題となっている有馬記念では5番人気で2着となっているわけで、ディープインパクトが2着となった2005年の有馬記念ならディープが敗れたでもかまわないと思いますが、今回のケースは敗れはしたものの2着だったわけです。敗れたという表現は2着も最下位も同じ扱いになる気がします。2ケタ着順なら敗れたと書かれても仕方ありませんが、敗れたとかけば2着に対する評価を無視する形になると思います。反対意見がなければ「2着に入った」に戻したいと思います。サバンナ 2007年12月30日 (日) 12:56 (UTC)[返信]

その表現についてそこまで固執する必要はないのではないかというのが、私の考えです。ただ単に「敗れた」とだけ書かれているならば、レースの内容によっては補足が必要な場合もあることでしょう。今回の場合は「だが」と続けて、人気馬の中で最先着したという理由で、有馬記念の敗退がこの馬の評価を著しく下げるものではないことを示していると考えることができます(現に私もそのように考えております)。しっかりと補足されているので特に問題はない、そういうわけで第1文の私の考えになります。--零式人間 2007年12月30日 (日) 19:38 (UTC)
私が最初に本文で「2着に入った」と書いた後に「一応、5番人気で2着とはいえ敗れたことに変わりわないので敗れたにしておきます。」という理由で敗れたと書かれたので、それをまた戻したらいたちごっこになるのではないかと思いこのノートに書いたまでです。サバンナ 2007年12月31日 (月) 11:01 (UTC)[返信]
明確な反対意見はなかったので戻します。サバンナ 2008年1月9日 (水) 06:30 (UTC)[返信]
今さらですが、「2着も最下位も同じ」というのは、まさにその通りだと思いますけどね。競馬の原点は賞金勝者総取りですし、現在でも表彰されるのは優勝のみで、2着は賞金こそ分配されど賞は授与されないのですから。こと競馬に関しては、「2着に健闘」とかそういう書き方は個人的には好きではないです。--けいちゃ 2008年5月28日 (水) 14:00 (UTC)[返信]

名前の由来について

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とりあえず出典は付与され、正しいように思えますが、馬主本人のコメントもしくは、(最近はあるか分かりませんが)競馬場に行った際にもらえるJRA発行のレースガイド中の馬名由来紹介、JRAが公開している現役馬の名前由来などの資料をご存知の方は出典の更新に協力いただきたく、よろしくお願いします。Fuji 3 2010年1月6日 (水) 16:21 (UTC)[返信]

「2勝2敗1分」という表現について

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A馬とB馬の(いわゆる)直接対決成績というものに対するスタンスには、以下のいずれかしかありえません。

(1)競馬は各馬が個別に優勝を目指すものであり、両馬2着以下になった際に優劣を表現する、直接対決成績自体が不適切である、というスタンス

→このスタンスでは、「勝」とは「優勝」を意味する以外に用いてはならず、「両者を相対化しての『○勝○敗』」という表現自体がそもそもありえないことになります。(ましてや「分」(「引き分け」)とは意味不明です。優駿がそのような表現をかつてとられたのは、3勝2敗とすることによる議論の混乱・過熱を恐れるあまり当時やや拙速な表現をしてしまったのではないでしょうか?そもそも随筆的な文章の一部分に過ぎないわけですし。今でも優駿さんがそのような表現を適切と考えられ・正当化できるのであるかどうか、聞いてみたいところです。)


(2)A馬とB馬のみの同一出走レースにおいての先着の単純な着順の結果の優劣を示すものとして(その戦績の価値は置いておいて)示したものであるというスタンス

→このスタンスでは、極めて当然の話として、A馬2着とB馬11着というレースはA馬が1勝B馬が1敗という扱いになります。

「引き分け」などという表現は、同着になったレースがあるのでない限りは、ありえません。


以上より、「2勝2敗1分で5分5分」という表現は、どのように考えても不適切なものであり、編集で改定されるべきです。 「3勝2敗」とすることになる(2)のスタンスをとらず(1)のスタンスを取る場合は、例えば「5戦の内、A馬が2勝B馬も2勝した」 というような表現が適切です。--すていぶる会話2022年5月25日 (水) 15:34 (UTC)[返信]

--すていぶる会話2022年5月25日 (水) 15:20 (UTC)[返信]

