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ノート:人間宣言/過去ログ1

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現代語訳掲載の是非について

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あえて「現代語訳」というものを掲載する必要はないと考えます。Wikipediaは「定訳」といったものを提供する場ではないでしょう。この「新日本建設に関する詔書」の意味を考える上では原文主義に徹し、軽々しい翻訳/現代語化は慎むべきだと考えます。(同様のノートを五箇条の御誓文でも出しました。あわせてご検討下さい)--にごう 2005年8月4日 (木) 07:38 (UTC)

というか、全文の現代語訳ならWikisourceのほうが適切です。--Aphaia 2005年8月4日 (木) 07:45 (UTC)
いまみてみましたが、原文と訳文をそれぞれ別ページ、または1ページにまとめてTranswikiするのがプロジェクト間の分担という見地からは適当なようにおもいます。--Aphaia 2005年8月4日 (木) 07:47 (UTC)
それは私の言わんとしているところと違います。このような微妙な政治的含意をもった政治的マニフェストを「現代語に翻訳する」という作業は、その翻訳者の解釈という形で中立性に乏しいものが入り込む可能性がある、ということです。Wikisourceが複数の「試訳」を並列に掲載できるならそれはそれでいいのですが。--にごう 2005年8月4日 (木) 07:56 (UTC)
POVを複数並べればNPOVになるというものではないですから、それはまずいんじゃないですか。いずれにせよ翻訳文全体を収録するというのはWPの領分じゃないですね。--Aphaia 2005年8月4日 (木) 08:51 (UTC)
「POVを複数並べればNPOVになるというものではない」でしょうけど、現状のように一つの訳文がある種のオーソリティーを与えられた(?)形で存在するのはもっと害悪が大きいと考えるのですが、Aphaiaさんはどうお考えですか? 「WPの領分じゃないですね」というのは、ここで問題となっている箇所に関しては削除すべし、ということでしょうか。それとも、私のkickoffに対して茶々を入れられただけでしょうか。--にごう 2005年8月4日 (木) 08:57 (UTC)
あいまいな表現で失礼しました。原文・翻訳文ともにWikisourceへ送った上で除去が妥当だという判断です。翻訳文については送らなくても構わないかもしれませんが。NPOV化というのは編集で対処すべきレベルの問題ですが、NPOVであろうとなかろうと全文をおくことはWPの目的にそぐわないという判断に基づいています。--Aphaia 2005年8月4日 (木) 09:00 (UTC)
IPユーザーの61.25.237.166さんによる現代語訳の補正がありました。もっともな補正と思いますが、この詔書には五箇条の御誓文の引用があり、五箇条の御誓文の方の現代語訳は注釈付きで複数の解釈の並記となっています。にもかかわらず、この項目では単一の論に拠った訳しかありません。現時点では少なくとも五箇条の御誓文の部分の訳は載せるべきでは無いと思います。その部分だけを削るのもバランスを書きますので、一度全文をコメントアウトにしておきます。Aphaia氏の「除去が妥当」という意見からだいぶ経ても反論が出ていないようでもありますので。--Kafuka1964 2007年5月12日 (土) 14:42 (UTC)

昭和天皇の記者会見の情報源について

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1977年8月23日の昭和天皇の記者会見について出典/情報源につて明記するよう投稿がありました。これに関してですが、77年8月24日の読売新聞と朝日新聞の報道では天皇の御発言に食い違いがあります。また、wikiに現状掲載されているものとも食い違いがあります。実際、昭和天皇が記者会見でどのような発言をされたのか、何か御存知でしたら提供ください。

■読売新聞1977年8月24日

――二十一年年頭に出された神格化否定の詔書について、ことし公開された日米の外交文書などで、GHQの草案があったとされていますが・・・・・・。

陛下 そういう問題については、今、批判的な意見を述べる時期ではないと思います。

――詔書のはじめに五箇條ノ御誓文を入れられたのは陛下ご自身のご希望でしょうか。

陛下 それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです。はじめの案では、五箇條ノ御誓文は日本人ならだれでも知っているので、あんまり詳しく入れる必要はないと思ったが、幣原総理を通じてマッカーサー元帥に示したところ、マ元帥が非常に称賛され、全文を発表してもらいたいと希望されたので、国民及び外国に示すことにしました。

■朝日新聞1977年8月24日

――「人間宣言」の冒頭に五箇条の御誓文を持ってこられたのは、陛下のご意思とうかがっておりますが。

陛下 あの宣言の第一の目的は御誓文でした。神格とかは二の問題でありました。当時、アメリカその他諸外国の勢力が強かったので、国民が圧倒される心配がありました。民主主義を採用されたのは、明治大帝のおぼしめしであり、それが五箇条の御誓文です。大帝が神に誓われたものであり、民主主義が輸入のものでないことを示す必要が大いにあったと思います。(はじめは)国民はだれでも知っていると思い、あんなに詳しく書く必要はないと思いました。当時の幣原喜重郎首相とも相談、同首相がGHQのマッカーサー最高司令官に示したら「こういう立派なものがあるとは」と感心、称賛され、全文を発表してもらいたい、との強い希望がありましたので、全文を示すことになったのです。あの詔勅は、日本の誇りを国民が忘れると具合が悪いと思いましたので、誇りを忘れさせないため、明治大帝の立派な考えを示すために発表しました。

■wikipedia2007年4月12日現在

神格は二の(次の)問題であり、日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあったことを示すためにあれを発表することを私は希望したのです。

--鹿九郎 2007年4月12日 (木) 00:42 (UTC)

暫定的に読売新聞の報道にもとづいた発言を、本文の方には掲載させていただきました。--鹿九郎 2007年4月16日 (月) 03:37 (UTC)

神道指令の記述について

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Kafuka1964さんにより、神道指令に関する記述が追記されてますが、その具体的内容というものは神道指令の項目に書いておけばいいことで、ここに引用する必要はないのではないでしょうか?GHQがこの詔書に関してどのような意図をもっていたにせよ、最終的な詔書理解はその原文とそこにこめられた大御心によらねばならないわけですし。--鹿九郎 2007年4月15日 (日) 12:50 (UTC)

少し削りましたが、全削除にはしませんでした。読者が歴史の流れを具体的に把握するために引用は必要であると考えたからです。
『ウィキペディア(Wikipedia)』における詔書解説は、歴史学における定説、一般論を最終的な目的としております。鹿九郎さんも添削に参加した現代語訳は原文の「も」を欠落させた不完全なものでした。履歴を見ると、過去には「も」を欠落させた原文があり、それをもとに現代語訳が作成されていました。このような資料の改竄・捏造は不思議と「天皇」・「神道」・「戦争」に関するブログ等にはよくあることですが、『ウィキペディア(Wikipedia)』における詔書解説は正しい「原文」に基づいてなされねばなりません。天皇の「大御心」にGHQに反抗して「現御神」であることを主張する意思があったのならば、それは新発見だと思いますので、『ウィキペディア(Wikipedia)』ではなく、学会誌等に投稿して下さい。すでにそういう学説があるのでしたら、その学者の名前、論文のタイトル、発表した本・雑誌のタイトル、発表年月、等の書誌をお示し下さい。お示しいただけない場合は削除させていただきます。--Kafuka1964 2007年4月15日 (日) 14:13 (UTC)
対応ありがとうございます。また、適当に僕の方で項目を整理しておきました。目につくところがありましたら、お手数ですが修正ください。あと、当方が記載しました私的疑義は削除し、大原康男氏の論文からの引用を掲載いたしました。著作権などに関しては当方はよく存じませんので、問題があるようでしたら訂正なり忠告なりよろしくお願いいたします。--鹿九郎 2007年4月16日 (月) 03:34 (UTC)

正式名称

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名称として「年頭、国運振興ノ詔書」が挙げられていますが、これは正式名称なのでしょうか。本文の最後の外部リンクにも挙げておきましたが、原本にも官報にもそのような名称はありません。「新日本建設に関する詔書」も「人間宣言」もあとから付けた名称であることは明らかなのですが、この詔書の正式名称の根拠をご存じの方がいらっしゃいましたらお教え下さい。--Kafuka1964 2007年4月16日 (月) 04:38 (UTC)

