ノート:ディベート
討論、その他の議論との違いを詳しく議論してください。あまり一般的に知られているわけではないので。Mishika 15:44 2004年6月12日 (UTC)
- この記事でディベートの具体的な形式を示せば一般の人にもイメージしていたディベートと本当のディベートは違うというのが分かるのではないかと思います。
- あと討論その他との違いは「議論」という記事でもつくってそこで述べたいなぁと以前から思ってはいましたが、とりあえずこちらを優先しようかなと思っています。tanuki_Z 08:26 2004年6月13日 (UTC)
- 貧しい日本のディベートの歴史を知ったところでトリビアにしかならないような
との理由でコメントアウトされたのですがその判断はPOVだろうと思い解除しました。ただもしかして、日本のディベートの歴史は貧しいので知ったところでトリビアにすぎないというのを誰かが主張して多くの人の賛同を受けていて、かつそれを私が知らないだけでしたら日本の歴史の部分は削除してくださって構いません。
討論の意味のディベートは使われることは使われるので誤用と断ずるのはやめておこうと思っていたのですが、ディベートを知ってる人間ならほとんどの人が誤用と知っているので断定に変更しました。POVかも知れませんがまぁこれくらいはいいかなと。。tanuki_Z 2004年12月13日 (月) 13:46 (UTC)
- こう書かれるのは少々誤解を広めるだけですので意図したことを説明いたしますと、ディベートの発達よりも日本での受容に内容が大きく割かれており、これだけを知るのはトリビアの増加にはなっても知識を得ることにはつながらないかな、と思いコメントアウトしました。以上です。 Kzhr 2004年12月13日 (月) 13:54 (UTC)
「パーラー」
[編集]すでに「荒らし」としてリバートされていますが、 2006年2月19日 (日) 17:17 220.39.10.134 の版に「パーラー(Parliamentary Debate)」 という言葉があったので検索したところ、「パーラメンタリーディベート」を説明したサイトがありました([1])。英語版にも#Debate in Education のセクションに「Parliamentary debate」が説明されています。どなたか、これについて加筆していただけないでしょうか?--miya 2006年2月19日 (日) 22:19 (UTC)
「ディベートを扱った書籍」の節について
[編集]ディベート#ディベートを扱った書ディベートを扱った書籍節が、利用者:だいちやすお(会話 / 投稿記録 / 記録)さんによって追加されて3冊の本が紹介されています。いったん「宣伝にしか用いられていないようなので」という理由で除去されたのですが、理由もなく差し戻し。その後、宣伝タグが貼り付けられたのですが、IPユーザーさんが適切と判断した文献に書き換えたところ、またしても理由もなく差し戻しされました。
このような状況は好ましくありませんので、きちんとこのノートページでどうすべきかを議論していただきたいと思います。なお、私個人の見解としてはこのディベート#ディベートを扱った書ディベートを扱った書籍節は不要で、必要なら出典として示せば良いという利用者:Starchild1884(会話 / 投稿記録)さんの意見に賛成です。--Wolf359borg 2011年11月13日 (日) 14:19 (UTC)
- コメント だいち氏があのような強硬編集をされる方と知り、非常に残念。ひとまず早急に110.4.214.12氏の版に戻すか、少なくとも110.4.214.12氏・だいち氏併記にすべきと考えます。
- 恥ずかしながらこの分野は完全に専門外なので、110.4.214.12氏が加筆された書籍が特筆性のあるものなのかは私には全く分かりません(だいち氏加筆の3冊は誰でも完全に不適切と判断できる)。基本的には除去で構わないと思いますが、110.4.214.12氏に「これらの本の特筆性を示せるか」を質問してからでも遅くないかもしれません。もしかしたらこの分野では教本のような存在なのかもしれず、判断のつかぬまま一律除去というのは止めた方が良いと思います。
- この議論とは関係ないですが、Wolf359borg氏に一言。{{Preview}}は、3回程度の連続編集で貼るものではないですよ。あまり注意が過ぎると執筆意欲を削ぐことにも繋がりかねません。明確なルールは無いですが、連続6~8回(記事に依る)くらいが貼る目安ではないかと。--Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年11月13日 (日) 22:58 (UTC)
