ノート:パオ森林僧院

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Mizuhara gumi氏による「特筆性」タグ貼り付けについて[編集]

本稿には、利用者:Mizuhara_gumi氏によって、繰り返し「特筆性」タグが貼られています。編集合戦を避けるため、この点についてここで議論したいと思います。したがって、Mizuhara gumi氏におかれましては、ここので議論で結論が出るまでは、当該編集は避けてもらうようお願いします。

さて、本記事で扱っている、「パオ森林僧院」は、外国人に開かれ、日本人が上座部仏教の修業をする際に拠り所とする主要な僧院の1つとして、上座部仏教に関心のある人間の間ではよく知られており、既にWikipediaで記事となっている山下良道氏や、水源禅師氏が上座部仏教の修行をした僧院としても知られていますし、彼らも著書やウェブサイトでそのことを明記しています。

また、山下良道を扱ったNHKの「こころの時代」のウェブサイトでも、

仏陀の教えの源流を求めた山下さんは、ミャンマーのテーラワーダ仏教のパオ森林僧院に入りめい想法を学んだ。

と、固有名詞を出して、それを明記しています。当然、番組内でも扱われています。

更に、本稿内でも書かれているように、パオ森林僧院は現在、日本人僧マハーカルナー禅師によって、都内を中心に活動してもおり、日本語のウェブサイトも持っています。

こうした諸条件が揃っていながら、「特筆性」に疑問を呈してタグ貼りを繰り返すMizuhara gumi氏の編集行為が、私には理解できません。繰り返し述べますが、

  • 山下良道氏や、水源禅師氏といった、Wikipediaに記事を持つ複数名によって、ウェブサイト・著作でその名を明記している。
  • 公共放送NHKが山下良道を扱った「こころの時代」というドキュメンタリー番組のウェブサイト・番組内で、その重要な転機を説明するくだりで、その名を取り上げている。
  • 日本国内で活動していて、日本語のウェブサイトを持っている。

といった条件が揃っていながら、「特筆性」タグ貼りを繰り返す具体的な根拠を、Wikipediaの編集方針を引用・明記する形で示して下さい。よろしくお願いします。--Trwdsprd会話2014年6月2日 (月) 14:12 (UTC)[返信]