法令のうち自らの法文中に正式な「題名」を包含するものは当該題名をもって呼称されますが、告示(大半)や詔書のように固有の題名が付されないものの名称は官報では「件名」と呼ばれ、同日の目次や翌月以降に発行される官報目録に掲載されるため、当該告示・詔書等の掲載された頁に記載がなくても、それら目次・目録を参照すれば件名を確認することができます。ただし、これは現在の話。本件詔書が掲載された昭和21年当時は官報に目次の制度はなく、また、官報目録のほうも当時は件名の付け方に統一性がない(整合性のある件名の付け方になったのは昭和27年以降)であるため、仮に昭和21年1月分収録の官報目録を参照してもきっちりとした情報は得られないかも知れません。個人的には、まず、当時の官報目録で件名を調べ、その名付け方の形式が昭和27年以降現在まで続く整合性のある形式とたまたま同じであればそのままその件名を、もし違う場合は当該件名を昭和27年以降の形式に修正したものを百科事典で引用する件名とするのが妥当のように考えます。ちなみに件名というのは題名と異なり、正規の改正手続を経ずとも、片仮名の平仮名置換や、場合によっては件名の変更が認められています(平成15年5月1日に「勲章従軍記章制定ノ件」が「勲章制定ノ件」に半ば自動的に変えられた例などがあります。)。後日、気が向いたら図書館で当時の官報目録を確認したいと思います。
一応、日本国憲法施行後の官報を検索しましたが、本件詔書に言及した記録は1件だけでした。昭和51年11月4日付け官報資料版に「天皇陛下御在位五十年-記念式典と記念行事-」という当該式典・行事の概要等について説明した総理府の文書が掲載されており、その中で「新日本建設に関する詔書(いわゆる人間宣言)」という表記があります。同文書には他にも「改元の詔書」、「終戦の詔書」という記載があり、いずれも旧字体でなく新字体、片仮名でなく平仮名です。もっとも、官庁の広報資料での表記ですので、確たる根拠であると断言するまでには至らないと思います。--無言雀師 2007年4月16日 (月) 06:38 (UTC)
さっそくにご丁寧にありがとうございます。来月には国会に行く用事がありますので、自分でも調べてみます。--Kafuka1964 2007年4月17日 (火) 06:53 (UTC)
よく見たらウィキソースに「官報目録による」件名が用いられていました。「新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス国民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ」が当時の件名のようです。これを現行の方式の件名に補正するのは無理っぽいです。他の詔書・告示等で引用される機会があれば、はっきりするんですが・・・。--無言雀師 2007年4月17日 (火) 08:41 (UTC)
茂木貞純「「新日本建設に関する詔書」考」(2006年1月「國學院雑誌」)にも「元来詔勅には名題はないわけで、その内容から適切な呼称を与えられてきたのが実態」とありました。専門家がこの詔書について個別にこのように言っているので、もはや確認の必要は無いと判断します。それから、手元にある古い高校生向けの「日本史B用語集」(山川出版・2000年)には19種類の高校教科書での用例の統計があり、「人間宣言」は17種、「神格否定宣言」は14種、「新日本建設に関する詔書」は1種の教科書にあるとなってます。合計が19を超えるのは「人間宣言(神格否定宣言)」のように並記してあるものも含むからです。そこで、この項目は「人間宣言」への改名が必要と思われます。手続きがよく分からないのですが、詳しい方にお願いできればと思います。また、現在の高校教科書での扱いが分かる方(社会の先生・大学生・大学院生)に最新のデータもお願いしたいと思います。--Kafuka1964 2007年4月21日 (土) 06:18 (UTC)
高校教科書の用例が必ずしも適切であるとは言えないでしょう。この詔書の趣旨は、これから新日本の建設のために力をあわせて頑張ろうというものですから、現行の「新日本建設の詔書」がもっとも適切でしょう。「天皇の人間宣言」とするのは解釈の一つに過ぎないのですし。--鹿九郎 2007年4月21日 (土) 06:31 (UTC)
「趣旨は、これから新日本の建設のために力をあわせて頑張ろうというもの」というのもひとつの解釈ですね。『ウィキペディア(Wikipedia)』の中立的な観点に立つという約束にしたがうならば、最も普遍性のある項目名であるべきでしょう。読者は「人間宣言」の語の方を念頭に『ウィキペディア(Wikipedia)』を検索する場合が多いだろうと推測されます。リダイレクトにしておくのではなく、改名が適切な処置と考えます。--Kafuka1964 2007年4月21日 (土) 06:38 (UTC)
もっとも普遍的な名称というならば、「人間宣言」という呼称こそ忌むべきものでしょう。この詔書の一文を仮に天皇の人間宣言と解釈するとしても、それはあくまでも一文であって全体の趣旨とは言えません。昭和天皇も記者会見で「神格とかそういうことは二の問題でした」と発言されています。--鹿九郎 2007年4月21日 (土) 06:55 (UTC)
ここで言う「普遍的」というのは「忌む」か「好む」かという問題ではなく、歴史学や世間でどのように呼ばれていることが多いかということです。したがって、改名が適切な処置と考えます。--Kafuka1964 2007年4月21日 (土) 07:02 (UTC)
「歴史学や世間でどのように呼ばれていることが多いかということ」が「普遍的」という言葉の語義であるとは小生にはまったく考えられませんが。もしwikipediaの基本方針にそういう但し書きがあるならば、示していただけないでしょうか。--鹿九郎 2007年4月21日 (土) 07:25 (UTC)
wikipediaの基本方針にその文言はたぶん無いでしょう。「『ウィキペディア(Wikipedia)』の中立的な観点に立つという約束にしたがうならば」という論理的な帰結です。「普遍」の語義は『広辞苑』では「あまねくゆきわたること」とあります。「人間宣言」の名称の方が、歴史学や世間にあまねくゆきわたっている名称です。したがって、改名が適切な処置と考えます。--Kafuka1964 2007年4月21日 (土) 08:19 (UTC)
『ウィキペディア(Wikipedia)』のWikipedia:記事名の付け方に「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」とありました。したがって、改名が適切な処置と考えます。--Kafuka1964 2007年4月21日 (土) 08:44 (UTC)
それはこの記事を「公的文書」の記事と考えるか、「歴史的事件」の記事と考えるかで変わってくるでしょう。貴殿お示しの方針は後者の場合には当てはまりますが、前者の場合は同じページのもっと上の方にある「正式な名称を使うこと」が適用されるべきではないですか。いうなれば、この昭和21年元日の詔書を「兵庫県南部地震」と考えるか「阪神・淡路大震災」と考えるか、みたいなもんです。--無言雀師 2007年4月21日 (土) 09:28 (UTC)
「正式な名称を使うこと」が簡易に適用できれば良いのですが、「正式な名称」は無く、公的な件名としては「新日本建設に関する詔書」「人間宣言」の双方がある以上、歴史的事件の「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」を採用するべきでしょう。したがって、改名が適切な処置と考えます。--Kafuka1964 2007年4月21日 (土) 10:56 (UTC)
詔書全体のうちのたった一文を取り上げて、その解釈にもとづき詔書全体を「人間宣言」と呼称するのは中立的な観点から言って無理がある。問題の一文だけを取り上げて「人間宣言」とするならば、あるいは妥当かもしれませんが。--鹿九郎 2007年4月21日 (土) 12:33 (UTC)
