ノート:プラハ窓外放出事件
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第三次
[編集]第三次投擲事件というのは一般に認知された呼称なのでしょうか?英語版の議論を見ると2005年10月に第三次投擲事件の項目が呼称の根拠なしとして除去された模様で、その後反論はないようですが。--Extrahitz 2006年12月18日 (月) 04:15 (UTC)
- 一応、英語版から(英語の)出典を移入、さらに自前で英語の出典を追加してみました。日本語圏はわかりませんが、英語圏では用例があるといえそうです。--ネイ(会話) 2018年12月18日 (火) 15:15 (UTC)
投擲
[編集]「窓外放出事件」などの表現は見たことがありますが、「窓外投擲事件」という名称は歴史学で一般に用いられているのでしょうか。「投擲」は武器などを投げる場合に使う言葉なので不自然な気がします。--Poohpooh817 2010年2月4日 (木) 04:35 (UTC)
- 無理な項目名をつけてまで作る必要のない記事だと思います。削除してもいいんじゃないでしょうか。だいたい当時のプラハには中心に新旧両市街の他に三つの小さい市街があり、それぞれ城壁に囲まれ独立の市庁舎がありました。最初の事件がおきたのは旧市街の市庁舎で、下に集まったフス派市民らに落とされた13人は殺されています。Proti všemというチェコ映画では落とされようとするのを見るや多数の槍の穂を突き出して受け止めて殺しています。他に国王が多年不在だった時期に役所として使われていた王宮に暴徒が押し入って三人窓から落とすという事件もおき、その三人はそのまま市から逃げ出しています。三十年戦争の前におきた件では窓の下に藁の山だか藁を積んだ荷車だかがあって落とされた人たちは殺されないで済んだみたいですね。 --Ypacaraí(会話) 2016年6月7日 (火) 20:57 (UTC)
改名提案
[編集]上記#投擲節の議論を受けて、少し調べてみました。信頼できる出典では「放出」も「放擲」も「投擲」より多いのではないかと思います。
- プラハ窓外放出事件
- 松井道昭『独仏対立の歴史的起源: スダンへの道』東信堂、2001年、69-70頁 。
- “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年12月18日閲覧。
- プラハ窓外放擲事件
- 島崎晋『目からウロコのヨーロッパ史: 15のキーワードから「西洋精神」の源流をたどる』PHP研究所、2000年 。
- 石川達夫. “プラハ・バロックの背景と特徴”. p. 4. 2018年12月18日閲覧。
ひとまず改名提案を提出しますが、どちらに改名すべきかご意見を頂けましたら幸いです。--ネイ(会話) 2018年12月18日 (火) 15:35 (UTC)
- 2016年12月に「デフェネストレーション」を暫定記事名で作成したのですが、こちらの記事名に合わせたほうがよいのでしょうか?--BR141(会話) 2018年12月25日 (火) 16:14 (UTC)
- Open Multilingual Wordnetで検索すると「窓外放出」とあります。
- 本記事については上記の検索結果もあって、これ以上意見がなければ明日の夜にでも「プラハ窓外放出事件」に移動します(窓外投擲と窓外放擲はリダイレクトとして残します)。
- デフェネストレーションは特定の事件ではなく全般的に記述する記事なので、必ずしも本記事に合わせる必要はありませんし、改名提案も別に行うべきと考えます。ただし、現状では上記の検索結果に基づき「窓外放出」への改名には賛成します。--ネイ(会話) 2018年12月25日 (火) 17:07 (UTC)
- 報告 本記事を「プラハ窓外放出事件」に移動しました。--ネイ(会話) 2018年12月26日 (水) 14:47 (UTC)