コメント 例えば『優駿』2014年11月号には、時がしばらく経ってからライバル関係を記述、整理されています。この中では、2007年の有馬記念には「△」が充てられています。これは分けという認識ではありませんか。競馬というのは、1頭の勝者と複数頭の敗者を生むものであり、2着や5着に賞金が出るというような細かいルールがあるにしても、何かの敗者であることには変わりありません。直接対決の優劣というのは「相手に土をつける、負かす」ということだと思っています。仮にAがいなくても、Bが敗北する要件を満たしていれば、Aが負かしたことになるわけではないでしょう。今回の例では、2着と11着という大きな差があり、確かに2着が内容的には勝っただろうという気持ちも汲むことができますが。
例えばトライアル競走で優先出走権が得られる、得られないを懸けた一戦で、当落線の3着4着を争ったというのなら優劣、勝負、明暗の一つの示し方かもしれませんね(これは競馬の上に、トライアル競走が乗っかるという目的が二重になった時のみ適用できるかも。しかもそれ自体に特筆性があるだろうか)。しかし、15着と16着だったら15着の勝ちかといわれるとどうでしょうか。そのはっきりとした基準が必要で、印象で決めるものではないでしょう。よって1着以外の先着が優れているとは思えないという論理になります。
日本語には「痛み分け」という言葉があります。双方ともに勝負がつかず、共に怪我、ダメージを負うことを指します。勝者がアンビリーバブルなことがない限り1頭としますが、AとBが共に1着以外となり、共に優勝できなかった場合、星を落とすというダメージを負うことになります。これは痛み分けた、転じて分けるということではありませんか。2着や11着でも星を落としたことには変わりないでしょう。
肌感覚としては、私の意見は(1)の方に近いです。ただし競馬において直接対決は少し特殊であり、最先着を争うゲームでそれ以外が偉いというところではないという点だけ留意しなければならないと思います。--OKfarm会話2022年5月25日 (水) 17:49 (UTC)[返信]
そのコメントは私の文章に対する返信でしょうか?
端的に言って、私は「2着以下における先着が優れている」、「ダイワスカーレットの3勝2敗だ」という主張は一切していないのに、あなたは、8割以上延々と、『そうした主張をしている人宛て』の話ばかりしています。
(私の最初の編集の改定も完全に、「5戦のうちそれぞれが2勝した」というものです。)
(2)は「2着以下でも着順が上の方が優れているのだ!」という『価値判断』をしているのではなく、
「(直接対決の成績として(1)の立場をとらない限りは、2着以下で上の着順が勝という扱いに
自動的になる」という『事実』の話をしています。
部分的に優駿の△をもって「引き分け」とあなたが捉えたことは分かりましたが、
(2)の場合に引き分けとは同着の場合しか意味しないのはもちろん、
競馬は1着が勝者という(1)の場合は、1着以外は敗者なので、引き分けた存在はありません。
(あなたも「競馬というのは、1頭の勝者と複数頭の敗者を生むものであり」と言ってますね。(1)の方に『近い』というか(1)そのものであり、あなたの立場でも『引き分け』という概念は存立しません。)--すていぶる会話2022年5月25日 (水) 20:25 (UTC)[返信]
返信
これは「返信」です。そして上は、合意形成について対案を示したり、私自身の気持ちを表明する「コメント」なので悪しからず。またもう一つですが、議論中に該当する内容を編集されますと腕ずくで解決しようとしないに抵触されますので気を付けてくださいね。今は議論中です。
本題ですが、あなたは読み間違えていませんか。私は「引き分け」とは一言も言っていません。痛み分けの分けであるのです。そもそも直接対決という、競馬としてはある種「特殊」な取り上げ方をしているのに、通常の勝ち負け引き分けの概念を引っ張り出して、その狭い視野で考えることが、安易ではないかと表明しているのです。あなたの言う「自動的」の論理は、こちらが表明したコメントを汲んでいただけていないようです。
私の主張を簡単に言えば、どちらも1着でなかったら、直接対決の意味をなさない、ノーカンだということです。どちらもマツリダゴッホに負けたよね、痛み分けだねというわけです。
あなたの批判をするのは、あまり気が進みませんが、5戦のうちそれぞれが2勝したにケチを付けさせてもらうと、それこそ同着の場合もあり得るのではないでしょうか。5戦で、同着、同着、4着5着、13着15着、16着17着でも、5戦のうちそれぞれが2勝したことになりますよ。「2勝2敗1分の五分五分」というのは、Aを2回下し、2回下され、1回はノーカンだったを端的に表した文章であることを理解いただけないでしょうか。Wikipedia:言葉を濁さない#曖昧な表現を支持する出典を添えるには、出典に基づいた表現が求められています。参考資料『優駿』を参照して、こちらで良くありませんか。