それはあなたの主観的な判断です。あなたのその意見が歴史学や世間での普遍的な意見となっている場合には有効ですが、現時点では無効です。それから当方の調査で訂正があります。「日本史B用語集」(山川出版・2000年)の見出しは「人間宣言」ではなく、「天皇の人間宣言」でした。この手違いは手元に唯一ある山川出版の教科書の記述「天皇はみずから人間宣言を行って」(太字は原文)を見て勘違いしたものです。(このミスについては謝罪します。決して恣意的なものではありません。)したがって、国の検定済みの教科書の記述は「天皇の人間宣言」または「人間宣言」が圧倒的多数というデータとなります。ではどちらを採用すべきかと思い、図書館で百科事典・日本史事典を調べますと、「天皇人間宣言」が5つ、「天皇の人間宣言」が1つ、「人間宣言」が1つで、「新日本建設に関する詔書」は調査の範囲では皆無でした。したがって項目名は「天皇人間宣言」が最適と判断します。以下前掲のデータの内訳を示します。--Kafuka1964 2007年4月22日 (日) 03:35 (UTC)
「天皇人間宣言」……京大日本史辞典編纂委員会『新編日本史辞典』東京創元社1990年、『日本史大事典』平凡社1993年、『国史大辞典第9巻』吉川弘文館1988年、『日本大百科全書第16巻』小学館1994年、『世界大百科事典第19巻』平凡社1988年。
「天皇の人間宣言」……『日本史用語大事典』1995年。
「人間宣言」……『新版日本史辞典』角川書店1997年。--Kafuka1964 2007年4月22日 (日) 03:35 (UTC)
移動しました。単純な再移動は「履歴の不継承」となりますので、必要な場合は「改名」の手続きに従って行ってください。これ以上は水掛け論になりそうですので、上記の手続きにより広く意見を募ってください。--Kafuka1964 2007年4月22日 (日) 03:46 (UTC)
この詔書を客観的にみて「人間宣言」と呼称することが果たして正しいのでしょうか。繰り返しになってしまいますが、いわゆる「人間宣言」とされている部分は、この詔書の一文だけを取り上げてそう読んでるわけですよね。証書の命名法として明らかに正しくないと思われますが。戦後六十年たっても占領体制から抜け出しきれてない歴史学会や世間一般の認識にwikipediaが囚われる必要があるのかどうか、小生は疑問に感じます。--鹿九郎 2007年4月22日 (日) 12:11 (UTC)
「この詔書を客観的にみて「人間宣言」と呼称することが」wikipediaでは「正しい」と考えております。「歴史学会や世間一般の認識にwikipediaが」従わねばならないと考えます。wikipediaは最新の学説を主軸に置いて記述する最先端の場なのでしょうか。「歴史学会」が「戦後六十年たっても占領体制から抜け出しきれてない」というのが「歴史学会」の常識、あるいは歴史学会以外の社会科学に関する学会の常識と化しているならば従う必要は無い、と認識しております。「皇室を尊び、祖国日本を愛する日本男児。新日本建設に関する詔書をもって天皇の人間宣言とする、現代日本に蔓延った誤解と長年闘ってきた」鹿九郎氏にも、そのようなwikipediaの中立的な立場をどうかご理解いただきたいと思います。--Kafuka1964 2007年4月22日 (日) 13:41 (UTC)
現在の歴史学会の見解が常に客観的に中立的で正しいとは限りません。歴史学会の見解に寄りかかることなく、何がこの詔書の呼称として最も中立的であり相応しいのか、われわれ自身が判断するべきでしょう。貴殿は、詔書の一文だけを取り上げて全体の趣旨を無視した呼称が本当に中立的で相応しいとお考えなのですか?他人の見解ではなくあなた自身の考えをお聞かせくだされば幸いです。--鹿九郎 2007年4月23日 (月) 12:14 (UTC)
「現在の歴史学会の見解が常に客観的に中立的で正しいとは限りません。」としてこの詔書への歴史学における命名が間違っているというのはあなたの主観的な判断です。「歴史学会」が「戦後六十年たっても占領体制から抜け出しきれてない」というあなたの主張が「歴史学会」の常識、あるいは歴史学会以外の社会科学に関する学会の常識と化しているならば従う必要は無い、と認識しております。「皇室を尊び、祖国日本を愛する日本男児。新日本建設に関する詔書をもって天皇の人間宣言とする、現代日本に蔓延った誤解と長年闘ってきた」鹿九郎氏にもそのようなwikipediaの中立的な立場をどうかご理解いただきたいと思います。私の考えはこの詔書の命名は「『天皇人間宣言』が中立的で適当である」というものです。理由は説明しません。「ノート」は個人的な見解の主張・宣伝の場ではないからです。(後述参照)--Kafuka1964 2007年4月23日 (月) 14:40 (UTC)
詔書というのは、今風に言えば天皇陛下のお言葉です。背後でGHQや政府のさまざまな思惑があってこの詔書ができたのでしょうが、最終的には天皇の了承による御名御璽があって詔書は初めて詔書となるわけです。ですから、詔書の正式な命名はその詔書全体に込められた天皇の大御心をくんだものであるべきです。この詔書は正式な名称が定まってないとのことですが、wikipediaの項目名はできる限り正式な詔書の命名法に準ずるべきだと考えます。--鹿九郎 2007年4月22日 (日) 12:22 (UTC)
「正式な詔書の命名法」にしたがって、「新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス国民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ」(現時点で、最も正式名称らしきもの)という項目名にすることがもしも許されるならば私はその案に賛成しますが、貴君の言う「天皇の大御心」は私は超能力者ではないので、死者の思考を解釈することはできません。この問題を専門にしている学者の意見、すなわち「天皇人間宣言」という解釈にwikipediaは従うべきであると考えます。--Kafuka1964 2007年4月22日 (日) 13:41 (UTC)
昭和天皇はもうお亡くなりになってますが、その大御心のありようは、詔(記者会見などでの発言も含む)や大御歌、その他洩れ伝えられた逸話などなどによって知ることができます。さてこの詔書に関してですが、昭和天皇がこの詔書に「人間宣言」として御名御璽を押したとは思えません。一般の解釈どおり、あの一文を天皇が現御神であることの否定と理解するとしても、それは全体のうちの一文にしか過ぎません。詔書の全体は、あらゆる苦難を乗り越えて国民と共に新日本の建設に努力したい趣旨で貫かれています。中立を旨とするwikipediaの項目名も、一文をもってあたかもそれが全体であるかのように見る人が錯誤してしまうような呼称ではなく詔書全体の趣旨にのっとったものとするべきでしょう。--鹿九郎 2007年4月23日 (月) 12:14 (UTC)
「昭和天皇がこの詔書に「人間宣言」として御名御璽を押したとは思えません。」というのもあなたの個人的な見解です。「一般の解釈どおり、あの一文を天皇が現御神であることの否定と理解するとしても」という仮定表現は、あなたの認識が未だに古い大原説、すなわち天皇が現御神であることの否定ではない、という謬見に囚われ続けていることを示しています。「詔書の全体は、あらゆる苦難を乗り越えて国民と共に新日本の建設に努力したい趣旨で貫かれています。」というのもあなたの個人的な見解です。あなたは木下道雄『側近日誌』を読みましたか?広汎に文献を読みこなしている研究者は当然にこの文献も読んでいて、「詔(記者会見などでの発言も含む)や大御歌、その他洩れ伝えられた逸話などなど」も踏まえてこのGHQに押しつけられた詔書の核心を「天皇人間宣言」として捉えているのです。GHQの強制したものが何であったか、よくご自身でお調べ下さい。あなたのGHQ・米国完全無罪観を前提とした自虐的な論理展開は、歴史学でも世間でも認知されいる気配が無いように思われます。将来、「天皇が主体的に新日本建設に関する詔書を出したついでに人間宣言もした」というのが歴史学の定説にもしもなったなら、「新日本建設に関する詔書」という項目名も適当と考えます。また、「本文」には「人間宣言」以外の側面についての具体的な記述がほとんどありません。GHQを超えて天皇のこの詔勅が直接に日本の政策に及ぼした影響の研究は寡聞にして知りません。もしあれば、文献を挙げてご加筆下さい。天皇が個人的に、あるいはGHQに強制されて行った財産処理などの「政策」に類するものは前掲の日誌にありますが、それは詔書の効力ではありません。各種の文献もお読み下さい。--Kafuka1964 2007年4月23日 (月) 14:40 (UTC)

