ノート:ムーミンまんがシリーズ
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改名提案
[編集]- : 中止2024年6月16日時点。改訂前に巻き戻し済み、各論は別スレッドにて協議願います(典拠の不足、統合か)。--Omotecho(会話) 2024年6月19日 (水) 08:17 (UTC)
- 強く反対 ウィキペディアは共同編集の場です。大きな改版(下記ご参照)をされましたが、参考文献欄の削除など#典拠のある記述を削除されながら編集要約欄に説明がないなど、何をどうされたいのか読み取れません。YukaSylvie さんは改名提案の先に、翻訳による加筆を意図されているのでしょうか?
- 提案 前提として、大幅な書き換えの前の版まで巻き戻しを提案します。その上で、日本の出版物を中心に据えた記事に国際的な視点から加筆するなら、そうされてはどうでしょうか。
- 理由
- 記事名を変えないままで成立します。
- 記事の趣旨は、特定の出版社のシリーズが核にあります。従って大幅な書き換えにより、筑摩書房のシリーズ名に変える根拠になりません。
- 経緯
- この記事は2012年12月17日時点の初版から、2021-11-29T04:20:58(UTC)時点における Sorafumi さんによる版の記述まで、日本の翻訳版を主題にしたと示してあります。
- YukaSylvieさんの改版を受けて記事の趣旨が変わりました。日本の出版物ではなく、ヤンソン姉弟の執筆活動に重心を移した印象があります。
- 直近の改版(6/14-6/16)
- 2024-06-14T10:00:17(UTC)時点の版で除去 13,348バイト −418 →外部リンク
- 2024-06-14T10:02:35(UTC)時点の版で加筆 18,188バイト +4,840 編集の要約なし
- 100720662 番、2024-06-14T10:04:07(UTC) 16,736バイト −1,452 →参考文献
- 100745229 番、2024-06-16T09:25:43(UTC) 12,513バイト −4,079 編集の要約なし
- 100745297 番、改名提案の告知。
- 他言語版から取り込めそうな内容
- もし、新聞まんがと日本で出版された各社の版が全く同じ構成かどうか比べる場合。機械翻訳に頼りますが、スウェーデン語版の記事の目次(構成)は以下のようです。
- Muminserien (2023-08-30T03:34:20時点におけるZeck さんによる版による)
- Den första muminserien — 最初のムーミンシリーズ
- Dagsstrippsserien — 新聞のコマ漫画シリーズ
- Barnserien — 児童書シリーズ(1990年代)
- Lista över de ursprungliga serierna — 原作シリーズ一覧
0. Mumintrollet och jordens undergång(Tove)、1947–48年
73. Mumin och de tio sparbössorna(Lars)、1975年。 - Referenser — 参考文献
- Muminserien (2023-08-30T03:34:20時点におけるZeck さんによる版による)
- 合意をとる点から始めませんか?--Omotecho(会話) 2024年6月17日 (月) 00:24 (UTC)
- ムーミンの漫画それ自体がムーミン#ムーミン・シリーズ (原作)にて扱われているのを私は見落とし、漫画そのものを扱う記事にしようとこの記事に大幅な変更を加えました。
- 提案 版を巻き戻した上で、各話一覧と書誌情報をムーミン#ムーミン・シリーズ (原作)に移動させることを提案します。また、ウィキデータのムーミンまんがシリーズ (Q2917633)における他の言語の記事は、特定の翻訳ではなくシリーズそのものを扱っているようです。ウィキデータで新しい項目を作ってこの記事を移動するべきでしょうか。 --YukaSylvie(会話) 2024年6月17日 (月) 01:14 (UTC)
- 改名のご提案は取り下げですか?
- 賛成 ページの巻き戻し。その後の協議は改めて始めましょう。複数の検討課題があるようですから。
- ご参考まで、差し戻しの方法です。
- --Omotecho(会話) 2024年6月18日 (火) 07:01 (UTC)
- 改名の件は一旦保留にします。--YukaSylvie(会話) 2024年6月18日 (火) 08:16 (UTC)
- 差し戻し済み= 2024-06-14T10:00:17(UTC)時点における版の直前まで。
- 記事冒頭に案内を載せました(テンプレート:{{Otheruses}})
- 別スレッドで同じ提案者さんが統合の可能性を考えたい由です。
- 中止 ここで改名の協議はおしまいにしてはどうですか。別スレッドで同じ提案者さんが「独立記事」すなわち統合の可否を定義されています。--Omotecho(会話) 2024年6月18日 (火) 11:32 (UTC)
- はい。中止します。--YukaSylvie(会話) 2024年6月18日 (火) 21:29 (UTC)
- 改名の件は一旦保留にします。--YukaSylvie(会話) 2024年6月18日 (火) 08:16 (UTC)
参考文献