>特筆性のあるものなのかは私には全く分かりません
や
>この分野では教本のような存在なのかもしれず
なのに
>だいち氏加筆の3冊は誰でも完全に不適切と判断できる
なのですか?無理あるでしょう。中立とは思えません。--だいちやすお 2011年11月14日 (月) 08:26 (UTC)
- 専門外の人でも判断できる条件があるなら、別に無理はありません。中立である必要性ってなんですか。--Calvero 2011年11月14日 (月) 11:49 (UTC)
あのタイトルから門外漢の人間が判断できる条件を教えてください。新しく差し替えられた作品との違いは何ですか?--だいちやすお 2011年11月14日 (月) 12:13 (UTC)
- 会話ページの方にも書きましたが、だいちやすおさんにはHelp:ノートページおよび、Wikipedia:エチケットを読んいただいて、ノートページでの作法を守って欲しいです。そして、Starchild1884さんの発言が適切だったか否かの前に、二度に渡る不適切な差し戻しを行ったことについて、説明責任があるのではないかと思います。特に110.4.214.12さんの編集を差し戻すのではなく、併記するように編集しても良かったはずです。--Wolf359borg 2011年11月14日 (月) 11:55 (UTC)
過去にも自分が加筆し、差し戻されたというのは何回かありますが、理由の説明(編集内容の要約)がないのもありました。 ので、慣習として必須ではないと思ってました。
>併記
確かに。ただその前に、当方のを全消しして自分のに入れ替えた人に対して併記しなかった理由を聞くのが先きでは?--だいちやすお 2011年11月14日 (月) 12:13 (UTC)
- 特筆性うんぬん以前に、だいちさんが掲載を望んでいるらしい書籍の内容と「ディベート」の関連性は、本文で明示的に否定されています。
- 「その他「ディベートではない」もの」節においてしばしば、ディベートでないものとして「口論」「詭弁」が挙げられることがある。このような議論は、ディベートが「口論の技術」ないし「相手をやり込める技術」を教えるものであり「詭弁家・ソフィストを作るものだ」などといった批判への反論という形であらわれる。とわざわざ記述されるほど、典型的な誤解ということです。
- 反論法に特化した論法書とだいちさんが注釈をつけた「ウザい奴を言い負かす技術」はまさに、本文中で「ではない」と明言されているそのものと判断します。--Cossy 2011年11月14日 (月) 12:38 (UTC)
反論の論法(「それはあなたの主観です」だとか「それは極論です」などといった指摘)は詭弁ややり込める技術ですか? まったくもって正当な議論の手法です。一般的に。--だいちやすお 2011年11月14日 (月) 12:50 (UTC)
- 「ウザい奴を言い負かす技術」(以下ウザ本)といった扇情的なタイトルからは、「相手をやり込める技術」を教えるものとしか判断できませんでした。本文の方には検証の助けとするため、ウザ本ふくむ関連書籍の書誌情報(出版社とか刊行年とか)を調べて追記しておきました。
- ウザ本に書かれている内容は、Wikipedia閲覧者は直接には参照できませんが、ディベートの記事で論争テクニックについて触れられている部分があれば、参照として言及することは有用でしょう……
- って、ディベートの記事中に議論の手法に触れてるところなんて一行たりともないじゃないですか! 本文でまるで言及のない内容について書かれてるウザ本なんて、関連図書とは言えないです。
- 本文の記事が、テクニカルな面に言及してない時点で不充分である可能性もままありますが、それは例えばウザ本を手元においている(であろう)だいちさんが加筆すればよいのですが、加筆されてないのに書かれてない内容に関連するウザ本を関連図書に挙げておく理由にはなりません。
- ウザ本ほかディベート技術に関する本を読んでいるだいちさんが、それらの本を元に記事の充実を図り、参考書籍として「ウザ本なんページより」とレファレンスをつけてくださるのなら、ディベート本文もいっそう充実することでしょう。--Cossy 2011年11月14日 (月) 13:32 (UTC)
