ノート:ツングース系民族
満州族と高句麗は違います.
[編集]- 其人形似夫餘, 言語不與夫餘句麗同. <三国志>
- 挹婁, 古肅愼之國也. 在夫餘東北千餘里, 東濱大海, 南與北沃沮接, 不知其北所極. 土地多山險. 人形似夫餘, 而言語各異. <後漢書>
- 勿吉國在高句麗北, 舊肅愼國也. … 言語獨異.<魏書>
- 勿吉國在高句麗北, 一曰靺鞨. … 言語獨異.<魏書>
その人顔付は付与に似ているのに, 言語は付与, 高句麗といっしょに同じではない.” )
“ウブルは昔の晨愼の国だ. 付与の東北千余里にある.
東では大きい海に至って南へ玉箸と接しているのにその北末はわからない.
土地は険峻した山が多くて人顔付は付与に似ているのに, 言語はそれぞれ異なる.” )
“水路国は高句麗の北にあるのに昔の晨愼国だ. … 言語は有毒 (高句麗と) 違う.” )
“水路国は高句麗の北にあるのに ‘旺歪’とも言う. … 言語が有毒 (高句麗と) 違う.” )
高句麗と満州族が違うという中国側記録は山のようにたくさんありますが?
自分に有利な資料だけ蝕合して作った脳内ソースでお疲れさまでした.言い換えるが高句麗, 付与は満州族が同じ民族という証拠はなくて全然違った民族だと中国側記録に確かに出ます. そして高句麗と付与はツングース係満州族民族で扱われたことが一度もないです.
そしてあなたの主張が当たる仮定して見ましょう... あなたは 'ツングース = 満州族'と思うようだが, ツングース言語系統に満州族がその一部分に属するだけであって, "ツングース = 100% 満州族' がないです.この場合にツングースという単語は "北方民族" という通り名で理解するのが正しいです. 北方民族にはただ満州族だけ存在するのではないです.Alertkeep 2008年11月6日 (木) 18:48 (UTC)
- あなたの出した資料は「言語が違う」というだけのものであり、高句麗はツングースであるとする見解を全否定するものではありません。実際に多く出ている見解を隠蔽する行為はお止めください。
- 『三国史記』によれば高句麗の始祖は朱蒙。ツングース系の一部族である扶余(夫余)族で、北方から現在の桓仁市付近に移り住み「五女山城」を築いた[1]
- 朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族でした。学習院大学文学部 諏訪春雄教授
- 高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
- 高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
- 臣と高句麗は源は夫余より出る。(『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には:「臣與高句麗源出夫餘」)
--ツングス族 2008年11月7日 (金) 08:31 (UTC)
たしかに扶余系民族はツングース系とは断言できないよ。「言語が違う」のであれば系統が違う重大な証拠です。上の史料見ても高句麗は扶余系であることはわかるが、扶余がツングース系であることは何ら証明されない。アレートキープさんの方が説得力がある。少なくとも異論を注記すべき。--219.98.253.240 2009年3月28日 (土) 12:06 (UTC)
- 1.searchinaの単語一つがソースになるのは疑問. 学術資料ではなくて検証できなくて
- 2.高句麗,夫餘,百済の言語らが互いに通じているという事実だが,それが彼らの言語がツングース言語になるという証拠にならない。
- 3./学習院大学文学部 諏訪春雄教授/ < この教授の読者研究であるような疑問. 上記ソースにはなぜツングース系統に該当するのかに対する説明が全く出てこない。 単に過ぎ行く内容で説明. またその教授の文章どこにも満洲族と高句麗族を連結する内容はない。
- 4. 高句麗がツングース言語系統に入るのか仮設は確認されることもせず,定説で確立されていなくて,このカテゴリーに入れるのは無理がある。(学者ごとに意見も違う。) 高句麗言語に対することはこちらで [2]
- --W450by11 2009年11月12日 (木) 16:13 (UTC)
- もう少し調べてみた結果,高句麗言語がツングース系列だと主張する人はとても一部の日本人学者(河野六郞),仮設であるだけであり定説で立証された事実でない。また,満洲族と高句麗族を連結する内容もない。
- 問題になっている韓国側の論文はただ1編で,ここで間違って引用されている.
- "李基文"の論文にも高句麗が新羅言語と違うという一つの仮設を主張したが,その論文には高句麗が朝鮮族の先祖ではないとの内容はなくて,
- その論文ですら,44% 中世朝鮮語と対応されることで叙述している。 すなわち高句麗と新羅御駕完全に関連がないということは偽. "李基文"の論文はすでに反論論文が数えきれない程出ていてその人の"仮設"が定説で確立されたことはない。
- --W450by11 2009年11月12日 (木) 17:15 (UTC)
- 「学説で立証された」とは本文のどこにも書かれていない。何がツングースか?完全に立証されているわけではない。出典の出ているものを個人の感情から隠蔽し、消し去ろうとすることはお止めください。またできれば日本語を完全にマスターしてから参加していただきたい。あなたは大変に以前に無期ブロックされた方と酷似しています。--220.147.7.2 2010年2月3日 (水) 16:42 (UTC)
韓国の工作員が湧いてるな。思いっきり韓国よりな編集を行って不都合な箇所は片っ端から削除していく。
しかも日本語の間違いが多い。どんなに工作しても高句麗人と現代の韓国人は民族的関連が弱く、高句麗は扶余人で東胡の一部で、高句麗の血統を受け継いだのは現在の満州族。
広辞苑より
【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。また、その建てた国。ツングース族の一。
【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。
【渤海】八~一〇世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。靺鞨族の首長大祚栄が建国。
【靺鞨】ツングース族の一。粟末靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
高句麗の支配層の扶余族はツングース系民族(鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族』中公新書、金達寿『朝鮮』岩波新書 )、そして靺鞨もツングース系民族で、現在の満州族の母体。 「高句麗の主要民族は満州族の一種 (略) 高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である。 (略) 渤海は、唐の高宗の代に高句麗が唐・新羅の連合軍に討滅された後、唐の玄宗から渤海郡王に封ぜられた大祚栄氏がつくったツングース系の国であった。(黄文雄『満州国は日本の植民地ではなかった』 )」--125.203.199.237 2010年2月7日 (日) 17:26 (UTC)
