ノート:久留島義太
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三大和算家について
[編集]立項時点からあった「関孝和・建部賢弘と共に三大和算家と称されている」という記載について。
和算に関する著書のある平山諦、小倉金之助、三上義夫は次のように述べており、彼らが「三大和算家」を選出するとすれば「関孝和・建部賢弘・久留島義太」にはならないようです。
- 平山諦「和算史上の四天王 ―― 関孝和、松永良弼、安島直円、和田寧 ――」(『和算の歴史 その本質と発展』 p. 76)
- 小倉金之助「実に安島直円こそは、関や建部と並んで、日本が持つ最大なる和算家の一人でした」(『日本の数学』P. 80)
- 三上義夫「関孝和と安島直円とが和算の全歴史を通じての、⼆⼤焦点を成すとも考えられる」(『和算の社会的・芸術的特性について』〈⼋ 秘伝の公開〉)
立項時点の関連書籍に挙げられている鳴海風の『美しき魔方陣-久留島義太見参!』の解説を見ると「日本の数学は、関孝和とその弟子、建部賢弘、そして、久留島義太の三人できずきあげたといわれている」とあるのでこれが出典かと思いましたが、和算建設時代の上位3人に入ることと和算全史を通じての上位3人に入ることとは違うと思います。また、久留島義太が主人公の小説の解説における記載ですから、やや誇張が入っていてもおかしくなく、独立した二次資料、信頼できる情報源と言えるのかという問題もあったと思います。
そこでこの編集で三大和算家という記述を修正しました。--Hagurekusa(会話) 2024年11月8日 (金) 10:43 (UTC)
- 数学史の観点から三大和算家に入らないというという点と、それに基づく修正には同意します。
- 出典を探す気はないので予想の範疇を出ませんが、初版記事名から推測して久留島を三大和算家に入れるのは詰将棋界隈に起源があるのではないかと考えます。--PuzzleBachelor(会話) 2024年11月8日 (金) 16:56 (UTC)
- 「三大和算家」でネットを検索すると詰将棋関連のウェブサイトが多めにヒットする印象なので「三大和算家=関孝和・建部賢弘・久留島義太」という主張は詰将棋界隈で流布されている説なのだと私も想像します(日本将棋連盟の「第3回将棋文化検定模擬試験問題 Aコース(1、2級)」でも取り上げられています)。更に想像をふくらませると、この編集で出典としてあげた『日本数学史要』にある「関孝和・建部賢弘・久留島義太らから和算は流れ出た」というような言説が和算界隈の外に伝わるうちにいつしか「関孝和・建部賢弘・久留島義太が三大和算家」という言説に変容してしまったのではないかと思っています。
- 国立国会図書館デジタルコレクションを「三大和算家」で検索すると『理系への数学』32(1)(380)がヒットして「あの偉大な「三大和算家」とでもいうべき関孝和,建部賢弘,安島直円」という文章が出てきます。著者が誰なのか、和算に精通していそうかどうかまでは調べていませんが、この人は小倉金之助と同様の格付けを受け入れているようです。また、『詰むや詰まざるや 続』という本もヒットして、こちらは「和算の大家で、日本三大和算家(関孝和、建部賢弘と共に)の一人」という文章が出てきます。関孝和、建部賢弘のほかのもう一人が誰なのかは残念ながらウェブでは見れませんが、詰将棋の本なので久留島義太なのだと思います。
- 今のところ、和算に精通していそうな人が書いた文章で「三大和算家は関孝和・建部賢弘・久留島義太」と読めるものは見つけられていません。--Hagurekusa(会話) 2024年11月15日 (金) 10:49 (UTC)