Trwdsprdさん、はじめまして。こんばんはっ。わざわざ場を設けていただきありがとうございます。失礼ながら履歴を確認したところ[1]、まだウィキペディアにおいては初心者のように見受けられましたので、まずは「特筆性」について説明しますね。Wikipedia:独立記事作成の目安の文書をご確認ください。ここには冒頭に「この文書の要旨: もし対象とは無関係な信頼できる二次情報源から有意な言及があった場合、その話題は独立記事として作成、あるいは収録するだけの価値を有すると推定されます。」とあります(ワクで囲まれた部分です)。そして本文の1行目には「ウィキペディアに記事を作成する場合、取り扱う対象には、百科事典の記事として言及するにふさわしい価値が必要です。ウィキペディアでは、この価値を特筆性(notability)と表現します。」と、「特筆性」なる用語の説明があります。さて、つづいて本文には、「特筆性の立証は、出典の明記と同じ方法でできます。」とあります。要は出典によって特筆性を証明すれば、最早「特筆性」タグは用がないので取り除いてよいわけです。
では特筆性を証明するにはどういった出典を用意すればよいか、ということになります。これについては先の文書の「一般的な目安」「特筆性は客観的な証明を必要とする」の節をご確認ください。ここに私がタグ貼りを行ったた根拠があります。「対象と無関係な」という文言が太字でありますね(一般的な目安、の箇条書きの4つめです)。私が1回目に特筆性タグを貼った理由はまずここです。この版をご確認ください。無関係でない(というより記事主体の)出典があるだけです。ですので「特筆性」タグを添付したわけです。
次に「有意な言及」という文言がこれも太字で示されています(一般的な目安、の箇条書きの1つめです)。2回目のタグ貼り時に要約欄1つ目のコメントで示した通りですが、この時点で追加された出典は「こころの時代~宗教・人生~「導かれれば青空」」(NHK)、ですがこのページに記された内容の主題は山下良道師についてです。これは無関係な第三者であっても有意な言及ではないだろう、という判断でタグを戻しています。「「有意な言及」とは、対象の話題について、直接的かつ詳細に述べていることを意味します。元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です。」(引用)とありますね。とはいえ、NHKでちょっとでもキーワードが出たということはネット以外で探せばあるかな、とおもって要約欄に「あと少しっ」と書いてます[2]。もういっこあれば外していいかな、という甘めな私個人の判断であって、応援的な意味があったのです(これは箇条書きの最後、『複数の信頼できる情報源において、それぞれ独立した言及がされているとき』を甘めに勘案した結果です。まぁ通じなかったようで残念ですが仕方ないです)。
ちなみに現在Wikipedia:信頼できる情報源を満たさないであろう媒体を除いて検索した結果がこれです。37件は残念ながらあまり多くないので、スミマセンが特筆性タグには一定の共感が得られるんじゃないかと思います(これは個人の感想です)。
なお、打ち明けますとWikipedia:独立記事作成の目安は方針やガイドラインではありません。とはいえ、「特筆性」タグの説明になりますので、まずは上記で案内申し上げた文書をご確認ください。平日は当方あまり時間とれませんので、お返事はゆっくりで結構です。もしこれらを読んでも、Trwdsprdさんが上で挙げられた箇条書き3点の条件でもって「特筆性が示せている」と仰るのでしたら、その3点について個別に回答します。おすすめの対応としては「第三者による有意な言及を探して示す」ことです。これさえあれば大抵文句はでませんから。プロジェクト:仏教#寺院の記事を作成する際の要件も参考になるかもしれません。
蛇足ですがパオ・セヤドー師のページは出典によって特筆性が示せてませんが、これはこちらで有意な言及があることを把握してますのでタグ貼りはしません(加筆もしませんが)。--Mizuhara gumi会話2014年6月3日 (火) 12:26 (UTC)[返信]
回答ありがとうございます。NHKの番組に関してですが、山下良道や仏教に対する関心・知識を持っている人、また実際番組を見た人でないと、パオ森林僧院が山下良道氏とどれだけ核心的に深く関わっているのか分からないでしょうから、「主題は山下良道であって、パオ森林僧院は有意な言及ではない(ちょっと名前を出しただけなんじゃないか)」とMizuhara gumi氏のように「勘違い」してしまったのも無理は無いかもしれません。Mizuhara gumi氏は履歴から察するにどうやら仏教に、ましてや上座部仏教・ビルマ仏教にこれといった興味を持ってない方のようなので、認識にかなり差・乖離があるし、編集コメント欄では不十分だと思ったので、こうしてノートでじっくりやりとりをしようと思った次第です。
さて、改めて伺いたいと思います。
  • 既に、Wikipediaに記事が作られているパオ・セヤドー山下良道水源禅師といった複数の人物と密接に関わっていて、その山下良道、水源禅師のウェブサイトや著書でも、繰り返しその名が明記してある「パオ森林僧院」
  • 公共放送NHKのドキュメンタリー番組で、山下良道の重大な転機として名前を明示して取り上げられている「パオ森林僧院」
  • 国内でも既に日本支部が都内を中心に実態的な活動をしていて、日本語のウェブサイトも開設している「パオ森林僧院」
そんな「パオ森林僧院」に、わざわざ「特筆性」タグを貼る必要があるといまだにお考えでしょうか?偏見無しでちゃんと考えてみて下さいね。
更に言えば、既にMizuhara gumi氏は、「パオ・セヤドー」の記事については、自ら認めています。そうでありながら、そんな彼の活動拠点であり、名前の由来でもあるる「パオ森林僧院」の記事を認めないのだとしたら、矛盾していると思いませんか?「パオ森林僧院」の記事が認められないと、「パオ・セヤドー」はもちろん、山下良道水源禅師、あるいはヴィパッサナー瞑想等、他の記事の説明にも、支障を来たしてしまします。そうしたwikipedia記事全体の整合性という観点からも、考えて見てください。
それでもなお、「パオ森林僧院」の「特筆性」を問題視するのであれば、パオ・セヤドー山下良道水源禅師の「特筆性」も問題にするべきです。違いますか?--Trwdsprd会話2014年6月3日 (火) 14:26 (UTC)[返信]