日本の学界では高句麗人や渤海人及び渤海人を構成した靺鞨人はツングース民族と考えられている。
濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」「高句麗族はツングース系の扶余族の別種(木村誠 趙景達 吉田光男 馬淵貞利編『朝鮮人物事典』)」、諏訪春雄「朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族(学習院大学教授 諏訪春雄通信)」、Searchina「三国史記によれば、高句麗の始祖は朱蒙。ツングース系の一部族である扶余族(2008年2月24日serchina)」、黄文雄「遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄著『韓国は日本人がつくった』)」、鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の濊族によって建国(鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』)」、山川出版社『世界史用語集』「【高句麗】中国東北地方東部のツングース系貊族の夫余族の国」(夫余とは、村山正雄「古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族(Yahoo!百科事典)」、佐々木史郎「夫余と靺鞨はツングース系の民族ではないかと考えられている(Yahoo!百科事典)」、山川出版社『世界史用語集』「【夫余】同じツングース系の勿吉に滅ぶ。百済の王は夫余族と言う」)、護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」、宮脇淳子「高句麗人は、南満州で半農半牧の生活をしていた貊人の一種である(宮脇淳子著『世界史のなかの満洲帝国』)」(貊とは、山川出版社『世界史用語集』「【貊族】紀元前7世紀~紀元前6世紀以降河北省長城地帯から中国東北地方にいたツングース系民族で、漢族・モンゴルに系に圧迫されて東方に移り、のちの夫余・高句麗を建国」)、山川出版社『世界史用語集』「【靺鞨人】中国東北部に東部にツングース系諸族。6世紀半ば勿吉の崩壊後の部族の総称」、菊池俊彦「【靺鞨】6世紀後半から中国東北の松花江流域を中心に、北は黒竜江中・下流域、東はウスリー川流域、南は朝鮮半島北部に勢力を振るったツングース系諸族の一派(Yahoo!百科事典)」、森安孝夫「【渤海】現在の中国東北地方、ロシア連邦の沿海州、北朝鮮の北部にまたがる広い範囲を領有して栄えた満州ツングース系の民族国家(Yahoo!百科事典)」、藤本和貴夫「7~10世紀には極東地方から満州、朝鮮北部にツングース系の渤海国が建てられた(Yahoo!百科事典)」、広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」「【靺鞨】ツングース族の一。粟末靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した」、大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」「【渤海】698年、ツングース系靺鞨族の首長大祚栄が建国」「【靺鞨】中国、隋・唐の時代に、中国東北部から朝鮮半島北部に住んでいたツングース系諸族の中国側からの呼び名。七部に分かれ、その一部である粟末部は、渤海国を建国。黒水部はその支配下に入らず、のちに女真と称された」、大辞林「【高句麗】中国東北部にいた扶余族の一支族が建国」「【靺鞨】中国、隋唐時代に東北地方から朝鮮半島北部に居住したツングース系諸族の総称。勿吉崩壊後、有力な七部に分立、粟末部を中心に渤海を建てたが、黒水部は対立してのちに女真族となった」、日本大百科全書「高句麗は夫余族の一派で、鴨緑江中流域を中心にして紀元前後に王国をつくった」--125.205.121.55 2010年5月8日 (土) 15:50 (UTC)
- 中国・ロシアの学者で扶余・高句麗人をツングース(ツングース諸語の話者)とする人は恐らく居ませんよ、旧ソ連の学者で高句麗・扶余をツングースとした著名な学者は居ないし、中国の学者は現中国領内の過去のツングースを粛慎・挹婁・勿吉・靺鞨・女真、建てた国家を渤海・金・清に断定していて、高句麗や扶余は否定どころか一言の言及も無く自明の事として扱われてます。史書でも扶余・高句麗は言語が違うと書かれてますし。--219.165.77.71 2011年6月26日 (日) 06:11 (UTC)
「扶余」や「濊」をツングース人としている日本人学者とは例えば誰でしょうか? 元々参考文献が無く、そのうえ参考情報を削除し何の追加も無いのでは、検証どうこう以前の問題ですが。 あと、満州は靺鞨や女真と同じく彼等の自称です。--112.138.251.208 2011年7月26日 (火) 16:15 (UTC)
高句麗がツングース族か否かについては、高句麗でも全く同じ議論になっているようですからノート:高句麗で。全く同じ議論をあっちこっちで行いますと参照されたい方が混乱しますし、全く同じ議論をあっちこっちで行うのは非効率。--125.205.120.155 2011年7月28日 (木) 18:39 (UTC)
中国やロシアどころか日本人研究者の発した文献にも高句麗・扶余の言語をツングースとする見解は見当たらないので、編集を頑張る前に参考情報探しに努めて下さい。悪しからず--112.138.251.208 2011年8月3日 (水) 10:17 (UTC)
- ツングース「系」ですから。アナタの主張では「言語は違ったという研究者もいる」と加筆はできますが、一般に言われている「ツングース系である高句麗」という出典付事実を消す理由にはなっていません。--218.226.121.155 2011年8月4日 (木) 01:23 (UTC)
- 編集合戦により1か月保護をかけましたので、その間に記事内容につき合意形成してください。私の個人的意見はノート:高句麗や私の会話ページに書いてありますが、要は出典を脚注で付した上で両論併記すべきという考えです。--ろう(Law soma) D C 2011年8月4日 (木) 04:00 (UTC)
- 上の両名へ、ツングース「系」民族に該当する条件は文化その他もありますが、最低限ツングース語を使用していた事が前提です。 というか、高句麗・扶余をツングース「系」民族とする文献情報が何ら提示されないのは何故でしょうね。--120.51.185.129 2011年8月4日 (木) 09:15 (UTC)
