ノート:ミゼレーレ (アレグリ)
この記事は英語版ウィキペディアのMiserere (Allegri)から翻訳された内容を含みます。(翻訳の版は42872539です。) |
記事名について
[編集]この記事は詩篇についての記事ではなく、アレグリの作曲した合唱曲についての記事ですから、記事名は各国語版に倣いミゼレーレ (アレグリ)とするべきではないでしょうか?--Gruppetto(会話) 2012年6月10日 (日) 12:50 (UTC)
- 仰る通り元は詩篇51であり、曲としてもアレグリだけでなくガエターノ・ドニゼッティ、ヘンリク・グレツキ、ヨハン・アドルフ・ハッセ、ジョスカン・デ・プレ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトなどが作曲しているので、作曲者名の括弧書きによる追記を支持します。ただ例えばミゼレーレ (アレグリの曲)のような他の記事名の余地はないのか、同類の記事との統一性を見なければイケナイでしょうね。--プリズム11(会話) 2012年6月10日 (日) 14:38 (UTC)
早速ノートにご意見をお寄せいただきまして、ありがたい限りです。改名に異論はございません。改名後のページ名ですが、「ミゼレーレ (アレグリの曲)」に一票を投じます。「春一番 (キャンディーズの曲)」も「~の曲」となっているので。クラシックと歌謡曲を同列に論じるなという部分はありますが……。--Isamit(会話) 2012年6月10日 (日) 14:46 (UTC)
ポップスの「春一番 (キャンディーズの曲)」とクラシックの当記事を同列に扱うのはどうかと思います。レクイエム (モーツァルト)、レクイエム (ヴェルディ)、スターバト・マーテル (ドヴォルザーク)、テ・デウム (ブルックナー)等と同様ジャンル名+作曲者とした方が良いと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2012年6月11日 (月) 02:42 (UTC)
クラシックでどうなっているか見てみました。Category:レクイエム、Category:スターバト・マーテル、Category:テ・デウム、アヴェ・マリア (グノー)など見る限りどうもGruppettoさんやLouis XXさんの仰る方式で統一されており、ミゼレーレ (アレグリ)が良さそうです。--プリズム11(会話) 2012年6月11日 (月) 03:02 (UTC)
クラシックの例がいろいろ挙げていただき、分かりやすいです。ありがとうございます。そういうことであれば、慣例に則り「ミゼレーレ (アレグリ)」でよいのではないでしょうか。--Isamit(会話) 2012年6月11日 (月) 03:25 (UTC)
改名先はミゼレーレ (アレグリ)にする方向で纏まったっため、改めて同記事への改名を提案します。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2012年6月11日 (月) 02:44 (UTC)
- 賛成 上記のように[[曲名 (作曲者)]]方式がWikipediaでクラシック曲の項目名決定の慣習になっていると思われる。--プリズム11(会話) 2012年6月11日 (月) 03:50 (UTC)
- 賛成 「ミゼレーレ (アレグリ)」への改名に賛成です。--Isamit(会話) 2012年6月11日 (月) 04:46 (UTC)
- 賛成 賛成です。--Gruppetto(会話) 2012年6月11日 (月) 05:36 (UTC)
- コメント 改名後はミゼレーレはミゼレーレ (アレグリ)へのリダイレクトではなく、他の作曲家のミゼレーレや詩篇第51篇についての記事が作成される可能性を考えて曖昧さ回避のページにしておくべきかと思います。--Gruppetto(会話) 2012年6月11日 (月) 15:19 (UTC)
- コメント 改名後の「ミゼレーレ」を曖昧さ回避のページにするご提案について、異論はございません。英語版(en:Miserere)もそのようになっておりました。--Isamit(会話) 2012年6月12日 (火) 02:39 (UTC)
- 報告 提案から1週間経過し、賛成意見のみだっため改名を行いました。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2012年6月18日 (月) 04:55 (UTC)
ミゼレーレ (アレグリ)の訳語について
