ノート:仏教に対する批判
Dokuo350さんの出典つきの内容の大量削除とその理由について
[編集]Dokuo350さんは2022年4月17日に2回の編集をしており、2次資料、3次資料の出典のある内容を大量に削除しており、その件でDokuo350さんと議論をするために本項目を作ります。
2022年4月17日 (日) 14:28 Dokuo350 会話 投稿記録 29,034バイト +106(typo, →脚注: fmt, DEFAULTSORT, +)
2022年4月17日 (日) 14:45 Dokuo350 会話 投稿記録 22,698バイト −6,336(仮リンク、句読点、梵網教→ブラフマ・スートラ)
Dokuo350さんの行われた出典つき内容の大量削除とは別に編集されている細かな修正内容については以下のように対応または質問させて頂きます。
- 挿入された仮リンクについては使用用途がおおむね不明です。参考資料に書いてあるDubus、Ukristが執筆した資料です。Web資料ではありません。仮リンクをつけた理由をお聞きしたいと思います。
- 梵網教→ブラフマ・スートラについては、翻訳機が誤っていたのを見落としていたので修正しておきます。
- 頭分はひらがな表記を入れ忘れていて直して頂いたのは良いのですが、頭に『本項では』で始まる文章となっていたので、ふりがなだけをいれました。
- DEEFAULTSORTについては確認した限り濁音なしのひらがなのみで記述されており、何を修正なさりたいのかわかりませんでした。
- リンク(ニーチェ、その他)については少なくともリンク先があるものについては、できるだけ修正された箇所を残せるように後で直しておきます。
- Dokuo350さんは伊藤隆寿を伊藤隆敏に修正(または戻)されていますが、これについては編集前の伊藤隆寿で正しいのでそのままにします。
Dokuo350さんの2022年4月17日 (日) 14:45の編集では民主主義、国粋主義、暴力行為への非難の項目等で2次資料、3次資料の出典のある内容を大量に即時削除を行われていますが、Wikipediaの編集方針に従いノートでの議論を通して合意形成を行ってから編集を行ってください。仮リンクをつけられたのはDokuo350さんですが、自分で編集した仮リンクや句読点を理由に合意形成なしに大量の即時削除を行うことが妥当だと信じられているようでしたら、wikipediaの編集方針を読み良く理解してから編集するようにしてください。--2400:2410:C1A3:5300:A0AD:F5F2:719A:771 2022年4月17日 (日) 19:09 (UTC)
- 返信 (2400:2410:C1A3:5300:A0AD:F5F2:719A:771さん宛)
- 2400:2410:C1A3:5300:A0AD:F5F2:719A:771さんのご指摘にあった編集差分について、確認いたしました。この編集についてですが、私が2回目に改稿した際に初稿を参照してしまったために起きた、私側のミスによるものでした。大変申し訳ありませんでした。
- また、いただいた質問について、一点ずつお答えしたいと思います。
- 仮リンクとは、現状日本語版以外のWikipediaにおいて記事が存在するものの、日本語版には無い記事への内部リンクです。本記事においてドナルド・S・ロペス・ジュニア、ブラフマ・スートラ、僧肇に関する説明が無く、また他の日本語版Wikipediaの記事での詳しい言及も見当たらなかったので、仮リンクを貼りました。
- DEFAULTSORTについて、私が行った編集について説明します。ソートキーは、ガイドラインでは:
- その際に、濁音・半濁音は清音に、拗音・促音は直音に、長音(音引き)は母音に置き換えるのが主流です(例: 日本語版ウィキペディア → にほんこはんういきへていあ)。なお、お段に長音符が付く場合、「う」と「お」の両方が使われていますが、「お」を使うことが主流です(例: ソートキー → そおときい)。
- と説明されています。私は2回目の改稿時にテンプレートを修正しようとしましたが、初稿を参照したうえに、その際上記の促音に関するルールを見落としたことから、ご指摘にあった編集となってしまいました。
- 伊藤隆壽についてですが、こちらは初稿を参照したことが原因の変更かと考えております。
- このたびは、私の編集ミスで2400:2410:C1A3:5300:A0AD:F5F2:719A:771さんのお手を煩わせてしまいました。重ねてお詫び申し上げます。
- また、この場でお聞きするのも心苦しいのですが、2400:2410:C1A3:5300:A0AD:F5F2:719A:771さんが使用されている機械翻訳がどのサービスか教えていただくことはできますか?--Dokuo350(会話) 2022年4月18日 (月) 03:23 (UTC)
- 詳細なご回答ありがとうございます。早合点していたこちらのほうこそDokuo350さんのお時間を使わせてしまいましたので申し訳ありません。削除と判断したログを見ると不可解な点や違和感(伊藤隆壽に戻した点等)があったので、もう少し慎重さがあればDokuo350さんが大量削除を目的としていない事を察することはできていたかもしれません。
- 仮リンクの説明については納得しました(上述の3点の仮リンクの使用については賛同できます)
- DEFAULTSORTについても了解しました
