ノート:パーリ仏典
「パーリ仏典」への改名提案
[編集]そもそも「経(経典)」という語は、「三蔵」の中の「経蔵」文献(sutta, sutra)を専ら意味する限定的な意味の語なので、「三蔵」全体を指す見出し語として使用するのはあまりふさわしくないと思います。主たる2つの現代日本語訳でも、『原始仏典』(中村元、春秋社)、『パーリ仏典』(片山一良、大蔵出版)といったように、共に「仏典」という表現を用いています。
「~仏典」という表現としては、片山訳のように「パーリ仏典」という表現の他、「パーリ語仏典」といった表現も考えられるので、学術分野における使用状況を確認すべくINBUS(インド学仏教学論文データベース)でタイトル検索してみたところ、以下の結果となりました。
- 「パーリ仏典」 - 6件
- 「パーリ語仏典」 - 0件
以上の理由から、片山訳のように「パーリ仏典」という表現を本記事の見出し語にするのが、妥当なところだと考えます。--Zenji30(会話) 2015年4月1日 (水) 02:09 (UTC)
- 済 一週間過ぎて異論が無かったので、改名実行いたしました。ありがとうございました。--Zenji30(会話) 2015年4月8日 (水) 08:00 (UTC)
出典の問題
[編集]「概要」の節に、下記のような文章がありますが、
- “更に、パーリ仏典は、紀元後に仏典のサンスクリット化や大乗仏教化が進む以前の、プラークリット(俗語)の形態を留めたまとまったテキストとしては唯一現存するものであり、特に、インド系言語特有の言葉遣い・ニュアンスの保存という点で言えば、仮にパーリ語がマガダ語からいくらか離れた方言だったとしても、音韻・文法・語彙体系が全く異なる漢語・チベット語に翻訳されてしまった北伝仏典と比べれば、比較するまでもないほど遥かに良好にそれが保存されていると言える。
- したがって、パーリ仏典が元々の仏教の形をより忠実に伝えるものであるという上座部仏教側の主張には、かなりの部分で妥当性がある。”
この文末の「〜と言える」・「〜妥当性がある」という判断の出典が書かれていません。
「〜と言える」・「〜妥当性がある」などという「理論、主張、アイデア、まとめ、解釈」の類を、無出典のままでWikipediaのページに書いてはいけません。「Wikipedia:独自研究は載せない」のページは、下記のように編集方針を明記しています。
- “「独自研究(original research)」とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです。
- ウィキペディアは独自研究を発表する場ではありません。”
ちなみに、前者の「〜と言える」という判断を執筆したのはKrtstm氏です。また、後者の「〜妥当性がある」という判断を執筆したAmedamacha氏は無期限の投稿ブロックを受けていますから、Amedamacha氏から出典を聞き出すことはもう出来ません。この「〜妥当性がある」という判断がAmedamacha氏の独自研究にすぎないならば、削除なり修正すべきでしょう。修正の場合、どのような修正があり得るでしょうか。--Leonidjp(会話) 2015年10月8日 (木) 07:13 (UTC)
コメント上記の引用部分のうち、「したがって、〜かなりの部分で妥当性がある。」という一文は独自研究そのものです。ページから除去しました。--Leonidjp(会話) 2015年10月15日 (木) 12:40 (UTC)
コメント訂正。上述の“〜保存されていると言える。”という「判断」を執筆したのはAmedamacha氏ではなくZenji30氏のほうだ(この人も既に無期限投稿ブロックされている)。
そして、上述の“したがって、パーリ仏典が元々の仏教の形をより忠実に伝えるものであるという上座部仏教側の主張には、かなりの部分で妥当性がある。”という「判断」を無出典で加筆したのはKrtstm氏のほうだ(加筆前・加筆後)。「したがって○○である」などという「論理的判断」を無出典で書いてはいけない、という編集方針は、上述の「Wikipedia:独自研究は載せない」というページが謳っていることのはず。--Leonidjp(会話) 2015年11月9日 (月) 02:11 (UTC)