- 「文献情報」自体は早々に出ていますが、そのほとんどが一般的な百科事典乃至辞典のため、専門性を有する信頼性のある出典としては弱いというご指摘はおっしゃるとおりだと思います。しかしながら、過去の書籍ではあるものの、私から見れば信頼性があるのではないかと思われる「東北アジア史」「東洋史」関連の書籍も既出です。一方で貴方の出している出典は、そのタイトルから見ても専門性を有する書籍とは思いますが、なにぶん確認が難しい書籍ですので内容の判断までは出来ていません。ここは、辞書等の些末な情報をコメントアウトした上で、両論併記すべき段階かと思います。--ろう(Law soma) D C 2011年8月5日 (金) 00:50 (UTC)
- 上の両名へ、ツングース「系」民族に該当する条件は文化その他もありますが、最低限ツングース語を使用していた事が前提です。 というか、高句麗・扶余をツングース「系」民族とする文献情報が何ら提示されないのは何故でしょうね。--120.51.185.129 2011年8月4日 (木) 09:15 (UTC)
- 問題は「東北アジア史」「東洋史」関連の書籍の名はノートには挙がるのに、本文の参考文献や注釈には挙がらない点でしょ。==参考文献==の項や注釈の欄に参考文献を挙げるなら、基本的には(古くて腐ってる駄本や、なんだそれ?ってのは無しで)両論併記すべきだけど。--112.138.167.244 2011年8月5日 (金) 15:39 (UTC)
- 両論併記には賛成ですが、事典の出典やその内容を除去することには反対です。専門家が執筆した事典でそのように書かれている事実ですから、その記載はしておくべきでしょう。IP氏は「最低限ツングース語を使用していた事が前提です。」と言っていますが、あなたが決めることではありません。それは独自研究です。高句麗語なるものも扶余語の仲間と言われてますしね。言葉だけでは民族の「系統」はわからない。少なくとも出典を元に、どう言われているかを書けばよいだけです。あなたの出した中国の書物の記載を書きたいのならば、「その中国の書物には言語は違ったと書かれている」と書けるのみです。--218.217.122.243 2011年8月6日 (土) 01:52 (UTC)
せめて「ツングース系民族」のかたをつけて早めに保護解除をしたいので、いろいろ整理しましょう。私の見る限り、ちょっとずつですがいい方向に向かって来てる気がします。まず、両論併記(多論併記)ということに関してはみなさん賛成のようなので、ちゃんとした出典があればそれが叶うということですね。次に、その「ちゃんとした出典」ですが、
- 濊系=ツングース系説に関しては
- 三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』(山川出版社、1989年)
- 三上次男著『東北アジア史研究2 古代東北アジア史研究』(吉川弘文館、1977年)
- 井上秀雄訳『東アジア民族史1 正史東夷伝 (東洋文庫 264)』,『東アジア民族史2 正史東夷伝 (東洋文庫 283)』(平凡社、1974年、1976年)
- 鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』(中央公論社、1992年)
- 粛慎系=ツングース系説に関しては
- 朱国忱・魏国忠(訳:佐伯有清・浜田耕策)『渤海史』(東方書店、1996年)
- 高凱軍『通古斯族系的興起』(中華書局 2006年)
などでよろしいでしょうか?(もっとあれば言ってください)また、事典類は載せて悪いこともないと思いますが、きりがないので今回は載せなくていいことにしませんか(できれば事典ではなく、その学者が書いた専門書のほうがいいです)。 そして、必ず注意していただきたいことは、「断定した言い方(~とされている。~である。ツングース系の○○)で書かないこと」です。仮に濊系=ツングース系説が優勢であったとしても、書籍のどれもがふわっとした表現で書いている(なぜなら、確信的証拠がない事柄につき、学者たちの間でも意見が分かれているから)ので、「~と考える学者もいる」であるとか「~と思われる」、「~という説もある」という表現で編集していただきたい(脚注も必ず)。--トムル 2011年8月6日 (土) 03:25 (UTC)
- 両論併記は良いと思いますが、少なくとも日本ではツングース系としている著名人が多いわけですから「多数派の意見は多数派の意見として、少数派の意見は少数派として」というNPOVに則った書き方をお願いしたいところです。また、現在の出典を減らすことには反対しておきます。著者(研究者)が重なる場合はトムルさんの挙げた書物で良いと思いますが、他の著名人の意見もありますので、それは残す方向でお願いします。世間一般で言われている事実を消すべきではないと考えるからです。--61.210.229.176 2011年8月8日 (月) 08:04 (UTC)
- 三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』には濊系=ツングース系とする仮説ありましたっけ、池上二良が「高句麗・扶余語はツングース語の系統かもしれないし朝鮮語の系統かもしれないが調べてみないと解らない」と可能性に言及してるけど濊系=ツングースとする仮説を主張してはいない、逆に萩原眞子が粛慎系をツングース系と見做し、梅田博之は濊系=ツングース系を否定している。どうもトムルの抜き出し方は非常に恣意的で客観性に関して疑問を感じざるを得ない。
- 粛慎系=ツングース説の書かれた他の書籍としては『朝鮮王朝実録』『三朝北盟会編』『北風場沙録』「唐貞観中、靺鞨来朝、初聞女真之名」(どうも史料不足で錯誤に陥る、戦前~戦後30年くらいの学者によくあるパターンですね。故三上氏)の他、Sergei Mikhailovich Shirokogorov『北方通古斯的社会組織』楊保隆『粛慎挹婁合考』翁独健『中国民族関係史研究』がありますか、まあ幾ら数があっても後に否定されていたら何にもなりませんけどね。--112.138.167.244 2011年8月8日 (月) 14:28 (UTC)
- 現在出ている出典をしっかり見てください。高句麗がツングース系と言われている出典はすでに多く出ています。--218.217.157.215 2011年8月11日 (木) 11:59 (UTC)
- 挙げられている出典の中にある乏しい論拠が、粟末水流域の発掘調査『考古学報2006年第1期、黒竜江綏浜同仁遺址発掘報告』『黒竜江区域考古学P54-56』『黒竜江文物従刊1982年第2期、呼蘭河中遊考古調査簡報』などによって、既に破綻しているという事です。--119.83.172.190 2011年8月23日 (火) 13:39 (UTC)
- それのどこがは「既に破綻」していることになるのか、まったくもって理解ができない。「粛慎系と女真の連続性が確認された」ことをもって「高句麗や夫余がツングースではない」とするのは論理の飛躍。勝手な論理の飛躍を本文で書くことは独自研究です。--Space1 2011年9月13日 (火) 22:41 (UTC)