[編集]本稿を英語版en:Miserere (Allegri)から翻訳したIsamitと申します。原文の“act”と“perform”をそれぞれ「演奏」と翻訳しておりましたが、ミゼレーレはア・カペラであり、楽器を使用しないことから、「演奏」では不自然ではないかと考え、「実演」という訳語に置換いたしました。先日、それはかえって不自然なのではないかというご指摘を頂戴いたしました。私としては、楽器を使用しない合唱曲なのですから、「演奏」のほうが(自分で翻訳しておきながらアレですが……。翻訳中はいっぱいいっぱいでした)違和感を感じます。つきましては、「演奏」や「実演」のほかに「歌唱」という訳語もよろしいかもしれませんが、それらのいずれがよいか、みなさまからのご意見をお伺いいたしたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。--Isamit(会話) 2012年10月26日 (金) 09:30 (UTC)
- 演奏の冒頭の定義文を見ますと、「演奏(えんそう)とは、音楽行為の中で、音を出す行為をいう。「奏」の文字はつくが、一般には楽器を奏するばかりでなく、歌を歌う行為も演奏に含まれる。」とあります。歌うのに「演奏」はおかしい、ということからかつては「演唱」なる言葉があったようですが、定着していないようです。私としては、オペラ、歌曲、合唱など声楽でも「演奏」という言葉を使うことに違和感はありません。例えば、東京混声合唱団の公式ページでも「定期演奏会」という言葉が使われています。こちらは古楽専門の団体の公式ページですが、やはり「演奏」という言葉が使われています。どうしても「演奏」に違和感がある、ということであれば、「『暗闇の朝課』の最初の読唱の終わりに歌われることを念頭に作曲した。」とする方法もあるとは思いますが、「『暗闇の朝課』の最初の読唱の終わりに歌唱されることを念頭に作曲した。」ではやはり文章として不自然だと思います。上記の二つのリンクの例から考えても、私は「演奏」で全く問題は無いと思います。--Gruppetto(会話) 2012年10月26日 (金) 11:43 (UTC)
- 今回、「演唱」という言葉があることを初めて知り、大変勉強になりました。「実演」や「歌唱」よりは「演唱」のほうが、より原文の意図するところに近しいのではないかと私は感じます。そもそも「実演」という言葉を選んだのは、著作権法第2条第1項第3号にその定義があったためでしたが、さすがに「実演」が日常的に用いられている言葉ではないという認識は持っておりました。私としては、原文を訳した者として、“act”や“perform”およびその前後の文脈を鑑みたうえで、「演唱」を訳語として推したいところです。しかしながら、日本の各合唱団の現行の慣例に則り、「演奏」を訳語として使用したほうがよりよい記事になると強くご主張なされます際は、強硬に反対するところではございません。いかがでしょうか。--Isamit(会話) 2012年10月26日 (金) 14:47 (UTC)
- 追記:著作権法第2条第1項第3号では、「演奏」と「歌」は別の行為であることを前提として、それらを総括する用語として「実演」が定義されております。--Isamit(会話) 2012年10月26日 (金) 14:51 (UTC)
- 合唱においては「演奏」は普通に使われる言葉であり、私は違和感はありません。むしろ「実演」は「見せる」意図や「定例ではない」ニュアンスがあり、違和感があります。なお、著作権法の記述は「演奏」と「歌」が別の言葉であることは前提としていますが、それらの意味が排他的であることまでは前提としていないのではないかと思います。法律では意味が重複する言葉を列挙することもよくありますので。
- もっとも「演奏」は楽器に限定とする気持ちもわかりますし、「最初の読唱の終わりに歌われることを念頭に作曲した」および「システィーナ礼拝堂以外の場所で採譜したり歌うことは」ではどうでしょうか。全体的に硬質な文章なのでここだけ変えると合わないかもしれませんが。
- やや余談ですが、合唱団では「身体が楽器だ」と言うこともあります。--アルビレオ(会話) 2012年10月26日 (金) 22:37 (UTC)
- 念のために調べてみましたが、演唱とは-Weblio辞書によれば、「演唱」は三省堂の大辞林にも載っている言葉なので、日本語として正しく存在している表現である事は確かです。ただ、「演唱」をGoogleで検索すると中国語のサイトや中国語圏関係のサイトばかりがヒットします。それだけ日本では定着していない表現なのだと言えそうです。とはいえ、私は「演唱」でも構いません。「演奏」「演唱」「歌う(歌われる)」のいずれかでよいと思います。--Gruppetto(会話) 2012年10月27日 (土) 07:43 (UTC)