(インデント戻します)こんばんは。レスもリンク先も読んでませんね?順に回答します。

  • 既に、Wikipediaに記事が作られているパオ・セヤドー山下良道水源禅師といった複数の人物と密接に関わっていて、その山下良道、水源禅師のウェブサイトや著書でも、繰り返しその名が明記してある「パオ森林僧院」
密接に関わっている、と言う時点で無関係な第三者ではないでしょう。出典としては認められると思いますが、それと特筆性の担保とは別の話です。
  • 公共放送NHKのドキュメンタリー番組で、山下良道の重大な転機として名前を明示して取り上げられている「パオ森林僧院」
あのNHKのページ内容は有意な言及ではないでしょう、と既に述べてます。番組内でどういった扱いがなされたかは知りませんし関係ありません。見てない人が確認できないですから(Wikipedia:検証可能性参照)。
  • 国内でも既に日本支部が都内を中心に実態的な活動をしていて、日本語のウェブサイトも開設している「パオ森林僧院」
日本語のウェブサイトがあって都内で活動していると特筆性が示せるんですか?うちの近所(東京都内です)の雑貨屋もウェブサイトありますがそれで特筆性が認められますか?

まずは昨日も申し上げましたが、Wikipedia:独立記事作成の目安を読んでください。そうしないと議論になりませんので。「お返事はゆっくりで結構です」、と言いました。説得する相手は私じゃないと思ってください(これはリンク先を読めば理解できるはずです。だれでもタグ貼れますから)。あと、他のページのことは知りません。ここではパオ森林僧院について議論しましょう(ちなみにその3人は約1名除いて大丈夫とは思います。ただし、特筆性が示せていない、状態です。)。--Mizuhara gumi会話2014年6月4日 (水) 11:53 (UTC)[返信]