- 誰も本文でそんな記述をしてないように見受けられますが。粛慎系は確定で、夫余系はツングース系とする仮説もあるし、独自の系統とする仮説や交雑とする仮説もあると書かれていませんか?--112.138.46.198 2011年9月14日 (水) 10:24 (UTC)
- なんでもいいが、「既に破綻している」という出典が中国語のもののみでは話にならない。【ウィキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源を示すべきであり、常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用するべきです。これは、情報源の資料が正しく使用されたことを、日本語版の読者が容易に検証できるようにするためです。】(Wikipedia:検証可能性#情報源/ソース)。『考古学報2006年第1期、黒竜江綏浜同仁遺址発掘報告』『黒竜江区域考古学P54-56』『黒竜江文物従刊1982年第2期、呼蘭河中遊考古調査簡報』こんなものは後書きでよいレベル。日本語の出典を持ってきて始めて対等に語れるの。「既に破綻している」としたいなら、皆が検証しやすいように日本語の出典を持ってきなさい。定説なら簡単にそれを述べた情報源が見つかるでしょ。--218.217.41.207 2011年9月16日 (金) 01:43 (UTC)
改名提案
[編集]ツングースという名前はかつてのエヴェンキ人のことであり、「ツングース」という記事名ではその一民族のことを扱っているようにみえてしまいます。この記事はツングース系の言語(ツングース諸語)を話す民族、いわゆる「ツングース系民族」のことを扱っている記事なので、記事名は「ツングース系民族」とすべきです。ちなみに英語版では「en:Tungusic peoples」となっています。--トムル 2011年7月25日 (月) 07:28 (UTC)
- 一週間たっても反対意見が無いようなので、改名します。--トムル 2011年8月1日 (月) 12:16 (UTC)
歴史上ツングースに関する書籍リスト
[編集]歴史上のツングースをめぐって古くから論争があるので、それをまとめた書籍リストをここに作成します。フォーマットは著者名『書籍名』(発行年、発行所名)ページ数「抜粋文(例:○○はツングースとされている)(なぜされているかがわかれば、なお良い)《出典(情報源)》」です。※この項に関しては署名はいりません。編集履歴で管理します。--トムル 2011年8月19日 (金) 16:52 (UTC)
- 1900年代
- 今西龍「檀君考」『朝鮮古史の研究』 (近沢書店、1937年)「而して特に注意すべきは檀君は本来、扶餘・高句麗・満洲・蒙古等を包括する通古斯族中の扶餘の神人にして、今日の朝鮮民族の本体をなす韓種族の神に非ず」
- シロコゴロフ著、川久保悌郎・田中克巳訳『シロコゴロフ 北方ツングースの社會構成』(1942年、岩波書店)p285-p287「支那の年代記は、商(殷)王朝時代の満州の住民を緑岩の石弩(石鏃)を以て有名なスシェンSushen(粛慎)と呼ばれる一民族として初めて述べている。(中略)「粛慎」なる名称は、松花江中流域の地方を占拠していた或る住民のことに用いられたが、それは二千年間の中に、ユーロウY-lou(挹婁)、ウヂWu-tsi(勿吉)、ムキMuki(勿吉)、モホMoxo(靺鞨)、女真及び満州に変じたのである。吾々はこれらが同一の住民であるか、否かに就いては知らない。周代及びその後に於いてさえも、初め遼東に石器時代の文化段階に生活していたマイMai(貊)、ウェイOuei(濊)の名が屢々云々された。それから後彼等の名称は幾度か変わった。鳥居龍蔵氏は彼らを北朝鮮の強国、夫余及び高句麗の建設者と見做し、彼等をツングースであろうと考えている。(中略)粛慎は南満州、朝鮮等々、或はまたその当時支那及び日本の海岸地方に占拠していたものとは別な、黒龍江流域に住していた古亜細亜民族の南方の代表者であったかも知れないのである。」
- 『三朝北盟会編』(1962年、文海出版社)「」
- 『白鳥庫吉全集 第4巻』(1970年、岩波書店)p321「【粛慎考】漢史の伝える所によれば、古の粛慎は後漢・三国に挹婁といい、後魏に勿吉といい、隋唐に靺鞨といい、宋元明に女真といい、共に満州人の祖先なりという。若しもこの説の如くんば、粛慎は今日のツングース種に属すべきのなれども、この民族に関する記事の後世に伝わるもの甚だ僅少なるが故に、その果たして然りや否やについては更に考究を要せざるべからず。『満州源流考』巻一は粛慎の名称につきて説をなして曰く。「宋劉忠恕称金之姓為朱里真、夫北音読粛為須、須朱同韻、里真二字合呼之音近慎、蓋即粛慎之転音、而不知者遂以為姓、国初旧称所属曰珠申、亦即粛慎転音、漢人不知原委、遂岐而二之、猶之或為息慎、其実一也」と。この書の編者は粛慎の朱里慎たることを当初より固く信ぜしが故に、粛慎が満州人の祖先たるにおいては、毫(すこし)も疑いを容れざりしなり。(中略)Lacouperie氏は『満州源流考』の編者の如く、粛慎の名はDjnrdjenの転音なりと論じたれども、秦漢の時にすでにほとんど忘却されたる名称が、それより千三、四百年の後に至りて、再び彼民族の間に忽然と現出せんことは、実際において如何あるべきや。若しも粛慎が必ずしも朱里真の古称に在らずという論議にして幾分の理ありとせば、粛慎が何人種に属するかの問題は、未だ解決を得ざるものと謂うも亦不可なかるべし。然るに余輩は幸いにも粛慎語なりと思われる言語を有するを以てこれによりてこの民族の種属を判定せんと欲す。①『山海経』にある「不咸山」→Tunguse語で天を言う「abka(満州語)」「boa」「buha」「buga」の対音で「天山」の義。②『満州源流考』にある樹木名「雄常」「雒常」→「雄常(hung-sang)」「雒常(ngak-sang)」→満州語で紙を謂う「hoošan」といい、木を謂う「moo」、楮を謂う「hoošari-moo=紙の木」。「豁山」→満州語で紙を謂う「hoošan」の対音。女真語で紙を「好沙」と謂い、『寧古塔紀略』の「花傷」も「hoošan」の音訳。以上考證せし所にして誤診なしとすれば、粛慎氏は周の時代に吉林省を中心としてその左右に蕃衍せる民族にして、その種類は従来信ぜられたるが如く、女真、満州と同じくツングース種と断定すべきなり。」P536「【穢貊は果たして何民族と見做すべきか】太古から近代に至るまで只今の吉林省から露領の沿海州の方へかけて住んでいた民族は純粋のTunguse種であって、周末には之を粛慎と称し、漢魏時代には之を挹婁と呼んだ。(中略)『魏志』によると、挹婁人は夫余人と形は似ているが言語は異なるとあるから、穢貊は純粋のTunguse人と見做すことはできない。また、東胡とも区別されていることから、蒙古人と解すことも許されない。この民族は果たして何種と見做すべきものか。①夫余・高句麗語の「加(官名)」→契丹語の「呵」、蒙古語の「可汗」の略の対音。②高句麗語の「桴高biu-kiang(小倉)」→女真語の「卜戈(屋室)」、満州語の「boo(屋室)」の対音。③高句麗語の「位(相似する)」→満州語の「uhei(同じ、一様)」の対音。④高句麗語の「溝漊(城)」→蒙古語の「xorγa(城塞)」、ブリヤト語の「kụre」の対音。⑤夫余語の「弱水nyak,ńziak(嫩江、松花江)」→「難水」「那河」「那烏水」「那兀」「納兀」→Manegir-Solon語「nakhún,nakhu(緑)」の対音。⑥夫余語の「掩施水、淹滞水、奄利水」→Tunguse語の「amuč,amutt(大河、湖水)」の対音。⑦夫余語の「橐離国、索離国」→Tunguse語の「sakhár,sakharín,čakarín,sahaliyan(黒い)」→「sakhárí,čakrí」→アムール川(黒水)の対音。以上の例證によると、穢貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう。」