追記ありがとうございます。確かにこのディベートの記事は成り立ちややり方についてのみで、論者の技術的な記述が抜けています。逆にいえば、このウザ本はシーンが話題にすべきことを先取りし、体系化してしまったものであります。つまりこれからテクニカルな面についてディベーターのあいだで語られるでしょう。名前冴えないので変えました。--セミワキガ 2011年11月14日 (月) 13:39 (UTC)
- つまり、ウザ本はまだ記述がないし記述すべき事象と世に認められてもいない話題を扱っている、ということですね? では現時点で関連図書と挙げておくのは妥当ではないです。世に認められ、記述が充実してから記載すべきでしょう。今は時期尚早のため除去が妥当です。--Cossy 2011年11月14日 (月) 14:09 (UTC)
正確な言い方をしますと、技術としては浸透しています。上述したような「主観」「極論」などは一般的にも つかわれてますから。そうではなく技術用語、定義としてあまり定着、統一化されていないといったところです。--セミワキガ 2011年11月14日 (月) 14:26 (UTC)
- 定着、統一化された言及のない技術用語、定義ということですね? Wikipediaというのは匿名のネットユーザ(私ことCossyも、あなた だいちさん改めワキガさんも)が編集可能ですから、どこの馬の骨とも知れない編集者ではなく、その他の情報源を典拠として要求しています(ガイド文書を読んだのならご存知でしょうが)。外部典拠のない用語や関連図書なら、記述を残しておくのは妥当ではないです。--Cossy 2011年11月14日 (月) 14:33 (UTC)
どうもご理解いただけていないようですが、ウザ本は「ディベート」の関連書籍として挙げるには基本的に不適である、というのが私の意見です。
- タイトルが扇情的に過ぎて、本文当初で典型的な誤解として否定されている「相手をやり込める技術」を教えるものとしか判断できない
- 技術的な側面としても、反論法に特化されているのであれば、ディベート技術のごく一部しか説明されていない
このような内容の書籍は、ディベートを理解するには不充分であろう、と判断します。--Cossy 2011年11月14日 (月) 14:43 (UTC)
ちょっと書き方が悪かったですね。具体的にはこのような目次です。以下楽天ブックスの書品ページから
【目次】(「BOOK」データベースより) 主観(そのひとどくじのかんがえ)/客観(だれからみてもおなじ)/一般論(せけんいっぱんのかんがえ)/水掛け論(けっちゃくのつかないぎろん)/定義論(ていぎにかんするぎろん)/換言(ことばをいいかえる)/論点ズレ(はなしあわれているぶぶんがちがう)/断定否定(きめつけてはいけない)/実例(そんざいするじれい)/架空例(かくうのたとえ)〔ほか〕
言葉として定着してると言ったほうが正確かもしれません。それを例えば、エクストリームマーシャルアーツの「バタフライツイスト」 のような一つの(大)技としてとらえてはいなかった、ということがいいたいのです。それとタイトルですが、「言いくるめる技術」ならまだしも「言い負かす」ですから、単純に「議論の末の論破」と解釈できましょう。「タイトルと内容が結びつきにくい」という理由だけで、内容の優れたものを却下するのもどうかと思います--セミワキガ 2011年11月14日 (月) 20:13 (UTC)
- コメント 基本的なルールは既に存在しているのですから、別にこんな無駄に長く話し合わんでも。
- だいち氏が『ウザい奴を言い負かす技術』(『ウザ技』)の特筆性を示す出典を出さない限り付け加えない、以外に無いと思います。もちろんここで言う特筆性は「読んだら内容が良かった」 などといった個人的感想ではなく、信頼できる出典源による有意な内容である必要があります。例えば雑誌プレジデントで16ページの特集が組まれたとか。100万部突破と日経新聞で報道されたとか。この分野において権威ある人物が「この本は良いぞ」と絶賛していたとか(この場合「権威ある人物」の著書を入れた方がなんぼか役立ちそうですが……)。
- というわけで、だいち氏を除いて「残すべき」という意見もないようですので、WP:SNOWを適用して該当の節を除去しました。再度の加筆の際は、ウィキペディアの方針に沿った出典をお願いします(ただの出典では駄目)。要するに、ウィキペディアというのはどこの誰とも知れぬ者が活動しているので、そのうちの誰かが「この本は特筆性がある」と言ってもお前どこの馬の骨だそんなの信用できるわけないだろうとなる、故に権威ある人物や論文などでの言及を出典として示し「この有名な学者が言っていた」などとしなければ無意味なのです。
