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ノート:下関駅

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火事の件について毎日新聞からそのまま引用していたので削除しました。--Unic 2006年1月6日 (金) 18:51 (UTC)[返信]

削除依頼提出

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Wikipedia:削除依頼/下関駅 --220.221.205.72 2006年1月7日 (土) 04:35 (UTC)[返信]

本文に{{copyright}}を掲載してください

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コピペであることが確かなため、いったん保護を解除して{{copyright}}テンプレートを貼り付けてください。{{copyright}}のテンプレートをを貼り付けたら、再び保護をしてください。緊急のことなので、実行してください。--みーたのメトロ。 2006年1月8日 (日) 09:10 (UTC)[返信]

Template:copyright の貼り付け依頼。--みーたのメトロ。 2006年1月8日 (日) 09:06 (UTC)[返信]

三角屋根

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少なくとも、国立駅には三角屋根(1926年築造)が残っています。ニュースサイトなどで「現存する三角屋根の駅舎としては最古で唯一」などの記述がありましたが、下関駅の駅舎は1942年築造で、最古でも唯一でもありません。何か付帯条件があるでしょうか(木造で最古、唯一、とか)。--Tamago915 2006年1月14日 (土) 15:41 (UTC)[返信]

「駅周辺」の整理

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最近「駅周辺」の記事の施設紹介記事がゴチャゴチャしてきたので、少し整理しました。施設自体の除去はなるべく避けるようにしましたが、主なポイントは以下の通りです。

  1. 金融機関を中心に、「本店」、「下関支店」の語を省略、カテゴリーでまとめる。(すべて記載せずに「など」書き。)
  2. 在県民放3社の支社は駅周辺を象徴する独自ビルもないのでカットし、ほか報道機関と一まとめに。(ただしNHK下関支局のみ独立記事があったので残す)
  3. 短大・高校は通学区域が広く下関駅(鉄道・バス)を利用して通学する生徒が多いと推測できるので残す。一方、小中学校は、通学区域が限定されているうえ、30万(弱)都市の中心駅の周辺施設として記載するには情報が細かいかなーと思いカット。(小さい駅・郊外駅ならまだありかなー、と思います。)

まだ改善の余地がありますが、以前よりはすっきりしたと思います。でも、前書きを加筆したのでボリューム自体は大幅に増えてしまいました。--Wiki708 2008年3月6日 (木) 15:49 (UTC)[返信]

前書きの加筆など、かなり百科事典らしくなったと思いますが、いくつか質問を。
  1. 下関駅周辺が「西部地区」と呼ばれているのは寡聞にして知らなかった…というより、旧市内を東西南北に区分すると西になるので便宜的に呼んでいるだけではないのか?敢えて言うなら「竹崎町」(駅の所在地)「豊前田」(隣接地にして下関市最大の歓楽街)あたりが妥当ではないか、と。
  2. 下関駅周辺とは独立した街区を構成していると思われる唐戸地区まで「下関駅周辺」に含めるのはエリアが広くないか?東側は細江町・岬之町あたりまでがぎりぎりではないか。
  3. カテゴリ別の分類もありだろうとは思われるが、例えば「海峡メッセ」と「海峡ゆめタワー」「NHK下関支局」「ワイエム証券」は同一施設内、「ハローデイ」「デオデオ」は隣接施設なので、前項のことを含めていっそのことエリア別の区分の方がいい様な気もするが。
質問と提案がごちゃごちゃになっていますが、ご一考のほどを。--Bsx 2008年3月6日 (木) 16:20 (UTC)[返信]
    • ご質問にお答えします。
  1. 『西部(地区)』という名称については、下関市役所の事務処理上の区分として使用されている語句(本庁地区を東・西・中・北に区分)で、外部リンクとなっている「避難場所」のほか、市報など市発行刊行物にたびたび出てくる表現です。歴史的な経緯から説明すると、『下関市史』によれば、元来旧市内の中心部であった唐戸に対して、1910年に埋立が完成し新たに町が開けた三百目湾・細江湾・今浦湾・新地湾あたりを指すようで、『東部地区』の具体例として赤間町、西之端町、阿弥陀町、中之町、神宮司町、外浜町、唐戸町、東南部町、西南部町、田中町など(以上、現在存在しない町名あり)、『西部地区』の具体例としては観音崎町、岬之町、入江町、(西)細江町、竹崎町などが挙げられています。旧赤間関市域のうち市街地を『東部』と『西部』の二つに分け、旧赤間関市域のうち「関後地村」と呼ばれた市街地以外の地域+1921年に下関市に合併した生野村の南端を『中部』、生野村の大部分を『北部』と呼んだという経緯があるものと考えられます。なお、関連する施設名としては、公民館のほか下関警察署の西部交番もあります。
  2. 基本的に唐戸の施設を含まないようにしたのですが、下関市=山口県における金融機関の集積地というのが念頭にあって、金融機関だけは唐戸のものを含めました。
  3. 地域別にするか施設機能別にするかは迷いましたが、私自身こだわりはないです。いままでが施設機能別で整理されていたので、その体裁を変えなかったというのが本音です。ほかの記事との整合性を考えつつ、見易い状態で示せればどちらでもよいかと。
2・3については、下関駅周辺や唐戸の両方を含めた中心市街地の記述として下関市のほうに内容・体裁を移し、そのうえで下関駅#駅周辺 を再整理するというのもありなのかなとも考えてます。 --Wiki708 2008年3月7日 (金) 09:48 (UTC)[返信]

ホームの売店・蕎麦店が閉店

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見たまま情報で恐縮ですが、2010年2月17日に下関駅を利用したところ、2つのホームにある売店・蕎麦店(下関弁当)が全て閉店となり、設備の撤去をしていました。(乗換通路の売店は営業)

JR西日本のサイトからリンクされている情報では、まだ蕎麦店が残っているようになっており、検証可能性を満たすような資料は得ていませんが、駅弁に関しましても販売状況が異なっている可能性が考えられますので、参考までに記しておきます。どなたか検証可能な資料を得られた方がいらっしゃいましたら、確認・修正をお願いいたします。

個人的な感想ですが、ブルトレの廃止の影響が大きかったのですかね…。L25.203.l03.26 2010年2月20日 (土) 09:26 (UTC)[返信]

下関駅ホームに関しての考察

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下関駅は、現在の場所に代わっても昭和30年代までは、関門連絡船が就航しておりました。1番、2番ホームは関門連絡船ホームとして使用されていたものと思います。 5番ホームは、現在のように3番、4番線が山陽線下りホームでなく、山陰線の専用ホームでありました。幡生ー下関間は山陰線専用線路があり、山陰線の折り返し専用ホームとして4番ホームを欠く形で存在していたようです。幡生‐下関の山陰線専用線路が廃止され、3番線、4番線ホームを山陽線下りホームにした時、5番ホームは消滅したものと思います。昭和40年代4番ホームの欠けた部分は一部存在していたと記憶しています。 以上から番線に合わせたのではなく、元々存在したホームが消滅して欠番になったと考えるべきかと考えます。多くの欠番ホームには過去のいきさつがあるように思います。ただ検証可能な資料が手元になく皆様で論議していただければと思います。--以上の署名の無いコメントは、Kanmon会話投稿記録)さんが 2014年9月9日 (火) 01:39 (UTC) に投稿したものです(2001:268:C032:5523:D0E5:2CCF:9362:8B45 2020年3月6日 (金) 18:15 (UTC)による付記)。[返信]