既に述べたように当方は「人間宣言」への改題に消極的ではあるけど「絶対反対」とまではいかないので、今回の貴殿の移動について改めてどこかに提訴めいたことをしたりはしませんが、苦言だけは呈します。貴殿のやり方は横暴であり、独断専行に過ぎます。当方のこの発言を読んだ方は当方に敵意を持つかも知れませんが敢えていいます。横暴です。改名タグも貼ってない、正式な改名提案もしていないうちに、また、異論を述べている者がいるのに、さらには、申し訳ないが、法令(ここでは詔書も含む)の名称(題名と件名)についての詳細な知識も(大変失礼な言い方になるが)持ち合わせておられないのに、教科書での使用例だけで一方的に論破した気になって、手順を踏まずに移動を強行された。何をそんなに急いでおられたのですか。まるで、明日地球が滅亡でもするかのような、慌てぶりのように拝察します。「履歴不継承」という言葉をご存じなら改名提案手順もご存じだったはず。大変失望しました。ただ冒頭に述べましたように、手順の差戻しなどは要求しません。うんざりです。--無言雀師 2007年4月22日 (日) 04:01 (UTC)

無言雀師氏もご指摘していますが、移動に関するコンセンサスが全く成立していない中での強引な移動だったため一旦差し戻しました。移動したい方はWikipedia:ページ名の変更に従って行うべきです。--コシ 2007年4月22日 (日) 04:10 (UTC)
「教科書での使用例だけで」はありません。図書館で百科事典・日本史事典を調べますと、「天皇人間宣言」が5つ、「天皇の人間宣言」が1つ、「人間宣言」が1つで、「新日本建設に関する詔書」は調査の範囲では皆無でした。したがって項目名は「天皇人間宣言」が最適と判断します。以下前掲のデータの内訳を示します。
「天皇人間宣言」……京大日本史辞典編纂委員会『新編日本史辞典』東京創元社1990年、『日本史大事典』平凡社1993年、『国史大辞典第9巻』吉川弘文館1988年、『日本大百科全書第16巻』小学館1994年、『世界大百科事典第19巻』平凡社1988年。
「天皇の人間宣言」……『日本史用語大事典』1995年。
「人間宣言」……『新版日本史辞典』角川書店1997年。
データを示しておけば議論を要しないほどの単純な移動と判断したものです。この項目は左右の両翼でウオッチ・リストに入れている人も多いと思いますので、上記の議論・データをご熟読の上、意見を述べてください。これ以上は水掛け論になりそうです。--Kafuka1964 2007年4月22日 (日) 04:30 (UTC)
少し分野は違うが、また手前味噌になるが「国事行為臨時代行」(制度・事象)と「国事行為の臨時代行に関する法律」(根拠法)のように記事が二分化されている例があるので例として引用する。本件の記事の内容が前者のようにこの詔書のみならずその背景・周辺も含めた広汎なものであるなら、これは歴史的な事象の記事として「人間宣言」の記事名も十分ありと思う。というより、事象(歴史的事件)として「○○に関する詔書」のような記事項目名はむしろ不向き。詔書の正式名称に必ずしもこだわる必要はなく、マスコミ・教科書等での使用例ももちろん考慮対象となる。一方、この記事を後者のようにやや範囲の狭い法令(公文書)の記事として捉えるなら、人間宣言の優位性は怪しくなる。もしかすると、「人間宣言」と「○○詔書」のように記事を二つに分けたほうがいいのかも知れない。ただ、詔書は法律と異なり後々改正などがなされない(解釈が変わったり新たな法文が加除されることもない)ため記事の発展性がなく、既に存在しているウィキソースのもので十分とも考えられる。(1)この記事を前者のように歴史的事件の記事扱いとする。(2)記事名に人間宣言を用いたのは歴史的事件の名称としてマスコミなど社会一般で慣用されたものを採用しただけで、官報など公文書の制度から見ると必ずしも法的な優位性があるわけではない。--ということが明確に本文で反映されるようなら、当方は記事名への人間宣言(天皇の人間宣言)の採用には反対しない。--無言雀師 2007年4月22日 (日) 04:56 (UTC)
「官報など公文書の制度から見ると必ずしも法的な優位性があるわけではない……」という点を本文に入れて見ました。--Kafuka1964 2007年4月22日 (日) 05:08 (UTC)
もう少し落ち着いてください。なぜ貴殿はノートで議論中の叩き台的な文案、それもご自身の発言でなく他者(当方)の発言をすぐ本文のほうへ加筆するのですか。もし、「誰が見ても明らかな誤植とか言い間違い」が記事本文にあれば、ノートでの提案と同時に(あるいはノート省略で直接本文を)当方自ら加筆修正しますよ。それを当方が控えているのは何故か。まだ結論の出ていない議論中におけるノート発言で、しかも当方自身としても「100%完璧な文案とは言い切れないな。これから第3者、第4者からの異論が出るかもしれないしな」と考えているからです。議論が落ち着いて、方向性が決まって、さらに文案を練った上で(場合により他者のご意見も取り入れて)よりよい形で加筆しようと思っているからです。当方が何か提案する度に、それを即座に本文に(しかも申し訳ないが微妙にニュアンスが変わってしまっている状態で)反映されるのは、正直ありがた迷惑な感じがします。当方がよかれと思って発言した文案を本文に速攻で書かれることで「貴殿に一部評価された、光栄です、我が意が通って、論破できて満足です」ではないのです。こちらは他の皆様の厳しい御高覧を経てからと思っているのに速攻で本文に持っていかれるとこちらの立つ瀬がありません。とにかく、落ち着いてください。あと、改名手順ですが、少なくとも4月中の移動には反対します。仕事でなかなか議論に参加できない人、図書館などに行く暇のない人など様々な方がおられます。あまり異論のなさそうな改名提案(明確な法的根拠があるような移動事案)であれば5日間待ち程度でいいでしょうが、本件は既に前段階で結構もめていますから、最低でも10日間(できれば同一曜日を2回経過させるため14日間)は意見表明待ちに充てるべきと考えます。あくまで希望ですが。--無言雀師 2007年4月22日 (日) 06:13 (UTC)
水掛け論ではなく、きちんと意見が出ると期待して待つことにいたしましょう。それから、別に勝敗で執筆参加しているのでもありません。それは本文の履歴を辿っていただければわかるでしょう。当方と対立する意見でも、たとえば大原説も書き込まれたものを整理して処理しています。(後で否定しましたが)。外部リンクに公文書館の「新日本建設に関する詔書」を入れたのも私です。
加筆に対しての貴君の慎重な姿勢には感服しますが、それは「保護」の状態にあるような場合と思います。私は私の「文章が他人によって自由に編集・配布されることを」否定しておりません。『ウィキペディア』は常に未完成である点に利点もあるのであって、加筆・修正等は興味のある事項については積極的に行っておりますが、私の書いたものが決定稿であるとは思っておりません。--Kafuka1964 2007年4月22日 (日) 07:37 (UTC)
GFDLは完全無条件に万民への転用を認めたものではないでしょう。転用時にはその参照元(つまりウィキペディアの記事からの引用であること)を明示して引用する限りにおいて自由な転載が許される。同じウィキペディア内であっても、いわゆるコピペ移動が認められない(削除となる)のは、あの方法では履歴継承がなされず、移動前の元記事名において先人達が色々と編集してきた事実(履歴)が、移動先で全部帳消しになってしまいあたかもコピペ移動をした人間が一から書き上げたようになる、つまり文責(俗物的に言えば手柄)の横取りになってしまうからです。「ノートで他者が発言したことを別の人が勝手に本文へ反映させるのはダメ」など分からず屋なことは言いません。が、せめて議論中は控える、あるいは発言者が「誰か代わりに推敲して本文へ加筆お願いします」などと文責放棄を表明するまでは本文への適用を控えるべきじゃないですか。最大限譲って、どうしても即座にその他者意見を本文に反映させたいなら、本文編集投稿時の要約欄に単に「ノート参照」とするのではなく「ノートの○○氏の発言を参考に加筆修正」などとすることで、その加筆修正の情報元が別に存在することを明示すべきじゃないですか。誰でも気づきそうな些細な修正指摘ならともかく、議論前にご自身がお持ちでなかった知識・情報について他者からなされた指摘を、あたかも貴殿が自分自身で気づき、調べ、大きく成長して自力で加筆したかのようにするのは、(貴殿がわざとそのようにしているわけではないことは分かっていますが)正直コピペ移動における文責横取りと変わらないと思います。ケンカ・罵倒等々の醜悪な論争も散見されるネットにあって貴殿の「聞く耳をもって即座に対応する」その柔軟な態度は本来誠に潔く賞賛に値しますが、一方で、発言・指摘した側の立場・思惑もあるという点に配慮いただけませんか。--無言雀師 2007年4月22日 (日) 13:57 (UTC)
当初はどうしてご本人がお書きにならないのだろうと不思議に思っておりましたが、当方の配慮不足でした。謝罪いたします。さて、当方で該当部分を削除すべきでしょうか。それも安易、あるいは拙速のように思われ、ためらっております。現時点で貴君が最善と思われる表現に推敲していただければありがたいのですが、貴君の方で削除していただいてもかまいません。--Kafuka1964 2007年4月22日 (日) 14:16 (UTC)
既になされた分(少なくとも当方の発言に関する部分)については遡及して何らかの措置をいただく必要はありませんしそのような要求もしません。発言のたびに逐次採用されてびっくりした(発言しづらくなった)というのが本旨ですので、貴殿にご理解いただき今後の発言に躊躇しなくてすむようになった、それで十分であります。--無言雀師 2007年4月22日 (日) 15:28 (UTC)