- 内田吟風、田村実造、他訳注『騎馬民族史1-正史北狄伝』(1971年、平凡社)p343「勿吉や靺鞨はだいたいツングース系の民族と思われるが、その民族系統や諸部の位置について異論が多い。」
- 井上秀雄、他訳注『東アジア民族史1-正史東夷伝』(1974年、平凡社)p66「(挹婁について)地下式住居は粛慎(挹婁)-勿吉-靺鞨および、古アジア族系民族に特徴的にみられる様式である。《三上次男『古代東北アジア史研究』》」、p103「(高句麗、夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明・朱蒙伝説)の類同によっても推測できよう。」
- 井上秀雄、他訳注『東アジア民族史2-正史東夷伝』(1976年、平凡社)p99「(靺鞨について)中国東北地方に拠ったツングース族の一種で、勿吉ともいった。」、p440「鉄利は中国黒竜江省南部からソ連沿海州南部にかけて居住する純ツングース種族である。渤海の建国後、鉄利部が周辺の純ツングース系の諸勢力を糾合し、突厥や唐の保護を求めて渤海と対立していたが、741年、渤海に併合された。10世紀には契丹と結んで渤海およびその後の後渤海と対立していた。後渤海をおさえて鉄利は旧渤海地域を支配し、11世紀の前半が全盛期といわれる。やがて女真の発展により没落した。」、p441「越喜は7世紀前半に鉄利族の東方に居住していた純ツングース系の種族である。」
- 三上次男『古代東北アジア史研究』(1977年、吉川弘文館)「白鳥庫吉は挹婁(ip-lu)をツングースの一方言で馴鹿をいうoro,iruの対音と考え、純ツングースとしたが、挹婁には馴鹿飼養の痕跡がなく疑問が多い。」「白鳥庫吉氏は穢貊を一民族とし、ツングースをベースとしたモンゴルとの雑種であろうとした。」「凌純声氏は穢貊を古アジア族と関係がある民族とした。」「ツングース,古アジア族とするのは安易な考え」
- 京大東洋史辞典編纂会『新編 東洋史辞典』(1980年、東京創元社)p272「【高句麗】トゥングース系の扶余族の支族。《朝鮮総督府『朝鮮史』(1932~38)、池内宏・梅原末治『通溝 上下巻』(1938~40)、田村実造編『アジア史講座3』(1956)》」、p631「【トゥングース族】歴史上では粛慎,挹婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。」、p803「【靺鞨】満州東北部から朝鮮半島北部に住んだトゥングース族の一種。《日野開三郎『靺鞨七部考』》」、p847「【挹婁】純トゥングース族とも、また古アジア系種族ともいわれる。《三上次男『古代東北アジアの諸民族』》」
- 翁独健『中国民族関係史研究』(1984年、中国社会科学出版社)「」
- 下中直人『新訂増補 朝鮮を知る事典』(1986年、平凡社)p113「【高句麗】高句麗の成立した地域は古くから北方諸文化受容の窓口であった。朝鮮には旧石器時代人がいたが、消滅し、その後南方からの移住民がいた形跡がある。前40世紀頃から、蒙古人種,ツングース人種を主とし、東部シベリアの古アジア人などが朝鮮地方に移住した。前3世紀になると、朝鮮南部で稲作が始まり、中国の鉄器文化をもつ衛氏朝鮮が成立した。この鉄器文化は鮮卑族などツングース系を通じて受容された。《井上秀雄》」、p372「【夫余】民族の系統についてはツングース系ともいわれるが、定説がない。《村山正雄》」、「【濊貊】彼らの言語は白鳥庫吉によれば、ツングース系を主として若干のモンゴル系を混合したものと推測されている。《村山正雄》」
- 加藤九祚『北東アジア民族学史の研究』(1986年、恒文社)p156「高句麗は北扶余から発したとされるが、その北扶余がツングース・満州語族に属することは定説となっている」、p162「檀君神話が朱蒙神話とは別の北方ツングース系のものであると考える。(中略)檀君伝説の基本部分はもともとツングース族の熊祖神話であり、“檀君”の名はこの伝説の主人公の名、さらにはツングース語の“トルガニ(英雄)”という言葉に由来するとの仮説を提出するものである」
- 三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』(1989年、山川出版社)p161「Ⅱ(夫余、高句麗、濊、東沃沮)の言語はツングース・満州語の一派か、またはそれに近い言語と思われるが、むしろ朝鮮語と近い親縁関係にあるか、詳しく調べてみなければわからない。Ⅲの言語(挹婁の言語)は、近隣の言語と非常に異なる言語で、今日ならば古アジア語に一括されるような言語であったとみるのが一番自然ではないだろうか。なお今日この地方にもっとも近く分布する古アジア語はニヴフ語であり、それはこれがさかのぼるような言語であったかもしれないが、あるいはほかに今日すでに絶滅してしまった古アジア語も過去にあったかもしれない。(中略)Ⅱの勿吉の言語についての上掲記述(『魏書』,『北史』の勿吉について「言語は独異」とある)は、勿吉の少なくともある主な部族の言語が、近隣のツングース語系やモンゴル語系の言語にくらべて異なることを述べているのではないだろうか。なお、のちの『新唐書』は黒水靺鞨について「黒水靺鞨は粛慎の地におり、また挹婁ともいい、元魏の時には勿吉ともいう」とあり、あるいは勿吉のその言語は挹婁の言語にさかのぼるものかもしれない。《池田二良》」、p166「中国東北地方南部から半島北部、東北部へかけて夫餘語、高句麗語、濊語、東沃沮語などが話されていた。これらの言語は同系であって方言的差異があったようである。夫餘系諸語または貊語系の言語とよばれている。これと異なる言語として挹婁語が沿海地方に存したが、資料が何も残っていないのでその実体はわからない。《梅田博之》」p169「彼(李基文)によると、アルタイ諸語と朝鮮語の間に動名詞語尾と若干の曲用語尾について一致が見られるという。また、語彙の比較においては、かなりの一致が朝鮮語とアルタイ諸語に共通して見出され、そのうち、朝鮮語とツングース諸語の間に語彙の一致がもっとも多く、ついでモンゴル諸語との間にも興味深い一致が見出され、チュルク語との間には一致するものが非常に少ないという。(中略)こうした状況のなかで、李基文は『三国史記』所載の高句麗地名からかなりの語彙を抽出し「高句麗語」としてとらえ、朝鮮語、日本語、ツングース語との比較を試みた(1966)。そして、高句麗語が、朝鮮語(新羅、中世語)と著しい語彙の一致をみせ、日本語とも多くの共通語をもち、ツングース語とも若干の一致例をみせるとし、アルタイ祖語が夫餘・韓共通語とチュルク、モンゴル、ツングース共通語の二つに分離し、前者が原始韓語と原始夫餘語とに分かれ、ついで原始夫餘語が高句麗語と原始日本語とに分かれたとして、高句麗語は日本語と朝鮮語との親縁関係をつなぐミッシング・リングの位置を占めると主張した。《梅田博之》《李基文「韓国語形成史」(『韓国文化史大系Ⅴ.言語・文化史』)ソウル1967 p21-122、李基文「高句麗の言語とその特徴」(『白山学報』4号)1968(中村完訳、『韓』第10号 東京韓国研究院 1972;池田次郎・大野晋編『論集 日本文化の起源5 日本人種論・言語学』平凡社 1973 p594-627)》」
