コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ブラフマ・スートラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ブラフマ・スートラ』(: ब्रह्मसूत्र, Brahma Sūtra)は、インド哲学ヴェーダーンタ学派根本聖典[1]5世紀前半ごろ成立。8世紀シャンカラ注釈を通じて伝統的に読まれる[2]。『ヴェーダーンタ・スートラ』『シャーリーラカ・スートラ』などとも呼ばれる[1][3]

内容

[編集]

ブラフマンの考究を中心に[1][4]一元論[1][5]出家の讃美[6]、『ウパニシャッド』諸文献の解釈[1]、当時主流だったサーンキヤ学派二元論への批判[1][7]、姉妹学派のミーマーンサー学派への部分的批判[1][6]、その他ヴァイシェーシカ学派仏教ジャイナ教シヴァ教獣主派英語版ヴィシュヌ教バーガヴァタ派英語版への批判[8]を説く。

4編4章ずつの合計16章からなり、各章が複数の節からなる[2]

おそらく暗誦目的または秘教性のため、極端に簡潔な文体で省略を多用して書かれているため、注釈無しでは読解が困難である[9]

成立

[編集]

伝承では、作者は前1世紀ごろのヴェーダーンタ学派の開祖バーダラーヤナ英語版とされる[10]。しかし実際は、後400年から450年ごろに、学派内で既存の諸学説を整理して編纂したと推定される[5]

受容

[編集]

本書は『ウパニシャッド』『バガヴァッド・ギーター』とともに、ヴェーダーンタ学派の「三種の学英語版」として重視される[1][11]

ヴェーダーンタ学派内の諸派の開祖をはじめ、多くの学者の注釈があり、現存する注釈は約50種に及ぶ[1]。現存最古かつ最重要の注釈に、8世紀不二一元論派の開祖シャンカラの注釈がある[2]。同派のパドマパーダ英語版ヴァーチャスパティ・ミシュラ英語版は、シャンカラの注釈への注釈(複注)を書いた[12]。他の重要な注釈として、他派開祖のラーマーヌジャマドゥヴァ英語版ニムバールカ英語版ヴァッラバ英語版の注釈がある[13]。ラーマーヌジャやマドゥヴァは、ヴィシュヌ教神学の観点とともに注釈した[14]。近現代のインド学では、既存の注釈に依らない原意解釈も行われている[15]

近現代のインドでも、バラモン[16]、シャンカラを崇敬するヒンドゥー教スマールタ派[17]ラーマクリシュナら思想家・宗教家[17]などに重視されている。

日本語訳

[編集]
  • 服部正明「不二一元論 ブラフマ・スートラに対するシャンカラの注解 二一・一・四、一八」『世界の名著 1 バラモン教典 原始仏典』中央公論社、1961年、NDLJP:2934586
  • 金倉円照『シャンカラの哲学 ブラフマ・スートラ釈論の全訳』春秋社
上巻: 1980年、NDLJP:12215530、下巻: 1984年、NDLJP:12215833
  • 湯田豊『ブラフマ・スートラ シャンカラの註釈』大東出版社
上巻: 2006年、ISBN 978-4-500-00708-0、下巻: 2007年、ISBN 978-4-500-00709-7

参考文献

[編集]
  • 中村元『インド哲学思想 2 ブラフマ・スートラの哲学』(3刷)岩波書店、1981年(原著1951年)。ISBN 9784000085465 NDLJP:2972599
  • 前田專學「『ブラフマ・スートラ』および不二一元論派」『岩波講座東洋思想 5 インド思想 1』岩波書店、1988年。ISBN 4-00-010325-3 
  • 正信公章「ヴェーダーンタの諸流派」『岩波講座東洋思想 5 インド思想 1』岩波書店、1988年。ISBN 4-00-010325-3 

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 島岩・小学館日本大百科全書(ニッポニカ)『ブラフマ・スートラ』 - コトバンク
  2. ^ a b c 前田 1988, p. 33.
  3. ^ 中村 1981, p. 81f.
  4. ^ 前田 1988, p. 36.
  5. ^ a b 前田 1988, p. 32f.
  6. ^ a b 前田 1988, p. 45.
  7. ^ 前田 1988, p. 38f.
  8. ^ 中村 1981, p. 94.
  9. ^ 中村 1981, p. 101.
  10. ^ 前田専学・平凡社世界大百科事典第2版『バーダラーヤナ』 - コトバンク
  11. ^ 中村 1981, p. 98.
  12. ^ 前田 1988, p. 60.
  13. ^ 前田 1988, p. 46.
  14. ^ 正信 1988, p. 81.
  15. ^ 前田 1988, p. 34.
  16. ^ 中村 1981, p. 100.
  17. ^ a b 前田 1988, p. 62.