改名提案の告知ではここで議論するよう誘導されていたので、ここに書きます。「新日本建設に関する詔書」から「人間宣言」、「天皇の人間宣言」、「天皇人間宣言」のいずれかへ改名という主旨でよろしいですか。私は反対です。現状のままが一番座りが良いと思います。--MikeAz800o 2007年4月22日 (日) 09:40 (UTC)

現在、「ページ 新日本建設に関する詔書 は 天皇人間宣言 にページ名を変更し、移動することが提案されています。」。「新日本建設に関する詔書」の方が「一番座りが良い」という理由での変更反対意見として認識いたします。--Kafuka1964 2007年4月22日 (日) 10:34 (UTC)

上記、他案を排するものではありません。また、項目分割案を排するものでもありません。分割案はどちらかといえば賛成です。人間宣言以外の部分について述べられている部分をこちらに残し、人間宣言について主として解説している部分だけを移動する、というのは賛成します。「人間宣言」の項目をこの詔書の中から特化して書き直すよりは楽ですから。--Kafuka1964 2007年4月22日 (日) 13:41 (UTC)

天皇人間宣言への改名に賛成です。数週間前に人間宣言で検索してここにたどり着きました。そのときと記述がずいぶんと変わっているのでびっくりしました。そのときは人間宣言の正式名称が「新日本建設に関する詔書」なのだと誤解してしまいましたが、今回、読み直してよくわかりました。今の項目名は変です。ウキペディアは右翼の圧力に負けてはいけないと思います。多くの歴史辞典や教科書が天皇人間宣言にしているんだから、そうした方がいいと思います。--150.7.2.208 2007年4月24日 (火) 05:02 (UTC)

天皇人間宣言に改名すべき。理由は前の人に同じ。それから冒頭のGODは無関係なので削除。新しい歴史教科書を捏造する怪の「国民の歴×」の受け売りだろうが、この詔書にその議論はない。あるなら出典を示すべし。本文の最後についているリンク先の英訳を見よ。きちんとdivineと書かれている。GODは無関係。マッカーサーはともかく、GHQは終戦前から日本研究をきちんとしていた者をブレーンに入れている。右翼への対応が面倒なので、ログインせずに投稿。--219.118.179.33 2007年4月25日 (水) 08:38 (UTC)

××院の所蔵資料については改名の後、あるいは「天皇人間宣言」の項の独立後に専門家の公開された見解を入れて紹介の予定です。関係本文を調整します。--Kafuka1964 2007年4月26日 (木) 01:22 (UTC)
これは生まれ育った時代・世代により感じ方が違うのかもしれないが、「天皇人間宣言」よりは「人間宣言」のほうが慣用が多いように思う。検索するときの利便性でもそうではないだろうか。他にも人間宣言をした生命体(妖怪人間ベムとか)が実在するなら区別する必要もあるだろうが、実のところわざわざ「天皇」を冠する必要はあるのだろうか。教科書や紙の事典での使用例は、あくまでその書籍としての文中の体裁(章節名として掲げられているのかそれとも文中で言及されているのか等々)でも状況が変わる(つまり書籍中で登場する際の位置・前後関係の影響で「天皇」と冠している可能性もある)と思われるので、単純に採用件数を比較というのは拙速のような気がする。せっかく官報目録に載っている件名「新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ」を排してまでして分かりやすい記事名にするのだから、また、教科書等のように書籍中の位置関係の影響なしに、独立した記事名としてどれを採用するのか、という論議なのだから、過去の報道等で一番耳目にしてきた(であろう)インパクトのある、浸透性のある「人間宣言」でいいのではないか。--無言雀師 2007年4月26日 (木) 10:35 (UTC) / 修正--無言雀師 2007年4月30日 (月) 07:14 (UTC)
国会図書館で検索しますと、『住井すゑと永六輔の人間宣言』(住井すゑ,永六輔.光文社,1995.4)、 『人間宣言』(住井すゑ,永六輔.光文社,2002.8.知恵の森文庫)、『子どもたちの人間宣言』(坂田次男.明治図書出版,2003.12)などがあります。 現時点ではこれらは独立項目として存在しませんが、将来独立項目が立てられる可能性もありますし、他の「人間宣言」が出てくる可能性もございます。「人間宣言」はリダイレクトにしておき、最初から「天皇人間宣言」にしておけば、改名論議をやり直さずに済むと思います。以後賛否を表明される方は、まず現状か改名かを表明してください。その上で「天皇人間宣言」か「人間宣言」かその他かを表明してください。さもないと、「天皇人間宣言」賛成者と「人間宣言」賛成者の合計が「新日本建設に関する詔書」(現状)賛成者よりも多くても、場合によっては現状維持となって改革がすすまない可能性が生じます。よろしくお願いいたします。--Kafuka1964 2007年4月26日 (木) 12:53 (UTC)
現実の国際条約である南極条約と架空のそれである南極条約 (機動戦士ガンダム)のように考えては。教科書に載るような社会的インパクトのある事象である本件は単に「人間宣言」とする。今後同名のどんなミリオンセラーや超大ヒット映画が出ても、永続的に教科書に載るようなことはないだろうから、それらを「人間宣言 (映画)」などのようにし、本件は括弧なしの「人間宣言」を保持する。当方が「天皇人間宣言」に賛成できないのは(1)既に前言したとおり、Kafuka1964氏の調査を侮辱するつもりは全くないが、貴殿の例示は件数にとどまっており、それらの事典等でどういう様態で出たのか、つまり「目次・大見出し・小見出し・文中・写真のキャプション・索引」のどこで出てきたのか、1冊の中に見出しでは「天皇人間宣言」でも文中では「人間宣言」という例もあるのではないか、などの詳細な考察が(ほんとに申し訳ない言い方だが)足りないので、確定的な数字として容認しがたいこと(2)未来はともかくこれまでの報道等ではどう考えても「人間宣言」がスタンダードであると思われること(3)なぜ冠する語が「天皇」なのかのチョイスの理由が(前述の事典等の件数以外には)見いだせないこと。日本史を学んでない人にも分かりやすくするならどの天皇かを示すため「昭和天皇人間宣言」もありだと思うし、「いや詔書公布当時は昭和という追号はなかったのだからダメだ」というなら「天皇裕仁人間宣言」とか「裕仁人間宣言」なども選択肢として出てくるはずであり、つまりは、冠する言葉を「天皇」の2文字のみとする意見に優位性があるとは認めがたい・・・などの理由からです。さらなる選択肢論争を避ける意味でも、単なる「人間宣言」とし、今後他の人間宣言が出てきても後出に括弧で本件には括弧をつけない(ただしその未来の時点のノート合意で変えることは可能)としたほうがいいと考えます。後々の改名論議など面倒臭いのはイヤだから「天皇」を冠しておけ、というのは少し性急ではないでしょうか。たとえ冠する方式をとるとしても冠する文字が本当にその2文字だけでいいと断言できますか。その根拠を主張されるなら、大変お手間をお掛けするが、前述のように当該事典等の見出し等のみならず文中での出現形態なども加算してより正確な件数で論じていただけないだろうか。ちなみに、当方が(2)でのべたスタンダードの根拠については、申し訳ないが「昭和40年代・50年代・60年代にタイムマシンで戻って過ごして見てください」としか言えないので御容赦願いたい。--無言雀師 2007年4月26日 (木) 13:55 (UTC)
>「人間宣言 (映画)」などのようにし、本件は括弧なしの「人間宣言」を保持する
よく分かりました。勘違いしておりました。「人間宣言 (天皇)」のような処置が必要なのかと思いました。辞典類の項目はすべて独立項目の大見出しの調査結果です。そうでないと意味がないので。ただ、辞典類がなぜ「人間宣言」ではなく、「天皇人間宣言」を大見出しに採用しているのかはそれぞれの記述を読んでも、各種の論説を読んでも不明ですので、強硬に「天皇人間宣言」を主張するつもりはありません。「人間宣言」で結構です。ただ、危惧するのはすでに「天皇人間宣言」案に賛意を示した人の意見をどのように扱うかです。最終的には管理人が判断するのでしょうが、その際に参照されるのは賛否の数なのか、主張の内容なのか、当方にはその知識が無いので危惧しております。--Kafuka1964 2007年4月26日 (木) 14:18 (UTC)
2007年4月24日 (火)05:02 (UTC)に「天皇人間宣言」に賛成したものです。私は現在の名称でなく、「人間宣言」という語句が入っていればどちらでもいいです。ちなみに岩波書店の日本史辞典も項目名は「天皇人間宣言」でした。なお、複数でIPを共有しているのでどういう署名になるかわかりません。--150.7.2.208 2007年4月27日 (金) 04:24 (UTC)