- 鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』(1992年、中央公論社)「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の濊族によって建国」
- 朱国忱・魏国忠(訳:佐伯有清・浜田耕策)『渤海史』(1996年、東方書店)「渤海国の公用語は靺鞨語(支配者層)、のちに漢語。靺鞨語はツングース系、扶余語は古シベリア(古アジア)系、契丹・室韋はモンゴル系、突厥・回紇はトルコ(テュルク)系」
- 著:朴永圭、著訳:尹淑姫、訳:神田聡『朝鮮王朝実録』(1997年、新潮社)「」
- 著:王宏剛,関小雲、訳:黄強,高柳信夫,他『オロチョン族のシャーマン』(1999年、第一書房)p4「オロチョン族の起源に関して、中国の学界では主に三つの見方がある。その一は、オロチョン族およびその近隣のエヴェンキ族の語族はツングース系に属するという主張で、もっとも早期の先祖は粛慎であると思われ、その後は挹婁・勿吉・靺鞨・女真などである《陳玉「関于鄂倫春的来源」『文史哲』1962年四期,孫進己『東北民族源流』黒龍江人民出版社1987年版320~321頁,『満族簡史』中華書局1979年版2頁、などを参照》。その二は、オロチョン族とエヴェンキ族は東胡系の室韋族中の鉢室韋・深末恒室韋・大室韋・北室韋族の一部に属するという主張である《馮君実「鄂倫春族探源」『吉林師大学報』1979年第二期を参照》。その三は、オロチョン族の先祖は丁零人であるとするものである。オロチョン族はすなわち唐代の鞠部族であり、その先祖は黒龍江上流以北・バイカル湖以東の地域の丁零人である可能性が高い《徐殿玖「鄂倫春族族源初探」『学術交流』1989年第二期》。」
- 2000年代
- 西川正雄『角川世界史辞典』(2001年、角川書店)「【靺鞨】→トゥングース系、【挹婁】→トゥングース系の夫余に従属していた《大金富雄》。」
- 『世界史小辞典』(2004年、山川出版社)「【靺鞨】→トゥングース系、【夫余】→トゥングース系の貊人が建てた」
- 黄文雄『韓国は日本人がつくった』(2005年、ワック)「遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(略)ツングース系諸民族が活躍した地である。」
- 白石典之『チンギス・カン』(2006年、中央公論新社)p13「当時、蒙兀室韋などのモンゴル系民族が居住するアムール河上流の、西にはトルコ系の突厥が控えていた。また、東にはツングース系といわれる靺鞨という強力な集団がいた。」
- 高凱軍『通古斯族系的興起』(2006年、中華書局)あらすじp1「同概念は踏襲発展の民族伝統を指すものであり、前秦時代の粛慎、漢晋時代の挹婁、南北朝時代の勿吉、隋唐時代の靺鞨、遼、宋、金、元時代の女真、明末及び以後の満州族、オウンク族、ハテツ族などの各歴史時期の部落、部落集団及び民族を含められるものである。」
- 『世界史B用語集』(2008年、山川出版社)「【貊族】古代、中国東北地方から朝鮮半島北部居住していた民族。ツングース系と考えられている。【高句麗】中国東北地方東南部におこったツングース系貊族の国。【靺鞨人】中国東北地方の松花江流域に居住していたツングース系民族。」
- 室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』(2010年、新潮新書)p193「(中国の史書には)高句麗などのツングース系民族と韓族との間には、比較の記述がない。(民族が)違うことが大前提であり、わざわざ違うとは書いていない」
- ネット情報
- 『Yahoo!百科事典』「【濊貊】前3世紀ごろモンゴル系民族に押されて朝鮮半島北東部に南下し、夫余(ふよ),高句麗(こうくり),沃沮(よくそ)を構成したツングース系の諸族を含むのである《浜田耕策》。【夫余】古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族が建てた国名《村山正雄》。【挹婁】高句麗(こうくり)や夫余などと違った言語を用い、毒矢を使い、また穴居して厠(かわや)を住居の中央に置きそれを洗浄用に使用するなど、独特の習俗をもっていた。このような習俗の特異性から、旧アジア系の種族と考える人もいるが、エベンキ(ツングース)とする説もある《護雅夫》。【靺鞨】6世紀後半から中国東北の松花江流域を中心に、北は黒竜江中・下流域、東はウスリー川流域、南は朝鮮半島北部に勢力を振るったツングース系諸族の一派《菊池俊彦》。【渤海(国)】高句麗(こうくり)が唐に滅ぼされた(668)あと、現在の中国東北地方、ロシア連邦の沿海州(現沿海地方)、北朝鮮の北部にまたがる広い範囲を領有して栄えた満州ツングース系の民族国家(698~926)《森安孝夫》。【騎馬民族】(略)とくに高句麗は東北アジア、「満州」にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた《護雅夫》。【満洲族】紀元前後からは夫余、挹婁、勿吉、靺鞨などの諸民族が興亡し、7世紀には粟末靺鞨と高句麗の遺民らが中心になって渤海を建国した。このうち夫余と靺鞨はツングース系の民族ではないかと考えられている《佐々木史郎》。【シベリア】7~10世紀には極東地方から満州(現中国東北地方)、朝鮮北部にツングース系の渤海国が建てられた《藤本和貴夫》。」
- 諏訪春雄「高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族(学習院大学教授 諏訪春雄通信)」
- 南出喜久治「私の見解では、高句麗は、建国の始祖である朱蒙がツングース系(満州族)であり、韓民族を被支配者とした満州族による征服王朝であつて、韓民族の民族国家ではないと考へている。(いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の五›日韓の宿痾と本能論)」
