ノート:ファラオ
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この「ファラオ」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
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1. | 2022年5月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
2. | 2022年6月27日 | 良質な記事の再選考 | 現状維持 |
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2009年7月26日の編集
[編集]2009年7月26日に、概要の最初の段落の意味を逆にする編集が根拠なしに行われています。とりあえず元に戻しておきます。--Pekanpe(会話) 2013年7月18日 (木) 20:52 (UTC)
衣服
[編集]「衣服」の節、「スペンサー (2009)によると、王が着用したキルトは」という記述のあとに、スペンサーの268ページと書いてあるのですが、これは95ページが正しいのではないでしょうか。268ページはずっと衣類の色の話をしていて、王のキルトに関する記述は見当たりません。95ページには王のキルトに関する記述があり、このキルトの名称も書かれています。--西村崇(会話) 2022年4月9日 (土) 12:49 (UTC)
- 感謝 ご報告ありがとうございます。確かに、仰る通りp95を参考にしておりました。refのつけ間違いであったため訂正し、ついでに文章も改善致しました。--Sethemhat(会話) 2022年4月9日 (土) 15:21 (UTC)
- 返信 私がこの記述に着目した理由が「なぜ主題でない一般人の衣服について取り上げなければならないのか」でしたから、改善されたとは思います。ただ文献の使い方には違和感が残ります。
松本1994の267ページは、古代エジプト人の織物技術は優れていたらしい、と言いたい文です。亜麻布は例に過ぎず、スペンサーの268ページが松本1994と同じ時期の話をしているのかははっきりしません。またスペンサーは、第18王朝時代は色のついた衣類があったようだ、とも言っており、この文献から「真っ白な服を着ていた」は導き出せないのではないかと思います。王は一般人と異なる服装だった、と言えればよいので、一般人がどうだったかには深入りしなくてもよいのではないでしょうか。--西村崇(会話) 2022年4月10日 (日) 01:49 (UTC)- 王の衣服についても解説をしておきたいと思って一般人と対比するように書きましたが、私の持っている文献だけではカバーしきれないと判断したため、ご指摘の部分を削りました。また、腰帯の話も浮いている感じがしたので同時に削除しました。--Sethemhat(会話) 2023年1月22日 (日) 06:14 (UTC)
- 返信 私がこの記述に着目した理由が「なぜ主題でない一般人の衣服について取り上げなければならないのか」でしたから、改善されたとは思います。ただ文献の使い方には違和感が残ります。
言葉を濁した推測的記述が多過ぎます
[編集]「…ようである」と言う文章は、執筆者個人の推測と判断されます。出典あるのに「ようである」という言い方はおかしいので、例えば「…なようだと出典にはある」などの書き方にすべきでしょう。--2400:4150:241:AC00:49DE:73C9:87D6:5703 2022年10月14日 (金) 17:29 (UTC)
- 試みに「この3度の戦争の後、一時平和な時代を迎えたようである」のところを見ると、書籍は「この三度の戦争ののち、エジプトは平和を楽しんだようである」(大貫良夫・前川和也・渡辺和子・屋形禎亮『<世界の歴史 1> 人類の起原と古代オリエント』中央公論社、1998年、516ページ。起「原」であって起「源」ではありません)でした。ただ、これは平和をうかがわせる王の言葉を列挙する段落の単なる書き出しです。単に三度の戦争から内政の綻びに続ければよいのであって、「ようだと出典にはある」などと言って拾うほどのものではないと思います。--西村崇(会話) 2023年1月22日 (日) 00:49 (UTC)
- 本文中にあった6か所の「ようである」のうち、@西村崇さんご指摘のものも含めた4か所を修正しました。残りの2か所で、セド祭に関しては出典が見つけられなかったため暫定的に要出典を付けましたが、近日中に解消します。残りの1か所の「古代のエジプトにおいては前述したような灌漑水路を統制できる権力から王権が形成されたと言えるが、実際には宗教的権威がより強かったようである」は出典の「このような連合国家においては、すでに「さそり」王の棍棒頭にみられるように灌漑水路の統制を通じて王権の伸長の足がかりが得られているとは言え、王の権威は主として宗教的権威に基づいていたようである」に完全に基づいているものでありますからこれはそのままにします。ただし、「ようだと出典にある」という書き方は冗長に思えるので使うのに抵抗があります。--Sethemhat(会話) 2023年1月22日 (日) 06:14 (UTC)
- 私は「…ようである」が執筆者の推測だと常に判断しているわけではありません。むしろ「鈴木によれば」「佐藤によれば」の連発時点で既に食傷気味なのに、このうえ「…なようだと出典にはある」なんて言い方が流行し始めたら読んでいられないと思って上のコメントを書きました。
- 私が「…ようである」を執筆者の推測だと取るかどうかは文章によります。たとえばノート:紀太藤一に書いた例は執筆者の推測だと思いますが、『人類の起原と古代オリエント』の例は多分文献に「ようである」と書いてあるのだろうと思っていました。実際に確認してみるとその通りでしたし、重要なことなら文献通りに「ようである」と書いていいと私は思います。
- ただ良質な記事の選考にもあったように、「ようである」を問題視する方は少なくありません。主題を語る上でそれほど重要なことではないなら、こういう読者と論争してまで押し通すことはないのではないかと思います。--西村崇(会話) 2023年1月24日 (火) 03:20 (UTC)
- たしかに仰る通り主題を語る上ではあまり重要なことではありませんが、書いている人間はその気分というものがありまして、これを断定で書くのは私は嫌だと思っています。そもそも、執筆者がどの文献を持ってくるかでバイアスがかかるものですから、それ以上執筆者の推測が増えても大した違いではないのではないかと思っています。過剰なものは削りますが、スタイルについては個人のものなので残念ながら譲ることはできません。例えば、文章中にルビを使ってはならないという決まりも、読み上げソフトの問題だと過去議論をたどってわかりましたが、そんなの往々にてある話でしょうし、私はルビを漢字の上に振るのは紙の本で常識ですし、さらにわかりづらいしダサくて見栄えが悪い(例:急湍(きゅうたん))という理由で嫌だと思っています。我慢していましたがやはり我慢できないので本文は変えます。一方、記事の構成が悪いとか、この記述は信頼できないなどの本質にかかわる話ならば前向きに議論に参加し、批評を受け入れて記事を改善していく心づもりですので寛恕頂きたく存じます。--Sethemhat(会話) 2023年1月24日 (火) 09:16 (UTC)
- 本文中にあった6か所の「ようである」のうち、@西村崇さんご指摘のものも含めた4か所を修正しました。残りの2か所で、セド祭に関しては出典が見つけられなかったため暫定的に要出典を付けましたが、近日中に解消します。残りの1か所の「古代のエジプトにおいては前述したような灌漑水路を統制できる権力から王権が形成されたと言えるが、実際には宗教的権威がより強かったようである」は出典の「このような連合国家においては、すでに「さそり」王の棍棒頭にみられるように灌漑水路の統制を通じて王権の伸長の足がかりが得られているとは言え、王の権威は主として宗教的権威に基づいていたようである」に完全に基づいているものでありますからこれはそのままにします。ただし、「ようだと出典にある」という書き方は冗長に思えるので使うのに抵抗があります。--Sethemhat(会話) 2023年1月22日 (日) 06:14 (UTC)