投票によって決めるというわけにはいかないんでしょうか?--You19994 2007年5月2日 (水) 09:47 (UTC)

とりあえず要約試行

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主導権を握ろうとか纏め役を買って出ようとかそういう思い上がった動機ではないので誤解のないようにお願いしたく思いますが、当方のみならず皆様の分も含めまして、これまでの記述がかなり膨大になりましたので、誠に僭越ながら要約してみたいと思います。候補は、文字数の少ない順に書きます。通常、ノートでの他者発言は修正すべきではありませんが、この当方の発言については、オカシイと思われる部分は修正・加筆いただいてかまわないことをあらかじめ申し上げておきます。加筆修正を妨げないよう当方の署名は最後でなくここに付けておきます。--無言雀師 2007年5月3日 (木) 03:40 (UTC)

(1)「人間宣言

Kafuka1964氏が当初提案された案。過去数十年にわたる各種報道・記事などで最も多用され日本社会への浸透度が一番高いと思われる。国立国会図書館におけるこの詔書の所蔵分類名としても用いられる。詔書の正式な「件名」ではなく、詔書の文中に単語として4文字の「人間宣言」も登場せず、詔書の中身は必ずしも神格否定表明のみでないため、詔書文面全体を正確に表したものとは言えないとの批判もあるが、まだ旧憲法下であった当時の、そしてその後の日本社会に最も衝撃を与えたと思われる箇所を象徴的に採用し端的に表した案である。詔書の正式文献名というよりは百科事典における記事名(社会現象・歴史的事実)へのふさわしさを重視する。「4文字だけでは誰が宣言したか主語が不明」として、それに「天皇」等の文字を冠したものが対案として存在する。

(2)「天皇人間宣言

Kafuka1964氏が、百科事典での多用例を元に、人間宣言よりもふさわしい案として意見変更して提示され、一旦は記事名移動の実施までされた案(その後差戻し)。テレビ・新聞報道など字数制限のあるものでは単に「人間宣言」が多いのに対し、詳述スペースがある程度確保される事典・教科書等での使用例のアドバンテージが挙げられる。詔書の正式件名ではないこと、しかるにインパクトのあった部分を象徴することを主眼とした点などは「人間宣言」とほぼ同じ。今後この6文字表現で教育を受けた世代が長じるにつれて、4文字よりも普遍化する成長性を含んでいる。ただ、人間宣言に冠した文字が「天皇」のみであるため「どの天皇の宣言かわかりづらい」「単に天皇ではその宣言の効力が過去の全天皇まで遡るかのような誤認を与える可能性がある」等の「説明不十分性」に対する指摘や、「冠する文字の案は他にも昭和天皇とか天皇裕仁とか裕仁がある」など類似候補への拡散という弱点の指摘もなされる余地がある。

(3)「神格否定宣言

(1)の人間宣言をより具体的に表したとも言える案。「人間宣言」には何か漠然と温かみあるいは前向きの姿勢のようなものが感じられるとも言えるが、「神格否定宣言」だとやや厳格・冷徹な感じか。文字数の簡潔さでは人間宣言に匹敵するが、社会一般への浸透度(このタイトルで検索するだろうか)という点で若干弱さもあるように思われる。

(4)「新日本建設に関する詔書

現状の本記事の項目名。国立公文書館におけるこの詔書の所蔵文献名として用いられている。また、旧・総理府による官報掲載資料(皇室式典関連)において一度だけ使用された例があるが、同資料は法令のような国民への拘束性のある文書ではないため「公的な根拠である」とまでは言えない(しかも同資料では「いわゆる人間宣言」との併記もなされている)。いわゆる右派論客が好んで用いる傾向が見受けられる。こちらも前出の各案と同様、詔書の正式な件名ではない。詔書の神話等否定言及部分だけでなく、全体の文意を表すものとされる。昭和27年(1952年)以降に発出される詔書はその件名の方式が整備され「○○する詔書」がスタンダードとなったため、この案は「もっともらしい」印象を受けやすいが、この11文字は詔書公布当時(昭和21年元日)に存在したものではない、という事実を払拭することはできない。人間宣言などに比べると(正式件名でもないのに)文字数が多く、浸透度の点で難ありか。

(5)「新年ニ当リ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス国民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ

この詔書が公布され、その後に同じく大蔵省印刷局から発出された「官報目録」に掲載された正式な「件名」である(当時の漢字は旧字体使用だが、ここでは新字体に置換)。本来、法令・公文書のタイトル(専門用語では「題名」又は「件名」という)については、法律なら国会に、政令以下なら政府に、その命名の実権があり、そうして付けられた正式な題名・件名を勝手に変えて引用するのは中立性の観点から好ましいことではない。しかし、本件については(1)昭和27年以降の「整備された詔書件名」と異なり、よりによって「こいねがう」などと動詞形で件名が終結して「詔書」の文字がないという異質性がある(2)検索など百科事典の利便性を考えた場合、あるいはウィキペディアは「正確至上主義」的なウィキソースとは違う(端的な要約も許容される)ということ考えた場合に「この長い正式名称を使え」と強硬に主張できるだけの汎用性・正当性に乏しい(3)公文書たる詔書の説明のみの記事としてでなくその背景・社会の反応等も含めた「事象・歴史」としての記事への発展性を考えると文献名に固執することを絶対視はできない--などの事情があり、これまでの議論でもこの件名の採用を主張する論客は(現時点では)出てきていない。なお、汎用性よりも正確性、のウィキソースでは、この長い件名(の正確な旧字体表示バージョン)を項目名として用いている。

(6)(参考)「昭和21年1月1日詔書」(数字は漢数字でも可)

公文書の番号の表示に倣ったもの。公文書の名称の正確性という観点だけであれば(5)と同様と言えるが、内容についての説明性もなく、社会一般での使用度もほとんどないと考えられる。

結局、長くなってしまいましたが、かつ、我田引水的な部分も散見されると思いますが、まとめて見ました。当方は、昭和64年1月7日夕刻、皇居前広場において記帳に参じた数万人のうちの一人ではありますが、それでも、これまでの議論を踏まえ、また、4文字の上にさらにどういう文字を冠するかの論争で意見拡散が起きるのは避けたいと考えるため、ずばり端的でインパクトのある「人間宣言」が最適であると表明します。永六輔氏らの著書「人間宣言」などについては「人間宣言 (対談集)」などのように括弧を用い、教科書に載る一大事象である本件は今後も括弧を付けない別格扱いの「人間宣言」を保持するのが好ましい、ということも併せて再度表明しておきます。他の「右派的論客」の皆様、正確性へのこだわりをバリバリ発揮できるウィキソースでは政府発表の正式な件名である(5)が項目名になってますし、そこへのリンクはこの記事本文にも貼ってあります。妥協・バーターというつもりはありませんが、こちらは端的な「人間宣言」にしてみませんか。--無言雀師 2007年5月3日 (木) 03:40 (UTC)

