コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:ナグ・ハマディ写本

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

疑問

[編集]

「キリスト教の異端グループにすぎないと考えられていたが、研究が進むとともに修正され、本来キリスト教とは無関係に成立した思想の信奉者たちがキリスト教化してグノーシス主義的キリスト教の一派が成立したという説が有力視されるようになった。」(2004年12月23日 (木) 09:39の版 より)

本当? --忠太 2005年7月25日 (月) 12:07 (UTC)[返信]

項目名について

[編集]

もともとナグ・ハマディ文書であったものがある時点でナグ・ハマディ写本に移動されたようですが、岩波書店のタイトルも『ナグ・ハマディ文書』であり、「~写本」にこだわる理由が今一つ不明で移動の経緯もノートに書かれていないので、『ナグ・ハマディ文書』への移動(復帰)を提案します。Gakuinryou 2009年10月11日 (日) 12:51 (UTC)[返信]

概要節の1部文章の削除に関して

[編集]

この版までに概要節に残っていた下記の文章のうちアタナシオスに 関連した部分を削除しました。

「ナグ・ハマディ写本研究の第一人者ジェームズ・M・ロビンソン(James M. Robinson)による英語版の『ナグ・ハマディ写本』の解説では、本書はもともとエジプトのパコミオス派(パコミオスがはじめた共住修道生活(cenobitism)を行うグループ)の修道院に所蔵されていたが、司教であったアレクサンドリアのアタナシオスから367年に聖書正典ではない文書を用いないようにという指示が出たために隠匿されたのではないかとしている。」

上記の文章の元ねたはenwikiの当該記事の定義部分です。enwikiの02:20, 12 October 2015版でも書かれています。 enwikiでもJ.M.Robinson, The Nag Hammadi Libraryのintroductionを引いています。 しかし、jawikiの和訳は英語版で書かれている内容を不正確に訳しており、本来Robinsonの本に書かれていた内容と違ったものになっています。特にアタナシオスに関連した部分は誤りです。この文章にはアタナシオスに関連する出典が付いていましたが、文章を削除したため残すことができませんでした。以下に、調査した結果を記しておきます。

  • 第3版の19ページには、
紀元367年、司教アタナシオスは復活祭に際して異端を非難する1通の手紙を書き、『異端が、古代の作だと言い、聖人の名を冠している黙示録の文書』を難じた。当時パコミオス修道院長だったテオドロスは、この手紙をコプト語に訳し、『規則として用いるため、修道院内に保管した』。このような処置が必要だったことを鑑みると、依然として、パコミオス修道院にはその活動に影響を与える異端や異端的な書物があったに違いない。もちろん、ナグ・ハマディ文書の多くは実際には偽作である、つまり、過去の何人かの『聖人』の名を借りているのである。 — L.M.Robinson、The Nag Hammadi Library(Completely Revised Third Edition), p.19.
と書かれていますが、これに続く諸文章に、アタナシオスが原因でナグ・ハマディ文書を秘匿した旨の記述は出てきません。
  • ナグ・ハマディ文書の秘匿に関しては、p.20とp.21に若干の記述が見られます。
ローマの第10軍団が近づきつつあったときに、安全に保管するために死海文書が壷に入れられて隠されたように、ナグ・ハマディ文書も、その時までにキリスト教徒になっていたローマ当局が近づきつつあったことが、壷に入れて埋めるように急がせたのかもしれない。ナグ・ハマディ文書が壷に入れられて隠されたという事実は、本を処分するのではなく、保存することが目的だったことを示唆している。なぜなら、死海文書が保管のためにその手の壷に入れられていたというだけでなく、上・下ナイルでも同様にして聖書関連の諸文書が保存されていたからである。中には、ナグ・ハマディ文書と同時代のものや、ナグ・ハマディ地方に埋められていたものもある。 — L.M.Robinson、The Nag Hammadi Library(Completely Revised Third Edition), p.20.
聖書には、本を保存する1つの方法として壷に入れて埋めることが、また、本を消しさるためには燃やすことが述べられている(エレミア32:14-15,36:23)。『聖パコミオスの生涯』には、オリゲンの本を水の中に放り込んで捨てたことが書かれている。オリゲンは異端だと考えられていたのである。パコミオスはこの本の中で、主の名前が書かれていないならば、その本を燃やすことになるだろうと書き残している。4世紀後半、キリスト教徒によってアレクサンドレイアの図書館が燃やされたことを考えると、もしもナグ・ハマディ文書を排除することを意図していたのならば、(訳注:壷に入れて埋めるという)手っ取り早い方法が見逃されることはほとんどなかっただろう。もし、ナグ・ハマディ文書がパコミオス修道院の図書館の本の1部だったのなら、それらは異端狩りによって排除されたのではなく、献身的な信者が、大事にしていたこれらの写本を安全に保存しておくために、そして、おそらくは後世に残すために、壷に入れて埋めたのに違いない。 — L.M.Robinson、The Nag Hammadi Library(Completely Revised Third Edition), p.21.
結局のところ、J.M.Robinsonはアタナシオスとナグ・ハマディ写本の秘匿とを関連付けたことを一言も述べていません。また、写本がパコミオス修道院のものだった、と断定しているわけでもありません。概要節にあったアタナシオス関連の文言は削除せざるを得ませんでした。亜顎十郎会話

画像の差し替え理由

[編集]

この版まで「トマスによる福音書」のキャプションつきで掲載されていた画像(File:Gospel of Thomas.jpg)を以下の理由から差し替えました。

  1. 差し替え前の写真の説明を読むと、アップローダー自身が、「トマスによる福音書」のパピルスなのか「ペテロの黙示録」のそれなのかわかっていない。sourceで示されているサイトには、使われている画像が「トマスによる福音書」のパピルスであることを保証できるものが何もなく信用できない。
  2. この写真以外に、「トマスによる福音書」の最初のページ・最後のページに相当する写真がcommonsにアップされている。
  3. 2の写真のうち「トマスによる福音書」の最初のページの画像は、コプト博物館で公開している画像なので信頼できる。また、『キリスト教史』第1巻, p.24(平凡社ライブラリ、1996年刊)でもナグ・ハマディ写本の「トマスによる福音書」であると紹介されているので、間違いない。

亜顎十郎会話2016年5月21日 (土) 15:56 (UTC)[返信]