ノート:ホテルニュージャパン

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長すぎる注の転記[編集]

火災についての長々した注がありましたが、別にホテルニュージャパン火災があり、ほとんど重複した内容です。いちおうノートに転記しておきますが、いずれ削除したいと思います。 --忠太会話2015年12月14日 (月) 14:49 (UTC)[返信]

内装は防炎加工が全くされていない可燃材が用いられ(間仕切りや客室ドアは木製、絨毯・シーツ・カーテンは化繊が用いられていたため燃えた時に可燃性有毒ガスが発生)、煙を感知して自動的に閉まる仕組みの防火扉は絨毯に阻まれて閉まらなかった。また通常は24時間常時稼働しているはずの全館加湿装置が「電気代節約」を理由に止められていたためホテル内は静電気が発生するほどの異常乾燥状態となっており、さらに電気・上下水道・ガス・空調配管工事のため壁・天井・床に開けられた穴はきちんと埋め戻しされておらず、かつ間仕切りに用いられたコンクリートブロックも継ぎ目がモルタルできちんと埋められていなかったため隙間だらけだった。こうした数々の欠陥施工が炎の通り道を数多く生んで延焼を早め、33人もの宿泊客が犠牲となる大惨事を引き起こした。当時経営難で存続の危機に瀕していた「ホテルニュージャパン」を1979年に買収し社長兼オーナーになった横井英樹は、「儲け第一&徹底した経費削減主義」を貫いた。このため安全対策予算が削られ館内にスプリンクラーは設けられず、消防設備&館内緊急放送回路も故障したまま放置(国内で起きた火災史上最悪となる118人の犠牲者を出した「大阪千日デパート火災」を教訓として1974年に改正された消防法に基づき、東京消防庁麹町消防署より再三にわたり「館内防火管理体制を改善する」よう指導されていたが、横井は予算不足を理由に無視し続けていた。このため開業当初きちんと行われていた「専門業者による防災設備定期点検と故障箇所の修理・部品交換」は横井に買収されて以降全く行われなくなり、結局は防災設備の故障が長期間放置され今回の大火災発生に至った)。加えて人員削減により従業員&警備員は防災教育を殆ど受けておらず、屋内消火栓の使い方や非常ベルの鳴らし方を全く知らなかった。このため従業員は火災発生当時館内備え付け消火器で初期消火しようとしたものの、火の勢いが増したため初期消火を諦め、宿泊客を部屋に残したまま火災発生も周囲に知らせず真っ先にフロントへ戻った。その後も従業員は宿泊客の避難誘導を全くせず、大半は社長の横井と共に呆然と立ち尽くすのみだった。