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ノート:バイト敬語

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出典メモ

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--fromm 2009年8月17日 (月) 05:25 (UTC)[返信]

いらっしゃいませこんにちは

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「いらっしゃいませこんにちは」について劇作家の鴻上尚史が雑誌のコラムで

多数の客が来る店で店員が「いらっしゃいませ」と「こんにちは」を続けて口にすることは私たち劇作家が嫌う説明セリフと同様の不自然さがあり、棒読み口調になってしまうのは日本語としての不自然さから来る必然である。人間の自然な会話を追及している私としてはこのような不自然な言葉をマニュアルに記載する無神経さにあきれる。

といった趣旨のことを書いているのを読みましたが、どの雑誌だったか忘れてしまいました。スパ!だったか週刊文春だったか。時間が経てばますます記憶が薄れるのでひとまずメモ。--モノノハズミ 2010年6月8日 (火) 10:49 (UTC)[返信]

ここによると、「こんにちは」は「今日(こんにち)は、(よい天気ですね)」のような文が省略されて慣用句化された挨拶表現(括弧の中身は特に決まってない)だそうなので、由来を考慮すると「いらっしゃいませ、こんにち(今日)は」というのは日本語として尻切れトンボで不自然ですね。「いらっしゃいませ、こんにちは良いお日和ですね」なら問題はなさそうですが。--Doncot会話2012年7月29日 (日) 08:38 (UTC)[返信]

そういう話ではありません。自然な言葉でなくマニュアルで無理に言わせているから不自然だという話ですので、「こんにちは」の後に言葉を続けろなどとマニュアルに書いて無理に言葉を付け加えさせたらさらに不自然になります。--モノノハズミ会話2016年8月31日 (水) 22:17 (UTC)[返信]

「1万円からお預かりします。」について

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これは私の勝手な推察ですが、この表現はお釣りが出る場合にのみ使われますよね?だから単に「1万円から代金分だけいただきます」の略なのではないでしょうか(私はずっとそう思っていたので特に違和感は感じませんでした)。そして「いただく」だとあからさまなので「預かる」という婉曲的な表現になったのではないでしょうか。根拠はありませんし、だからどうというわけではありませんが…。220.5.22.93 2011年3月6日 (日) 09:04 (UTC)[返信]

そう難しい話ではなく、単純に「一万円お預かりします」と「(代金を)一万円から頂戴します」が混じってしまっただけだと思いますが、どうでしょう。--死郎 2011年3月6日 (日) 15:07 (UTC)[返信]
なるほど、つまりまず一万円を預かって、その一万円から代金分をいただく(=お釣りを出す)ということですね。どちらが単純なのかは判断しかねますが。ところで、記事中の各解釈(?)の説明がわかりにくいと思います。例えば、岩松の解釈では「から」の意味(計算の起点なのか動作の順序なのか)が明確に示されていませんし。文献ではどう書かれているのでしょうか。220.5.22.93 2011年3月8日 (火) 03:39 (UTC)[返信]
ああ。こちらが「単純」と申し上げたのは、心理的にどうこうというよりも、言葉の調子で混同してしまったレベルなのではないかという話です。例えば、本来の慣用句では「足をすくわれる」と言っていたものが「足元を見る」などと混じって、今はかなりの人が「足元をすくわれる」の形で使っている――といった類の話で。
以上は素人の直感ですがあながち外れていないだろうとも思っています。勿論、ここで本文に記述するにはきっちりした論拠・出典が必要ということは重々承知ですけれど、参考意見までということで。「記事中の説明がわかりにくい」という点は賛成です。--死郎 2011年3月8日 (火) 07:44 (UTC)[返信]

「ご相伴に預かる」の預かると同じ意味かもしれないと思いました。とすると、「から」は「カードから対価を預かります」「現金(金額)から対価を預かります」という「から」と読めるかもしれない。--薙草の子素会話2023年9月29日 (金) 04:22 (UTC)[返信]

森山,飯田,岩松,北原...