- 余談。だいち氏を見る限り、『ウザ技』はルール無用の電子掲示板か、誰も割って入らない完全なる一対一の状況でしか役に立たなさそうです。ウィキペディアには守るべきルールがあるし、議論も正当な議論であれば大抵は多対多になりますから(今回は一対多ですがこれの意味するところは言うまでもない)、ここで通用しないのも当然でしょうね。--Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年11月14日 (月) 21:18 (UTC)
- コメント井戸端からずっと推移を見ていましたが、だいちやすお(会話 / 投稿記録 / 記録)氏のこの発言などは、典型的な強弁(相手の発言の全否定)ですね。無知と行ってもいい。『憲法 (芦部信喜)』や、EULE(会話 / 投稿記録 / 記録)氏の挙げた文献は、 『憲法1 人権 第4版』及び『憲法2 統治』(渋谷秀樹、赤坂正浩、有斐閣、2000年)のような法学部の専門科目で学ぶ人向けの文献のなかでも参考・引用文献として挙げられていますのに。--森藍亭 2011年11月15日 (火) 03:41 (UTC)
提案 議論を閉じることを提案します。地獄の雪玉が生き残るほどの可能性もないので。--Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年11月14日 (月) 21:18 (UTC)
- (賛成)結局、論証できてないし、する気もなさそうなので。--EULE 2011年11月15日 (火) 02:32 (UTC)
- (賛成)何のことはない。単に自分の主観に沿った記述を強引に載せたいだけ。宣伝目的と行ってもいいでしょう。--森藍亭 2011年11月15日 (火) 03:41 (UTC)
- 賛成 私も除去で議論クローズに賛成です。下のだいちやすおさん(なぜか署名だけ変えていますが)の発言で井戸端の議論の事を出されていますが、そもそも最初にここで議論をせずに利用案内や井戸端に話を持っていく姿勢からして理解不能です。何度お願いしても、ノートページでの作法一つとして守ってくれないような人ですから、議論を続けても不毛でしょう。--Wolf359borg 2011年11月16日 (水) 00:19 (UTC)
>マナーとは何の話をしてるのですか?記名は言われてしてますし、インデント(字下げ)はなぜか出来ません。半角空けると枠になります。 --セミワキガ 2011年11月16日 (水) 01:25 (UTC)
井戸端では各IDに対してそれぞれ反論してましたが、混乱するのでまとめて反論します。 これから出典を挙げて載せますが、まずお尋ねします。一つの記事につき議論を行ってる最中というのは、 1 どの状態でとどめておくのですか?(当方が加筆した記事のままか?それともその前の状態か?) 2 ラッキー氏の「議論も正当な議論であれば大抵は多対多になります」に対して。wikiの方針などで「多数が正しいとは限らない〜」 のような主旨の文言があったような気がします。 3 強弁(辞書的には無理矢理理屈を付けて押し通そうとする)というのは抽象語です。「そんなの屁理屈だ!」というので何の説明にも なってません。ものを知らないこととの相関性も無い。 4 >法学部の専門科目で学ぶ人向けの文献 例えば、これがホントに法学部の人に支持されてるかなど証明できますか?EULE氏とは井戸端の議論以来反論待ちの状態です 5 論証する部分について。例えば自分が記事にしたい箇所は「その本が論法に特化し、基本的なディベートに必要なテクニカルな部分を数多く紹介している」という点。この場合は「100個の論法がある」という事実の二次資料(なるべき影響力のある)をしめせばいいのですか?--セミワキガ 2011年11月15日 (火) 23:50 (UTC)
- ワキガさんことだいちさんがWikipedia:ガイドブックの内容すら理解できていないことはよく分かりました。編集に際しての方針にせよマークアップの方法にせよ、リンクをたどれば一とおり書いてあるのに、言動にまるで反映されていませんね。
- 他者から不適切との指摘がある記述を、他者への説得もなしに加筆したままの状態にとどめるのは不適当でしょう。
- 「多数が正しいとは限らない」ことは、「少数だから正しい」ことを意味しません。(議論の方法を論じた書籍に通じているなら、逆とか裏とかいった論理学の概念はご承知ですよね?)