[編集]『ムーミン・コミックス』第14巻(筑摩書房、2001年)の訳者あとがき(78頁)には、「さて、コミックス版ムーミンは、これまでに2度邦訳されています。まず講談社(1969-1970年)から、つぎにベネッセ(1991-1993年)から、その一部が出版されました。どちらも英語版にもとづき、それぞれ2度のアニメ版のTV放映と前後して刊行されています。ただし現在では、両方とも絶版で、手にいれるのはむずかしい状態です。今回の新訳シリーズは、ヤンソン姉弟の母語であるスウェーデン語から訳し、トーベの描いた作品は残らず21話を、ラルスの作品全52話からは21話を厳選し、あわせて42話を収録しました。」とあります。『ムーミンまんがシリーズ』をまだ確認していないので、「最初のアニメ化に関して製作者側がヤンソンに許諾を取った」という記述の根拠をまだ見つけられていません。--YukaSylvie(会話) 2024年6月17日 (月) 07:41 (UTC)
- 「(ラルスが漫画の)制作そのものを引き継ぐ契機は母のシグネに「新聞漫画は今後ラルスが書きなさい」と言われたことだという。」という記述の根拠もまた確認できていません。--YukaSylvie(会話) 2024年6月18日 (火) 08:28 (UTC)
独立記事作成の目安
[編集]ムーミンの新聞漫画の一つの翻訳である『ムーミンまんがシリーズ』がWikipedia:独立記事作成の目安を満たしているかどうか、私はいささか疑問に思いますが、いかがでしょうか。--YukaSylvie(会話) 2024年6月18日 (火) 08:20 (UTC)
- コメント おっしゃる通り、ムーミンの記事に漫画3種のおおまかな紹介がすでにあります。では、「ムーミン」の記事に記事を統合し、3社3様の特徴として加筆することはできそうでしょうか。問題は信用できる出典? その先の課題として、読んでみたいこともあります。
- ヤンソンの発想がどの様に映像化されたか、メディアをまたいで発展したか、全体像を1箇所で読めたらありがたい。
- 検証可能性:この記事はYukaSulvieさんの別スレッドのご指摘によると、独立記事として典拠が手当てできていない・できないのでは?(「#参考文献」)
- 原作の新聞漫画を軸にして、合計3社のシリーズを対比できないか。← 英語版、ドイツ語版他が参考になるかも。
- --Omotecho(会話) 2024年6月19日 (水) 09:02 (UTC)
- 第一、第二の件につきましては、
- 『ムーミンとトーベ・ヤンソン 自由を愛した芸術家、その仕事と人生』(ポール・グラヴェット 著、森下圭子 日本語版監訳、安江幸子 訳、河出書房新社、2022年)67頁で、「1957年4月、13話目の物語が終わる頃には900回連続のコミックスがトーベの手元にありました。次の14話目にあたる『黄金のしっぽ』を限りに連載を止めるつもりでしたが、それでは2年残して契約を破ることになります。そこでトーベが書くスウェーデン語のセリフを長年翻訳していた弟ラルスが、新たな14話『タイムマシンでワイルドウエスト』を姉といっしょに作ってみることにします。そこからラルスは7話分、姉のためにストーリーを作りました。初めの4話には「ヤンソン」と署名を入れ、残り3話は署名なし。これで21話、連載は1,584回になりました。トーベの手からコミックスが離れるのは1959年7月ですが、実際の掲載は1960年元日付の新聞で、トーベの最終回は特別な告知もなく掲載されました。(中略)契約では、連載を継続させる場合、トーベの後任者に誰を採用するかはAN社の自由裁量で決めていいことになっており、実際に漫画家のジョン・ジェンセンがいくつかサンプル画を描いています。ただ姉のスタイルをじゅうぶんにマスターしていたラルスが適任者として、最終的には家族内で引き継がれることになりました。ラルスが自分のフルネームを署名したのは1960年1月2日から、そこから1975年4月16日まで一人で連載を続けました。彼が手がけた数は、実際に掲載されたトーベのコミックスの3倍以上にもなりました。」。同書87頁で、「(1969年に)ムーミンは初めてアニメ化され、日本でテレビ放送されることになります。このシリーズは大ヒットしますが、実はトーベ側の最終チェックを受けずに放送されており、制作した日本以外での放送も許可されていませんでした。」と記述されています。
- 『ムーミンとトーベ・ヤンソン』(実業之日本社、2015年)37頁には、「ムーミン関連の仕事に疲れ果てていたトーベは仕事の負荷を軽減するため、1950年代の終盤にはムーミン・コミックスの原案作りを弟のラルス・ヤンソンに任せるようになりました。ラルスはそれまでに小説を7作品発表し、住居や農園専門の航空写真家としての仕事も持っていましたが、やがてはコミックスの作画の仕事もそっくり姉から引き継ぐことになります。じつはトーベがコミックスをやめたいと宣言するまでラルス自身は絵やイラストを描く経験がなく、その後のラルスの活躍は驚異的といえました。彼はひと月ほどトーベから絵の手ほどきを受けると、その後15年にもわたってムーミン・コミックスの執筆を続けたのです。1960年にはラルスが一人ですべてを手がけたムーミン・コミックスが日刊紙でデビューを飾りました。最後のムーミン・コミックスのエピソードが発表されたのは1974年の秋。最後のムーミン本の出版とともに、ムーミン・コミックスも終わりを迎えました。」と記述されています。
- 第三の件につきましては、ムーミンの記事で新聞漫画の各話リストを作り、講談社、福武書店、筑摩書房での日本語題を併記するのはいかがでしょうか。筑摩書房の『ムーミン・コミックス』(2000年 - 2001年)には各話の日本語題とスウェーデン語題が併記されており、第14巻(2001年)の巻末では発表年も書かれています。--YukaSylvie(会話) 2024年6月19日 (水) 22:11 (UTC)
- 第一、第二の件につきましては、