むしろ、Mizuhara gumi氏にこそ、『Wikipedia:独立記事作成の目安』をちゃんと読んでもらいたいと思います。二次資料の「有意な言及」とは、「少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及」と明記してあります。NHKの番組でもまさにそうでした。それを「番組内でどういった扱いがなされたかは知りませんし関係ありません」「主題は山下良道だから有意な言及ではない」という支離滅裂な強弁を繰り返して粘っているのはMizuhara gumi氏あなただけなのですよ?
Mizuhara gumi氏がここでこんな支離滅裂な強弁をしてまで、よく知りもしないミャンマーの僧院の記事に対して「特筆性」を問題視したがる理由が全く分かりません。こんな茶番はやめませんか?--Trwdsprd会話2014年6月4日 (水) 12:25 (UTC)[返信]
こんばんは。2度目になりますか。リンク先とレスは読んでください。確かに支離滅裂でしょう。後続の一文を無視すればですが。「見てない人が確認できないですから(Wikipedia:検証可能性参照)。」としましたが、このリンク先はご確認いただけてましょうか?せめてリンク先は確認して、レスの意図を汲んでください。NHKの番組は検証不能ではないですか?今私がその番組内容を、どのようにすれば確認できますか?(NHKアーカイブスにでもあればそちらをお示しください。それで納得します)
さて、特筆性の文書は目を通して頂けたみたいでなによりです。上の箇条書きの1番目と3番目についてはご理解いただけたようですね。で、本日の加筆[3]があって「無関係な第三者による(と思われる)出典が複数」そろったので特筆性はよさそうですね。あとは追加されたサイトがWikipedia:信頼できる情報源を満たすかだけ再度ご確認ください。1週間後くらいに出典と本文の突合せをして記述を整えます。「知られる」が気になったので(誰によって?)。あと、「はちみつ」じゃなくて「はらみつ」(波羅蜜?)ではないですか?一応ご確認、修正をお願いします。大分よくなってきたと思いますよ。最初と比べて。
ところで、これは恐らくですがTemplate:特筆性も実は見てないのではないかな、とか思いましたが特に問題にはしません(タグの除去について、という節)。最初「ウィキペディアにおいては初心者のように見受けられましたので」と申し上げたのはWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいというガイドラインがあるからなんですよ。通常だと問答無用でタグをもどして会話ページにWikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることのテンプレを張って、、、ということになると思います。今回の一連のノートにおけるやりとりで特筆性というウィキペディア用語や出典の明記、あたりはご理解いただけたかと思います。このレスのリンクも、さらにいつかは会話ページ冒頭に貼ってあるテンプレのリンクもご確認ください。あと蛇足ですが、履歴で相手本体の経歴を推し量るのはやめたほうがいいです。ウィキペディアの履歴で分かるのはウィキペディアの編集の履歴だけですから(大学院は行ってませんが、仏教学専攻でしたので南伝と北伝の違いくらいはわかります)。「強弁」「よく知りもしない」、とかもあまり使わないほうがいい「決め付け」でしょうね(実際この僧院は知りませんでしたけれど、人が知らないからこそ特筆性が問題になってくるんですよ?)。--Mizuhara gumi会話2014年6月5日 (木) 11:49 (UTC)[返信]
>リンク先とレスは読んでください。確かに支離滅裂でしょう。後続の一文を無視すればですが。
コメントTrwdsprdさんの応答は、しばしば応答の体をなしていないところが見受けられますね。粘り強くご説明なさっているMizuhara gumiさんに敬意を評します。
ちなみにこのTrwdsprdさんは2014年6月で無期限投稿ブロックを受けたようです
>NHKの番組は検証不能ではないですか?今私がその番組内容を、どのようにすれば確認できますか?(NHKアーカイブスにでもあればそちらをお示しください。それで納得します)
コメント2015年9月27日現在、NHKアーカイブスおよびNHKオンデマンドの両方で、ヒットしません。Googleの動画検索でもヒットしません。
また、この記事の本文で出典として採用されている下記のNHKのウェブページは、今日現在ではコンテンツがなくなっています。(「番組の情報がありませんでした」という但し書きあり)。
また、ページ本文の「脚注・出典」という節に表示されているウェブページ(出典)のうち、下記の2つはリンク切れになっています。
このうち、前者は「マハーカルナー禅師 - パオ森林僧院 日本支部」というタイトルのページだったようですので、http://paauk.jp/にて「マハーカルナー禅師」の紹介をしているとみられるページのURL http://paauk.jp/bio_mk.html にひとまず差し替えておきます。旧URLは、このWikipedia記事「パオ森林僧院」の導入部の文および「支部」の節の末尾の文の出典とされていましたが、新たなURLのページもこの2文と同様の記述を備えています。
Trwdsprdさんの執筆当時と比較すると、このように出典が2個リンク切れになっている(事実上、なくなっているのでしょう)ことがわかりましたので、本文もそれと対応させて修正する必要があるかもしれません。--Leonidjp会話2015年9月27日 (日) 01:50 (UTC)[返信]
>1週間後くらいに出典と本文の突合せをして記述を整えます。「知られる」が気になったので(誰によって?)。
コメント「○○を知っている」と称する「主体」が誰なのかが資料から分からない状態では、「知られる」という表現はおかしいですね。
問題となっている部分の本文は下記のとおりですが、
“NHK「こころの時代」にも取り上げられた僧侶の山下良道氏が比丘として出家し、修行した場所としても知られる[2][4]。青森出身、カナダ在住の僧侶・水源禅師が上座部仏教の修行をした場所としても知られる[5]。”
山下良道氏がNHK「こころの時代」に取り上げられた、という情報の出典たるNHKのウェブサイトは上述のとおりコンテンツが消えていますので、代わりに、『別冊サンガジャパン 1 実践! 仏教瞑想ガイドブック』(蓑輪顕量監修、サンガ、2014年8月)のp.374を出典として記入しておきます。同書のこのページには山下良道氏の経歴として“二〇一四年六月、NHK「こころの時代」に出演。”という記述があります。
また、【山下良道氏が「比丘として出家し、修行した場所」がパオ森林僧院である】という情報の出典は、現状では山下氏の公式ウェブサイトとなっていますが、ウェブサイトよりは、公刊された書籍を出典とするほうがよいでしょう。同氏の著書『青空としてのわたし』(幻冬舎、2014年5月)pp.110-118に、パオ森林僧院での比丘としての出家と修行の様子が書かれていますので、これをこの部分の出典として記入し、公式ウェブサイトはこの部分の出典から外しておきます。
また、この箇所の「知られる」という表現(2個)は除去します。--Leonidjp会話2015年9月27日 (日) 03:50 (UTC)[返信]
>「○○を知っている」と称する「主体」が誰なのかが資料から分からない状態では、「知られる」という表現はおかしいですね。
コメント出典たるウェブサイトのリンク切れおよび、「知られる」という表現の問題について追記。
「支部」の節に、下記のように書いてあります。
“パオ森林僧院の支部は、ミャンマー国内に30程度、そしてヤンゴン市内に4つある。その中でも、2003年に設立されたヤンゴン北西郊外のモービ(Hmawbi)にあるモービ僧院(モービ瞑想センター)が日本ではよく知られており、その僧院長を務めるクムダ・セヤドーは、毎年日本に来て法話・瞑想指導も行なっている[7][8]。”
この文は、下記の3点に出典がありません。
  • パオ森林僧院の支部は、ミャンマー国内に30程度、そしてヤンゴン市内に4つある
  • 支部のなかでも、2003年に設立されたヤンゴン北西郊外のモービ(Hmawbi)にあるモービ僧院(モービ瞑想センター)が日本ではよく知られている
  • クムダ・セヤドーがモービ僧院の僧院長である
出典[7]は上述のとおりリンク切れで読めません。出典[8]たる「はらみつ・ライブラリー」のウェブページは「モービ僧院(モービ瞑想センター)が日本ではよく知られている」とか「クムダ・セヤドーがモービ僧院の僧院長である」などと述べているわけではありません。はらみつ・ライブラリーの同記事によれば、クムダ・セヤドーは「モービ僧院」でなく「シュエティッサ僧院」の「指導をしている」と書いてありますから、上述の引用文とは食い違っています。出典の無いこれらの記述には「要出典範囲」のタグを添付しておきます。一定期間待って出典が付けられなかった場合は、本文の該当箇所をページから除去することを提案します。
また、クムダ・セヤドーに関する出典たる「はらみつ・ライブラリー」の記事によれば、クムダ・セヤドーが「指導」をしている僧院は「シュエティッサ僧院」だそうですが、この僧院がパオ森林僧院の支部であるという情報の出典がありません。ただし、「クムダ・セヤドーの指導するパオ瞑想センター支部がモービにある」という情報は、菩提樹文庫というウェブサイトに書かれてあります。こういった個人運営のウェブサイトは、Wikipedia的な意味で「信頼性の高い情報源」とは言えないでしょうが、無出典にするよりは良いでしょうから、クムダ・セヤドーに関わる部分の出典として記入しておきます。--Leonidjp会話2015年9月27日 (日) 05:06 (UTC)[返信]
「概要」の節について。冒頭の文は下記のとおりですが、
“1981年に就任した第3代目の僧院長であるパオ・セヤドー(ウ・アーチンナ)によって、「パオ・メソッド」と呼ばれる瞑想指導が行われ、日本も含め海外からの修行者も広く受け入れており、アメリカ合衆国、シンガポール、マレーシア、インドネシア等に支部を持つ[3]。”
この文の出典たるウェブページ〈Pa-auk twya vipassana dhura hermitage - links〉は、単なるリンク集ですから、これは「支部が存在する」ということ以外の情報の出典にはなりえません。ですから、文頭から「〜受け入れており」の部分までが無出典です。「日本も含め海外からの修行者も広く受け入れており」の部分については、http://paauk.jp/bio_ps.htmlによれば「現在では常に150人以上の外国人比丘が在籍」と書いてありますが、「現在」とはいつのことなのか分かりません。(小見出しには「1990年代」と書いてありますが)。要出典範囲のタグを添付しておきます。ちなみに、パオ森林僧院日本道場(という呼称でよいのかな)のウェブサイトでパオ・セヤドーの紹介ページを見ますと、「現在モーラミャイン本部に滞在する時間は非常に少なくなっており、僧院ではパオ・セヤドーによって公式に任命された Kovida Sayadawコウィダ・セヤドーと Revata Sayadawレワタ・セヤドーが、英語とビルマ語でパオ・メソッドに則った瞑想指導を行っている」旨の記述もあります。パオ森林僧院における瞑想指導がパオ・セヤドーによって行われている、というこの「概要」節の文は、もしかすると不正確となっているのかもしれません。--Leonidjp会話2015年9月27日 (日) 05:36 (UTC)[返信]
下線部を追記↑。--Leonidjp会話2015年9月27日 (日) 05:44 (UTC)[返信]