- 原文では“act”と“perform”であり、前後の文脈を見ても、単なる行為として「歌う(歌われる)」わけではなく、聞き手を意識していることや、儀式の一環としての行為であることが(私としては)読み取れました。実際に、原文では“sing”という言葉は使われてはいませんでした。そのため、「歌う」にはやや抵抗があるのですが、他方では、日本語としてはごく自然な表現であるということはよく理解できます。私としては引き続き「演唱」を推しますが、「演奏」でも構わないのではないかというご意見が見られるに限り、それに強く反対するところではございません。記事をご覧になられる方々が、日本語として違和感を抱かなければ、それが一番ですので。
- なお、文章が全体的に硬質であるとのご指摘、確かにおおせのとおりでして、反省するところです。なるべく日本語として自然な表現となることを心がけたのですが、私自身、(単にこの曲が好きなだけで)楽理楽典を学んだことが一度もありません。そのため、「概要」の節の「ファルソボルドーネ」や、「来歴」の節の「二重合唱」、「多声音楽」、「古典様式」、「第一作法」、「属七の和音」、「交唱」などの専門用語が飛び交う箇所はまるで理解できませんでした。理解できないことを翻訳するというのは甚だ困難極まるものでして、結果的にあからさまな翻訳調の表現に辿り着いてしまったことを、忸怩たる思いでおります。自ら翻訳直後のテンプレートを貼りましたとおり、修正、加筆にご協力いただき、現在の表現をより分かりやすくしてくださる方を常に求めております。今後ともどうぞよろしくご指導くださいますよう、お願い申し上げます。--Isamit(会話) 2012年10月27日 (土) 09:22 (UTC)
- たまたま拝見したので、コメントします。該当箇所は「概要」節かと思うのですが、「演奏」でも「歌われる」でもかまわないと思います。すでにご指摘のとおり日本語の「演奏」は狭義では器楽対象ですが、広義では合唱を含めた舞台音楽全般について使われるので、「アカペラ演奏」などとしても問題ありません。「実演」は録音やセッションなどの用語との関係で出てくることが多いので、ここでは適当でないでしょう。「演唱」はあまり一般的でないのと、演技+歌唱の合成語のようなイメージがありますから、オペラの役柄などの性格表現(role)について用いるならよさそうですが、教会音楽の文脈にはそぐわないかもしれません。案外、教会用語で「演唱」といったりするかもしれないのでこれは個人的印象にとどまります。なお、perform と act の使い分けが意図的なものであるなら、例えば「歌われる」と「上演」のように変えてみてはいかがでしょう。
- ついでながら翻訳で読みにくいと感じたところをいくつか挙げさせていただきます。「概要」では「『暗闇の朝課』の最初の読唱の終わり」で、読唱とはなんぞや?というところで「最初の終わり」がくっついているので、そのあとにつづく「演奏」よりもむしろ違和感があります。この前後にも「最後」という言葉が使われており、どの時系列か混乱しやすいため、言い換えなどを検討していただけたらと思います。また、「バチカン宮殿から持ち出された楽曲」とはなんなのかわかりません。「来歴」では、3段目の文章がわかりづらいです。「バーニーの版は」で始まるため、バーニーの版についての記述かと思わされますが、内容的には装飾音が主題のようなので、文章の配列を工夫していただけたらと思います。--みっち(会話) 2012年10月29日 (月) 10:15 (UTC)
- ご意見を賜り、ありがとうございます。すでに述べておりますとおり「歌う(歌われる)」には抵抗がありますのと、「上演」では歌劇を(私だけかもしれませんが)惹起してしまいます。『ミゼレーレ』は、あくまでも礼拝堂で信仰対象に対し奉納する聖歌でありますため、みなさまがたが「演奏」でも構わないとのご意見であることも踏まえまして、当面は「演奏」のままというかたちでひとまず落ち着かせたく存じますが、いかがでしょうか。
- また、みっちさんのご指摘の「わかりづらさ」については、翻訳した私自身も実はよく分かっていないのであります……。お恥ずかしい限りで、慙愧の念に堪えません。「『暗闇の朝課』の最初の読唱の終わり」についてなのですが、翻訳前にインターネットで検索してみたものの、「暗闇の朝課」について詳しく述べているところが見つからず、「暗闇の朝課」は結局のところ具体的にどのようなことを執り行う儀式であるのかいまいち内容を理解できないまま翻訳を強行するという愚挙に及んでしまいましたことを、お詫び申し上げます。
- 「バチカン宮殿から持ち出された楽曲」は英語版原文の“The setting that escaped from the Vatican”を翻訳したのですが、言われてみれば原文では定冠詞“The”がついておりますため、原文の前の段落における“Allegri composed his setting of the Miserere”(直訳:アレグリはミゼレーレの音楽的設定を構築した)にかかっていることが読み取れますが、定冠詞の概念がない日本語では意味が通じなくなってしまっていることを理解いたしましたため、訳文を改めました。