- 「具体的な指摘がないから屁理屈だ!」と主張するのも屁理屈です。相手の論法にレッテル貼りしても、あなたの主張の説得力が増すわけではありません。
- いまここではディベートに関連する書籍について論じているのであって、他の分野の文献の話は関係ありません。
- 「論法に特化した本」を本文に関連付けることが可能かどうか改めて検討しましたが、本文当初でディベートに対する典型的な誤解として否定されている「相手をやり込める技術」を教えるものにしかつなげようがないです。誤解に関連付けてはダメでしょう。
- --Cossy 2011年11月16日 (水) 01:57 (UTC)
- しょうがない。本当はもうコメントする必要はないし、むしろするべきではないが、これを最後とし発言する。
- そもそも大きな誤解を1つしておられる。この議論はディベートではなく、立証責任は常にだいち氏にしかない。私は当然、他の何者にも立証責任はない(第一の責任は記述したい側にある)。現に私(氏以外の人物)の言ったことをいくらあなたが論破しようとも別に誰も困らないし、あなたの立証責任が免れることもない。部数や憲法の例を論破したって私は痛くもかゆくもない。
- ディベートで例えるなら、だいち氏以外の人たちは、だいち氏の対立者ではなく、判定者だ。もう少し例えるなら、だいち氏が検察とすれば、だいち氏以外の人たちは弁護士ではなく、裁判員なのだ。もう少し見方を変えるなら、あなたはセールスマンであり、商品を私達に売っているのだ(ライバル社のセールスマンではないのだ)。なのに、今のあなたは「この壷はすばらしい壷です」(あるいは「三丁目の西山さん(新刊JP)も褒めてる壷です」)と言っているに過ぎない。そんなものはよほど馬鹿な奴じゃない限り買わない。しかし、例えば有名な鑑定家の鑑定書がついていたりすれば話は別だ。その鑑定書が偽物の可能性もあるが、それは鑑定書という評価手法自体を否定するわけではない。まして鑑定書には偽物もあるから私個人の評価も認められるはずなんてこともない(どんな方法なら買ってくれますか?と聞かれたので「例えば鑑定書があれば」と答えたら、「鑑定書には偽物もある。だから私の評価に基づいて買え」では無理なのだ)。
- ここまで言って理解できないのであれば、次はコメント依頼で会いましょう。--EULE 2011年11月16日 (水) 02:32 (UTC)
まずcossy氏に対して、、、
1、履歴のどこのくだりですか?説明無しに変更された方がいたので説明無しに差し戻したことはあります。 ではその勝手に加筆した方は不適当ではないのですか?自分は文盲かもしれませんね。ガイドラインなど見ても 「他者への説得もなしに加筆したままの状態にとどめるのは不適当でしょう。」の一文は見つけられなかったです。
2、誰も「少数だから正しいことを主張してません」。多数だから正しいと主張する人がいたので否定したまでです
3、これは当方の表現の誤字です。「そんなの屁理屈だ!」というので→「そんなの屁理屈だ」と言うのと同じで、の間違いです
4、井戸端の話題を先きに持ち込んだのは森氏です。まずそちらに注意しましょう。当方の「証明できますか?」というのも例えです。 実際できやしないでしょうから。
5、上の方への反論と同じ反論をします。タイトルに引っ張られてるだけです。では逆にウィキで紹介されてる書籍は、内容とタイトルの乖離 があるものは採用されないのか?って話です--セミワキガ 2011年11月16日 (水) 04:31 (UTC)
- 事ここに至ってまだそういう内容を書き連ねていますが、個別の発言を論破していけばその先にゴールがある、とまだ考えているのかな? だれの発言に矛盾があるかとか、だれが言い負かされたとか、そういう類の話題じゃないんです。いちいち相手を論破する必要など一切ないんですよ、とみなさんやさしく諭してくださっています。第三者が妥当であると納得するに足る根拠を示せばそれでお仕舞いです。示せなくともそれでお仕舞いです。どんな情報なら特筆性があると第三者が見なしてくれるのかといえば、以前EULEさんが助言なさっています。シンプルに考えましょう。ディベートもどきの難癖をつけ続ける事が主目的化していると誤解を受けてしまいますよ。--118.7.122.245 2011年11月16日 (水) 05:36 (UTC)
- ウィキペディアの記事ノートにおいて、記事の改善につながらないディベートごっこに付き合う気はありません。多少なりとも記事の改善に関わりそうな5番についてのみ言及します。1番から4番は本文中教育ディベートに対する批判で否定的に論じられているゲーム性の強い、いわば屁理屈の範疇と理解しています。