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文献を読んでみたいのですが、名字と年度しか記載がなく、どのようにアクセスすればよいか不明です。どこかの差分で抜け落ちたのでしょうか?--fromm 2011年3月8日 (火) 05:23 (UTC)[返信]

洞澤伸・岡江里子(岐阜大学地域科学部研究報告第19号(2006))[3]の末尾に見つかりました。

  • 岩松研吾郎(2001)『日本語の化学』ぶんか社
  • 森山 卓郎(2001)「はやりの「若者言葉」も「文法的」!」『広報第107号』京都教育大学[4]

などのようです。お騒がせしました。--fromm 2011年3月8日 (火) 05:29 (UTC)[返信]

要出典タグの除去

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出典も揃っているようですので、そろそろ要出典のタグを除去しても良いのではないでしょうか。異論が無ければ除去します。--飛龍家木偶 2012年2月3日 (金) 06:59 (UTC)

異論が出なかったので削除しました。--飛龍家木偶 2012年4月6日 (金) 19:02 (UTC)

「○○になります」という表現

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ウィキペディアの性質上、やたらめったらに例を並べるのはよろしくないと承知しておりますが、バイト敬語として一番頻出している(と個人的に思っている)「~になります」(例「こちら、お飲み物になります」、「以上、1000円になります」等)という表現はこのページに載せる価値があると思うのですがいかかでしょうか?--Doncot会話2012年7月29日 (日) 08:46 (UTC)[返信]

かつては載っていましたが、削除されたのです。古い文学作品にも「~になります」という表現が少なからず出てくることを紹介したところ、古い文学作品に出てくる=バイト敬語ではないという主張と勘違いされたのか、まるごと削除されました。古くから使われている言葉がバイト敬語とされるようになったら、それはそれで言葉の変化の一例として興味深く掲載に値することだと思いますが、編集合戦になってもつまらないので、自ら再掲載するつもりはありません。

古い文学作品での用例は、グーグルで「site:www.aozora.gr.jp "円になります"」などとして、青空文庫というサイトを検索すると簡単に見つかります。特に「~円になります」については、店員が客に金額を伝える、まさしく同じ場面が見つかりますし、「~円でございます」と該当数も変わりませんので、古くからある言葉が最近使われ始めた言葉と勘違いされるようになった言葉の変化と見て間違いないと思います。


客の男は矢庭にポケツトから紙幣束さつたばを掴出して、「会計、いくら。」

「お酒が三杯。」と佐藤はおでんの小皿を眺め、「四百三十四円になります。」

永井荷風 『にぎり飯』、1949(昭和24)年1月、「中央公論」に初出。


女中は見附の台の傍に立つて、帳場のお神さんと口を利いてゐたが、勘定と聞いてやつて来た。

「一円九十五銭になります、」

田中貢太郎『白いシヤツの群』1923(大正12)年10月25日


 お里がびく/\しながら、番頭の方へ近づくと、 「あ、そうですか。」番頭は何気なく、書きとめた帳を出して見る。彼は、落ちつかない。そそくさしている。

「△円△△銭になります。」

「そうでござんすか。」

黒島傳治『窃む女』初出は調べ切れなかったが、著作権が切れているくらいなので古い作品であることは確か。


何かから何かに変化するわけでない、「です」や「でございます」と置き換え可能な「になります」も見つかります。ファミリーレストランなどで聞かれる「(品名)になります」と同じ場面ではありませんが、これをバイト敬語とする人は「昔からあった表現だけど、店員が客に物を差し出す場面には相応しくないから使うな」とは言わず、まるで「~になります」という表現自体が昔は使われていなかったかのような言い方をするので、全く同じ場面でなくても、変化するわけでない「~になります」が昔から使われていたこと自体が興味深いことです。

私は又、病院の方へも御無沙汰してゐたものですから、もう大抵、よくなられた事だとばかり、思つてゐました――すると、何時になりますかな、なくなられたのは。

芥川龍之介『手巾』、大正五年九月

税はそのくらいにしてこのほか己のためにするものは衣食住と他の贅沢費になります。

夏目漱石『道楽と職業』、明治四十四年八月明石において述


--モノノハズミ会話2016年8月28日 (日) 11:11 (UTC)[返信]