- 「来歴」の3段目ですが、これはまさにバーニーの版が、そもそも装飾音を記譜されないまま出版され、広まってしまったということを指しております。わたくしのような素人の理解ではなかなか覚束ないところではありますが、おそらくモーツァルトは、『ミゼレーレ』を採譜した際に旋律のみを書き、装飾音は書かなかったのではないでしょうか。作曲された1630年はバロック音楽の初期で、モーツァルトが採譜した「バーニーの版」が出版された1771年は古典派音楽の初期ですから、音楽教育を受けていたモーツァルトは当然従来のバロック音楽に関する知識も持っていたのではないかと勝手に想像を逞しくしておりました。『ミゼレーレ』はそれまでずっと秘曲中の秘曲として守られていたため、モーツァルトがシスティーナ礼拝堂で耳にしたのは、古い様式が守られ続けた唱法だったのではないかと。バロック音楽の通奏低音は譜面に詳細を記譜しなかったらしいので、勝手な憶測ですが、モーツァルトもミゼレーレがバロック音楽の様式であることを鑑みて古式に則り、装飾音ともいうべきそれらの和音は採譜せず、旋律のみを採譜したということなのではないかと憶測するところであります。しかしながら、原文にそんなことは一言も書いていないのと、なにより出典がないので私の単なる想像を書くわけにもゆかず、なかなか時間が取れないためきちんとした出典を探すこともかなわず、私自身が楽理楽典どころか音楽史もろくに知らないありさまでありますため肝心のミゼレーレの譜面を読むことすらできず、「装飾音を含まない」のがどういうことなのか知るすべがないため、本文をこれ以上(少なくとも現時点において私は)改めようがないというのが実情なのであります……。どなたかのお手によります改稿を待ち望んでおりますとともに、私がこの先機会を得て出典を見つけた際は、それを明記して加筆してゆこうとは思っております。--Isamit(会話) 2012年10月30日 (火) 08:56 (UTC)
- この作品は時代的にはバロック時代の初期に書かれていますが、様式的には第一作法、つまり一時代前のルネサンス音楽の様式で書かれています。ですから通奏低音は用いられてはいません。通奏低音が付いたらそもそもアカペラではなくなってしまいます。また、通常、通奏低音の奏者が加える和音のことを「装飾音」とは呼ばないと思います。装飾音とはあくまでトリルやモルデントなど、旋律線を装飾するものです。
- 装飾音はバロック時代以前は楽譜にはあまり書かれず、演奏者が当時の習慣に基いて即興的に加えていったものですから、モーツァルトもその習慣に従って装飾音を加えずに採譜した、という事ではないでしょうか。J.S.バッハが当時としては珍しく楽譜に自ら装飾音を多く書き加えたので、演奏者の自由を奪っているなどと批判されたそうです。--Gruppetto(会話) 2012年10月30日 (火) 15:37 (UTC)
- この作品は時代的にはバロック時代の初期に書かれていますが、様式的には第一作法、つまり一時代前のルネサンス音楽の様式で書かれています。ですから通奏低音は用いられてはいません。通奏低音が付いたらそもそもアカペラではなくなってしまいます。また、通常、通奏低音の奏者が加える和音のことを「装飾音」とは呼ばないと思います。装飾音とはあくまでトリルやモルデントなど、旋律線を装飾するものです。
伝承について
[編集]この記事は英語版からの翻訳のようですが、現在の英語版では大幅に記述が変わっており、システィーナ修道院以外に持ち出すことを破門にしたとか、モーツァルトからバーニーを経由して初めて楽譜が外に出た、というのはいずれも史実ではないとしています。詳しい話は例えば以下に見えています。
ミゼレーレがすでに1730年代にロンドンで演奏されていたこと、モーツァルトはイタリア旅行以前にロンドンでこの曲を聴いていただろうこと、モーツァルト以前に多くの譜面が出回っていたことはこの論文に見えます。
- Chrissochoidis, Ilias (2010). “London Mozartiana: Wolfgang's disputed age & early performances of Allegri's Miserere”. The Musical Times 151 (1911): 83-89. JSTOR 20721620.
最新の英語版を翻訳しなおした方がいいのではないでしょうか。--Pekanpe(会話) 2024年7月21日 (日) 08:49 (UTC)