ノート:ハーグ密使事件
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2007年7月8日付朝鮮日報の記事 http://www.chosunonline.com/article/20070708000021 は密使の実情について、当時の日本軍の監視下にあった状況から御璽を押せなかった可能性について指摘しているのみで、密使が本物であったかどうかについては、本物でなかったという立場では議論をしていません(つまり、当然本当の皇帝の密使であったとしている)。 「彼らが本当に特使であったかについては確認されていない」との記述はこのソースを前提とするのみでは、どう見ても執筆者の創作か「独自の研究」と思われますが、これ以外の資料はないのでしょうか。—以上の署名の無いコメントは、222.119.112.153(会話/whois)さんが[2007年7月14日 (土) 09:55 (UTC)]に投稿したものです。
- ご指摘の通りと思いましたので、該当の文章を削除しました。また朝鮮日報の記事は新説の紹介にとどまり、学会で支配的かどうか不明であること、少数意見として存在したとしても正規の密使であるかどうかに疑問を呈しているわけではないこと、研究者でもない人間のブログを根拠としていること(Wikipedia:信頼できる情報源参照)、さらに朝鮮日報のものとブログのものを組み合わせた加筆者の独自の研究を記載していること(独自の研究参照)、以上の理由からも削除が妥当でしょう。朝鮮日報もソースとするのはあまり感心しません。加筆するなら、紹介されている韓国人研究者の著作そのものを読んだ人が加筆するべきだと思います。--Tears for Asia 2007年7月18日 (水) 13:08 (UTC)
朝鮮の演説の事実
[編集]韓国語の記事ができていたのでみると、「密使の会議参加挫折と現地活動」の項目に、オランダの報道人 W. ステドの取り持ちで韓国の李がフランス語で朝鮮の悲痛な実情を訴える演説ができる機会を得たような記述があります。この事実と、ハーグ密使事件への影響がわかる方いましたら、出展や引用などとともに、加筆お願いします。 -- 61.207.170.201 2007年11月3日 (土) 06:09 (UTC)
- こんにちは、61.207.170.201さん。はい、確かに李瑋鐘がウィリアム・ステッド (William T.Stead) の紹介により国際主義の会 (Foundation for Internationalism) にて演説をしています。で、事件に与える影響ですが、あまりありませんでした。そもそも主催団体は高橋記者曰く『右演説主催の協会は矯激なる国際平和希望者の団体にて勢力あるものにあらず』(大阪毎日新聞、明治40年7月10日)とあり、今風に言えば平和主義の知識人、あるいは運動家とかジャーナリストの団体であったようです。また演説の模様は地元の "Haagsche Courant"(ハーグ新聞)でも詳しく報じられましたが、特に反響はありませんでした。
- 演説はかなり上手だったようです。具体的な雰囲気については、朝鮮日報の「ハーグ密使事件100周年」特集の元ネタとなった、村瀬信也「一九〇七年ハーグ平和会議再訪 — 韓国皇帝の使節」に詳述されています(ただし、他の研究者の論文と付き合せると不整合を起こしている箇所もあるので、使いにくいところもありますが…)。
- 加筆については、ちょっと考えてみます。--Tatsujin28 2007年11月3日 (土) 10:53 (UTC)
条約無効日時の移動
[編集]Hague Secret Emissary Affair 英語記事に条約無効の節(Recision)が足され、その中に「In 2010, Japan argued that the chronological point of reference for "already null and void" was August 15, 1948, when the government of the Republic of Korea was established;」とあります。第二次日韓協約など当時の条約について、日韓基本条約でいう「もはや無効」の時点を、1910年日韓併合時ではなく、韓国政府が成立した1948年8月15日だと日本が(異議?を)唱えた、とあります。このような日本側の主張は、国内であったのでしょうか?-210.174.17.173 2010年12月5日 (日) 11:37 (UTC)
- 申し訳ありません。内容的に日韓基本条約の記事に関連すると判断し、ノートの内容を日韓基本条約のノートページに移行しました。ここはクローズします。わかる方フォローお願いします。-210.174.17.173 2010年12月5日 (日) 11:43 (UTC)