[5]で「こういうのを独自研究という」とのコメントとともに「~になります」の用例が削除されましたが、単に例文を挙げることは独自研究には当たらちないと考えます。「古い文学作品にも用例がある」の後に「だからバイト敬語ではない」といった論評が加えられていたらその論評は独自研究に当たるでしょうけど。このノートの上のほうに私の論評が書いてありますが、それはノートだから書いたもので、本文には書いてありません。例文を挙げることが独自研究に当たるなら、今残っている例文も削除しなければならなくなりますし、他のページでも例文を挙げることができなくなります。

ただ、「古い」文学作品との表現は私の主観だったので修正が必要だとは思います。日本語の長い歴史から見れば明治大正昭和初期などはごく最近だという見方もありますからね。「明治から昭和初期の」文学作品とすべきでした。

--モノノハズミ会話2017年7月2日 (日) 08:37 (UTC)[返信]

現状の本文は「~円になります」については立場が曖昧で、「エビドリアになります」の類についてはNHKの「一概に否定できない」という見解を紹介している状態ですね。文献情報の節に挙がっている『ニナリマス敬語について』は、「変化を表さなくても不自然とされない『になります』もあ」るとし、「~円になります」については「通常の(?)用法」と疑問符付きながら通常の用法かもしれないと示唆しています。マイナビのこちらのページも[6]、「~円になります」を不自然であると批判しながらも、「必ずしも間違いではない」とは認めています。「~になります」は、不自然かどうかでは意見が分かれ、間違いかどうかでいえば間違いではないわけですね。--モノノハズミ会話) 2017年7月4日 (火) 0

金額が「~円になります」という表現は、合計が「~円」になるといっているわけで、一物一価が原則である品物が「~円」と言っているわけではない。不自然に感じるというのは、通例から外れているという意味で「間違い」というべきではないでしょうか。--Meister Hoora

明治から昭和初期にかけての文学作品に、店員が客に「~円になります」または「~円~銭になります」と勘定を告げる場面が出てくることは、通常の教育を受けた者が青空文庫を見るか、青空文庫が信用できなければ図書館に行くかすれば検証できることですから、Wikipedia:検証可能性を満たしていますね。「文学作品に用例がある」の後に「だからバイト敬語ではない」あるいは逆に「このような古臭い表現を現代の若者が使い続けているのが不自然だからバイト敬語である」といった分析を出典なく加えていたら「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」になってしまいますが、そのような分析はしていません。

分析をしていなくても文学作品における用例を紹介すること自体が間違った表現でないことを言外に主張していると受け取る人がいるから問題だという方もいらっしゃるかもしれませんが、文献情報の節に挙がっている『ニナリマス敬語について』は「~円になります」が通常の用法である可能性を指摘し、変化を表さなくても不自然とされない「になります」もあるとしていますから、これを出典として本文に「~円になります」や「~になります」を一概に間違いとはいえないとする意見を書き加えれば、言外に主張していると受け取られる心配もなくなり、単に出典のある記述の流れに沿って用例を紹介しているだけになります。

「古い文学作品」との紹介の仕方を中立的な「明治から昭和初期の文学作品」に修正し、『ニナリマス敬語について』を出典にして本文に修正を加えれば、文学作品における用例を紹介することは問題ないと考えますが、いかがでしょうか。--モノノハズミ会話2017年7月18日 (火) 09:47 (UTC)[返信]

ひとまず、変化の意味を伴わない「~になります」が必ずしも間違いではない旨の記述を出典つきで書き加えました。間違いでないのですから文学作品に用例があるのも当たり前で、文学作品の用例を紹介することで言外に何かを主張しようとしていると勘違いされる心配はなくなったと思います。しばらく待って、紹介すべきでないと納得できる理由が示されなければ、用例を復活させようと思います。--モノノハズミ会話2017年7月23日 (日) 06:23 (UTC)[返信]
もう一度呼びかけます。しばらく待って異論がなければ、明治から昭和初期にかけての文学作品における「~になります」の用例を再掲載します。よろしいですね? --モノノハズミ会話2017年7月26日 (水) 09:12 (UTC)[返信]
異議が寄せられなかったので、再掲載しました。--モノノハズミ会話2017年7月30日 (日) 05:31 (UTC)[返信]

