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ノート:ナーズム・ヒクメット

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指摘

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  • トルコにはボリュという地名はないので、もしかしてボル (Bolu)では?
  • ナーズムの母はジェリーレ・ハヌムで、彼女の父はハサン・エンヴェル・パシャ (この人)で母はレイラ・ハヌムです。ハサン・エンヴェルの父がムスタファ・ジェラーレッディン・パシャで母がサッフェト・ハヌム (この人の娘)です。ムスタファ・ジェラーレッディン・パシャは、オスマン帝国に亡命する前は、コンスタンティ・ボルゼンツキ (この人)でしたので、「母方の祖父」のポーランドでの苗字ではなくて、「母方の曽祖父」とか「母の祖父」とかが正しいのでは。
  • ギョズテペ・タシュ・メクテプで初等教育を終え、ガラタサライ高校の準備学年に入ります。しかし、翌年、お金に困ってしまって、ニシャンタシュ模範学校 (高校)に転校しました。それから、海軍大臣ジェマル・パシャの奨めもあって、1915年9月25日にヘイベリアダの海軍高校 (ここです 海軍兵学校ではありません)に登録され、1918年に26名中9席で卒業ということなので、そこに5年間在籍というのには無理があると思います。海軍とナーズムの関係に言及しているソースはGoogle.booksでもみつかりますが、全文提示が難しいので、ネットでみてみると、BAHRİYE MEKTEBİ’NDE NAZIM HİKMET (海軍学校でのナーズム・ヒクメット)というのが海軍兵学校の校内誌『プスラ (羅針盤)』に載っています。書いたのが三回生の学生さんなのでちょっとこころもとないのですが、生ソースとかも添付されていて、結構使えると思います。また、Ya asker olsalardı!という記事がAksiyonから出ています。こっちは一応金もらって書いているので、少し信頼性が高いのかもしれません。

Takabeg 2012年2月5日 (日) 07:41 (UTC)[返信]

初版を投稿した者です。
> もしかしてボル (Bolu)では?
典拠とした資料が1965年と古い資料なので、正確な現地語読みでない可能性があります。
> 「母方の祖父」のポーランドでの苗字ではなくて、「母方の曽祖父」とか「母の祖父」とかが正しいのでは。
典拠とした『新潮世界文学辞典』に誤りがある可能性があります。小学館『日本大百科全書』では「母方の姓であるポーランド系のボルゼスキーを名のり」『日本大百科全書』=Yahoo!百科事典となっています。
> 海軍兵学校ではありません
日本語の文献に存在した表現です。日本には海軍高校という組織がありませんので、翻訳する都合上、日本にもかつて存在した「海軍兵学校」もしくは「海軍士官学校」という訳語を当てたのだと思います。
> 5年間在籍というのには無理があると思います。
典拠とした『新潮世界文学辞典』に誤りがある可能性があります。ただし「中途退学した」という情報はかなり多くの日本語文献に共通しています。上記のYahoo!百科事典もそうです。
いずれも検証可能性を満たした上で正しい情報に改稿されるのは歓迎します。--Suz-b 2012年2月5日 (日) 15:22 (UTC)[返信]

記事名

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以下は利用者:Suz-b利用者‐会話:Takabegに記述した内容です。利用者:Takabegにより2012年2月5日 (日) 16:00(UTC)に当ページに移管されました。--Suz-b 2012年2月5日 (日) 16:20 (UTC)[返信]

はじめまして。ナズム・ヒクメト・ランについてお問い合わせをいただいたSuz-bです。同記事の参考文献に挙げた資料と、今回記事を書くにあたって調査した文献のうち、手許に資料があるものでは、日本語名は以下のように表記されています。まずは参考図書ですが、

