ノート:ベン・ハー
上記表題ページより文章を引用します。以下の通りです。今回1万8千あまりの文字の削除がIP名利用者によって行われました。(記事の大幅な増減)この方の説明責任と記述者とのコンタクトが取れない状態だと不具合が生じると考えています。 「ログインの勧め 多くの利用者は「既存の記事を大幅に変更する際にはアカウントを取得し、ログインし、説明責任が果たせる立場になった上で編集してほしい」と望んでいます。比較・対照としてWikipedia:ページの編集は大胆にを参照 ログインが望まれる理由は、自身の編集に対する説明責任を果たしてほしいからです。もし、あなたが利用者名を登録していなければ、利用者ページを持てません。投稿の際は利用者名の代わりにIPアドレスが記録されますが、それは一定のものではないので、他の人達にとってあなたの編集について、あなたと対話するのが難しくなり、それをもどかしく思う利用者がいることは事実です。もちろんログインしないでの編集は現在は認められていますし、そのこと自体に対して他の利用者が異議を唱えることはできません。しかし、ログインしていないのは、自身の投稿に自信がなかったり、責任を持ちたくないためであるとか、ウィキペディアの方針に沿っていないことを自覚しているため、と見られることも多々あります。」--大河ゆい(会話) 2020年7月26日 (日) 16:15 (UTC)
削除された文
[編集]執筆の大河は記事として本題ページに太字で記述した誤りは認めます。お詫び申し上げます。しかしながら独自研究ではありません。小説のあらすじにつてはウォレス氏の原作の和訳短縮版ですが内容について存じ上げております。白石氏の著作文庫本です。※本ページ内の記事におけるストーリーは小説ではなく、映画の脚本による内容が混在していませんか?原作小説との違いをご確認下さい。瓦を落とすのはジュダ・ベン・ハー本人です。妹が落とすのは1959年度MGM映画の「ベン・ハー」のストーリーです。井戸で水を恵まれたときの出来事ではジュダ・ベン・ハーはローマ軍百卒長に水を飲むことは禁じられません。イエスの善行を禁じるために罰することもしません。小説ではヨセフとイエスの父子が近づき、ヨセフが百卒長にジュダについて二~三聞くと、あの罪人はハー家の青年だと告げ、慈悲を願います。その後映画と同じくイエスが水を恵みます。省略されているのは百卒長の行動が井戸の休憩直後に全く変わる事。倒れた罪人(ジュダ)を馬に乗せてあげる点です。百卒長の心情の変化があります。また業病に冒された母と妹に出会いますが、会わなかったことにして欲しい、秘密にして欲しいと懇願する相手は乳母のアムラであってエスターではありません。それに、業病者の居場所へ出向いて二人を救世主に会わせるため導くのもアムラです。メッサーラは下半身が不自由になりますが小説では戦車競走直後に死ぬことはありません。メッサーラは体の不自由を抱えつつ生きていて恋人である妖艶な女イラスや悪党トルドと企みジュダ・ベン・ハーの復讐や賭けの支払いの取り消し(賭け金額の返金)を謀ります。母と妹の安否はメッサラからは語られません。ジュダ・ベン・ハーが自力で調査・捜索を続ける中で噂話にローマ役人に追われて虐待された病人の事を聞かされ、母と妹はその人々であり殺されたと思い込むのです。なおジュダ・ベン・ハーは最初エスターにさほど恋心を抱いておらず淡いものでしかありません。まさに普通の男でうら若く飾らないエスターより成熟した美女のイラスの誘惑に負けそうになる弱い面も見せています。奇跡を受けるためキリストに母と妹が会いに行くのは十字架刑の執行される以前の話でエルサレム入城の日です。母と妹は、初めは乳母のアムラと一緒で、あとからジュダ・ベン・ハーに出会います。映画のように総督ピラトの裁判・処刑となる日に道端でキリストに会おうと連れ立ってはいません。ジュダ・ベン・ハーは反逆と戦いを企てイエスを王にして国権奪取しようとしている最中だったからです。くどくなりますが、物語はキリストの奇跡で感謝するところでは終わっていません。ジュダ・ベン・ハーがエスターと結婚し、アラブの族長イルデリムの死とその遺言により莫大な財産・土地を受け継いでキリストを偲び教えを人々に伝えるためカタコンベ(地下教会)を作り、信仰を深め多くの信者と祈りを共有する決意を示して終章となります。参考までに触れますが、バルサザール(バルタザール、バルサザーは英語の発音解釈や呼び名の違い。同一人物。)は心卑しい妖女イラスの父であり、キリストの十字架上の死と同時に絶命します。それだけ心痛極まりなかったという表現です。キリストの磔刑の項はこの物語の最重要エピソードになりますので省かず盛り込んでほしいです。またジュダ・ベン・ハーという呼称については「ジュダ」が名前です。「ベン」は中東アラブ圏では「息子」を意味し姓でも名でもありません。例を挙げれば9.11の主犯として米国に暗殺されたウサーマ・ビン・ラーディンの名を分析すると理解が深まります。これは「ラーディンの息子のウサーマ」の意味。ですからジュダ・ベン・ハーは「ハー家の息子のジュダ」となります。ビンはベンの別発音・同義語です。宜しくお願いします。小説を読んだら修正願います。--大河ゆい(会話) 2020年7月26日 (日) 16:15 (UTC)
- ストーリーに「疑問点」のテンプレートをつけ[1]、「登場人物」節を復活させました[2]。--Jgmo30(会話) 2020年7月30日 (木) 21:53 (UTC)
引用なら出典記述を
[編集]「山ちゃんの徒然日記」に同文が記載。2013年記述のようです。このページの文はこの7年前のブログ作成者からの出典が示されておらず著作権の侵害に当たる行為がなされている可能性があります。--大河ゆい(会話) 2020年7月27日 (月) 19:34 (UTC)
- この記事の2007年の時点の版ですでに似た記述があります[3]。「山ちゃんの徒然日記(2013年10月12日)」の方が後で、Wikipepediaの記事が先と思われます。私は「山ちゃんの徒然日記」に連絡しませんが、もし問い合わせするならば「引用(ベン・ハー)」や「Wikipedia:クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植」「Creative Commons — 表示 - 継承 3.0 非移植 — CC BY-SA 3.0」を踏まえてくださるようお願いします。--Jgmo30(会話) 2020年7月30日 (木) 00:13 (UTC)
- 適切な情報提供本当に有難うございます。この件の確認作業も私はしっかりやるべきでしたね。助かりました。ご指摘の件承知しました以後情報源についても公式なものを得るよう心がけます。内輪だけでなく外の情発信者へ啓発を促すことも大事ですね。感謝。それから私の削除された記事にも目を通して下さり感謝申し上げます。ひらに感謝。--大河ゆい(会話) 2020年7月31日 (金) 04:19 (UTC)