- 石井正敏「渤海は7世紀の末(698年)に建国され、10世紀の初頭(926年)に滅亡するまで、現在の中国の東北地方を中心に、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の北部、ロシア共和国沿海州にまで及ぶ広大な領域を誇った国で、靺鞨人(ツングース民族)や高句麗人から成る古代国家である。(古代日本の環日本海国際交流-日本と渤海の交渉-)」
- 小方登「渤海国は698年から926年にかけて今日の中国東北部に存在した王国である。この国は、ツングース系民族と668年に滅亡した高句麗の遺民とによって建国(衛星写真を利用した渤海都城プランの研究)」
- 不明
- 『北風場沙録』()「」
- 楊保隆『粛慎挹婁合考』(科社)
59.85.57.12氏へ
[編集]粛慎系が「確定的」であることがわかる文章(出典)を書き込んでもらわないと、「確定的」にはなりません。よろしくお願いします。--トムル 2011年10月21日 (金) 04:23 (UTC)
トムル氏に同意。いつ一方が「確定的」になったのでしょうか?どちらも学者の推論でしかありません。勝手な事実認定はお止めください。いつまで続ける気でしょうか。--218.226.121.140 2011年11月1日 (火) 12:47 (UTC)
112.138.161.82氏へ
[編集]>学者の見解と相反する個人的意見によって編集しない
つまりあなたは学者さんなのでしょうか?仮に学者だとしても書籍に載せていない学者の主張は無効となります。学者でないとすれば、「確定的」だとする学者・出典(著者名・『書籍名』・発行所・発行年・ページ数「抜粋文」)を明記してください。--トムル 2011年11月10日 (木) 14:12 (UTC)
トムルとその付随物へ
[編集]何故わざわざ、粛慎系が「確定的」であることがわかる文章(出典)を記載した、その直後に取消をしたのでしょうか? 自らの記述した古びた異説に拘る気持ちは解りますが、いい加減諦めてもらえると嬉しいのですが。何の手掛かりも無いワイ貊系の民族や言語に対するあやふやな推論・仮説とは違い、考古調査の成果に基づく確定的な結論あることは、出典に挙がった文献(通古斯族系的興起)を購入しもちろん読破したであろうトムル氏自身がよく知っています。
- 馬大正、李治亭『東北通史』P250。御存知の金史本記の一文「金の先祖は靺鞨であり、元は勿吉といい、古の粛慎地である」に関して「依据上引文献、大多数学者認為、女真之族源来自粛慎」として、参考文献には金毓敝『女真部族之発展』孫進已『東北民族源流』を挙げている。 わざわざ断定的に書いているのは、このくらいですね。十分過ぎますが
お仲間の、Law somaさんが主張する、日本での情報を主に記すべきではない、という不可解な言い分。二重基準はよろしくないと思いますが、どちらを選択しますか?
- 別に韓国側が反対しているから載せていないのではありません。なお、「日本語版では日本での情報を主に記すべき」というのは誤解です。ここは「日本語版」であって「日本版」ではないので、「日本語」での情報を元に記述される傾向にはありますがWikipedia:日本中心にならないようにというガイドライン草案もありますので、日本での情報を主に記すべきではないのです。ご了解ください。--ろう(Law soma)2010年7月14日 (水) 06:27 (UTC)
--119.83.170.21 2011年11月15日 (火) 12:31 (UTC)
何度も指摘していますが、なんで考古調査の成果に基づく結果が「確定的」になるのかな?それを皆ずっと聞いてるんですよ。人間起源の調査には考古調査やDNA調査などがあるが、どれも「確定的」ではないのですよ。ですから「考古学では~」とか「DNA調査では~」などと書くのです。これが確定的・これが事実などとあなたの判断で記載することは、独自研究でしかありません。いい加減理解してください。--218.226.121.140 2011年11月24日 (木) 19:28 (UTC)
- 皆とは今の所あなた唯一人のことですよね?トムル氏は靺鞨に関しては渋々諦めてますが。考古調査の成果に基づく結果が出ているので。「依据上引文献、大多数学者認為、女真之族源来自粛慎」とも書きましたが読んでいないのでしょうか?大多数でない少数学者の意見は「粛慎、ユウロウ、勿吉、靺鞨(女真)は同じツングース種族であるが、集団としては別ではないか」というもので粛慎がツングース民族なのは大前提とされてます。これらは学者の意見なのですが、何がどう独自研究なのでしょうか?それより、いつまで待てば粛慎≠ツングースとする文献が出てくるんでしょうか?--112.138.42.71 2011年11月24日 (木) 20:18 (UTC)
- それのナニが「確定的」なんですか?その中国書物がそのように書いているだけですよね。そしてその「確定的」なことが極一部の書物にしか書かれていない。もし確定的・事実になったのならば、そんな重要なことは日本の学会でも「確定的になった」と学者の見解が出るはずですが、いっさい見当たりません。あなたが出している出典から書けることは、中国のその書物に「そのように書かれてある」ということだけです。勝手にあなたが「確定的」にしないでください。しかもあなたの出している出典はもう一方の濊系の研究者の見解を「推論である」ともしていません。一方を「確定的」とか他方を「推論」とか、アナタの解説は独自研究なのです。お止めください。そもそも合意文をいじるならば、同意を得てください。またブロック逃れは止めて下さい。--218.226.121.140 2011年11月24日 (木) 20:48 (UTC)
- 詰まるところ、中国史学会では粛慎はツングース民族に比定(確定)されているです。あなたが頑張って、粛慎=ツングースに反論する日本の研究者が著述した文献を探し出せばいいです、頑張れ。合意文とは何か?このノートで合意形成が図られた形跡はないです。 なお二重基準はよくないです。ご了解ください。
- 別に韓国側が反対しているから載せていないのではありません。なお、「日本語版では日本での情報を主に記すべき」というのは誤解です。ここは「日本語版」であって「日本版」ではないので、「日本語」での情報を元に記述される傾向にはありますがWikipedia:日本中心にならないようにというガイドライン草案もありますので、日本での情報を主に記すべきではないのです。ご了解ください。--ろう(Law soma)2010年7月14日 (水) 06:27 (UTC)--122.103.151.133 2011年11月25日 (金) 08:24 (UTC)
「中国史学会では粛慎はツングース民族に比定(確定)されているです。」の根拠がありません。万が一、それが事実しても、本文に書けることは「中国史学会では粛慎はツングース民族に比定されている」のみです。それをもって濊系が学者からツングースとされていることを「推論」と書くことはできません。余計な解説をアナタガしていることに気づいていただきたい。ブロック破りはお止めください。--218.226.121.140 2011年11月25日 (金) 16:40 (UTC)