- 翻訳ソフト名については必ずしも毎回使わってるわけではないので開示についてはご容赦ください(最近は翻訳ソフトの出力をしたじきにし、マニュアル翻訳で上書きをすることが多いです)--2400:2410:C1A3:5300:829B:7BF8:8B28:15FD 2022年4月18日 (月) 08:45 (UTC)
- とんでもございません。二度と同様のミスが起こらないよう心がけてまいります。今後私が行った編集になにか問題がございましたら、気兼ねなくノートページか会話ページにてご連絡いただければと思います。--Dokuo350(会話) 2022年4月19日 (火) 13:14 (UTC)
- 詳細なご回答ありがとうございます。早合点していたこちらのほうこそDokuo350さんのお時間を使わせてしまいましたので申し訳ありません。削除と判断したログを見ると不可解な点や違和感(伊藤隆壽に戻した点等)があったので、もう少し慎重さがあればDokuo350さんが大量削除を目的としていない事を察することはできていたかもしれません。
この記事に関して
[編集]この記事の問題点に関して幾つか述べさせていただきます。
仏教に向けられた批判は、仏教の教えに反する行いをする、仏教の本来の教えとは異なる、あるいは仏教の教えが女性を排除しているなど、さまざまな形で行われてきた。古今東西、他の宗教、無宗教者、無神論者、他の仏教徒などから多くの批判が寄せられている。
リード文の以上の記載から、この記事は基本的にはここに記載されている
- 仏教の教えに反する行い
- 仏教の本来の協議とは異なる
- 仏教の教えが女性を排除している
という批判を説明しているものだと解釈をしています。そのうえで、この記事の記述に関する問題点を列挙します。なお、現時点で参考文献が手元になく、出典として挙げられているもののうちWeb上で閲覧可能なものに関しても読めていないので、無出典(と読める)の箇所を中心に挙げます。
>「古今東西、他の宗教、無宗教者、無神論者、他の仏教徒などから多くの批判が寄せられている。」(リード文)
- 「他の宗教」以下に関してはこの記事の内容の要約となっていますが、「古今東西」という記述が引っ掛かります。アディシャンカラ・ガウダパダからの批判、宝地房証真の主張以外に関しては現代的な批判・主張に終始しており、「古今東西」多くの批判が寄せられている、とは言い難いのではないかと考えます。(少なくとも古くの批判は東洋に偏重しているはずです)
>「仏教における女性蔑視には女人五障説、八敬法、三従説、変成男子説がある。」(仏教における女性の節)
- 「女性蔑視」との価値判断はいかにしてなされたのでしょうか。
>「日本仏教からの本覚思想や仏性の除去を提唱した」(社会的不公正の節)
- 誰が提唱したのか不明です。
>「ミャンマーではマイノリティの権利や政教分離は仏教民族主義者によって軽視されてきた。」(ミャンマーの節)
- 直下の引用文の要約でしょうが、引用文からは「マイノリティの権利」「政教分離」「仏教民族主義者」「軽視」が全く読み取れません。
>「ロヒンギャを含むムスリムに向けられたものとして世界的に批判されながらも」(ミャンマーの節)
- 直下の引用文の要約でしょうが、引用文からは「マイノリティの権利」「政教分離」について誰が批判したのか具体例に欠いており、実際に「ロヒンギャを含むムスリム」を俎上に載せた法律であるか不明です。
- 誰がどのように(説・戒律のどの部分を)批判しているのか全く記述がなされておりません。
- 日本人の宗教性に関することが論じられており、「日本主義」への批判を取り上げていますが、これは「仏教に対する批判」ではありません。
Wikipediaのガイドラインを探したところ、Wikipedia:中立的な観点というものがありました。この記事は「観点の釣り合い」が取れていない状況だと感じます。「仏教に対する批判」という記事名である以上、
- ○○は××について△△であると、批判した。
というような帰属化された内容であるべきだと考えますが、
- 仏教の◇◇という教義は女性蔑視である。(出典なし)
という記述が散見されます。勿論、前者の形式で記述されている箇所は問題ないと思います。
「中立的な観点」という意味では、批判に対する弁明・反論も同程度記事内で割くべきであると考えます。なお、私の記憶が正しければダライ・ラマは地球球体説や進化論を受容していたと記憶しております。
また、仏教と言えども宗派によって千差万別です。ある特定の考えに対する批判は、「○○仏教の××派」に対する批判と明確に記述をする必要があると感じます。
宗教に関する批判は非常にセンシティブな問題である以上、学術的な客観性を有していなければなりません。これから一文一文原典と照らし合わせながら検証するつもりですが、現時点で問題点だと感じた部分を取り急ぎ列挙させてもらいました。--サノマール(会話) 2022年6月17日 (金) 09:16 (UTC)修正--サノマール(会話) 2022年6月17日 (金) 09:26 (UTC)
- 批判や提唱をした人物が曖昧な記述には{{誰}}や{{誰2}}、或いは{{誰範囲}}や{{誰範囲2}}を使うと良いかも知れません。--119.231.226.159 2022年6月17日 (金) 19:47 (UTC)
- 返信 ありがとうございます。暫定的な措置として、ご教示いただいたテンプレートを添付しようと思います。ただ、全体を通して記事の再構築が必要であるように感じるので、出典との照らし合わせ、内容の精査等はこれから進めていきます。--サノマール(会話) 2022年6月18日 (土) 04:53 (UTC)