ノート:フィレンツェ公会議

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対立教皇については、バーゼル公会議で記述した方がよいのではないでしょうか。また、本文中でリンクしている項目でも、特に参照すべきものは「関連項目」に入れてもよいのではないでせうか。(本文中のリンクは余りに多いので埋もれがちになりますので、重複していても、意味はあると思います) --忠太 2004年11月19日 (金) 15:26 (UTC)[返信]

東ローマかビザンツか ビザンツでいいのではないでしょうか。この帝国の正式名称は、この時代であっても、ローマ帝国ですが、さすがにこの時代のこの国を但し書きなくローマ帝国と書く歴史学者は、まずいません。東西分裂以後、西の帝国と区別をつけたりするために、便宜上、コンスタンティノポリスを首都としたローマ帝国は東ローマ帝国と呼ぶことが一般的でしたが、この時代のこの国は、イタリア半島にも領土を持っておらず、ローマ帝国の実態をほとんど持っていませんから、ビザンツ帝国と呼ぶ方の方が多数派です。東ローマもビザンツも、この国の正式名称でないことにおいては同じです。そして、より現実的で、多数派的な名称は、この時期のこの国にあってはビザンツ帝国です。ですので。--希望会話2017年6月23日 (金) 16:22 (UTC)[返信]