- はあです?何言ってんのです?濊貊の話した言語が何の系統に属すかは、根拠の乏しい推定以前の推測の段階です。
- 濊貊系に関する記事は不要な内容です。ここではなく濊貊・夫余・高句麗など、他の記事に書くべきものです。--122.103.151.133 2011年11月28日 (月) 05:52 (UTC)
- だからどこの誰かもわからないあなたの「意見」は必要ありませんよ。一方を「確定している」とか他方を「推論」と発表している信頼のおける研究者の出典を出せば一発で解決なのです。簡単なことです。--218.226.121.140 2011年11月29日 (火) 01:32 (UTC)
- 上で書いた「依据上引文献、大多数学者認為、女真之族源来自粛慎」を読めないのです?馬大正、李治亭は研究者で主要な文献にも金毓敝と孫進已という研究者の著書が挙げられてるです。濊貊系民族とその王国(夫余・高句麗)の研究者は誰一人ツングース民族だとは断定してませんよ、確信持って判断する材料が無いのに断定するようでは学者ではなく218.226.121.140の同類になってしまうです。--122.103.151.133 2011年12月1日 (木) 07:57 (UTC)
- ですからあなたの挙げた研究者がそう言っていると書けばいいのです。彼らは女真の源流を確認したと言ってるだけで、それが「確定的」の根拠にはなりませんよ。同時にそれが濊系は「推論」との根拠にもなっていません。書き方としては、「粛慎系については中国の研究者が女真の源流だと確認した」の一文を書くことがでる程度です。確定とか推定とかアナタの解説は必要ありません。--218.226.121.140 2011年12月2日 (金) 03:30 (UTC)
- 違いますね、大多数の学者が粛慎~女真を同種同族と認識している、少数の学者は同種異族と認識している、そう二度書きました、アナタも読みました、アナタの意図的に中身を改竄捏造する癖はよくない。改めたほうがよい。そして、濊貊系の言語に関する資料が断片的なほんの数十単語しか残ってないのは御存じの通り、極僅かな手掛かりで推論以上の断定をするのはアナタとアナタのお仲間住者だけだろう。--119.83.175.163 2011年12月7日 (水) 20:04 (UTC)
- 「少数の学者は同種異族と認識している、そう二度書きました」この発言により「千葉県Tcom」と「神奈川県 V-FLETS」が同一人物であることを確認。そして彼は「Category:赤雲斗の操り人形だと疑われるユーザー」である。--218.217.158.10 2011年12月27日 (火) 18:04 (UTC)
あなたは、高句麗や濊貊や朝鮮の歴史の項目でも「扶余・高句麗はツングースではない」と自説を開陳され編集合戦を起こしていますが、そもそもあなたは無期限ブロック者の利用者:赤雲斗(会話 / 投稿記録 / 記録)の多重アカウントであり、厚かましくも平然と編集を行っていますが、無期限ブロック逃れのために多重アカウントを用いているのであり、どれほど自説を力説されても、あなたの投稿はすべて無効です。勝手に脳内で「扶余・高句麗はツングースではない」と妄想されていればよろしい。ウィキペディア編集者の方にお願いがあります。高句麗や濊貊や朝鮮の歴史等の項目において、利用者:赤雲斗(会話 / 投稿記録 / 記録)の多重アカウントが現れ、「扶余・高句麗はツングースではない」と編集合戦を起こした場合、遠慮なくWikipedia:保護依頼を依頼し、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック/ソックパペットにおいて投稿ブロックを依頼して下さい。また、利用者:赤雲斗(会話 / 投稿記録 / 記録)の多重アカウントが編集を行った状態で保護になった場合、Wikipedia:管理者伝言板/保護ページ編集において版の差し戻しを依頼して下さい。依頼理由は、「多重アカウントによる無期限ブロック逃れであるため」で結構です。よろしくお願いします。--通りすがりの某 2012年1月18日 (水) 22:15 (UTC)
付記:「千葉県Tcom」と「神奈川県 V-FLETS」の可変IPが利用者:赤雲斗(会話 / 投稿記録 / 記録)の無期限ブロック逃れの為の多重アカウントです。--通りすがりの某 2012年1月19日 (木) 12:15 (UTC)
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[編集]名称、人口、地域などが記述されたツングース民族のリストを追加することを推奨します。--MiiCii(会話) 2018年10月20日 (土) 09:01 (UTC)
「ツングース民族旗(ロシア)」について
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この白、緑、黒の三色旗をウィキメディア・コモンズで検索してみたところ、「Flag of Tungus Republic.svg」(ツングース共和国の国旗)というタイトルであることが分かりました。2023年11月現在、日本語版ウィキペディアには「暫定ツングース中央政府」のページが存在しており、この旗を国旗にしていることが確認できます。ちなみに私は昨年Youtubeでツングース共和国について検索したことがあり、ツングース共和国の国歌(https://www.youtube.com/watch?v=cJrUoqRzXxc)の動画でこの旗を初めて見ました。
この三色旗を使用しているツングース共和国は1920年代に現在のロシア・サハ共和国東部及びオホーツク海沿岸に存在していた短命の分離主義政権であり、名称にツングースが使われていますが、国歌はチュルク諸語に属するサハ語(ヤクート語)で作詞されております。ツングース系民族との直接な繋がりを見出すことが難しいので、このツングース共和国の国旗が現在のロシア連邦国内のツングース系民族の民族旗であることは疑わしいです。現在、ロシア国内では八つのツングース系民族(エヴェン、エヴェンキ、ネギダール、ウデヘ、オロチ、ナナイ、ウリチ、ウイルタ)が承認されており、それぞれが別々の民族として扱われています。民族の旗であるかどうかは分かりませんが、エヴェンキとナナイについては彼らの住んでいる地域にちなんで、「エヴェンキ地区」(クラスノヤルスク地方、地区の旗は白地の部分に赤い太陽があしらわれている水色、白、青の三色旗)、「ナナイスク地区」(ハバロフスク地方、地区の旗は青紫色の背景に黄色の円、円の中には三羽の黒い鶴がある)が設置されており、地区の旗があります。即時削除は荒れる原因になりますので、「ツングース民族旗(ロシア)」には取り敢えず要出典のタグを貼付しました。
この旗がロシア国内のツングース系民族の旗であることを裏付ける資料が存在すれば、要出典タグを直ちに取り外します。ただし、これが信憑性に乏しい内容であれば、削除することを提案します。--MiiCii(会話) 2023年11月14日 (火) 13:29 (UTC)