異議はありません。これらは正常な使い方だと思います。相手が違う考え方を持っているかもしれない状況において、(合計が)「~円になります」は通例に従った例です。漱石の例も、あるカテゴリーを括った結果として、その他が「~になる」といっているわけで、「です」という言い切りとは異なるニュアンスが入ります。--Meister Hoora

1958年制作の『窓ひらく 一つの生活改善記録』[7]という映画でも、初っ端のナレーションが「東小林部落は、山梨県南巨摩郡増穂町の一部になる」となっていますね。この後に市町村合併の話など一言も出てこず、農村の家屋に窓ガラスを取り付けたら室内が明るくなって生活が改善されたという話に突入しますから、これから増穂町の一部になるわけではなく、バイト敬語とされる「~ になります」を応用して「ます」を取り去ったような使い方です。農村の窓ガラスが目新しかった時代にすでに「ます」のないバリエーションまであったような言い方が、なぜ最近になってバイト敬語だなどと騒がれ始めたのか、不思議ですね。古い文学作品や映画などをまったく見ない人が、昔からある言い方を最近できた言い方と勘違いして騒ぎ始めたのでしょうか。 --モノノハズミ会話2019年12月24日 (火) 21:33 (UTC)[返信]

記事のやせ細りについて

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この項目や日本語の乱れの項目では、ある表現について「必ずしも間違いとはいえない」といった擁護方向の記述を出典つきで充実させると、批判方向の記述もろともその表現についての記述をまるごと削除したがる編集者がいるようです。例えば、日本語の乱れの項目では、「とんでもありません」や「全然+肯定」に関して間違いではないとする出典つきの記述をしてしまったので、そのうち「とんでもありません」や「全然+肯定」に関係した記述をまるごと削除する人がいるのではないかと危惧しています。擁護意見を削除したいのが出発点で、しかし出典つきの擁護意見を削除する一方で批判意見を残す露骨に恣意的な編集はさすがに恥ずかしくて、いっそ批判意見も擁護意見ももろとも削除してしまえとなるのでしょうか。それとも擁護意見に納得するあまりこの表現はバイト敬語なり日本語の乱れなりではないのだから掲載する必要がないとなるのでしょうか。いずれにせよ、やめてほしいですね。それでは記事がどんどんやせ細ってしまいます。批判意見も擁護意見も両方掲載された記事にしていきましょう。--モノノハズミ会話2017年7月30日 (日) 06:18 (UTC)[返信]

夏目漱石・芥川龍之介・上村松園の用例

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夏目漱石・芥川龍之介・上村松園の一次資料をもって用例とされていますが、この三つは仮定に対する言明、未来についての言明であり、バイト敬語と同一視するのは早計ではないでしょうか。「今年六十七歳になります」は「話している時点ではまだだが今年のある時点でそうなる」という風に読み取れますし、「すると、何時になりますかな、なくなられたのは」は(「すると」という部分からの)仮定を受けたものです。夏目漱石の例も「XにYを足すとZになります」「XからYを引くとZになります」式の言い方であり、やはり変化・仮定に類するもので、バイト敬語とは別物のように思われます。いずれにしろ、確実な用例として挙げるには、専門家がそれらを同じ種類であると見なしていることが分かる二次資料を付記することが必要だと思います。とりわけ、通説への反例として挙げる意図であれば、一次資料の新規な解釈でないことを二次資料の提示を通じて示さなければなりません。 --2001:240:2406:ED6D:11E:9DF4:B2E:77D9