無言雀師さま、緻密なとりまとめをありがとうございます。だいぶ日にちも経ちましたので、移動依頼を出して管理人さんの判断に委ねました。この依頼も時期尚早ということでしたら、依頼を取り下げていただいても結構です。その権利のようなものが依頼者にしか無いようでしたら、ちょっと旅行に出てしまいますので、無言雀師さまに委任することをここに明記しておきます。--Kafuka1964 2007年5月5日 (土) 22:32 (UTC)
今更ですが、参考までに昭和25年発行の法令全書昭和21年総目録では「新年ヲ迎フルニ際シ明治天皇ノ五箇條ノ御誓文ノ御趣旨ニ則リ官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、新日本ノ建設方」という名称で掲載されています。--Shin-改 2007年5月22日 (火) 16:09 (UTC)
なにぶん題名でなく件名ですので、官庁の胸先三寸で変えられてしまうというのはありますね、確かに。似た例と言えるかどうか分かりませんが、勲章を定めた明治8年太政官第54号、これ最初の件名は「賞牌從軍牌ヲ定ム」で、それが翌年の太政官布告141号で「勲章從軍記章ヲ定ム」になり、いつの頃からかなのかは(当方の調査能力不足のため)分かりませんが「ヲ定ム」が「制定ノ件」と読み替えられて「勲章從軍記章制定ノ件」になり、平成改革で「勲章制定ノ件」になりました。題名を持たない件名を判断するには、目次で件名を認定、目次がなければ公布文中に件名になりうる言及があれば当該公布文から件名を認定、目次も公布文での言及もなければ翌月以降に出る官報目録で認定、その後、場合により法令全書収録時に件名修正が行われればそれに倣い、さらには後年他の法令条文中での「これまでと違う件名での引用登場」という形で事実上件名の改正というか修正がなされる、ということになると思うんですよね。本当に件名というのは悩ましいですね。で、今回のShin-改氏(ソースの方では度々お世話になりありがとうございます)お示しの情報で考えると、「新年ニ当リ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス国民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ」は詔書発布時の(まぁ正確には発布後の目録で命名された)件名で、「新年ヲ迎フルニ際シ明治天皇ノ五箇條ノ御誓文ノ御趣旨ニ則リ官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、新日本ノ建設方」は何らかの理由で宮内庁又は大蔵当局の意向で修正された現行件名である、と言うことができると思います。これとて昭和27年からの「○○スル詔書」あるいは「○○の件」みたいな整った形状ではなくて明治の太政官布告や勅令のように末尾が「方」ですので、現代においては引用しづらいことこの上ない、という点ではあまり違いがない(引用客体としてはいささかガッカリな)件名だと思います。当方は法令全書を揃えるような余裕もありませんし大規模図書館に行く手間もアレなので、もしShin-改氏、お手間でなければその新件名、旧字体の使用状況はどうなっているか追加説明いただけませんでしょうか。それを受けて、その新件名を本文の冒頭部に付記しようと思うのですが。もちろん、Shin-改氏ご自身でその旨の加筆をいただけるならそれに越したことはありません。ともかく、有益な情報をありがとうございました。--無言雀師 2007年5月22日 (火) 16:41 (UTC)
自分としては、「後日件名が修正された」という考えよりも、「多数ある件名の中から、その時代に会うように選択している」という考えが好きですが、それはさておき、頼まれたので調べてきました。
新件名の使用状況
私が調べられる範囲では法令全書内だけです。詳しくいえば、①昭和21年法令全書総目録《昭和25年11月10日印刷、昭和25年11月15日発行》(以下①であらわす)の詔書のページと、②法令全書昭和21年1月号《昭和22年9月25日印刷・発行》(以下②であらわす)にある目録の中の詔書のページです。
ちなみに、この詔書を引用する法令等自体極めて少ないのが現状ですが、昭和21年文部省訓令第1号(法令全書での件名は、①では「平和国家第一年ノ元旦ヲ迎フルニ当リ、忝クモ詔書ヲ渙発セラレ、新日本建設ノ嚮フベキ方途ヲ昭示シ給ウ叡慮奉體方」、②では「平和國家第一年ノ元旦ヲ迎フルニ當リ、忝クモ詔書ヲ渙發セラレ、新日本建設ノ嚮フベキ方途ヲ昭示シ給ウ叡慮奉體方」。體以外は旧字体としている)でこの詔書について述べられていますが、これといった形で詔書を示していませんので、使い物になりません。
旧字体の使用状況
旧字体というと怒る人がいるのであまり使いたくはない言葉ですが、「件名の状況」と「本文の状況」の2つのどちらについて調べてきてほしいのか判断できなかったので、両方についてとりあえず報告しておきます。
件名の状況
上記にも述べた通り、この件名は①と②で使用されていますが、①では「新年ヲ迎フルニ際シ明治天皇ノ五箇條ノ御誓文ノ御趣旨ニ則リ官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、新日本ノ建設方」となっており、「條」以外は当用漢字表の字体にあわせています。②ではすべて旧字体で記されています。
本文の状況
本文は②に掲載されていますが、すべて旧字体です。ちなみに②が発行した当時、既に当用漢字表が発布されています。ちなみのちなみに、②に掲載されている他の法令もすべて旧字体です。
以上です。--Shin-改 2007年5月24日 (木) 14:29 (UTC)

(インデント戻します)Shin-改様、詳細にお調べ・ご報告いただきありがとうございました。ご教示いただいた情報を基に、記事本文冒頭部にその旨を追記させていただきました。こちらウィキペディアでは新字体置換がデフォルトですので新字体のみに触れることとし、旧字体についてはウィキソースのほうで触れたいと思います。思えば、先日図書館で本件件名を調べたときに、ある別件については法令全書目録も書庫から取り出していただき参照・コピーしたのですが、本件については「まさか官報目録と法令全書で違う件名になっている」とは夢にも思わなかったため、官報目録しか参照しませんでした。こういう特殊な事例では両方確認すべきでしたね。今後の調査時の手法として大変参考になりました。感謝致します。--無言雀師 2007年5月24日 (木) 16:53 (UTC)

戦前の法令では、法令全書総目録と法令全書~月号目録と官報目録ではそれぞれ件名が異なる方が多いかと思います。それだけは留保しておいた方がいいと思います。--Shin-改 2007年5月24日 (木) 17:07 (UTC)

「件名」等の記述について

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御名御璽さらには閣僚の署名があることでも分かるとおり、詔書は公的文書です。詔書に、法令作成技術用語でいうところの「題名」がないのはそのとおりですが、「件名」は存在します。公的文書の名称は、まずは公的機関でどのように表記された実績があるか、が考慮されるべきではないですか。的確な喩えではないかも知れませんが、いわゆる通信傍受法のウィキペディアでの項目名を「マスコミで使われているから盗聴法にすべき」のような意見が正しいとは思えません。自然科学とか観念的な事象の呼称であれば「普遍的」「検索第一」も分かりますが、公的なものの名称にまで百科事典の都合を優先適用せよ、とのご意見には賛同しがたいものがあります。とはいうものの、過去に総理府で(新日本~の名称に次ぐ名称として「いわゆる」という言葉を冠した上でですが)人間宣言の呼称を用いた例はあるので、当方は絶対反対という立場はとりません。ただ、本文のほうでは、人間宣言よりも「新日本の~」のほうが公的機関での使用例がある旨は明示していただきたいです。現状の本文の「人間宣言の別称である」という記述ぶりはあまりにも偏向していると考えます。--無言雀師 2007年4月21日 (土) 07:12 (UTC)

処置しました。「人間宣言」は国会図書館が使用しています。--Kafuka1964 2007年4月21日 (土) 08:19 (UTC)
受け売りですが、国立公文書館では「新日本建設ニ関スル詔書」のようです。毎日新聞 --無言雀師 2007年4月21日 (土) 08:35 (UTC)--失礼しました。とっくの昔に外部リンクにありましたね。--無言雀師 2007年4月21日 (土) 08:40 (UTC)

一般的解釈に対する右派からの疑義

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本文に大原康男の珍妙な説を入れましたが、これを否定する説は無いでしょうか。古い説なのでどこかに反論があると思うのですが。素人から見ても大原康男なる人物は大学教授であるにもかかわらず、読解力が……と思われます。これも自分でも調べてみますが。--Kafuka1964 2007年4月17日 (火) 06:53 (UTC)

上記、解決しました。本文をご参照下さい。--Kafuka1964 2007年4月21日 (土) 06:19 (UTC)

一般的解釈に対する疑義のコメントアウト

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小項目「一般的解釈に対する疑義」の以下の文面が私見(独自研究)と思われるためコメントアウトにしました。前半は研究者の誰かの研究論文からの借用の可能性もあろうかと、削除にはしませんでした。「出典」の提示が無ければ一ヶ月ほどで「削除」が適当と思います。

この説は、木下という一個人に詔書の解釈権があるという解釈に基づいており、必ずしも適当とはいえない。詔書の解釈・理解はあくまでも天皇の心の中だけにあることを知るべきであろう。

皆様のご意見をお願いいたします。但し、単なる私見ではなく、あくまで研究者による研究の紹介をお願いいたします。--Memosa 2007年9月6日 (木) 09:38 (UTC)

2008年10月10日 (金) 14:05 (UTC)で削除した文章について

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以下の文章を削除しました。

詔書は当日発行された新聞各紙の一面記事による活字での「人間宣言」名称から、天皇による超人思想の否定であり、天皇の人間宣言であるとして、検閲可能な占領下での一斉報道で名称固定され、以後はそのまま通用することになった。