  • ナズム・ヒクメト・ラン - 集英社『世界文学大事典 3』、小学館『日本大百科全書 5』、新潮社『新潮世界文学辞典』、日外アソシエーツ『20世紀西洋人名事典』、日外アソシエーツ『西洋人名・著者名典拠録』
  • ナーズム・ヒクメト・ラン - TBSブリタニカ『ブリタニカ国際大百科事典 13』(「トルコ文学」項)
  • ナズム・ヒクメト - 平凡社『世界大百科事典 21』、日外アソシエーツ『西洋人物レファレンス事典』
  • ナーズム・ヒクメト - TBSブリタニカ『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 4』
  • ナズム・ヒクメト(ヒクメット) - 日外アソシエーツ『増補改訂 西洋人名よみかた辞典 Ⅱ 哲学 宗教 文芸』
  • ナーズム・ヒクメット - 大学書林『トルコ語辞典』

以上のようになります。次に文学著作ですが、国立国会図書館のOPACで検索したところ、著者名=「ヒクメト」では検索一致せず、著者名「ヒクメット」の場合はこのような結果になります。まとめると、

  • ナーズム・ヒクメット - 新読書社『ヒクメット詩集』、慧文社『フェルハドとシリン』
  • ナジム・ヒクメット - 音楽の世界社『死んだ少女』、新日本出版社『ロマンチカ』、和光社『愛の伝説・妻へ=獄中より』、『トルコから』
  • ナズィム・ヒクメット - 『恋のれげんだ』

となっています(N.ヒクメットは除外)。また飯塚書店『ヒクメット詩集』には著作者標記がありませんが、実際の本では「ナジム・ヒクメット」となっていました。

以上のように日本語表記はバラバラの状態ですが、より多く使用されているものとしては「ナズム・ヒクメト・ラン」「ナジム・ヒクメット」のどちらかになると思います。「ナジム・ヒクメット」を採用している資料が比較的古い文献であり、英語表記を直接読んでいる(現地語から遠い読み方をしている)可能性があること、「ナズム・ヒクメト・ラン」は参考図書に多く用いられており、複数の専門家による検証が行われている可能性が高いことから、記事名は「ナズム・ヒクメト・ラン」としました。このため、本文中に「ナジム・ヒクメット、ナーズム・ヒクメットなどとも表記する」とし、脚注にて「本稿の記事名は各種文学事典、人名事典に依った」としております。「ラン」の有無については他言語版(特にトルコ語版)の記事名に見られないことから少々悩みましたが、上記の理由により記事名に入れることにしました。

ご提示いただいた2点の資料は2002年出版と比較的新しいものであるため、文学系の著書には今後このような形の表記が増えていく可能性はありますが、元ちとせさんの楽曲でも「作詞:ナジム・ヒクメット」とあることから、未だ統一した日本語表記は存在しないと認識しております。google検索でも「ヒクメット」での検索結果「ヒクメト」での検索結果はリンク先のような状態で、ナジム、ナズム、ナーズムなど多種多様です(さすがに「ナームズ」は誤記と思いますが)。

Wikipedia:記事名の付け方#人名によれば、「アラブ諸国のアラビア語名は標準アラビア語の発音に準ずるが、現代人(中略)はその国での呼び方を優先する」「オスマン人はオスマン語を優先し、現代トルコ語の発音に準じる」とあります。私はトルコ語の発音を解しませんので、もしTakabeg様がトルコ語の発音や人名習慣に基づき、あくまで改名が必要であるとお考えであれば、Wikipedia:ページの改名に従って改名提案をなさってください。その際は私も議論に参加させていただき、上記のような意見を述べさせていただきます。複数の方が議論に参加し、その上でコミュニティによる改名合意が得られれば、ページの改名を行うことには異存ありません。以上、よろしくお願いします。--Suz-b 2012年2月5日 (日) 14:31 (UTC) 資料に追加があったため追記--Suz-b 2012年2月5日 (日) 14:51 (UTC)[返信]

改名提案

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上で利用者が調べてくれたように、この記事の人物の日本語におけるコモン・ネームが、現時点では存在しないように考えられます。従いまして、Wikipedia:記事名の付け方#人名を参考にして、ナーズム・ヒクメット、ナーズム・ヒクメトに改名するのがよろしいかと思います。もっとも、外国語の名前ですので、カタカナで100%正確に表記するのはほぼ不可能です。