重ねて三段論法で分かりやすく示します、「ダイワスカーレット=マツリダゴッホの敗者、ウオッカ=マツリダゴッホの敗者、よってダイワスカーレットとウオッカはマツリダゴッホの敗者だ。」互いに星を落とす痛み分けだね、敗者同士の優劣はつかないよね。ここまで止まりです。実際に相手の顔に泥をつけたのは、つけられたのは、何回だよ、そのうち1回は、マツリダゴッホに両成敗させられたよというロジックです。--OKfarm会話2022年5月25日 (水) 22:57 (UTC)[返信]
そもそも、(1)の立場であるならば、2頭のみの直接対決に着目しておきながら優勝のみをカウントする、というのが奇妙で、そもそもそれならば((2)を嫌うならば)直接対決に着目すべきでない、これが原点なんですね。
この特殊な状況ゆえに、「分」を「引き分け」ではない「痛み分け」、と捉える。確かにそれは一見“優れた知恵”のようでもありますが、少し一歩引いてみると“過剰な形容的表現”という感じのものです。
野球の戦績などで、「○勝○敗○分」の「分」は、正真正銘の「引き分け」というスポーツの結果上の『客観的事実』を意味するというのは、かなり一般的なものです。「『痛み分け』の『分だ』」というのは、いつのまにか何か得体の知れないような理屈にたどり着いたというようなものでないでしょうか?
出典でないほうが自然な表現の場合、むしろそこでただ文献を機械的に引用するという作業から離れて見るようなことは、むしろ積極的であるべきですらあります。そのような立場を取っても、「〇〇さんは△△と言った」という場面のように、どう考えても出典に依拠しない場合は山ほどあります。
そしてそもそもこの話での本当の出典とは、「JRAの公式のレース結果とその各馬バージョンである両馬の公式の戦績」に他ならないのではないですか?--すていぶる会話2022年5月26日 (木) 07:07 (UTC)[返信]
返信
おおよそ言いたいことは、柒月例祭さんが下でおっしゃっているものです。
端的に申し上げれば、これは「ライバル関係」について述べたまでで「ハナから特殊」であるのです。
通常の十分な成績を持つ競走馬を述べる際には、その「戦績」のみで十分です。でも「ライバル」と取り立てる時点で、表現が他とは一線を画すので、よって特殊になるのです。同じく野球で例えますと、4番とエースの直接対決がクローズアップされることは多々ありますが、この時、打率で表現されるでしょう。チームの勝敗は必ず五分五分ではありません。ただし当然、取り上げられた出典ありきですが。
私が今考える選択肢を提示しておきます。、一つはそのまま引用の形をとって存続。もう一つは、「ライバル」だったという記述が、競馬の趣旨には敵っていないとして記述丸ごと抹消する。この二択かと。--OKfarm会話2022年5月29日 (日) 11:30 (UTC)[返信]
コメント たしかに、競馬においてふつう「勝ち」は「レースで優勝した=1着」ことを指しますから、「D馬2着、V馬3着」を「D馬の勝ち」と表現するのはザワっとするというのはわかります。そういうのは一般的には「D馬が先着した」ぐらいの表現までですよね。
一方、特定の2頭をライバルだとみて、その2頭のあいだの優劣をつけるために「D馬2着、V馬3着」を「D馬の勝ち」と表現するのはわかりますし、実際に情報源(『優駿』)がそういう表現をしているならば、それはそれで。
要するに「勝ち」とか「負け」というコトバの定義が違うわけです。同じ表現を異なる意味で用いるので話がややこしいとはいえます。なにか別の言い換えができるのであればよいけれど・・・というところ。
一つの落とし所として、両馬の対戦成績は「2勝2敗1分け<ref>『優駿』p.999</ref>」となった。みたいに、主語(両馬の対戦成績)を明確にする、「」つきで記述する(優駿の引用だよ)というのはどうでしょうね。--柒月例祭会話2022年5月26日 (木) 00:39 (UTC)[返信]
コメント たとえば、「公式のレース結果」をもとにしてWikipediaの執筆者が独自に「ロジャーバローズとタガノディアマンテの対戦成績はロジャーバローズの2勝1敗だった」と書けば、仮にそれが事実だとしてもWP:NOTWP:NORあたりに抵触するでしょう。それに比べて「ダイワスカーレットとウオッカのライバル関係」というのが既存の情報源に特別な文脈としてみられるのであれば、それは書いてもよいのではないでしょうか。ただし、そういう情報源・文脈が多数あるのか少数なのかによって、帰属化するとかの書き方は変わるでしょう。--柒月例祭会話2022年5月26日 (木) 09:41 (UTC)[返信]

誕生までの経緯の記述の除去の提案

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提案 本項の誕生までの経緯のほぼ全てが本項の母、母母、母父、半兄、半姉に関する記述であり、本項と直接関係ある記述ではありません。それぞれが個別に項目のある馬ですし、良血をアピールする上でもスカーレット一族の記事へのリンクを貼れば済むため、詳細な記述をする必要はないと思います。ダイワメジャーダイワルージュと比較してもここまで詳細な一族の記述は存在しません。読者の観点からみても本項と無関係な記述が続くと可読性が落ちるため、誕生までの経緯の記述の除去の提案します。--Upanishadq会話2024年1月26日 (金) 16:24 (UTC)[返信]