「超人思想」、「名称固定」なる意味不明な言葉が使用されていることもあって、意味が通らない文章になってしまっています。「人間宣言という用語は、新聞報道で使用されることによって一般化した」ということでしょうか? しかし、それだと、「1946年1月1日、この詔書について新聞各紙の第一面で報道された。しかし、…人間宣言にはほとんど触れていない。」という出典を付けた私の記述と矛盾してしまいます。これでは、削除した文章を復帰させても要出典の文章になってしまいます。この文章を復帰させる場合は、私見でなく研究者による研究を出典としていただけますでしょうか。よろしくお願いします。--伏儀 2008年10月10日 (金) 14:24 (UTC)

「田中上奏文への信仰と確信」という記述について

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「当時の状況」節にある「田中上奏文への信仰と確信」とはどういう意味でしょうか。私は、田中上奏文の記事に「田中上奏文は怪文書・偽書である」とあったので、「田中上奏文が本物であることへの信仰と確信」と理解しましたが、この認識で正しいでしょうか。さらに、「信仰」という言葉もどういう意味なのか分かりません。「(本物であると)信じ込んでいる」ということでしょうか。意味が通るよう修正していただきたく思います。--伏儀 2008年10月10日 (金) 14:34 (UTC)

上の節とは別案件なので、タイトルを追加して節を分けました。--伏儀 2008年10月10日 (金) 15:08 (UTC)

上記の記述を「起草の経緯」節に移動しました。「田中上奏文への信仰と確信」について、ご意見をお待ちしています。--伏儀 2008年10月23日 (木) 19:07 (UTC)

加筆し、重複する記述を削除する編集に伴い、「田中上奏文への信仰と確信」という記述も削除しました。GHQが人間宣言の作成を決心したきっかけは田中上奏文に限らないと思うので、特に触れる必要はないのかなというのが、今の私の印象です。--伏儀 2008年11月14日 (金) 18:38 (UTC)

「人間宣言の影響」節における118.240.25.230殿の記述について

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IP118.240.25.230殿により追記していただいた以下の文章を要出典としました。

「日本人にとっての神(=天皇)とは、一神教の西欧社会における全能の絶対神とは異なり、あくまでも民族の歴史と文化のアイデンティティーを担保する象徴的な存在に過ぎなかったからである。」

人間宣言がセンセーションを巻き起こさなかった理由は、「象徴的な存在に過ぎなかったから」という仮説を発表している研究者は誰なのか、IP殿から提示していただいておりません。そもそも、「日本人にとっての神(=天皇)とは、…象徴的な存在に過ぎなかった」という仮説も要出典ですね。現状の記述はIP殿の持論・新説の発表となってしまっています。出典を明記して下さい。--伏儀 2008年11月14日 (金) 16:30 (UTC)

そもそも、人間宣言が「当たり前のことを示した」「センセーションを巻き起こさなかった」のであれば、どうして三島由紀夫はあれだけ人間宣言を呪詛するような言葉を書いたのでしょうか(→三島由紀夫#三島の天皇論)。--彩華1226 2009年5月28日 (木) 15:54 (UTC)

三島由紀夫にとって、人間宣言は当たり前でもセンセーションを巻き起こさないものでもなかったということでしょう。出典としたシロニー氏の著書にも、三島について「日本という国を神として具現する存在としての天皇を敬慕し、…」という説明があります(『母なる天皇―女性的君主制の過去・現在・未来』370頁)。人間宣言で三島について説明するとしたら、「大原康男と伊藤陽夫の疑義」節に加筆して、節名を修正するのが良いかもしれません。--伏儀 2009年5月29日 (金) 10:51 (UTC)

いわゆる『人間宣言』勅書の目的について

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新日本建設に関する詔書、いわゆる『人間宣言』について、これは昭和天皇本人の証言にあるとおり五箇条の御誓文の意義を再確認するものですが、必ずしもWikipediaの編集者全てに共有されている事実ではありません。利用者:伏儀さんのようなお考えで編集されることも無理ないと思います。一旦差し戻させていただきましたが、このノートでの議論およびその合意によって再び伏儀さんの主旨で書き換えるならば問題ないと考えます。

従って一旦差し戻した後、本記事『人間宣言』について、その主な目的が『天皇の神格の否定』なのか『五箇条の御誓文』の確認なのか投票をお願いしたいと思います。神格の否定ならば賛成、御誓文の確認ならば反対を投票してください。--kanryu 2012年2月11日 (土) 08:39 (UTC)

まず、安易な投票には強く反対します。で、この差分を見る限り、差し戻し前の版が「人間宣言の主目的が『五箇条の御誓文』の確認である」ことを否定する内容の編集であるとは思えません。というか内容として削られているのって、人間宣言が伊勢神道の肯定である、という部分だけではないでしょうか。--水原紡 2012年2月11日 (土) 08:58 (UTC)
ありがとうございます。私が以前本記事を編集する前、五箇条の御誓文に対する言及よりも天皇の神格の否定に対する言及が先に来る文章になっており全体の文章量はそのままで文の順序を変更しました。利用者:伏儀さんの変更によって私が以前編集するより前の状態に戻ってしまっていたため、差し戻しを行いました。水原紡さんのおっしゃるとおり、差し戻し前の全体の文章として「人間宣言の主目的が『五箇条の御誓文』の確認である」であることを否定する内容にはなっていませんが、神格の否定の言及が強調されることによって弱められてしまっています。
伊勢神道の肯定、否定については重視していません。個人的には不要でないかと考えます。--kanryu 2012年2月11日 (土) 09:09 (UTC)
コメント 私も投票には反対です。伊勢神道の肯定については、IP:114.185.96.146殿が、出典元の書籍に記載されていない説明を後から潜り込ませてしまったようです([1])。これでは虚偽の引用になってしまいます。ただ、Wikipedia:信頼できる情報源が提示されれば、記載する必要があると思いますが。
さて、kanryu殿の説明で不可解なのは、なぜ私が投稿した記述で『五箇条の御誓文』が主目的であることが傍論に押しやられてしまう(というご指摘であってますよね?)のか。そこがわかりません。そもそも、kanryu殿の修正で、『五箇条の御誓文』が主目的であることが明確になったようには読み取れませんでした。念のため出典を再度確認してみましたが、シロニー教授の論旨を逸脱しているようには思えません。むしろ合意が必要なのは、私が投稿した記述に手を加えてしまうkanryu殿の編集ではないでしょうか。もちろん、私の投稿が出典元の論旨を正確に参照できていないのならば、直ちに修正に応じる所存です。--伏儀 2012年2月11日 (土) 12:01 (UTC)
コメント あと、私が行った文章や章立ての整理、節で実施されてしまっている脚注マークアップ修正、IP:114.185.96.146殿が概要や起草の経緯に追加した出典なし演説の対応が、kanryu殿のリバートで一緒に戻ってしまいました。編集合戦は避けたいので、kanryu殿の裁可をお願いします。--伏儀 2012年2月11日 (土) 12:11 (UTC)
本記事の記事名は『人間宣言』ですが、この用語自体がある種の(反天皇論的な)イデオロギー的な偏りの持つものであり、少なくとも勅書全文を俯瞰して考えると人間宣言の記述自体よりも御誓文の方が大事なのだということを強調する必要があります。そのために御誓文への言及を最初に持ってきていますが、この編集で意図が伝わらないようなら私の力不足です。なお、この編集の出典は伏儀さんが出典とされるシロニー教授の論旨ではなく、記事中にある昭和天皇の発言、および近年の小林よしのり氏を始めとする本の趣旨によります。
また要出典の付加など、勅書の概要部より後の編集について、それらは問題ないと思いますが私の差し戻しで戻ってしまっています。申し訳ないです。--kanryu 2012年2月11日 (土) 12:30 (UTC)
コメント 記事名は中立的かではなく、一般に通用するかで判断することになっています。しかし、詔書の一部を示す記事名で、しかも主目的が記事名とは別なのに、内容自体は詔書全体を論じている現状は、私も問題だと思います。
さて、シロニー教授の論旨は、「天皇の神格否定が主題といわれているが、実はそうではない。御誓文こそが詔書の主目的なのだ。人間宣言とされる部分はわずか数行で、しかも事実確認しかしていない。」…という話の流れで、それで御誓文が文章の途中になっています。ただ、kanryu殿のご指摘を受けて、詔書の概要にしては「人間宣言では事実確認しかしていませんよ~」という説明の分量が多いという気がしてきました。そもそも、kanryu殿の編集は出典の論旨を改変する意図では決してないので、問題ないといえばそれまでかもしれません。この記述で合意がとれるのであれば、私としては反対しないことにします。(とりあえず、その他の修正は戻しておきますね。)--伏儀 2012年2月11日 (土) 13:07 (UTC)