  • ただ、Nâzım の二番目にある文字は、長母音となっていますので、ナズム、ナジム、ナズィムというよりもナーズムが適切でしょう。この点に関しては、自信をもてってナーズムだよって言えます。
  • しかし、ヒクメットかヒクメトか、という点では、絶対こっちというのはありません。この、なんちゃらメト、なんちゃらメットという固有名詞に関しては、既存の記事を見ても、イスメト (たとえば、イスメト・イノニュ、個人的にはイスメト・イニョニュという表記をお奨めしますが、、、)もあれば、メフメト (たとえば、メフメト2世、個人的にはメフメドを使っていますが、、、)もあれば、アフメット (たとえば、スルタンアフメット・モスク)もあって、日本語版ウィキペディアの慣習のようなものがあれば、それにあわせてもいいと思いますが、どっちがいいでしょうか? と思ったら、スルタンアフメット・モスクは、スルタンアフメト・モスクにリダイレクトされているようです。ひょとして、慣習というかガイドラインがあるのかもしれません。ただ、「ナーズム・ヒクメト」が検索でひっかからず、「ナーズム・ヒクメット」ならあるよってことなので、どうしましょうか?
  • また、苗字ランに関してですが、あまり知られていないと同時に、あまり使われていないということもあり、さらに、本名が「メフメト・ナーズム・ラン」で、最も有名な筆名が「ナーズム・ヒクメット」であり、筆名にはランが入っているのを見たことがありませんので (見落としているだけかも)、とっぱらっていいのではないかと考えています。

ご検討ください。 Takabeg 2012年2月6日 (月) 05:54 (UTC)[返信]

コメント 初版を投稿した者ですが、上記#記事名の事由によって「ナズム・ヒクメト・ラン」としました。特に賛否は表明しませんので、皆様に議論いただき最適な記事名にしていただければと思います。--Suz-b 2012年2月6日 (月) 12:20 (UTC)[返信]
  • 「ヒクメットかヒクメトか」という点に関して、ぽん吉さんに相談したところ、この様な回答をいただきました。ので、ヒクメットに傾いております。他に異論が無ければ、小さいツを入れようと考えています。Takabeg 2012年2月18日 (土) 16:20 (UTC)[返信]
賛成 先にTakabegさんからご相談受けてましたが、改めまして。他の候補が絶対ダメというわけではないのですが、「元の発音に近い」ことと、最近(2002年)に出されている邦訳の著者名が2冊とも「ナーズム・ヒクメット」表記ですので、「ナーズム・ヒクメット」への改名に賛成します。--ぽん吉 2012年2月21日 (火) 17:34 (UTC)[返信]

報告 - ナーズム・ヒクメットと改名されました。Takabeg 2012年2月22日 (水) 09:00 (UTC)[返信]

ロマンチカ

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@Suz-b ロマンチカの原語での名称が分からないのですが、ザックリとどんなおはなしか教えてください。 Takabeg 2012年2月6日 (月) 12:30 (UTC)[返信]

参考文献の草鹿外吉訳『ロマンチカ』から巻末解説の一部を引用しますと、「一九二三年いらい、非合法の状態におかれているトルコ共産党の若き活動家アフメットが一九二五年のある日、地下活動中にふとしたことから犬にかまれ、狂犬病の恐怖と孤独とたたかうこと四週間、ついにそれらにうちかつという緊迫した物語」を軸に、「主人公アフメットのさまざまな問題やトルコのブルジョア革命や民族解放戦争の歴史と主人公の体験、国内戦に勝利したばかりの若いソヴィエト連邦の首都モスクワでの学生生活の思い出などが、展開される」という内容です。主要登場人物は、作者自身を原型とする主人公アフメット、イスタンブル出身の共産党員イスマイル、ソ連留学中にアフメットと知り合い、帰国後に共産党機関紙の発行に参加するケリム、小学校の女性教師ネリマン、アフメットの恋人アンヌシカ、中国人留学生のシ・ヤウなど。日本語版は、1964年のモスクワのソヴィエト作家出版社刊、エル・スターロストフによるロシア語訳を重訳したものです。--Suz-b 2012年2月9日 (木) 16:28 (UTC)[返信]

感謝です。自伝的小説 Yaşamak güzel şey be kardeşim です。それにしても、タイトルが原型をとどめていませんね:) Takabeg 2012年2月9日 (木) 16:37 (UTC)[返信]