それらは通説への反例として挙げたものではありません。ご覧になれば分かるとおり、本文にはいわゆるバイト敬語とされる「~になります」を一概に否定できないなどとする出典や、むしろ逆に「~になります」を使うなと教育することのほうをマニュアル敬語として批判する出典が挙げられています。「~になります」を誤りとはいえないなどとする出典つきの記述からの流れでそれらの用例が挙げられている状況です。--モノノハズミ会話2020年2月25日 (火) 08:45 (UTC)[返信]
「明治時代から昭和初期にかけて」(現在の本文中の記述より)を論じている二次資料はありますか? 「なります」は色々な意味で使われ、その文字列があるからといってここで挙げるのに適切な用例とは限らないのですから、専門家の分析を待つべきだと思います。 --2001:240:240D:7BDC:11E:9DF4:B2E:77D9 2020年2月25日 (火) 08:59 (UTC)[返信]
素早いご返信ですが、本文に出典として挙げた資料はお読みになりましたか? --モノノハズミ会話2020年2月25日 (火) 09:25 (UTC)[返信]
ウェブ上で読める資料はともかく、北原保雄『問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい?』は図書館なりに行かないと読めないと思います。私も以前読んだきりで本文に要約した以外の細かな内容を忘れてしまったので、図書館で読み返してみようと思います。また、必ずしも間違いでないとする資料が多いので、「~になります」をバイト敬語とするのが「通説」なのかどうかも考える必要があると思います。--モノノハズミ会話2020年2月25日 (火) 09:58 (UTC)[返信]

北原保雄『問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい?』を借りてきました。編者の北原保雄は明鏡国語辞典の編者でもあります。同書によると、すでに3歳になった子供について、「この子は3歳になります」と答える用法があるそうですよ。日常でもよく聞く用法ではないでしょうか。また、上村松園のころは数え年で、誕生日に関係なく元旦に一斉に年齢が変わる制度習慣だったはずです。元旦以外に年齢が変わることがなかったのですから、「話している時点ではまだだが今年のある時点で67歳になる」という解釈は不自然です。話している時点ですでに67歳だったと解釈するのが自然ではないでしょうか。--モノノハズミ会話) 2020年2月27日 (木) 09:51 (UTC) 訂正--モノノハズミ会話2020年2月27日 (木) 14:20 (UTC)[返信]

  • コメント依頼からきました。現在の書き方ですと二次出典が一切ないので、この3つの用例は何か信頼できる出典で同じ用法の用例として紹介されているわけではないように読めるので、単なる独自研究に見えます。この用例は『問題な日本語』などに載っているのでしょうか?そうであれば、最初に「明治時代から昭和初期にかけての用例として北原は~をあげ…」などというような帰属化を伴う説明を出典つきで付け加えるべきだと思います。そのような出典がないのであれば単なる独自研究ですので、除去すべきです。--さえぼー会話2020年2月29日 (土) 06:28 (UTC)[返信]
「~になります」を一概に誤りとは言えないなどとする出典つきの記述からの流れで用例を紹介したものであり、「文学作品に用例があるからバイト敬語ではないのだ」などと言った分析も加えていないので問題ないと考えていましたが、独自研究に当たるのでしょうか。若干不安に感じたので、掲載の前にこのノートページの上のほうで掲載しますがよいですねと呼びかけて、異議の出ないのを確認した後に掲載したものでもあります。--モノノハズミ会話2020年2月29日 (土) 09:55 (UTC)[返信]
記事内容であるバイト敬語と関連づける分析が何もないのであれば、そもそもなぜこの用例がここに出てきているのかもわかりませんので、記事に書く必要がないと思います。
なお、もう一点目についたのですが、この用例の上の「丁寧な接客表現だからといってなんでもかんでも「〜になります」と言うのでなく、場面に合った使い方をすることが必要である」というところについては、ウィキペディアの記事にしては表現が主観的にすぎるので、「~と北原は主張している」などという説明をつける必要があると思います。--さえぼー会話2020年2月29日 (土) 12:36 (UTC)[返信]

掲載してもよいかと呼びかけてから2年半越しに異議が寄せられたということで了解しました。「場面に合った使い方をすることが必要である」についても、簡単なことなのでついでに対処します。--モノノハズミ会話2020年2月29日 (土) 23:17 (UTC)[返信]