外部リンクの整理について[編集]

記事本文によると、【2016年11月時点で公式サイトの名称がかつての「パオ森林僧院日本道場」から「マハーカルナー法友会」へと変更され、同時にパオ・セヤドーやパオ森林僧院に関するページ・記述の全てがサイト内から削除されており、現時点ではもはや当該組織をパオ森林僧院日本支部とみなすことは困難な状態となっている】のだそうです。実際に本日現在、マハーカルナー法友会のウェブサイト(特にそのトップページから辿れるコンテンツ)はそのとおりの状態になっています。マハーカルナー法友会なりマハーカルナー氏が「パオ森林僧院」とのコネクションをおおやけに名乗ることをおやめになったのであるなら、当記事の外部リンク節に「マハーカルナー法友会」のウェブサイトやTwitterアカウントを掲載する必要はないのではないか(あるいは、掲載するのが不適切なのてはないか)と思うのですが、いかがでしょうか。--Leonidjp会話2016年12月23日 (金) 01:24 (UTC)[返信]
外部リンク節の「マハーカルナー法友会」およびそのtwitterアカウントは同節から削除しておきます。現時点では同サイトにおいて「パオ森林僧院」という名乗りがなくなっておりますので。--Leonidjp会話2017年1月2日 (月) 08:08 (UTC)[返信]