- 「上の方」ではなく、同じ異論を同じ編集者が述べているだけです。(誰がどんな異論を述べているのか、把握できてないのでしょうか。ディベートの本をたくさん読み込んだにしてはお粗末な議論の進め方ですね)ただし、異論の理由には変化があります。
- 一昨日の時点[[2]]では、テクニカルな面への言及に思いを巡らせもしましたが、再検討の結果やはり不用、むしろ言及することが有害と判断を改めました。たとえば野球の項目中で「カーブの投げ方」「スクイズを行うべき場面」などに言及がないのと同じです。些末な技法を種々述べることは、全体の理解の妨げになります。
- 「反論法に特化」[[3]]とはだいちさんが記述されたことだから、タイトルによる誤解の余地はないです。全体から見れば些末な技法についてのみ述べられた本を導入することは有害だと考えているのです。
- 本文の教育ディベートに対する批判節には、教育ディベートそれ自体に対する批判は、教育が成功したとしても、そのディベート技術が道理に合わないことを正当化しようとする「詭弁家」や、批判だけが得意な「ニヒリスト」を育ててしまう危険性があるという点に集約される。とあります。だいちさんだかワキガさんだか名乗った彼の人も、壮大にして不幸な教育実験の哀れな犠牲者だったと言えるのではないでしょうか。よりにもよって、教育ディベートの弊害がWikipediaのディベート項に関わって顕現するとは、なんとも皮肉な話です。--Cossy 2011年11月16日 (水) 14:34 (UTC)
EULE氏に対して。その裁判員が色々質問、反論してくるから再反論してるだけのこと。
Cossy氏へ。
>立証責任
立証の過程で議論になるでしょう。議論で決めるのはウィキの方針でもある。議論があれば論破もある。
>三丁目の西山さん
では、これが「ヒルズに住んでる野宮真貴さん」ならばどうですか?当方が根拠にしようとしてるのは、mixiニュース、ライブドアニュース、ニコニコニュース、エキサイトニュースです。これらは三丁目の西山さんですか?その例えが正しいかどうか、この論点は議論の価値あると思います。
>屁理屈の範疇
これは自分の経験であり何の立証もできないので、参考程度に。先日、ディベートの記事の下のほうにも載ってるディベート団体の会合で主催者にこう言われました。「〝それは屁理屈〟と言う人間は自分が言いかえせないってだけ。屁理屈なんて定義は無いのだから」と。この方はディベート甲子園にも役員として関わってる方です。
>変化球の例え
では、これが例えば変化球に特化した日本ではじめての本「変化球の投げ方(仮名)」であればどうですか?
>だいちさんが記述されたことだから、タイトルによる誤解の余地はない
これは意味自体が分かりません。この周辺の貴殿の記述はおそらく話が噛み合ってないと思います
>教育ディベート〜
特に自分はディベートで学んだことなどほとんどないですよ。数回、大会や講習に最近行ったくらいで
それよりも、「100個の論法がある」という事実の二次資料(なるべく影響力のある)をしめせばいいのですか?」という 質問にどなたかお答えいただけないでしょうか?
数字のIDの方へ。反論は上記の論旨に含まれてるので割愛させていただきます。--セミワキガ 2011年11月16日 (水) 21:20 (UTC)
- セミワキガさんへ。このノートで行われているのはディベートではないので反論も論破も必要ありませんよ。そして本題ですが、必要なのは「ウザい奴を言い負かす技術」がwikipedia:特筆性を満たすような本である事をwikipedia:信頼できる情報源によって示す、それだけです。
- 「100個の論法がある」という事実の二次資料(なるべく影響力のある)をしめせばいいのですか?」についての回答はNOです。本の内容を証明しても特筆性の証明にはなりません。--Adequate 2011年11月17日 (木) 11:02 (UTC)
終了 2011年11月14日 (月) 21:18 (UTC) の終了提案に対して反対意見も無いようですので、この節の議論は終了としましょう。折を見て、過去ログ化しておきます。--Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年11月19日 (土) 22:13 (UTC)
あいまいさ回避について
[編集]「家族会議」という語からディベートにリンクしていたことに問題があったようで、あいまいさ回避ページのほうを修正しました。--大和屋敷(会話) 2015年3月26日 (木) 04:32 (UTC)