ノート:プラセーナジット
最期について
[編集]プラセーナジットの最期は、どんなでしたか?釈迦涅槃時は生存していましたか?それとも死去していましたか?
和成(会話) 2013年8月11日 (日) 11:14 (UTC)
「勝鬘夫人」との関係について
[編集]プラセーナジットに「マッリカー夫人(末利、勝鬘=しょうまん夫人)は第二妃とも、第一妃とも。」と書いてあり、これはマッリカー夫人が勝鬘夫人と同一人物であると主張しているように見受けられますが、そういう解釈でよろしいのでしょうか? また、その出典はあるのでしょうか?(後続する文に脚注がありますけれど、それがコレの出典かどうか定かではありません)。
なお、勝鬘夫人の記事(出典は無いですが)によれば、勝鬘夫人というのは「波斯匿王(はしのくおう)と彼の妃末利夫人(まりぶにん)の娘。」だそうですので、〈マッリカー夫人=末利夫人=勝鬘夫人〉という上述の主張と両立しないと思われますが、いかがでしょうか。--Leonidjp(会話) 2017年6月8日 (木) 06:04 (UTC)
婦人→夫人の誤字修正。--Leonidjp(会話) 2017年6月8日 (木) 09:13 (UTC)
出典について
[編集]プラセーナジットの記事の脚注の1番に「石飛道子『神々との対話』岩波文庫, 1986, 129頁」と書いてありますが、岩波文庫から1986年に出ているこの『神々との対話』の著者が石飛道子氏というのは正しいのでしょうか? 同版元・同出版年・同タイトルの本が中村元(訳)で存在しているのですが。--Leonidjp(会話) 2017年6月8日 (木) 09:19 (UTC)
ありがとうございます。誤記でした。訂正しました。Dharmottara 2017年11月10日 (木) 09:02 (UTC)