ノート:トビヤ家
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トビヤ(アンモン人)とトビヤ家のつながりについての出典はどれのどこでしょうか?
[編集]このページが作成された時点から「ネヘミヤ記に出てくるトビアはマカバイ戦争時代のトビアの先祖である」という前提になってますが、旧約聖書を少し調べると確かにネヘミヤ記2章10節とマカバイ記2巻3章11節に確かに「トビヤ(トビア)」という名前の人が出てくるのですが、特に両者の関係は書かれていません。
何か別の文献であげられている説なのかとも思いましたが、手元にあるヨセフスの『ユダヤ古代誌』(筑摩書房)やE・シェーラーの『イエス・キリスト時代のユダヤ民族史』(株式会社教文館)などにもこうした記述が一切なく(私の見落としかもしれませんが…)、あげられている参考文献に乗ってたややマイナーな説かな?と思い確認を取りたいのですが、3つ(『ユダヤ民族史1 古代編 I』、『ユダヤ民族史2 古代編 II』、『ヘレニズムとオリエント -歴史の中の文化変容-』 )のうち、どれのどの部位にこの情報が載っているのでしょうか?--カーラ・ミーキタ(会話) 2018年6月25日 (月) 15:40 (UTC)
- 返信 この記事はほとんど私が書いたものなのですが、何分にも10年以上前のことなので当時の自分の思考は再現できません(なかなかお恥ずかしい出来です)。一応参考文献の中から当時この部分を元に書いたと思われる個所を書きます。
- 『ユダヤ民族史1 古代編 II』pp. 27-32:「祭司家以外のいくつかの家族が、前三世紀にユダヤで重要な地位を獲得したが、その中でトビヤ家が最も重要な家族だったことに疑問の余地はない。トビヤ家は、第一神殿時代に興隆した古い家柄であった。"トビヤの地"の名で知られた南ギレアドを勢力基盤とし、そこに家族の荘園を持っていた。トビヤ家は、ペルシア時代に影響力を増大した。ネヘミヤ時代のトビヤは、エルサレムの有力な住民と婚姻によって結びつき、エズラとネヘミヤの宗教的民族的政策に対する主要な敵対者の一人であった。プトレマイオス・フィラデルフォスの同時代人であるトビヤはネヘミヤ時代のトビヤの子孫の一人で、ユダヤ人と異邦人からなる"アンモンの要塞"にあった軍事植民地の首長であった。」
- 『ユダヤ民族史1 古代編 I』p. 301:「通常サンバラトと一緒にあげられる第二の敵対者は、アンモン人トビヤであった。ネヘミヤに"奴隷"と呼ばれているが(彼の公式の称号、"王のしもべ"のもじりらしい)、彼はアンモンにおける最も有力な土地所有家族の代表者であった。ユダ出身のトビヤ家は、ネヘミヤ時代の約二世紀後に、エルサレムにおける最も有力な家族となった。」
- 『ヘレニズムとオリエント -歴史の中の文化変容-』では、ヨセフスの記録にあるトビヤ家のヒュルカノスが建てた「屋根にいたるまですべてが白い石でできた強固な要塞」と、ヨルダン川東にあるカスル・エル・アブドという遺跡の関係について考察を行っていますが、この件について明示的な記述はありません。ただ、この城塞遺跡の通称であるカスル・エル・アブド(僕の城)は、『ネヘミヤ記』二・一〇に「アンモン人の僕トビヤ」とあることによっている(p. 311)とあるので、同種の説の延長線上にある話かなと思います。最も著者である大戸氏は、この建物とトビヤ家を結び付けることには強い蓋然性があるとしつつも断定できないと述べておられます。なお、この本は最近復刊されていますが、私が持っているのは1993年発行の初版なので、復刊版ではページが違うかもしれません。
- 一応、執筆当時は『ユダヤ民族史1 古代編 II』の記述をベースに他の2冊の内容からネヘミヤ記のトビヤとヘレニズム期のトビヤの関係を確信して書いたのかなと思います。--TEN(会話) 2018年6月25日 (月) 17:45 (UTC)
- なるほど、すぐに回答いただきありがとうございます。
- 図書館で確認してみたかったのですが、どの本か分からないと探すのが大変(ネットで『ネヘミア記 マカバイ記 トビア(トビヤ)』検索すると『トビト記』に出てくるトビトの息子ばかり引っかかる…)だったのでちょっと困っていました。
- 確かにその記述の通りなら、『ユダヤ民族史1 古代編 II』ではネヘミア記に出てくるアンモン人のトビア=マカバイ記のトビア家の先祖という説を取っているようですね。--カーラ・ミーキタ(会話) 2018年6月26日 (火) 11:59 (UTC)