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ノート:バイレンの戦い

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個人的な感想文

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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/バイレンの戦い 20170104にはコメントしたのですが、具体的なことはこちらに書いておきます。

あちらにも書きましたが、翻訳記事という性格上、「原文と見比べる」ことになりがちです。そうすると「原文と違う」ことの指摘がどうしても増えてしまいます。原文がどうであろうと、最終的には出典にどうあるかが重要なので、出典を確認すれば原文と違っていてもいいはずなのですが。また、片方では「原文と違う」ことを指摘し、もう片方では「直訳よりもこう意訳したほうがいい」と指摘するのは矛盾しており、「好みの問題」でもあるので、そこらへんは割引してもらって構いません。どうしても「問題の指摘」に偏り、全体として「ひどく貶している」ようになってしまいがちですが、これだけのボリュームを翻訳することの大変さは私もわかるつもりです。

まず大雑把なこと。

  • 固有名詞への赤リンク(仮リンク)はしかたがないのですが、最後の方の正規軍軍事占領などの赤リンクはさすがに過剰かなとも思います。
  • 「俳優Jon Valeraが第3スイス連隊の隊長の格好をしている写真」は権利的に大丈夫なのでしょうかねえ。レディング本人をはじめ将軍たちの画像もあるのだから、「俳優による再現画像」ではなく、そっちをでかく表示すればいいのではないかなあ。
  • 冒頭部5段落目「勇武伝」 - 「勇武伝」という単語が日本語表現にあるのかなあ?まあ意味は普通に通じるのですけども。

「背景」節

  • 1段落目、なにが「何千」なのかが違うのでは。(その後の記述を見る限り、兵士の数は万のスケールであり、「千人」単位ではなさそう。)
  • 原文 thousands of French troops
  • 訳文 何千ものフランス軍
  • 私訳 何千ものフランス部隊
  • 1段落目の後半、英語版は「要出典」になっています。正直、どこからどこまでが「要出典」なのかもよくわからない。
en:Battle of Bailén(oldid=737681533) バイレンの戦い(oldid=62524942) 私訳
A coup d'état, instigated by Spanish aristocrats with French support, forced Charles IV from his throne in favour of his son Ferdinand, and in April, Napoleon removed both royals to Bayonne to secure their abdication and replace the Spanish Bourbon line with a Bonapartist dynasty headed by his brother Joseph Bonaparte.[citation needed] フランスの支持を得たスペイン貴族はクーデターを起こしてカルロス4世を退位させてその子フェルナンド7世を即位させたが、4月にはフェルナンド7世も退位させられ、代わりにジョセフ・ボナパルトが即位した。 フランスの支援を得たスペイン貴族が主導したクーデターでは、カルロス4世が退位させられた。これにはカルロス4世の息子フェルナンド王太子も賛成した。そして4月にナポレオンはカルロス4世とフェルディナンドの退位を確実なものにするため両者をバイヨンヌへ退け、スペインブルボン朝の家系を、ナポレオンの弟ジョセフに始まるボナパルト朝の家系へと置き換えた。(要出典)
  • 原文の段落末には「要出典」があります。この「要出典」がどの範囲の出典を求めているのかよくわかりませんが、段落全体が出典ゼロなので、全体とみてもいいでしょう。訳文では、主に段落の後半がオミットされて「要出典」もなくなっています。原文と訳文の対象関係だけでのみ判断すると、これはよくわからない。
  • 「フェルディナンド7世を即位させた」にあたる原文は無いように思います。カルロス4世 (スペイン王)フェルナンド7世 (スペイン王)を眺めると、「カルロス4世が退位してフェルディナンド7世が即位した」こと自体は正しそうですが、これらの記事を読む限りはこれは「アランフエスの民衆の暴動」の結果であるように書かれていて、「ナポレオンがそうさせた」ことは読み取れません。
  • ただこれは私が原文と訳文しか見ていないのでこうなるのであって、何か別の情報源(日本語文献とか、常識や世界史の知識とか)が下敷きにあるのでしょうか。en:Anne Jean Marie René Savaryの中には「Ferdinand VII, the de facto king of Spain,」という言い回しがあり、フェルディナンドとジョゼフあたりの正統性は意見が分かれる、というような感じでしょうか。
  • ちなみにスペイン君主一覧#ボルボン朝(1700年 - 1808年)を眺めると、フランス語の「ブルボン」はスペインでは「ボルボン」と言うのでしょうかね?我々日本人にとっては「スペインブルボン朝」のほうが直感的にわかりやすいだろうと思いますが、ここをあえてスペイン風に「ボルボン朝」とするのもありですね。(スペイン風だと「スペイン」ではないのかもしれないけれど)
  • 2段落目 フェルナンド7世に忠誠なスペイン大衆には歓迎されず - 「忠誠な」という日本語は少しこなれてない感じがします。
スペイン大衆全部がフェルディナンド7世に「忠誠」(全部)なのか、大衆のうちフェルディナンド7世に忠誠なもの(一部)なのか。(原文にしたがうと、「全部」ということだろうと思います。)直訳だと「これらの政治決定はスペイン大衆の誰からも支持されなかった。スペイン大衆は廃位されたフェルディナンドへの忠誠を宣言し…」。
  • 2段落目 後半 「ジョセフは…遅れた。」なんですが、ぱっとみた感じ、なにか唐突で、なんでこの文がここに置かれているんだろう、という印象を受けます。どちらかというと、ジョセフの戴冠が描かれている次の段落にくっつけたほうがしっくりくる。おそらくその印象は、この文の主語が「ジョセフは」と急にジョセフ目線になっているから。きっとこの段落は、「反抗的なスペイン大衆がなにをしたか」をまとめた段落という趣旨なので、この一文は「山から降りてきたゲリラ」を主語のように訳したほうが、段落の中でのおさまりがいいように思います。
  • あえて斜字になっているラテン成句In absentiaは、なにか素敵な訳し方がありそう。
  • 「King of Spain and the Indies 」なので、スペイン王だけでなく「スペインとインド(?)の王」
  • en:Afrancesado(アフランセサード)」がわかりません。要するに「スペイン人のくせにフランスに与した連中」のことのようです。それが定義だとすると、「彼の使節はスペインのアフランセサードに歓迎された。」というのはトートロジー的であります。原文は「 Spanish [[Afrancesado|notables]]」となっていて、「彼の使節を歓迎したスペイン貴族はアフランセサードと呼ばれた」とでも訳しちゃった方が日本人にはわかりやすいように思います。
  • 続く「The madrileños」も悩ましいなあ。「江戸の市民」と「江戸っ子」みたいな差かなあ。なんで「Madrileños」じゃないのかなあ。もしかすると「マドリード市民」より「マドリード派」と訳したほうがいいのかも。
  • 「 only Murat's 20,000 bayonets kept the city in order.」のくだりは、「市の治安維持にあたるのはミュラの2万人の銃剣部隊だけだった」(「治安が維持されたこと」ではなく「治安維持にあたる人が少なかったこと」が主眼)とか。
  • 3段落め 「フランス軍がリウマチによる疝痛に苦しめられている中」ここは特に気になったところです。私は医者じゃないけど、リウマチって集団感染するようなものなのかな?と。原文は確かに「outbreak of rheumatic colic which swept the French camp」とあるので、翻訳自体は間違ってはいなさそう。ウィキペでァイ内を探した感じ、リウマチ熱というのがあるようですが、さて・・・?
  • 「 "the Spanish priests would have rejoiced if the hand of God had been laid on him whom they called the butcher of the 2nd of May."」が翻訳からまるっと抜け落ちているようですが、さて。
  • 「どんな指揮官よりも警察長官として有名」("more distinguished as Minister of Police than as any field commander")は、何をいいたいのか私にはわかりませんでした。「軍を率いる人物としては実績皆無≒無能」という意味なのかなあ?(英語版を斜め読みする限り、少なくとも軍の指揮経験が無いわけじゃないようだけど。)fr:Anne Jean Marie René Savaryはフランス語版で良質な記事になっているようだし、フランスでは有名な方なんでしょうか。
  • 「Having little respect・・・」を「スペイン人を軽視していたナポレオンは…と考えた」の訳した文、これはいい訳ですね!
  • 4段落め 「a number of flying columns」「いくつかの遊撃隊」「いくつかの」というより「たくさんの」だろうと思います。「en:Flying column」も「遊撃隊」というより「別働隊(Flying column)」が一般的な訳のようです。遊撃隊を眺めた限り、「遊撃隊」という語はどうも特殊な特定の文脈で使う語のようで。(雰囲気として「遊撃隊」は間違ってないとは思うのですけども。)