マハーカルナー法友会について[編集]

『パオ・セヤドーからパオ森林僧院日本支部の設立とパオ瞑想システムの指導の命を受けて帰国した日本人僧マハーカルナーにより2013年5月から毎週、瞑想指導が開かれていたが、2016年11月時点で公式サイトの名称がかつての「パオ森林僧院日本道場」から「マハーカルナー法友会」へと変更され、同時にパオ・セヤドーやパオ森林僧院に関するページ・記述の全てがサイト内から削除されており、現時点ではもはや当該組織をパオ森林僧院日本支部とみなすことは困難な状態となっている』とのことですが、憶測でしかなく、主観的な意見になっていると思われます。 私はマハーカルナー法友会の瞑想会に参加しておりますが、パオとの繋がりを経つような動きは全くなく、現在もマハーカルナー禅師がパオ・メソッド伝道の為に瞑想会を開いていることに何ら変化はありません。HPのことをスタッフの方に尋ねた所、現在のHPとは別に新しいHP作成の為にHPの内容を変えたようだと聞きました。 誤解を招く記事だと思いますので、削除をお願い致します。
--以上の署名のないコメントは、Kentom777会話投稿記録)さんが 2017年2月7日 (火) 03:58‎ (UTC) に投稿したものです(Leonidjp会話)による付記)。[返信]

Kentom777さまへ。今現在、記事の本文に載っている文言を具体的に変更したいとお考えでしたら、どこをどう変えたいのかを具体的にご提案ください。具体的な提案がなければ、記事の本文をあなたの希望どおりに他人が編集することは不可能ですので。また、あなたがご自身で記事を編集なさることは当然可能ですが、Wikipediaのルール類に従っていない加筆や削除は、のちに取り消されることもあります。※ノートページで他人の発言に応答する際は、文頭に半角の「コロン」を記入して下さい(この段落の先頭にあるように)--Leonidjp会話2017年2月7日 (火) 07:00 (UTC)[返信]
失礼致しました。ご指摘ありがとうございます。『パオ・セヤドーからパオ森林僧院日本支部の設立とパオ瞑想システムの指導の命を受けて帰国した日本人僧マハーカルナーにより2013年5月から毎週、瞑想指導が開かれていたが、2016年11月時点で公式サイトの名称がかつての「パオ森林僧院日本道場」から「マハーカルナー法友会」へと変更され、同時にパオ・セヤドーやパオ森林僧院に関するページ・記述の全てがサイト内から削除されており、現時点ではもはや当該組織をパオ森林僧院日本支部とみなすことは困難な状態となっている』の記事において、主観的な意見である『時点ではもはや当該組織をパオ森林僧院日本支部とみなすことは困難な状態となっている』を削除して、『パオ・セヤドーからパオ森林僧院日本支部の設立とパオ瞑想システムの指導の命を受けて帰国した日本人僧マハーカルナーにより2013年5月から毎週、瞑想指導が開かれている。2016年11月時点で公式サイトの名称がかつての「パオ森林僧院日本道場」から「マハーカルナー法友会」へと変更され、同時にパオ・セヤドーやパオ森林僧院に関するページ・記述の全てがサイト内から削除されている』に訂正して頂くようお願いしたいと思います。--Kentom777会話2017年2月7日 (火) 09:09 (UTC)[返信]
それだけのことでしたら、ご自分で記事本文のその箇所を修正なさったらよろしいのではないでしょうか。あなたもWikipediaの利用者なので、それをする権利がありますので。 ※行頭のコロンの数は、応答対象の発言のコロンの数に1個加えた数にして下さい。(私のこの書き込みに応答するなら、コロン4個付けるということです)。--Leonidjp会話2017年2月7日 (火) 09:28 (UTC)[返信]
了解いたしました。初心者の私に色々と説明して頂き、ありがとうございます。--Kentom777