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ノート:ビルマ暦

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タンデイッタについて

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 「発展・変遷」節に Clancy (1906: 58) を典拠として「ビルマ暦1200年(西暦1838年)に仏教僧ニャウンガン・サヤードー(Nyaunggan Sayadaw)によってタンデイッタ(Thandeikta)という新しい体系が提唱された」とあります。ビルマ語転写の確認の際、このタンデイッタの語のみ厳密な元の綴りがさっぱり分からないという事で Google Books を検索したところ同じクランシー氏が1902年に著した Calculating Tables in English and Burmese: Embracing Parts I (survey Section) and II (revenue Section) and Containing Full Explanations, Examples and Illustrations (Office of the Superintendent, Government Printing) というものが見つかったのですが、読めば同じ著者によるものであるにもかかわらずタンデイッタの成り立ちについて全く異なる情報が記されている事に気が付きました。Clancy (1902: xli) の内容は以下の通りです。

  • ニャウンガン・サヤードーの弟子である Kanni Atwinwunがビルマ暦1230年 (紀元後1868年) に地元のベーディンサヤー (ビルマ語: ဗေဒင်ဆရာ、〈占星術師?〉) 達と協議して著したが、原典は「タウンドウィンジーのキンジー・ビョー」 ("Kingyi Byaw of Taungdwingyi) がインワ (Inwa) でビルマ暦1100年 (紀元後1748年) 頃に著したと言い切る事ができる
  • ニャウンガン・サヤードーが行ったのは、Nagri で記されていたトゥーリヤ・テイッダンタのビルマ語訳 (ビルマ歴1211年 = 紀元後1849年)

残念な事に肝心の The Observatory 29巻366号 (1906年) へのアクセス手段が今のところ分からず、十分に検証を行う事ができておりません。従って今はこの様に疑問点をノートに残しておくに留める事と致します。--Eryk Kij会話2022年7月20日 (水) 06:27 (UTC)[返信]