こんな調子で本気で読むといろいろあるのですが、原文がそうなっているんだからしかたがない、というところもありますし、好みの問題のところもあります。翻訳の評価って難しいですね。--柒月例祭会話2017年1月11日 (水) 07:19 (UTC)[返信]

コメント 柒月例祭さん、半年越しになりましたが、コメントどうもありがとうございます。返信が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。ひとまず柒月例祭さんのコメントに基づき、記事を編集しました。その上で、柒月例祭さんのコメントをそのまま記事に反映しなかった部分については下記にて。

  • コモンズにあるレディングの肖像画がすでに使われた1枚しかないので、俳優の画像をひとまず消しておきました。権利的にも疑わしい(削除依頼が提出されなかっただけかもしれません)ので。
  • 「カルロス4世が退位してフェルナンド7世が即位した」というのは事実であろう(わざわざ要出典をつけるほどではない内容)から、「バイヨンヌへ退け」以降のくだりが要出典を指すと考えましたので、その部分だけ消して要出典も消しました。「in favour of」については(フェルナンドが)「賛成した」という意味ではなく、「代わりに」という意味です(出典:Collins Dictionary)。
  • ブルボン朝とボルボン朝はそれぞれフランス語とスペイン語読みで、今回の記事はフランス軍とスペイン軍の戦いなので、どちらの表記でも一定の正当性があると考えます。どちらにするのは好みの問題でしょう。
  • In absentiaは、すみません。いい訳語が出てきませんでした。
  • アフランセサードは、後で再度出てくる用語でもないのに「彼の使節を歓迎したスペイン貴族はアフランセサードと呼ばれた」と書いても仕方ないかと。一応脚注で意味を書いておきました。
  • 「マドリード派」は、じゃあこの一派はマドリードを支持したのか、とか変な方向で問題になりそうな気がします。5月2日の反乱の英語版記事では「The Dos de Mayo of 1808, was a rebellion by the people of Madrid against the occupation of the city by French troops」としており、素直に「マドリード市民」にしたほうが無難ではないかと思います。
  • リウマチは、医学には詳しくないので残念ながらわたしもわかりません。
  • サヴァリのくだり。わたしも最初は無能という意味かと考えましたが、英語版とフランス語版の記事を見るとどうやらそうでもないようですね。出典の原文をそのままコピペしたものですが、そちらでも注釈がないので、正直よくわかりません。ただ、サヴァリの警察長官就任は1810年とバイレンの戦いより後なので、1808年時点ではこのような評判はないかも。

ここまで改善点が多いと、査読依頼に出したほうがいいかもしれませんね。--ネイ会話2017年7月13日 (木) 17:05 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

バイレンの戦い」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月16日 (土) 17:44 (UTC)[返信]