ノート:享徳地震
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・十三湖に津波がきたことを記述した「古文書」は贋作(東日流外三郡誌について調べてみると良いでしょう) ・十三湊の発掘調査で津波の痕跡は全く無し ・十三湖はそもそも日本海側で、太平洋側の地震の根拠とはならず、記事の内容からすると載せるのが地理的に不適当 (津軽海峡を通っての影響はあるかもですが、十三湖のみの記録では太平洋側からのものと断定するのは無理、ゆえに不適当)
以上の3点の理由により十三湖の行を削除いたしました。--竹光(会話) 2012年3月12日 (月) 15:52 (UTC)
- 確かに日本海側の十三湖の記録を太平洋側の地震と結びつけるのは不自然かも知れません。信憑性の低い古文書も少なくなく、歴史地震の調査では複数の記録をつき合わせて検証するものですが、記録の乏しいこの時代ではそれさえ困難なのです。享徳地震(仮称)についてもその実態はほとんど判っていないのです。十三湖の記録が偽書であったとして、なぜわざわざ津波記録が掲載されていたのか、逆に興味がある処です。日本海中部地震や北海道南西沖地震のような地震が過去から繰り返されて来たことと無関係で無いかもしれません。
- 津波の痕跡ですが、堆積物を残すにはある程度以上の高さと流速が必要ですので、痕跡が発見されないから津波は存在しなかったと断定はできません。
- 十三湖の記事については私もかなり怪しいとは考えていましたので記事からの削除は妥当なところでしょう。--As6022014(会話) 2012年3月13日 (火) 00:42 (UTC)
- お返事ありがとうございます。ちなみに十三湊の発掘調査では、津波堆積物はもちろんのこと、津波で破壊されたと思われる建物の痕跡(津波の場合は同じ方向に柱が倒れた遺構ができます)も全くなかったそうです。--竹光(会話) 2012年5月2日 (水) 15:39 (UTC)
- 近年の研究では「興国元年の海嘯」の存在を否定する見解が多くなっているようですが[1] (PDF) 、以前論争は続いているようです。津波痕跡の調査もそうですが、実際には「存在しない」ことを証明するのは「する」ことを証明する以上に難しいものです。地震学者、宇佐美龍夫は『日本被害地震総覧』のなかで「偽書は多い、…私がもし偽書を作るならそこに記す天変地異の内容はできる限り正しいものを記すであろう。そうしなければ偽書である事がすくにバレてしまう」と述べています。ある目的のために作成された偽書に真実味を持たせるために、そのとき発生した天変地異を利用する可能性もあるというのです。--As6022014(会話) 2012年7月17日 (火) 03:31 (UTC)