日本語の資料ではどうしても原題を見つけることのできない作品でした。上記の原本にも存在しなかったので、もしかしたらロシア語訳されたときに失われたのかもしれません。ところで、原題を日本語訳するとどういう意味になるのでしょう?--Suz-b 2012年2月9日 (木) 17:11 (UTC)[返信]
そのまま訳すと「生きるって素晴らしいことだなぁ~、我が兄弟」って感じだと思います。タイトルについて再考してみたのですが、もしかすると、そもそもタイトルなどなかったのかもしれません。また、この小説を扱った論文や紹介記事にロマンティスムうんぬんというのも散見され、もしかすると、言いえて妙というか、『ロマンチカ』というのは、外しちゃったタイトルとは言えないのかもしれません。Takabeg 2012年2月9日 (木) 21:23 (UTC)[返信]

モスクワ条約

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「モスクワ条約に基づき、ソ連の東方勤労者共産大学(クートヴェ)に留学」とありますが、モスクワ条約 (1921年)の条文には、そうした事項を規定するものは存在しないようにみうけられますが。。。Takabeg 2012年2月6日 (月) 14:31 (UTC)[返信]

典拠とした集英社『世界文学大事典 3』に誤りがある可能性があります。なお、元の文章が手許にないのですが、典拠には「モスクワ条約」ではなく「ソビエト・アンカラ友好条約」もしくは「モスクワ・アンカラ友好条約」のように書いてあったと記憶しています。既存記事名に合わせて「モスクワ条約 (1921年)」へのリンクとしました。--Suz-b 2012年2月6日 (月) 16:14 (UTC)[返信]
上記二点は同じ条約です。留学の件は少なくとも条約条文には存在しません。付属議定書など別の取り決めなのかもしれませんが、現時点では検証する手立てをもっていません。Takabeg 2012年2月8日 (水) 00:04 (UTC)[返信]
典拠を再確認しました。正確に引用すると「1921年、民族解放運動に参加。アンカラ・ソヴィエト友好条約に基づき、22~24年モスクワ東洋労働者大学で社会学を学び」とのことです。「条約に基づき」としているのは『世界文学大事典 3』(集英社)のみで、他の参考文献にはこのような記述はありません。必要不可欠な部分と言うわけでもないので、Takabeg様の判断で除去ないしコメントアウトしていただいても結構です。--Suz-b 2012年2月9日 (木) 16:28 (UTC)[返信]

現時点での問題点

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加筆および資料の提示を若干やってみましたが、問題アリと思った点を列挙しておきます:

  • 共産党との関係についての記述が少ない
  • 何度も裁判を受けているのに、それらへの言及が少ない
  • 個人のことに力点を置いており (たぶん私のせいです)、文学作品への言及が少なく、縦糸だけあって横糸が無い印象を受ける

Takabeg 2012年2月9日 (木) 00:46 (UTC)[返信]

「死んだ女の子」

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Suz-bさん、お元気ですか?今日、たまたま、竹村淳さんという方の『反戦歌: 戦争に立ち向かった歌たち』(アルファベータブックス)という本を見かけ、ちょろっと読んだところ。「死んだ女の子」という章があり、本項の内容が使用されていることに気づきました。百田尚樹さんの『日本国紀』がウィキペディアからの「コピペ」で話題になったのを思い出しました。あちらは「コピペ」でなくても、誰が書いても、だいたい同じ感じになるだろうと思えるところにまで疑惑の目が向けられていましたが、こちらはほぼ完コピです。まぁ、本記事が「信頼できる情報源」と見做されたというで少しうれしかったのですが、『反戦歌』という本が、少なくとも本記事と死んだ女の子という記事においてはWikipedia:信頼できる情報源でなくなってしまった事実に気づき残念に思いました。『反戦歌』の他の章はよく読んでいませんし、ウィキペディアにあるのかないのかも知らなかったので比較しなかったのですが、やはり「サスペクティッド・ソース」ということになりますよね。それでは。-- Takabeg会話2019年5月6日 (月) 14:15 (UTC)[返信]