ノート:チャルーン・ラッタナクル・セリルーングリット
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名前の日本語表記について
[編集]英語版によれば発音は[t͡ɕàruːn ráttànákun sěːriːrɤːŋrít]だそうで、チャルーン・ラッタナクン・セーリールーンリット、程度になりそうな感じです。日本語資料による表記を拾っていくと下記のような表記が見つかりました。
- 西野順治郎『日・タイ四百年史』1978年、時事通信社…チャルーン・セーリーロンリット・ラッタナクン(ルアン・セーリーロンリット)
- 吉川利治「タイ国ピブーン政権と太平洋戦争」1982年、京都大学東南アジア研究センター『東南アジア研究』19巻4号所収、373頁…チャルーン・ラタナクン・セーリーロンリット(ルアン・セーリーロンリット)
- 田辺寿夫『教科書に書かれなかった戦争 part 9 語られなかったアジアの戦後 日本の敗戦-アジアの独立-賠償』1991年、梨の木舎…セーリーロンリット・ラッタナクン
- 村嶋英治「第Ⅲ部 タイ華僑の政治活動」1993年、アジア経済研究所『東南アジア華僑と中国 : 中国帰属意識から華人意識へ』所収、350頁…ルアン・セーリールンリット
また資料の性格上全幅の信頼を置けるわけではありませんが、下記のようなものもあります。今、記載箇所が思い出せませんが、戦史叢書なんかでは「ルアンセリ少将」とか表記されてもいたような。
- 財団法人暹羅協会「財団法人暹羅協会々報 第27号」1942年、財団法人暹羅協会、51コマ…ラタナクン・ルエンリツト
- 財団法人暹羅協会「財団法人暹羅協会々報 第31号」1942年、財団法人暹羅協会、60コマ…チヤン・ラタナクン・セリロアンリツト
- 同盟調査部資料班「官廳・團體職員録 : 官廳之部. 昭和18年12月1日現在」1943年、同盟通信社、27コマ…ルアン・セリ・ロアンリツト
- 陸軍省大本営陸軍部「最近ニ於ケル泰国事情」1944年、陸軍省大本営陸軍部、25コマ…チャルーン・ラタナクン・セリー・ルンリット
さて問題は、フルネームとなると多数派どころか一つも完全に一致しているものがないことで、どうしたもんでしょうか? もう少し資料を漁って、表記の例を探してみたいと思います。ところで、これは表記と関係ありませんが、1942年9月時点まで商務大臣に留任しているので、現在の本文の「1942年9月に政界に復帰」した旨の記述は正確じゃなく、「1942年9月、商務大臣から(再び)交通大臣に転任した」くらいが相応しいのではないかと思います。--Rasalghul(会話) 2019年8月26日 (月) 01:29 (UTC)
- 遅くなり申し訳ございません。お調べいただきありがとうございます。ビルマの戦いで仮リンクになっていたところをそのまま使ってしまいましたがタイ語には疎いものでお恥ずかしい限りです…。表記は一致しないものの、末尾のrとgは発音しない、という事は共通していますね。戦史叢書は日本軍進駐下のタイの出典にもある『マレー侵攻作戦』シッタン・明号作戦 - ビルマ戦線の崩壊と泰・佛印の防衛』あたりが怪しそうです。また、商務大臣の件承知しました。シャン州進攻を指揮していながら商務大臣に留任しているのが謎ですが(誰か代理に任せていたのかも?)、修正いたします。--遼東半島(会話) 2019年8月28日 (水) 13:14 (UTC)